なぜか入れてみました 有名どころの好きな曲 

2011年10月01日(土) 12時55分
動画を入れることができて、舞い上がってるのかUPしたくてしょうがないらしく、、、ムダとはおもいながらもなんとなく、入れてみました(苦笑)

お付き合いありがとうございます(苦笑)

ちなみに、ビリー・ジョエルもエルトン・ジョンもこの曲だけがスキ。。。不思議なもんです〜


ビートルズが大好きになったきっかけの曲!!この曲を聞くと、人を好きになっていいな〜といつも思う




この曲を書いたときは20歳だったビリー・ジョエル、、、どういう風に世の中を見ていたんだろう。。 そして、この歌詞!!! 何度きいても、なんとも言えない寂しさを感じるいい曲です



こんな気持ちを表してくれる人が、世の中にいるのかなァ 

芸術の秋 再び 

2011年10月01日(土) 12時45分


今は亡きパヴァロッティ、、、この曲は彼の代表作といっていいのではないでしょうか
一度でよいから、実際に聞いてみたかった

もう一つは私の好きなワルツを・・・昔はワルツはあまりスキではなかったのだけれど。。。すっかり聞くのがスキに

芸術の秋とガーシュイン 

2011年10月01日(土) 12時26分


有名な曲だけれど、このパフォーマンスにはかなりテンションあがる やっぱり楽しそうにされると、こちらまでドキドキワクワクするものです

もう一つは、たしか三年くらいに日本にも再び来日したアンドレイリュウの公演!!彼のナルシストぶりにはどーでもよさを感じたけれど、彼のワルツはとても素敵です
ホントに、会場との一体感にはビックリ〜〜最後はみんなで!!でも。。。ワルツなんて踊ったことないからな〜〜〜なんて恥ずかしがり、踊れなかった、、(苦笑)こういうとき、思いっきり楽しめたもんがちなんだろうな〜〜変な所でシャイなのは損。。

この曲、なぜか寂しくて、大好き

恋する元気をもらう映画 なぜか特集にしてみます!!NO1 

2011年09月14日(水) 18時30分
  『あたしの生まれは、
   フロリダ州のタラハッシー
   デトロイトで真実の恋に出会った
   たとえ100万年考えても・・・
   真実のロマンスとデトロイトは結びつかない
   今では すべての事が遠い夢に思える
   でもすべて事実
   人生を変えた恋だった
   惨めな境遇を あたしが愚痴ると・・・
   クラレンスはよくこう言った

      “人生はそういうものさ
         だが逆転する事もある”

   ロマンスも人生と同じ
   大抵は"みじめ"な結末
   ただ滅多にない事だけど 逆転する事もある』




私の好きな映画の5本のうちに入るであろう映画(5本に絞れたらのはなし

とてつもなく憧れるこの映画のパトリシアアークエット(私も、年取ってきたからな、、、もう、無理だろうな)と、そりゃ〜〜スキになっちゃうだろと思う、この映画のクリスチャンスレーター

そして、この選曲とセリフ!!!役者!ファッション!!!ピンク・キャデラック!!!!!

見終わると、やっぱり恋愛っていいな〜〜と暖かい気持ちになるのだ

シャイだけど、まっすぐで、ハッキリとした主張もできて、純粋な上に思いやりがあるしかも映画の後、一緒にパイ食べながら映画の話ができて、Elvisファンいいね

でも、クラレンスのモデルはタランティーノ自身らしく。。。。
丁度、この作品を書いてる時にタランティーノはビデオ・ストアーの店員をしながら、映画界入りを目指していたらしい

スレーターは最初タランティーノをロールモデルにしようとしたのですが、タランティーノと会って4時間話をして、その考えをやめたそう

正解だわな。。。。

クラレンス役を希望する男優は多く、最終的にはスレーターとブラッド・ピットのどちらにするかで監督は迷ったのだそう。

決め手はスレーターの内面にある「暗さ」。

それでもスレーターはトニー・スコット監督に、「もっと抑えろ、とにかく抑えろ」とずっと言われたのだそう

 比較的、バイオレンス映画のイメージがあるけれど、見た後は、元気と、人を愛したくなる不思議な映画です


あらすじ

デトロイトのコミック・ブック店で働くクラレンス(クリスチャン・スレイター)は、プレスリーとカンフー映画に夢中の若者。

 誕生日の夜、場末の映画館で千葉真一の映画3本立てを観ていた彼は、アラバマ(パトリシア・アークェット)という女性と知り合う。

その日のうちに二人は恋に落ち、、実はクラレンスの店のボスから「誕生日のプレゼントに」と頼まれたコールガールであることを明かす。

  「まだコールガールになって三日目。あんたが3人目の客。だからまだ使い古しじゃないし、すれっか   らしでもない。あたしはまともな女よ。そして好きな男ができたら100%尽くし、あたしは一人の男   に尽くす女よ。
   クラレンス、こんなこと言うと馬鹿みたいだけど。
   知り合ってたった一晩だけで、しかもコールガールだけど。
   ・・・あたしあんたが好きよ。」

