もうそろそろ終了です。 

2008年11月27日(木) 9時04分
社会起業家育成委員会の、長いようで短い一年が、今もうすぐ終わろうとしております。
弥陀ヶ原の勤務になり、余り委員会活動に参加できなかったことを、お詫び申し上げます。
みんなが一緒になって、委員会を盛り上げていこうとする雰囲気が今年の委員会にはありました。基本的に、「欠席なし」で委員会運営を行えたと確信しております。
そして、もうすぐ新しい旅立ちの時です。社会起業家育成委員会のブログをもうそろそろ終了したいと思います。期日はまだ未定です。卒業例会くらいを目途に考えております。
ご愛読どうもありがとうございました。



ブロック協議会でのイクラ丼 

2008年11月26日(水) 9時02分
長い間このブログも工事中でしたが、納会もあり、少しブログを更新したいと思います。
そして、そろそろ社会起業家育成委員会も一年を終えようとしています。

委員会の納会が先日行われました。
北海道から皆さんが帰ってくると、ブロック協議会に委員会メンバーより先に入っていた斉藤さんに、お土産を持って行きました。お土産は、何とイクラです。
当日委員会ではおわんとお箸とご飯を用意しました。ブロック協議会の会場にこれらとイクラを持って行きました。そして、イクラ丼をつくり、斉藤さんに食べてもらいました。
このような演出ですが、斉藤さん・松原委員長が一緒に飲んでいるときに、何気なく思いつきで出てきたアイディアでしたが、それを本当に実行してしまいました。松原委員長の発想力は素晴らしいものがあります。
今年の委員会運営はこのようなことの連続でしたが、楽しい思いを沢山させていただきました。



お坊さん 

2008年11月25日(火) 10時11分
富山青年会議所では社会起業家育成委員会での一年間がもうすぐ終わろうとしています。
以前山上さんの朝メルで、

  ”今日も良い坊さんではなかった。
   でも、明日も坊さんでいよう”


という、「天台宗 圓教寺 執事長 大樹 玄承」さんの言葉がありました。何となく朝メルを読んでいて、この言葉が胸に来ました。自分の至らない点を認識しつつ、それでもずっと自分でいよう、あるいは「坊さん」でいようとする気持ちを表した表現です。
そう言えば我らが親分の「ヒカルド・マツバローナ」も、お坊さんです。そして、今年私を支えてくれた藤枝さんもお坊さんです。お坊さんについて、認識を深めることができた一年であったように思います。
マツバローナが時々「縁」という言葉を口にします。これをインターネットで調べると、このような解説があります。

因と縁とのことである。因とは結果を生じさせる直接的原因、縁とはそれを助ける外的条件である。あらゆるものは因縁によって生滅するので、このことを因縁 所生などという。この道理をすなおに受け入れることが、仏教に入る大切な条件とされている。世間では転用して、悪い意味に用いられることもあるが、本来の 意味を逸脱したものであるから、注意を要する。なお縁起という場合も、同様である。

マツバローナに怒られるかも知れませんが、私なりにこれを解説してみたいと思います。なお、以下の内容で間違っていた場合は、どうぞ遠慮なくブログ上で指摘をお願いしたいと思います。
日本語でよく「因縁」という言葉を使いますが、本来的な意味はこのような意味なのです。因とは直接的原因、縁とは外的条件です。
2つに分類していますが、恐らく、この「原因」「条件」を「複合的に」とらえることが出来る、ということが非常に大事な部分であると思います。人間は、人間の活動は、色々な要因が重なり合って生成している。
しかし、そのように捉えてしまうと、ただのカオスとなってしまいます。しかし、ただのカオスではなく「仏法」もあると考えています。
結局どのような世界観なのでしょうか? 正直言ってよく分かりません。分からないながらも、そのように思っていた方が幸せなんだと何となく思えるようになりました。
このような考え方から、次は、これをみんなに伝えるような活動をしていかなければならない、これがお坊さんの仕事なのだと、何となく思うようになってきました。
そして、ひょっとすると経営者である私も、やることは一緒なのではないかと、思ってきた今日この頃です。

