心、燃やしてくださる御方(ルカ24の13〜33) 

2008年03月30日(日) 20時59分
その日の午後の出来事でした。二人の弟子はエルサレムから、エマオという村へ行こうとしていました。
彼らは主の十字架の事、女弟子たちが墓に行った事、御使いが
「イエス様は生きておられる」
と告げた事等について語り合い論じ合いながら歩いていました。
二人の思いは、千々に乱れ錯綜していました。
失望と落胆の淵から、必死になって這い上がろうとする試みが、そこにありました。
そんな彼らに市は近づいて一緒に歩いてくださり、話しかけて下さり、聖書を解き明かして下しました。
二人はそれが主だとは気がつきませんでした。
しかし、お話を聞いているうちに心が燃えたのです。肉体的に感覚的に主を知る必要はありません。
近づき、共に歩みつつ、教えて下さる主に聴くことであります。
主に聞いたなら主をお引止めするべきです。心が燃やされたならば、それでよいのではありません。
私たちには心を燃やして下さる御方が必要なのであります。
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奏楽をしました。賛美歌527、66、332、新生2、賛美歌541。
前奏や、これらはなんとかうまくいったけど、後奏が〜(汗
こんなにかんたんなのにな〜と悲しくなる。
聖書のお話は、私の一番好きなところ。弟子達の心が燃やされる場面。ハレルヤ!

愛のとりなし(ルカ23の32〜49) 

2008年03月16日(日) 20時58分
イエス様は十字架を負わされ、ゴルゴダの刑場に向かわれました。
むちで打たれたイエス様の背中は傷つけられ、昨晩からの疲労も重なり、ついには意識を失ってしまわれました。
兵士たちはシモンというクレネ人に十字架を無理に負わせました。
イエス様の十字架の左右に、2人の犯罪人が十字架につけられました。
彼らはイエス様をののしりました。祭司長たちも同じようにイエス様を愚弄しました。
主イエス様は、そのように辱められても、一言も言い返さず、むしろ彼らのために祈られました。
「父よ彼らをお許しください。彼らはなにをしているのかわからずにいるのです」
その有様を見ていた犯罪人の一人は心を入れ替えました。
百卒長も
「まことに、この人は神の子であった」
と告白しました。キリストの十字架に私たちを救いに導く神の愛があらわされています。
神はそのひとり子を賜うほどに私たちを愛してくださったのです。
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神様と出会うにはいろんな場合があるんだなぁ、そしてされが最後の時であっても遅すぎることはないんだ、と思わされました。
心の底から、自分の罪を神様の前で許していただけるよう祈りれば必ず神様は許してくださる。
そして神様の愛を本当に知ることができるんだなぁ、と。
イエス様の痛々しい十字架を思うたびに、思い出して祈っていきたいです。

十字架の苦難(マタイ27の11〜31) 

2008年03月09日(日) 19時22分
総督ピラトには、わかっていました、最支障、長老たちがイエスを捕らえて、彼らの裁判にかけ、死刑を要求しているのは、彼らのねたみのためであるということを。
イエスを殺そうとする彼らの殺意が決定的なものとなったのは、ラザロが生き返ったという出来事のあとでした。
「もしもこのままにしておけば、皆が彼を信じるようになる」(ヨハネ11の48)
群集の激しい叫び声がピラトを圧倒しました。罪のない主イエス様を、彼はユダヤ人の手に引き渡しました。
「もしもこのままにしておけば、皆が彼を信じるようになる」(ヨハネ11の48)彼は我々のとがのために傷つけられ、我々の不義のために砕かれたのだ」(イザヤ53の5)
主イエス様は十字架の苦難を受けるために、神様からつかわされたという自覚をもっておられました。
私たちはキリストの十字架の死によって「いやされた」のであり、罪を離れ、義に生きるために救われているので有ります。
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受難週が始まりました。
毎年、この時期になるとやっぱり辛いです。
イエス様におこった出来事を想像すると、そして、母マリアさんの気持ちを想像すると・・
神様の憐れみに祈りたい。

新しく造られる(使途16の11〜15) 

2008年03月02日(日) 19時19分
ある安息日に、パウロは祈り場を求めて川のほとりに行きました。彼は会堂や教会の正式な説教だけでなく、川岸での穏やかな語らいの中でも、主イエス・キリストの話をしました。
その説教を通して神の力が働き、ある人々の心を開き、その人の生きる方向を変えてしまいました。
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である」
パウロ自身が、イエス・キリストに出会って、その生き方が変えられてしまいました。
キリストの弟子となった人々も、主イエスと出会って、その生き方が変わりました。
そして私達も同じように変えられ、神の恵みのうちに入れていただき、幸いな人生を歩ませていただいています。
「キリストにあるならば」
キリストに結ばれている毎日が、新しくされていく日々であることを信じて感謝いたしましょう。
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イエス様に結ばれてることに感謝します。
日々の生活の中で私自身はイエス様のことを忘れてることがあるけれど、イエスさまは忍耐強く私を見守ってくださっている。
安心して生活していけることに感謝。

苦難と共に、慰めも(第2コリント1の3〜) 

2008年02月29日(金) 20時16分
私たちの主イエス・キリストの父なる神は、慰めに満ちたる神であらせられます。コリント人への手紙の内容は
「あなたがたはキリストの苦難にあずかると共に、キリストにある慰めにもあずかっている」
というものでした。
主イエスはナインの町から出てきた葬列に出会いました。あるやもめの1人息子が死んだので葬りに出すところでした。
主は深い同情を寄せられ、若者を生き返らせて下さいました。
「主、主、あわれみあり、恵みあり、〜いつくしみと、まこととの豊かな神」出エジプト記34の6
主イエスは悲しむ人と共に悲しみ、豊かに慰め、あわれみをもって臨んで下さいました。
そのようにして、父なる神が愛の神であることを示して下さいました。神はいかなる患難をの中にいるときでも私たちを慰めて下さいます。
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久しぶりに教会に行きました。
2月は3週間以上も風邪を引いてしまい、会社には行ってましたが、家庭では寝たきり生活。
(食事は作ったけど、週末のお掃除とかを旦那がしてくれました〜)
ほとほとイヤになりましたが、やっと復活の兆しです。あと、もうちょっとか。

