那須高原の夏
夏になると思い出します。あの忘れもしない事故。今から25年前の8月12日、私たちは 那須高原の ある山荘で食事をとっていました。

その日 那須岳と呼ばれる「茶臼岳」に家族と登山に出かけました。

那須火山帯に属する「那須岳」は 登っていて 岩や石がごろごろしている山でした。草木もあまりなく 石が転がりおちてきそうな 赤茶けた山肌を 転げおちないよう ゆっくりと登っていく そんな山でした。

途中からは 岩の隙間から 火山性の 硫黄の臭いや 蒸気が湧き出ていました。 赤茶けた岩肌が 頂上に向かうにつれ 増えてきて いかにも 活動している 活火山を よじ登っているという感じがしていました。


女房と、 当時 子供は 4人でしたでしょうか。それで みな 頑張って 茶臼岳の頂上まで 登り詰めました。

頂上で 見事な 四方の景色を 眺め 少し休んでから 茶臼岳を下りることにしました。下りは なんだか 転げ落ちるようにして あっけなく 下りたような気がしました。下りてから また 景色を楽しみながら 那須の山荘に 車で向かいました。
登山の後の 喉の渇きと お腹が空いたので、山荘で 夕食が出てくるのが とても 待ち遠しかったです。しばらくして 夕食が出て来ました。私はビールを飲み、おかずを 食べ始めました。テレビを見ていると、あれれ、何か緊急事態発生の臨時ニュースです。
「日本航空の500人乗りジャンボジェット機が 大阪に向かう途中 行方不明になりました。現在 この飛行機は どこを飛んでいるのか 行方不明です」という放送が なされました。「エッ!」私たちは 驚きました。固唾(かたず)を呑みました。自分自身のことでは ないとは言え 知り合いが この飛行機に乗っていたかも知れません。それに 500人もの 乗客 乗員が 乗っている飛行機が 落ちるなど 今まで 聞いたこともない大事件の予感がしたからです。
私は 食べていた食事が 喉を通らなくなりました。なんだか ドキドキドキドキしながら 食事を無言で 続けていたような気がします。
テレビからの情報は テレビでさえ 詳細は掴めていませんでした。不安はつのります。まさか 知り合いは 乗ってはいないだろうか。大事故を予感させるニュースで 気持ちは ドキドキドキドキをと胸を打っていました。
しばらくして 日航のこのジャンボジェット機が 群馬県の山中で 墜落して発見された、と 報じました。ジェット機が 墜落したら まず 生存者はいないでしょう。「ウワー!」

翌日 「4名の生存者が いた。520人死亡」の報道がなされました。520人も 亡くなったのです。
しかし 不幸中の幸いに 「4名の依存者が発見された」と報道されました。4人とも女性でした。

那須高原での夏の思い出は この「日本航空の飛行機事故」でした。

それなので 私が その後 那須高原に出かけると いつも この 痛ましい飛行機事故を思い出すのです。

ことしも 夏になりました。ほぼ 毎年「那須高原」には出掛けます。「那須高原」といっても とても 広く、 南側の那須高原、東側、北側の那須高原と 訪れる場所は たくさんあり 毎年 行っても 飽きません。

那須温泉、多くの牧場、遊園地、サファリ動物園、遊園地、美術館、テニス、ゴルフと 回りきれないほど 訪れる場所は豊富です。

去年は 那須岳の北側に 福島県の白河市側から入りました。行きあたり ばったり 泊まれそうな山荘というか ペンションに泊めてもらいました。

翌朝 起きたら 山荘の周りは 美しいお花畑でした。

山荘からの 景色は素晴らしく、遠くに 霞む山々、遠くまで続くお花畑、すがすがしい空気、緑の森、もう 那須 満喫です。

また 今年も夏が来ました。夏が来ると 思い出します。


そうだ 今年も「那須高原」に行こう!と。

「那須高原」は 私の忘れられない夏の思い出なのです。(西村治彦)

