
日航ボーイング747 1970
何となく仕事場のパーティションに永年ポロ隠しにと貼りっぱなしの小さなポスターです。
(雑誌の折り込み付録)
今はなき初期塗装、しかも日航からジャンボは居なくなり。
1970年に始めて渡米したのは日航ジャンボ就航間も無い夏でした。
羽田発ホノルル経由ロサンゼルス行き。
ホノルルには明け方到着で、店も何もやってなくて、只、薄暗い通路ベンチで数時間給油、メインテナンスを待ち続けました。(乗客への待ち合わせ場所の用意も無くでしたね)
スチュワーデスは皆美人で優しく(容姿端麗の採用条件有無は不明)ほとんどのお願いを訊いてくれました。
まあ当時は飲酒しなかったんで、トランプを余分に貰った事は覚えてます。
始めての海外旅行でいきなりジャンボ機ですから、すっかり海外旅行はこのデカイ奴で行くもんだと摺り込まれてしまいました。
ホノルルからロサンゼルス、そして乗り継ぎでアトランタ経由タンパまで飛んだんですが、国内線アメリカ人スチュワーデスも優しくて、空席1列に横にならせてくれて毛布かけられ、寝たままサービスぶりの気配も心地良く・・ キャリアは忘れましたがTWAかパンナムか、国内線もジャンボ機だったと思いました。
日航の塗装の機体を外地で見かけるとホッとしたもんです。
そして、外地空港で解らない事が有ったら迷わず日航カウンターに行けば何とかなると思ってましたし、そう聞き及んでました。
日本語が通じるって、ほんとに有り難い事でした。
特に若いと、押し切るという高等テクニックを持ち備えていませんし。
次世代のジャンボの塗装は、まあまあ許容範囲でしたね。
最終型塗装には 愕然。
鶴がいないじゃないですか。
会社のアイデンティティーを変えたがるのは、変更に関わるコストから恩恵を受ける立場からの操作が臭ったりするわけですね。
お代官様と越後屋。
IE変えたがるのは大概若い世代じゃないですよね。
若い世代は、苦労してやっと頂いた社員バッジの姿形、看板、ノレンが変わっちゃうのって望んでない気がします。
老舗としての看板を簡単にスゲカエちゃうのを良く株主が許したもんだと思います。
キリンビールは途中で変なデザインのラベルにして缶ビール売ってましたが、不評で昔の麒麟マークに戻したじゃありませんか。
まあ、フラッグキャリアとして別格な存在だったわけで、消えかかってるのが寂しいですね。
なるべくしてなった様ですが、最後までの粉飾もどき業態で、パイロット訓練生、ベテランパイロットの夢と生活を打ち砕いてしまった経営陣が居たワケですね。(まんまと逃げおおせるかノウノウと居座ってるか)
現場の仕事命だった側は、ジョウダンじゃないですね。
以下は本編と、全く無関係の事です。
↓
商売を閉める際、挨拶廻りすると慰めの言葉をかける人が居ますが、それはとても酷いですね。
閉めて去る側も、スガル様な仕草になってやしないかと気にかかるし。
勝手にこっちの都合で閉めたとしても大方はそうは見ないもんだと思いますね。
サッサと消えちゃうのがいいです。
そんな事を昔の体験からフっと思い浮かびました。
アッと思ったらいつもの蕎麦屋が居ない。
近所の本屋閉まったまま。
老舗うなぎ屋廃業。
何時の間にか無い。
しかし送迎デッキ通いの飛行機ファンとワッチャーはガッカリですよね。
さすが日航ジャンボ、ランディングがキレイとか無しになって。
送迎デッキから眺める旅客機の動きって見飽きません。(送迎のついでに立ち寄った事有るくらいですが)
陽気が良くてオニギリとお茶(醤油味付けゆで卵とタクアンも下さい)有れば、ボーっと暫くは過ごす自信有ります。
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