そして、翌日には結婚

クラレンスは、アラバマの元ヒモであるドレクセイ(ゲイリー・オールドマン)に話をつけに行くが殺されかかり、逆に相手を殺してしまう

あわてて持ち帰ったスーツケースには、大量のコカインが。。。

翌日、クラレンスは元警官の父、クリフォード(デニス・ホッパー)に会い、妻のアラバマを紹介すると共に、警察の捜査状況を聞く。

2人がロサンゼルスに向かった後で、ヴィンセンツ(クリストファー・ウォーケン)と名乗る男がクリフォードの元へ現われ彼を拷間し、2人とコカインの行方を突き止めようとした。
シラを切るクリフォードを殺した男は、クラレンスたちの後を追う。
そしてロスで、クラレンスはヤクの取引きの話をまとめる。

取引きの当日、ダイムス刑事(クリストファー・ペン)ら捜査陣と、デトロイトから追ってきた組織の男たちが現場のホテルに向かう。
一同が会し、激しい銃撃戦が展間し。。。。


監督 トニー・スコット
助監督 ジェームズ・W・スコッチドポール
キャスト クリスチャン・スレーター(男優) クラレンス・ウォリー
パトリシア・アークエット(女優) アラバマ・ホイットマン
デニス・ホッパー(男優) クリフォード・ウォリー
ヴァル・キルマー(男優) 助言者エルビス
ゲイリー・オールドマン(男優) ドレクセル・スパイビー
ブラッド・ピット(男優) フロイド
クリストファー・ウォーケン(男優) ヴィンセンツォ・ココッティ
ブロンソン・ピンチョット(男優) エリオット・ブリッツァー
サミュエル・L・ジャクソン(男優) ドン
マイケル・ラパポート(男優) ディック・リッチー
ソウル・ルビネック(男優) リー・ドノウィッツ
コンチャータ・フェレル(女優) メアリー・ルイーズ・ラヴェンスクロフト
ジェームズ・ガンドルフィーニ(男優) ヴァージル
アンナ・レヴィン(女優) ルーシー(アンナ・トムソン名義で)
ヴィクター・アルゴ(男優) レニー
クリス・ペン(男優) ニッキー・ダイムス
トム・サイズモア(男優) コディ・ニコルソン
ケヴィン・コリガン(男優) マーヴィン
マイケル・ビーチ(男優) ワーリッツァー
エド・ローター(男優) クィーグル(ノンクレジット)

シャネルの言葉と自分の見え方 

2011年08月30日(火) 20時50分
 「私は、わがままでせっかちで少し不安定。ミスをおかすし、自分をコントロールできないときもある。 でも、もしあなたが私の最悪の時にきちんと扱ってくれないなら、私の最高の瞬間を一緒に過ごす資格はない。」

 “I’m selfish, impatient and a little insecure. I make mistakes, I am out of control and at times  hard to handle. But if you can’t handle me at my worst, then you sure as hell don’t deserve m e at my best.”


 「誰かといても寂しい思いをするくらいなら、一人で寂しいほうがまだいいわ」


  「たとえ百人の専門家が、
   「あなたには才能がない」と言ったとしても、
      その人たち全員が間違っているかもしれないじゃないですか。」

                                       -Marilyn Monroe




先日、カリフォルニア州、ビバリーヒルズで行われたオークション(競売会社プロファイル・イン・ヒストリー)で、映画「七年目の浮気」でマリリン・モンローが着用したドレスが460万ドル(約3億7千万円)で、予想落札価格の100万‐200万ドルを大きく上回り落札されたそう

このドレスは映画撮影の為にアカデミー衣装デザイン賞を受賞したデザイナー、ウイリアム・トラヴィラによってデザインされたもの。人絹(アセテート)製の白いプリーツスカート

ウィリアム・トラヴィラはこの「七年目の浮気」の白いドレスに代表されるドレスの他に、「百万長者と結婚する方法」、「帰らざる河」など、モンローのセクシーな魅力を引き出す衣装のほとんどを彼が手掛けたそうです

このドレスは女優でハリウッド映画衣装のコレクターであるデビー・レイノルズ(「雨に歌えば」でジーン・ケリーと共演)がその他のハリウッド映画メモラビリアとともにオークションに出品したも〜デビー・レイノルズは1971年に20世紀フォックスからマリリンの衣装を全て購入した際、このドレスを手に入れたそう!!