7月14日 

2008年07月14日(月) 7時09分
今日は雨が降ってしまった。雨が降ると、立山荘での朝の散策が中止となってしまった。残念。私自身も、もっと自然植物の勉強をしに行くために楽しみにしていたのだが、残念です。
ローマ人の物語もユリウス・カエサルのガリア戦記の後半まで来た。カエサルのガリア平定が間近に迫り、ポンペイウスとの宿命の戦いも近づいている。歴史上類まれな英雄であるユリウス・カエサルだが、この人は、40歳を過ぎてから活躍するようになったのである。英雄というと、若い時に活躍をした人という感じもあるのだが、カエサルに関しては、完全に晩期大成であった。
ちなみに、「英雄、色を好む」という言葉も、恐らくこの人から出てきたものであろう。
閑話休題。カエサルが、40歳を過ぎてから活躍した理由は、実は、共和制下のローマでは軍事の重要な役職になるためには40歳以上になる必要があったのである。そのような制限下にありながらも、40歳を過ぎてからきちんと結果を出したのである。
よくJCを40歳まで頑張って、自らの肥しにして、40歳を過ぎてから羽ばたくという図式がJC内ではよく言われる。ユリウス・カエサルはまさにこのような生き方の体現者である。民主主義時代の現代日本では、40歳を超えるまではなかなか活躍の機会も与えられない。JCメンバーの我々も、そのような意味で、見本にするような人であるかもしれない。

7月9日 

2008年07月09日(水) 12時11分
昨日とある会合で、久しぶりに桜木町へ行ってきました。
二次会も終盤に入ってきて、なぜかカラオケが始まりました。カラオケを歌っていてふと気付いたことがあります。昔は、バラードなど、暗めの短調の曲をよくカラオケで選択していましたが、昨日は余りそのような曲を歌おうとは思わなくなりました。むしろ、元気のある長調の曲の方を選択したいと、何となく思いました。
このように思ったのは、どうしてでしょうか? 恐らく、標高2,000メートルの特殊な環境にいて、その中でどう適応しようかと試行錯誤をしているからだと思います。何かをしようと一生懸命になっているときに、短調の歌を聞いてしまうと、なかなか実行することができなくなってしまいます。それよりも、今は元気に動いている方がいいと私自身思っているからなんだと、何となく自分で納得しています。
それはそうとして、それなら今まで短調の暗い曲を好んでいた自分は一体何だったのだろうと、考え始めました。これも私なりに解釈しているのですが、短調の暗い曲を好むくらいに「余裕」があったということだと思います。短調が好きなころの自分にはまだまだ余裕はあったのだと思います。
とまあ、本当に「私なり」の解釈です。こんなんでよろしいでしょうか?

7月7日 

2008年07月07日(月) 9時02分
最近は、朝早い仕事があるので、なかなか朝一番に日記を書くことができない。
最近は結構大事な決断をしなければならない時期であったので、なかなか日記も滞りがちになってしまった。申し訳ありません。
今日も仕事をしてから、日記を書いている。実は、公開していない日記も多数あるのである。その公開していない分は、色々と考えていたことです。恐らく、今後も公開しないと思います。大体その件も一件落着して、私も落ち着いて仕事をすることができるようになってきました。
それはそうとして、ファシリテーションの勉強を山上さんとしてみたのだが、段々と私も仕事でこのファシリテーションの手法を使うようになってきたのである。色々な人に問いかけをしてみる機会が増えたと思うのである。色々と人に、「お前は相談しないやつだ」と言われたことも理由である。そして、山上さんからファシリテーション講座を受けたことも理由であると思う。
それをすることで、どのように私の仕事が変わってきたのだろうか? 少しずつ考えてみたのだが、なかなかその結論が出てこない。少しずつ考えてみて、またブログで公開したいと思います。

7月4日 

2008年07月04日(金) 7時22分
昨日はローマのルキウス・ユニウス・ブルータスのことを若干書いた。これが結構面白いのである。
塩野七生の「ローマ人の物語」の第一巻に、カピトリーノ美術館所蔵のルキウス・ユニウス・ブルータスの銅像の顔が描かれている。この写真を見ると、非常に強力な意志の力を感じるのである。何事が起きても動じない強靭な意志の力を感じるのである。塩野七生さんも、第一巻の表紙はこの写真しかないと思って、わざわざ掲載しているのである。
この写真を最近光沢紙で打ち出して机の前にはっている。このような強烈な意志の力を、最近感じながら仕事をしているのである。
今日は大きめの写真で掲載しましょう。以前観光でローマに行ったことがあるが、もう一度ローマに行って、実物を見てみたいものです。