夏になると思い出します。あの忘れもしない事故。今から25年前の8月12日、私たちは 那須高原の ある山荘で食事をとっていました。

その日 那須岳と呼ばれる「茶臼岳」に家族と登山に出かけました。

那須火山帯に属する「那須岳」は 登っていて 岩や石がごろごろしている山でした。草木もあまりなく 石が転がりおちてきそうな 赤茶けた山肌を 転げおちないよう ゆっくりと登っていく そんな山でした。

途中からは 岩の隙間から 火山性の 硫黄の臭いや 蒸気が湧き出ていました。 赤茶けた岩肌が 頂上に向かうにつれ 増えてきて いかにも 活動している 活火山を よじ登っているという感じがしていました。


女房と、 当時 子供は 4人でしたでしょうか。それで みな 頑張って 茶臼岳の頂上まで 登り詰めました。

頂上で 見事な 四方の景色を 眺め 少し休んでから 茶臼岳を下りることにしました。下りは なんだか 転げ落ちるようにして あっけなく 下りたような気がしました。下りてから また 景色を楽しみながら 那須の山荘に 車で向かいました。
登山の後の 喉の渇きと お腹が空いたので、山荘で 夕食が出てくるのが とても 待ち遠しかったです。しばらくして 夕食が出て来ました。私はビールを飲み、おかずを 食べ始めました。テレビを見ていると、あれれ、何か緊急事態発生の臨時ニュースです。
「日本航空の500人乗りジャンボジェット機が 大阪に向かう途中 行方不明になりました。現在 この飛行機は どこを飛んでいるのか 行方不明です」という放送が なされました。「エッ!」私たちは 驚きました。固唾(かたず)を呑みました。自分自身のことでは ないとは言え 知り合いが この飛行機に乗っていたかも知れません。それに 500人もの 乗客 乗員が 乗っている飛行機が 落ちるなど 今まで 聞いたこともない大事件の予感がしたからです。
私は 食べていた食事が 喉を通らなくなりました。なんだか ドキドキドキドキしながら 食事を無言で 続けていたような気がします。
テレビからの情報は テレビでさえ 詳細は掴めていませんでした。不安はつのります。まさか 知り合いは 乗ってはいないだろうか。大事故を予感させるニュースで 気持ちは ドキドキドキドキをと胸を打っていました。
しばらくして 日航のこのジャンボジェット機が 群馬県の山中で 墜落して発見された、と 報じました。ジェット機が 墜落したら まず 生存者はいないでしょう。「ウワー!」

翌日 「4名の生存者が いた。520人死亡」の報道がなされました。520人も 亡くなったのです。

しかし 不幸中の幸いに 「4名の依存者が発見された」と報道されました。4人とも女性でした。

那須高原での夏の思い出は この「日本航空の飛行機事故」でした。

それなので 私が その後 那須高原に出かけると いつも この 痛ましい飛行機事故を思い出すのです。

ことしも 夏になりました。ほぼ 毎年「那須高原」には出掛けます。「那須高原」といっても とても 広く、 南側の那須高原、東側、北側の那須高原と 訪れる場所は たくさんあり 毎年 行っても 飽きません。

那須温泉、多くの牧場、遊園地、サファリ動物園、遊園地、美術館、テニス、ゴルフと 回りきれないほど 訪れる場所は豊富です。

去年は 那須岳の北側に 福島県の白河市側から入りました。行きあたり ばったり 泊まれそうな山荘というか ペンションに泊めてもらいました。

翌朝 起きたら 山荘の周りは 美しいお花畑でした。

山荘からの 景色は素晴らしく、遠くに 霞む山々、遠くまで続くお花畑、すがすがしい空気、緑の森、もう 那須 満喫です。

また 今年も夏が来ました。夏が来ると 思い出します。


そうだ 今年も「那須高原」に行こう!と。

「那須高原」は 私の忘れられない夏の思い出なのです。(西村治彦)

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