このドレスには有名は話があり、、「七年目の浮気」でのこの白のドレスのシーンを見て激怒した当時の夫、ジョー・ディマジオはこの一件の2週間後マリリン・モンローと離婚

どうやら、、、、具が見えてたそうな。。。スケスケで、、

しかし、ヤキモチやきだったのね、、、その反面、マリリンは自分が世間からどう見られ、どう思われているかをよく知っていた。。。だからこそ、その期待に応えたことによって、ハリウッドの人気女優になることが出来たのだろうに

彼女は、夫のジョーがこれを理解し、自分を支えて欲しいと思ったに違いない。

マリリンは、ジョーに置物をプレゼントしたとき、その裏にサンテグジュペリの小説「星の王子様」から引用したあるメッセージを刻み、彼女のそんな思いを彼に伝えようとした。

<あなたの心だけが真実を見るのであって、目に見えるものは大切な事では有りません。>

これを見たジョーは、マリリンに言った。

「この訳の分からん言葉は一体なんだね?」

。。。。。男ってそんなもんよね、、、たしかに、、、

そして、1962年8月5日ロサンゼルスの自宅で死亡したマリリン・モンローの訃報はAP電で世界に配信された。

かつての夫だったジョー・ディマジオは、すぐさま飛行機でロサンゼルスヘ

そして彼は身寄りの無い彼女の遺体を 引き取り、葬儀の喪主になった。 告別式の手配を終えた彼は、翌朝まで棺から離れなかったらしい。

その後の葬儀で、ジョー・ディマジオはマリリンの棺の横にひざまずくと、彼女にキスをしながら何度も「アイ・ラブ・ユー」と語りかけ、人目もはばからず声を出して号泣した。

葬儀の時のジョーの悲痛な表情、そして彼女の棺の横で泣き崩れる姿は世間を驚かせたらしい。

なぜならジョーは、大衆の夢や憧れを裏切らないように、プライベートは殆ど明かさず、マリリンとの結婚生活も一切語らなかったし、彼はスーパースターとしていつも威厳ある態度で人々の前に現れていた男だったから。

そして棺の扉が閉まる時、ジョーはマリリンの両手にピンクのバラの花束を置いた。

彼はこの日から20年間、同じバラの花を毎週彼女の墓所に送り続けた。しかしこのことを彼自身が語ることはなかったという。。

20年よ!!!!!。。。。ただ、、、結婚となると、うまくいかなかったのか、、不思議なものね

でも、、、悲しいけどいい話


ちなみに「帰らざる河」の衣装も合計120万ドルの値が付いたそうな

これまでのマリリン・モンローの衣装では1999年にオークションにかけられた1962年5月にジョン・F・ケネディー大統領の誕生日の際「ハッピー・バースデー」を歌った時に着用していた白いドレスが126万ドルで落札されたのが最高の額!!!なので、その記録を大きく塗り替えた

今回の「七年目の浮気」の白いドレスは電話でのビッターに落札され、オークションハウスへの手数料と税金を合わせると546万ドル(約4億3700万円)です。
落札者の身元は非公開なので判りません



 他にもオードリー・ヘップバーンが「マイ・フェア・レディ」のアスコット競馬場でのシーンで着用したドレスも370万ドル(約2億9700万円)(予想落札価格20万‐30万ドル)

 ヘップバーンの言葉にはこんなのがあります

 「“物を所有する”ことより、“感じる”ことには“無限の喜びがある”ということ」

  
  “For beautiful eyes, look for the good in others;

   for beautiful lips, speak only words of kindness;

    and for poise, walk with the knowledge that you are never alone.”


  美しい目のためには、人の良いところだけと見なさい。

   美しい唇のためには、優しい言葉のみを語りなさい。

      心の平安のためには、あなたは決して一人ではないという知恵と共に歩みなさい。

あまりヘップバーンはスキではなく、、、「ティファにーで、、、」は好きな映画だけれど、当初の予定はモンローがやるはずだったらしく、、、モンローで見たかったな

でも、高級娼婦の役をヘップバーンがなんてビックリ
 あの、黒いドレスと、帽子姿は確かに素敵だった

そんなこんなで、今回は、こう、長々と前置きが連なってしまって申し訳ない

 私が紹介したかった本題の言葉はココシャネルのこの言葉

Si une femme est mal habillée, on remarque sa robe, mais si elle est impeccablement vêtue, c'est elle que l'on remarque. 
                                          Coco Chanel

