やっちゃった。。
November 16 [Fri], 2007, 9:11
昨日は、母親と話してて、やっちゃった。。
怒らせてしまったよ。。いけない、いけない。
母親はもうお年。私より早くあの世へ行く人。親子に生まれて、誰よりも濃い血のつながりで、
影響もよくもわるくもたくさん受けている人。感謝もたくさんしていれば、否定しながら
成長していってる部分もある。
だけど、感謝してることだけを感じさせて、あの世へいく様にしないとだめだ、って
なんとなく思ってたのだけど。いつまでもコドモなのね〜、どうも、まもれないわ。
っていうか、別に反抗したりしたわけじゃなくて、冷静に「それはこうじゃない?」と
いったつもりの言葉が、ご不興を買ったようで。。(汗)
「あなたは私を完全に否定する。」と。
完全に大人になって、親になってからは、自分の人生観が母親と随分と違うことに気が付いて。
表では、そんなに対立はしてないのだけど、「娘の立場」で従わないといけない身分だった
頃には、息苦しく、窮屈に感じることが、振り返るとたくさんあった気がするけれど。
それは、親と子、という育てる、育てられる、という立場ゆえのものも当然あったけど
それ以外に、性格や価値観の違いが大きかったな、って思う。
私は「我慢をする」ことがキライ。わがままだとは思っていないけれど、自分の感情をまず
大事にしないと、誰も自分を本当に大事にしない、という思いがある。
その後で、「納得」して、人に譲ったり諦めたり、他の案を考えたり。
だって表現しないと分かり合えない。我慢してても、まわりのひとは「我慢してること」
を気づかない。後で、あれこれ言ったって、我慢した人が悪い、って思う。
「〜のために自分を犠牲にする。」なんて聞こえがいいけど、どこか傲慢な感じがすると
思う。そこまで人間できてるひとなんて、いないよ、と内心思う。自分で自分のことを
決めることに責任を持つことが嫌で、誰かのためにしてあげてると思いたいだけじゃないか、って
おもったりするのだ。楽をしてるんじゃないの?なんて。
母の話を聞いてると、過去にこんなやなことがあった。って言うことがある。
で、なんで?ってことになると「だって○○(父親や祖父、祖父母、おじ、おばだったりが
出てくる)が、こういったから。こうしたから。」ってことを言う。
その話は何度も聞いていて、当時は「気の毒に」って単純に思ってたけど、大人に
なって、全体が見えてくると
「なんで嫌なら言わなかったのか。言わないと周りは解らない。
言わないで、だまってひきさがった自分だって悪いよ」
「引き受けることで得る利益を、手放せばよかったんじゃないのか。
手放せなかったのなら、それは利益と嫌なことは、表裏一体、身をひかなかった自分が悪い。」
「〜のためになれば、〜の気持を考えて、と言うけれど、その母親の純粋な善意の
気持を理解できている人はいない。それが不満なのであれば、それは、母がその
重荷というか、責任を引き受けるだけの器がないのだ。自分の器を無視して、
できない重荷を引き受けるのは無責任だ。」
ということなどなど、(内心では論理的に考えてるのだけど口に出しては)
ここまでは詳しく言わなかった。かるく、自分が選んだだからね〜。
みたいに言うと、お冠になってしまった^^;
「お母さん可愛そうに。ひどいよね?みんなわかってくれなくって。」って
昔は言ってたな。わかんないけど、そういわないといけないと思ってた。
他に母親の支えになる人は、当時、いなかったから。長女ってそんな役回り。(笑)
あほらしぃよね〜〜。
まあ、なんのかんのいっても、誰より自分のことを考えてくれてるひと。
無償の愛情を注いでくれてる人に代わりはないって、ちゃんと解ってる。
亡くなるまで、私にできる限りの親孝行はしないといけないっても、
すごく思っていて、そんなに悪い娘じゃないでしょ!!(笑)
フォクシー青山にいった時、4階がブックストアになっていた。
洋書がすこしおいてあって、「マザーズ&ドーターズ」って本にどきん、とした。
最初の数ページを読んでどきどきして、閉じた。
最初の数ページにあった英文の言葉。
(母親と娘。それは特別な関係です。生まれて来た娘、可愛くて可愛くて、
誰よりも大事。自分の分身のように思える。娘も、いつも、母親を理想のひと、
憧れのひと、尊敬する人、として育ってくる。同じ服を着たがり、同じ仕草を真似、
お化粧をしてみたり。。それが、思春期を迎える頃から、鏡のような、双生児のような