新鮮な気持ちで礼拝に参加。慣れっこになってきてしまう日常がどんなにありがたいか実感。
何をやるにもやっぱり体が資本ですね。皆さんの健康が祝されますように。

ずっとかいてなかった 

2008年01月27日(日) 21時36分
ひゃ〜えらいほったらかしになってましたね〜、最後が11月でした。
きちんと教会には行ってましたんですが、12月の週報はどこにいっちゃったんでしょうか?
なんか12月はゴスペルを歌うこと、奏楽の練習にてんぱっていて(決して仕事ではない)、その反動でお正月休みは、ばててしまい家で寝てました。
12月もちゃんと1回、奏楽したんですよ〜
クリスマスオンリーの讃美歌だったので、すごい練習しました。久しく会ってなかった、会いたい知人もきてくれたので、いつもよりさらに緊張して弾きましたが、これくらいならいっか〜という出来でした。
またこの日はクリスマス礼拝だったのですが、受洗の恵みにあすかられた方もいらして、洗礼時の讃美歌、また聖餐式の讃美歌もあって沢山弾かせていただきましたなぁ。

もうちょっと早く更新しないといけなかったですね〜・正月休み明けの仕事復帰まで、本当にぼ〜っとしていて、休みが明けたら歌いに行かせてもらうことがきまってその歌を必死の思いで練習していました。
それが終わったら新曲の練習、また奏楽の練習。
でも、毎日がゆっくり過ぎてる感覚です。
今日も奏楽しました。また後日書かせていただきます。宜しくお願いいたします。

心砕かれて、わかること(創世記32の22〜32) 

2008年01月13日(日) 21時35分
ヤコブは20年ぶりに故郷に帰ってきました。彼にとって気がかりなことは、兄エサウがどう迎えてくれるかという事でした。
エサウは400人を率いてヤコブを迎えようとしました。
ヤコブは大いに恐れ、苦しみました。
そしてヤボクの渡しで1人の人と組打ちしました。神様がわたしに祈りなさいと促して下さいました。
ヤコブは心の中の恐れ、苦しみを洗いざらい神様に祈りました。
ヤコブガどういうことを祈ったかは知らされいていません。
ただ一つ、彼のもものつがいが外されたということです。彼は造りかえられ新しい歩みを始めたのです。
「私は〜心砕けて、へりくだるものと共に住む」
神が私たちと共にいて下さることがわかたった時、私たちの心は本当の安らぎが与えられます。

主イエスは、だれ?(ヨハネ16の1〜33) 

2008年01月06日(日) 21時34分
弟子達の信仰は、最初から確固たるものではありません。
主イエスが彼らに
「あなたがたは、わたしを誰だと言うか」
と尋ねられた時、答える事のできたのは、ペテロだけでした。
しかし主イエスは待つことの出来る御方でありました。
弟子達は最後の晩餐の席で
「私達はあなたが神からこられた方であると信じます」
と言いました。彼らの信仰が、そこまで成長した時、主は
「私をつかわされた方の所に行こうとしている」
と言われました。そして主が救いのみわざを成し遂げ、復活し、昇天されたあとに、助け主が来てくださいました。
「あなた方はこの世では悩みがある。しかし勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている」
「世に勝つものは誰か。イエスを神の子と信じる者ではないか」
私達は、主イエスを誰だと思っているのでしょうか。

希望を与えよう(創世記28の1〜17) 

2008年01月01日(火) 21時33分
ヤコブはエサウの憎しみから逃れて家をでました。
その世、主なる神は彼に語られました。
「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう」
ヤコブはうそつきで、人を欺く者でありました。それにもかかわらず、受け入れて下さる神を知りました。
神は彼に語りかけて下さいました。
神は今も人に語りかけて下さっています。将来に恐れを感じていた時に受けた神の御言葉は、励ましに満ちたすばらしいものでありました。
「わたしがあなたに抱いている計画は〜希望を与えようとするものである」
神様は私達の罪深さにもかかわらず、あなたがたには希望がある、と約束して下さいます。

記念の石は、勝利の石(サムエル記上7の1〜13) 

2007年12月30日(日) 21時31分
神を信じる者にとって、その信仰の拠りどころを失うことは大きな痛手であります。
イスラエルの民は神の契約の箱を失い栄光なき生活を送ること、20年におよびました。
人々は、主を慕って嘆きました。サムエルは人々に「あなたがたのうちから偶像を捨て去り、心を主に向け、主にのみ使えなければならない」と勧めました。
人々は主にたち帰りました。ところがペリシテ人がイスラエルに攻め上ってきました。彼らの信仰が試されたのです。
サムエルは小羊を主にささげ主に叫びました。主はこれに答えて奇跡的な勝利を与えて下さいました。
「主は今に至るまで我々を助けられた。」
1年を振り返って私達にも戦いがありましたが、いつも主イエスは、私達を助けて下さいました。
「まず神の国と神の義を求めなさい。〜だから、明日のことを思いわずらうな。」
御言葉による勝利を味わい知ることができますように。
☆プロフィール☆
☆名前☆あきぶ☆
☆好きなこと☆ペットとたわむれること☆
☆家族構成☆夫、娘、息子☆
☆働く主婦、家事さぼりぎみ☆
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