自閉症であっても、自立して生きていくことができるように・・・
って、目標を定める支援者は多いと思う。
『自立』という言葉を辞書で調べてみると
他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること
とある。
例えばしゅんくんが、そういう意味合いでの『自立』を目標としたならば
それはきっと、叶わぬ願いだ。
もちろんANは、しゅんくんの将来について、そういう意味での自立を望んでいない。
望んでいないというより、間違った解釈とさえ感じる。
でも
理解力もあり、話し言葉のスキルも高い自閉症児だったりしたらどうだろう。
「○○を頑張れる?」
って聞くと
「うん!頑張る!」
って答えたりしたら、一見、動機づけ高く思えるかもしれない。
支援者は、その光り輝く笑顔を見て
きっとできる。できるに違いない。やってみるべき。
って考え、それを反対する保護者に対して
意気軒昂と勧めるかもしれない。
気を付けたいことは、『自立』の意味であり
療育の思考的には
自閉症の特性をひとつの文化としてとらえ、共に生きていくという理念のTEACCHと
障害の改善や治癒の為に、子供にも親にも相当の努力を求めるABA等がある。
自閉症者の特性を、本人が幸せに生きるために支援する考えのTEACCHと
自閉症者の特性を「矯正すべき問題行動」と考えるABA。
TEACCHの療育方法の中でも、ABA(行動療法)的なことはあるし
ABAに異論を唱えるということではなくて
「自立」を、健常者のような自立と考えるのは
如何なものかということ。
例えば、例えばの話、
自閉症の生徒を自力で登下校させたいと考えたとき
何を目的にそうさせようとするのか
目的によっては
健常者への矯正って感じる。
支援を受けないで1人で生きる事を「自立」と考えるなら
それは、支援する側の利己心って感じる。
って、目標を定める支援者は多いと思う。
『自立』という言葉を辞書で調べてみると
他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること
とある。
例えばしゅんくんが、そういう意味合いでの『自立』を目標としたならば
それはきっと、叶わぬ願いだ。
もちろんANは、しゅんくんの将来について、そういう意味での自立を望んでいない。
望んでいないというより、間違った解釈とさえ感じる。
でも
理解力もあり、話し言葉のスキルも高い自閉症児だったりしたらどうだろう。
「○○を頑張れる?」
って聞くと
「うん!頑張る!」
って答えたりしたら、一見、動機づけ高く思えるかもしれない。
支援者は、その光り輝く笑顔を見て
きっとできる。できるに違いない。やってみるべき。
って考え、それを反対する保護者に対して
意気軒昂と勧めるかもしれない。
気を付けたいことは、『自立』の意味であり
療育の思考的には
自閉症の特性をひとつの文化としてとらえ、共に生きていくという理念のTEACCHと
障害の改善や治癒の為に、子供にも親にも相当の努力を求めるABA等がある。
自閉症者の特性を、本人が幸せに生きるために支援する考えのTEACCHと
自閉症者の特性を「矯正すべき問題行動」と考えるABA。
TEACCHの療育方法の中でも、ABA(行動療法)的なことはあるし
ABAに異論を唱えるということではなくて
「自立」を、健常者のような自立と考えるのは
如何なものかということ。
例えば、例えばの話、
自閉症の生徒を自力で登下校させたいと考えたとき
何を目的にそうさせようとするのか
目的によっては
健常者への矯正って感じる。
支援を受けないで1人で生きる事を「自立」と考えるなら
それは、支援する側の利己心って感じる。
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