関係から、一歩ずつ踏み出して、反発、抵抗、否定の世界へはいっていく。
分身から、対立、敵対する対象となるのです。。。。。)
・・はぁ〜〜。パタン。。。。
どきどきどき。
思わず、閉じちゃったよ。
きっと誰にも覚えのある、母と娘の感情。。。すでに私と娘の間にある感情でもある。
なんでも「たーたん、それ可愛い。自分もしたい。」とまねする娘。
「おっきくなったら、たーたんになる。」という娘。
それが、私のように、反発して、自立していくんだよね。。
しかし。生きてくことは、決して楽じゃない。
私はわがままじゃないと思うけど、色んな後で我慢しただの、こう言われたから
こうするしかなかった、だの、言うのが自分で嫌でその時、その時、精一杯考えて、
意見を言ったり判断したり、主張したりする。
場合によっては、かなりの覚悟を決めて、主張することだってある。
いいひとぶって後で文句言うのは嫌。
恩着せがましくするのもいや。
できないことを無理して引き受けることはできない。
だったら。ノーを言わないといけないことだってある。
夫婦間でそういうことだっていっぱいある。
私は夫が好きでたまらないのだけど、夫婦間以外の関係が(夫の身内とか)からまってくると
望まないことも出てくる。そうするとおキラクな私でも考えることだってある。
夫に気に入られる、喜ばれる、行動をしたいという思いと、それは私には無理だという思いと。
私には無理、が半分以上になると、ノーを言うことだってある。
それは楽じゃない。
ノーを言うのはつらい。わがままとか、つめたいとか、思われるのかとか、それを色々
考えると辛くなることもあるけれど。我慢しても、伝わらない。私なりの考えも間違っていない、
そういう思いもあるから。。伝わらなかったら、理解されなかったら、それまで、という
覚悟を決めて、言うことだってある。。
そういう辛さをいい顔することでごまかして、あとで「あんなに頑張ってしてあげたのに。」って
思いになるくらいだったら、しないほうがましだと思う。相手に対して失礼だと思う。
自分に対する、ごまかしだと思う。
善意って、そういうものじゃないって思う。
な〜んて。
日々思ってるもんで、思わず出ちゃたのよねぇ。。
・・・まだまだ青いね。。。
怒らせてしまったよ。。いけない、いけない。
母親はもうお年。私より早くあの世へ行く人。親子に生まれて、誰よりも濃い血のつながりで、
影響もよくもわるくもたくさん受けている人。感謝もたくさんしていれば、否定しながら
成長していってる部分もある。
だけど、感謝してることだけを感じさせて、あの世へいく様にしないとだめだ、って
なんとなく思ってたのだけど。いつまでもコドモなのね〜、どうも、まもれないわ。
っていうか、別に反抗したりしたわけじゃなくて、冷静に「それはこうじゃない?」と
いったつもりの言葉が、ご不興を買ったようで。。(汗)
「あなたは私を完全に否定する。」と。
完全に大人になって、親になってからは、自分の人生観が母親と随分と違うことに気が付いて。
表では、そんなに対立はしてないのだけど、「娘の立場」で従わないといけない身分だった
頃には、息苦しく、窮屈に感じることが、振り返るとたくさんあった気がするけれど。
それは、親と子、という育てる、育てられる、という立場ゆえのものも当然あったけど
それ以外に、性格や価値観の違いが大きかったな、って思う。
私は「我慢をする」ことがキライ。わがままだとは思っていないけれど、自分の感情をまず
大事にしないと、誰も自分を本当に大事にしない、という思いがある。
その後で、「納得」して、人に譲ったり諦めたり、他の案を考えたり。
だって表現しないと分かり合えない。我慢してても、まわりのひとは「我慢してること」
を気づかない。後で、あれこれ言ったって、我慢した人が悪い、って思う。
「〜のために自分を犠牲にする。」なんて聞こえがいいけど、どこか傲慢な感じがすると
思う。そこまで人間できてるひとなんて、いないよ、と内心思う。自分で自分のことを
決めることに責任を持つことが嫌で、誰かのためにしてあげてると思いたいだけじゃないか、って
おもったりするのだ。楽をしてるんじゃないの?なんて。
母の話を聞いてると、過去にこんなやなことがあった。って言うことがある。
で、なんで?ってことになると「だって○○(父親や祖父、祖父母、おじ、おばだったりが
出てくる)が、こういったから。こうしたから。」ってことを言う。
