第2回 印藤聿(いんどうのぶる) 

2012年04月22日(日) 9時19分
前回に話題にしました龍馬の遺書三部作の宛て先の3人のうちの1人『印藤聿(いんどうのぶる)』について今回は取り上げたいと思います。

2010年 大河ドラマ『龍馬伝』でも『竜馬がいく』でも、三吉慎蔵を龍馬に紹介したのは、高杉晋作だというストーリとなっています。しかし、実際に龍馬に三吉慎蔵を紹介したのは、同じ長府藩士の印藤聿です。

たしかに、龍馬が三吉慎蔵とであった時期(慶応2年元旦)に高杉晋作も下関に滞在しています。前年の慶応元年12月3日に赤間関都合役を命じられ、下関勤務となっている。

高杉晋作は、龍馬が慎蔵とともに下関から京都に向かう1月10日までの間に、かの有名な寺田屋騒動(1月24日未明)で使用された拳銃を贈ったと言われています。

龍馬は、慶応元年12月29日付けの印藤聿宛ての手紙で、薩長同盟の成立のため上京する際の同伴者を求めています。印藤聿はそれを受けて長府藩庁に働きかけ、長府藩士三吉慎蔵の同伴を実現します。

年が明けて、慶応2年元日、印藤聿の紹介により龍馬と三吉慎蔵は初めて出会います。翌日2日に龍馬は再び、慎蔵と会談し、5日まで逗留します。よっぽど、意気投合したのでしょう。出会ったときに2人の様子が目に浮かびます。

その後、伊藤助太夫を含めた4人の下関の地での親交が深まり、慶応3年5月7日、8日で書かれた龍馬の遺書といわれる手紙につながるのです。

印藤聿は、長府藩士、天保2年生まれ。文久の頃、赤間関(下関)砲台建築防備に尽力、元治元年、報国隊を編成し、その軍監となる。報国隊は、第二次長州征伐の小倉戦争にて、高杉の奇兵隊とともに小倉藩を戦い勝利している。

明治以後、商に帰して豊永長吉と改め、渋沢栄一、安田善二郎、大倉喜八郎らと門司築港会社を造る。



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