7月3日 

2008年07月03日(木) 13時14分
クーデターでローマの王となったタルクィニウスの息子が、横恋慕によりある妻を強姦し、その後その妻が自殺するという事件があった。ルキウス・ユニウス・ブルータスは、市民の前で、王を追放し、共和制を樹立した。
タルクィニウスの時代に「阿保(ブルータス)」という綽名をつけられて、そのまま性となったのである。タルキィニウス時代には、阿保なふりをしていたのだが、実は、胸に秘めた思いがあったのである。王制の打倒と共和制の樹立を目指していたのである。
共和制樹立後、王政に戻そうとしていた一派に、ブルータスの息子が加わっていた。ブルータスは息子に対して、死刑をした。自らの眼前で鞭打たれ死んでいく息子をずっと見ていたのであった。
そのブルータスは、タルクィニウスの援軍であるエルトリア人との戦争で命を落としたのでした。

このブルータスの像がローマのカピトリーノ美術館に貯蔵されている。王制が当たり前であった当時、ローマが共和制を敷いたことで偉大なるローマの繁栄の大きな要因をつくった人物である。その像を見ると、強烈な意志の力を感じざるを得ない。
当時のブルータスは、考え抜いて王制が既に時代遅れであることを認識していた。それを、様々な抵抗にもかかわらず、命をかけて守ろうとして、何とか守り通して、ローマの繁栄が樹立されたことを考えると、このブルータスという人の意志力というものが本当に素晴らしいものであったことが分かる。
ユリウス・カエサルも、帝政ローマの樹立のために、自らは暗殺されてしまった。このような人間の意志の力というものを感じざるを得ない。このような人間が時代を作っていったのである。

昨日私はこのような人たちと親近感を持っているということをブログで書いた。別に自分のことをその様な偉大な人物だと言っているのではなく、あくまで性格が似ているということを言いたいだけである。このような人たちは、たまたま歴史に名を残したのだが、ひょっとすると変わりものとして、歴史から葬られるような人間であった可能性も高い。そのことに私は着目するのである。

歴史を変え、ローマの繁栄を確立した人間の強大な意志の力に私は感心する。


7月2日 

2008年07月02日(水) 9時23分
塩野七生の「ローマ人の物語」を楽しく読んでいる。全13巻、13年をかけて著した大著である。ローマの歴史がほぼ網羅されている。ローマの長い歴史を見てみると非常に面白い。色々な個性の人が、色々な事件や出来事を経験していくのである。長いローマの歴史の中で、様々な人間模様があるのである。
その中で人間の個性を見ていくのも面白いものである。
最近ローマにはまっている。どのようにはまっているか、またこのブログでも書いていくことになるでしょう。
とりあえず、第一回目は、ルキウス・ユリウス・ブルータスという人の、共和制を樹立することにかけた情熱です。王政であったローマの中で、共和制樹立を画策した。ところが、当時のローマの王の圧政の中で、「阿保」を装い、王の油断を誘い、最終的には共和制を樹立したのである。
ローマの歴史を見てみると、ローマの政治体制などの主要な変更をかけた人間は、みな、ちょっと変わったところと、強靭な意志を持つ人間であった。
このような性格にシンパシーを感じるのは、私が多分これらの人間と似ているからである。私も同じような人生をきっと歩むのであろうと思っている。ルキウス・ユリウス・ブルータスも、カエサルも、同じような性格の持ち主なのである。

6月20日 

2008年06月20日(金) 8時01分
新しい仕事を始めることに関しては、不安と緊張があるものです。前田日明が「選ばれし者の恍惚と不安、ふたつ我にあり」という名言をUWFの創設時に話した。私に当てはめると「選ばれし者」かどうかは別にして、新しく事業を始めるにあたって恍惚と不安がある。これは選ばれし者であろうとなかろうと変わらない。
正直言うと、非常に大変な作業である。この作業をどのようにしてこなしていくかが大変である。このように書いていくと、私はいつも新規事業ばかりをしているような感じであるが実際そうなのである。新規事業をどのようにしてこなしていくかばかりを考えている。実際問題、そのような仕事ばかりを私はやっているのである。
このような事業には人間がかかわっている。この人間のあり方こそが一番大事なことなのである。どのような人が上司か、どのような人が自分のパートナーなのか、そして、自分がどうなのかということである。
人の問題を上手いことこなしていく能力が大事であると最近感じている。
カウンターランド
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委員長 ヒカルド☆マツバローナ 練習風景

担当者:大辻tomorrow
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