その話は何度も聞いていて、当時は「気の毒に」って単純に思ってたけど、大人に
なって、全体が見えてくると
「なんで嫌なら言わなかったのか。言わないと周りは解らない。
言わないで、だまってひきさがった自分だって悪いよ」
「引き受けることで得る利益を、手放せばよかったんじゃないのか。
手放せなかったのなら、それは利益と嫌なことは、表裏一体、身をひかなかった自分が悪い。」
「〜のためになれば、〜の気持を考えて、と言うけれど、その母親の純粋な善意の
気持を理解できている人はいない。それが不満なのであれば、それは、母がその
重荷というか、責任を引き受けるだけの器がないのだ。自分の器を無視して、
できない重荷を引き受けるのは無責任だ。」
ということなどなど、(内心では論理的に考えてるのだけど口に出しては)
ここまでは詳しく言わなかった。かるく、自分が選んだだからね〜。
みたいに言うと、お冠になってしまった^^;
「お母さん可愛そうに。ひどいよね?みんなわかってくれなくって。」って
昔は言ってたな。わかんないけど、そういわないといけないと思ってた。
他に母親の支えになる人は、当時、いなかったから。長女ってそんな役回り。(笑)
あほらしぃよね〜〜。
まあ、なんのかんのいっても、誰より自分のことを考えてくれてるひと。
無償の愛情を注いでくれてる人に代わりはないって、ちゃんと解ってる。
亡くなるまで、私にできる限りの親孝行はしないといけないっても、
すごく思っていて、そんなに悪い娘じゃないでしょ!!(笑)
フォクシー青山にいった時、4階がブックストアになっていた。
洋書がすこしおいてあって、「マザーズ&ドーターズ」って本にどきん、とした。
最初の数ページを読んでどきどきして、閉じた。
最初の数ページにあった英文の言葉。
(母親と娘。それは特別な関係です。生まれて来た娘、可愛くて可愛くて、
誰よりも大事。自分の分身のように思える。娘も、いつも、母親を理想のひと、
憧れのひと、尊敬する人、として育ってくる。同じ服を着たがり、同じ仕草を真似、
お化粧をしてみたり。。それが、思春期を迎える頃から、鏡のような、双生児のような
関係から、一歩ずつ踏み出して、反発、抵抗、否定の世界へはいっていく。
分身から、対立、敵対する対象となるのです。。。。。)
・・はぁ〜〜。パタン。。。。
どきどきどき。
思わず、閉じちゃったよ。
きっと誰にも覚えのある、母と娘の感情。。。すでに私と娘の間にある感情でもある。
なんでも「たーたん、それ可愛い。自分もしたい。」とまねする娘。
「おっきくなったら、たーたんになる。」という娘。
それが、私のように、反発して、自立していくんだよね。。
しかし。生きてくことは、決して楽じゃない。
私はわがままじゃないと思うけど、色んな後で我慢しただの、こう言われたから
こうするしかなかった、だの、言うのが自分で嫌でその時、その時、精一杯考えて、
意見を言ったり判断したり、主張したりする。
場合によっては、かなりの覚悟を決めて、主張することだってある。
いいひとぶって後で文句言うのは嫌。
恩着せがましくするのもいや。
できないことを無理して引き受けることはできない。
だったら。ノーを言わないといけないことだってある。
夫婦間でそういうことだっていっぱいある。
私は夫が好きでたまらないのだけど、夫婦間以外の関係が(夫の身内とか)からまってくると
望まないことも出てくる。そうするとおキラクな私でも考えることだってある。
夫に気に入られる、喜ばれる、行動をしたいという思いと、それは私には無理だという思いと。
私には無理、が半分以上になると、ノーを言うことだってある。
それは楽じゃない。
ノーを言うのはつらい。わがままとか、つめたいとか、思われるのかとか、それを色々
考えると辛くなることもあるけれど。我慢しても、伝わらない。私なりの考えも間違っていない、
そういう思いもあるから。。伝わらなかったら、理解されなかったら、それまで、という
覚悟を決めて、言うことだってある。。
そういう辛さをいい顔することでごまかして、あとで「あんなに頑張ってしてあげたのに。」って
思いになるくらいだったら、しないほうがましだと思う。相手に対して失礼だと思う。
自分に対する、ごまかしだと思う。
善意って、そういうものじゃないって思う。
な〜んて。
日々思ってるもんで、思わず出ちゃたのよねぇ。。
・・・まだまだ青いね。。。