きちんと着こなしていない女性の場合には洋服が目に付くが、すばらしい着こなしの人の場合には洋服ではなくて彼女そのものが映えて見えるのだ。
                                        ココ・シャネル

いあや、、、、恐ろしいが、、さすがだね、、、そう言われて見ればそうだ(苦笑)
一つある意味、良い点は、自分じゃ、自分のことあまり見えないからね(笑)

短いたった二行の言葉に、「ファッションとは」「じぶんとは」がギッシり詰まっていて、これから迎える、秋の夜長にはぴったりです

早く秋がこないかな

プラスサイズモデルという誇り 

2011年08月24日(水) 17時33分
 
          私は自分の身体をまるで親友に接するように扱います



 現在“プラスサイズモデル”として活躍しているケイト・ディロン
 
プラスサイズモデルとは、文字通り“大きめ体型のモデル”のこと。。

モデル=ゼロサイズのようなイメージが当たり前のようにあったし、正直、見たくないような見たいようなプラスサイズ。。。でもね、、、、そりゃ、みんながモデルのような体型してるわけではないし、、でも洋服だって、見栄を張りたい時もある、、、、そこで気づくのが、痩せりゃいいって問題でもないこと。
 気づいてしまうと悲しいのよね

 自分の魅力は痩せれば痩せるだけ上がるものではないし、どんなに痩せたって、ディオールのバッグ持ったって、ヴォーグのようなモデルには程遠い現実
 
それよりも、自分の体のどこを生かして何が似合うのかが大事なのね。。

 そう考えると、、、、やっぱ、痩せたほうがいいな、私(笑)

ちょこっと今回はインタビューを抜粋してみました

そんなこんなで、最近はようやく意識してドライフルーツを食べるようになった、、、、青汁も大好きに!!少しずつ、体の中からキレイを目指すぞ

あ、ちなみにこないだっから英語ものせてるけど、特に意味はない(笑)〜〜私が訳してるものでもありません 

ではでは

  日本にはプラスサイズモデルは存在しないのだけど、やっぱりたくさんの女性が自分に自信をもてなかったり体重を気にして無理なダイエットに励んだりしている。悩んだ時期を乗り越えて自分自身との平和を見つけたあなたからはなにを彼女たちに伝えたいですか?

  There is no plus size modeling in Japan, but there are a lot of girls being insecure and struggling with their weight and be on a strict diet. What would you like to tell them as someone who’s gone through it then found a peace in yourself.

ケイト 世界中の女性たちにとって難しい問題だと思います。

 メディアから流れてくるメッセージは圧倒的で、もし魅力的になりたかったら、成功したかったら、幸せになりたかったら、痩せていなければいけない、と。

 もともと小柄のひとが多いことをかんがえるとアジアではさらにたいへんだと想像します。

 日本の女性に対するプレッシャーは痩せているべき、理想的なルックスになりたいという世界中の女性が感じているものだけではなく、女性は小柄で、ひかえめで、静かで、あまり意見をもたない、女性は従属的な存在といったような、残念なことにこういった傾向は世界中あちこちで見られますが、こういった環境のなかであなたがもし大柄だったとしたら、それによって感じる精神的な悩みはより深いことでしょう。

Kate So I imagine it’s really hard for women all over the world. The message in the media is overwhelming if you want to be attractive and want to be successful, if you want to be happy, you have to be thin. And in Asia, I imagine it’s even worse, because most of women are sort of naturally smaller than they are in Northern and Western countries. So the pressure for the Japanese women to be very slim, not just as women from all over the world too, not just to fulfill that the this ideal of beauty, you know, women are supposed to be small and not supposed to get in a way and not supposed to be too loud, and they are not supposed to have too much opinions, women are supposed to be subordinate, all over the world, unfortunately. So when you are bigger and it’s such a deep psychological problems with that, just in society, because you are not supposed to look bigger, you are just not supposed to be in a way.

 私の最初のメッセージは、私は受け入れられたい思いや、世間一般でいわれる理想の美しさを手に入れたい想いやそれにともなう悩み、葛藤についてすごくわかるということ。

 それを理解した上で言うのだけど、私は健康になって自分の身体を尊重するようになってもっともっと幸せな人生が開けた。

 私は自分の身体をまるで親友に接するように扱います。自分の親友に対して、「あなた太り過ぎよ」とは言わないでしょう。

 私だったら親友のすべての美しい部分を探す。

 でもよく私たちは自分を見るときには欠点を探したがる傾向にある。だから皆さんも自分の身体を尊重して接してあげてください、あなたのとっても仲のいい親友に接するように。

痩せているモデルのとき、とても成功して欲しいものすべてを手に入れたようにみえるときも自分自身と戦いつづけていた。

 でも自分を受け入れて自分の身体を尊重するようになってからもっとたくさんの幸せや仕事の成功を見つけて、自分自身もっと美しいと思えるようになった。

 自分を本当に解放したときに訪れた成功は、本当に素晴らしいものだった。

 それに型通りの美しさにハマらなければというプレッシャーから解放された気分というのはなににも変えることができない。

 すべての女性に自分自身にもそのギフトをあげてほしいと願います。

My first message is, for any women, I understand the desire, and I understand the problems and struggle of wanting to fit in, and wanting to be a cultural like ideal. That being said, I can say that I have found greater happiness in my life in being healthy, and treating my body with a respect and treating myself with a respect. I treat my body the way the kind of my best friend, so I would never say to my best friend “ You are too fat.” I would look at my best friend and I would see her how beautiful she is and all the positive things in her, well as when we look at ourselves, we tend to just see the negative things. So I would say, first, treat yourself with a respect in the way you treat your very best friend, and look at yourself with the eyes you look at your very best friend. And my advice is that when I done that to myself, I found much greater happiness and much greater success, and much greater beauty than when I was fighting with myself; I was someone who has been that ideal, I was a very successful skinny model, I had everything exactly the way supposed to be. And when I let myself being myself, the success was I mean, amazing! And so there is nothing quite like the feeling of being liberated from that needs to fill the ideal, and I would encourage all women to give back a gift to themselves.


ホイットニー・トンプソン   2008年2月、20歳。テレビ番組―アメリカズ・ネクスト・トップモデルのその第10周(サイクル10)に参戦したホイットニーは、元々はブルネットであるその髪をブロンドにしたうえで出場し、披露したパフォーマンスに対して審査員らからの『紛い物』―『作り物』などの批判を受けはしたものの、最終的には決勝戦にまで進出。―そして優勝を勝ち取る。
・・・それはこのテレビ番組の歴史のうえで、プラスサイズ―太め―の女性の初の優勝という事態でもあった。
 明るくてチャーミングでプラスサイズモデルのイメージが私の中で変わった
 今はどうやらエリート・モデル所属

Stay Hungry. Stay Foolish. 

2011年08月24日(水) 10時12分
  If you haven't found it yet, keep looking. Don't settle.
 まだ見つからないなら、探し続ければよい、止まってしまってはいけない。

  As with all matters of the heart, you'll know when you find it.
 心の問題と同じように、見つかればすぐ判ります。


 スティーブン・ポール・ジョブズ(Steven Paul Jobs、1955年2月24日 - )は、アメリカ合衆国の実業家。スティーブ・ウォズニアック、ロン・ウェイン[1]、マイク・マークラらと共に、商用パーソナルコンピュータで世界初の成功を収めたアップル社の共同設立者の一人。

こういう世界にかなり疎いアナログ人間なので、Macの人と聞いて「は〜〜〜」とは思ったけれど、、特に身近にも感じず(そりゃそうだ、、苦笑)

でも、たまたま見た彼のスタンフォード大学での卒業生に向けてのスピーチにビックり感動

聞いてみたら、有名なのね、、、知らなかった、、、

聞く前は説教くさい、若者向けのスピーチなんかと、正直興味なく。。わたしゃ若くもないし、もう、手遅れだろうと(笑)

でも、若いだろうが、年よりだろうが、気の持ちよう!!と自分に思い込ませた思い込みたくなった

「あなた達は、先を見て点と点を結びつけることは出来ないけれども、過去を振り返ると繋げることが出来る」

これを運命と呼ぶか、偶然とよぶか、はたまたカルマととらえるか、、う〜ん、、、それでも直感を信じる大切さを大事にしていきたいなと思ったな

しかしなんだか、サラっと言ってるけれど、運も才能も必要なんだろうと。。でもやはり気の持ちようなのかな

自分にはできないと思うか、やれるはずと思うかが別れ道だったりもするんだろう

下手なうんちくはさておき、興味があったら映像で聞くのもよいのかも!!〜スピーチ自体は、、、聞いてて眠くなりそうだが(苦笑)

内容はホントに素敵!!!

You've got to find what you love.
「あなたの好きなものを見つけなさい!」

I am honored to be with you today at your commencement from one of the finest universities in the world.
世界で最もすばらしい大学の一つの卒業式であなた方とご一緒できることを光栄に思います。

I never graduated from college.
私は大学を卒業したことがありません。

Truth be told, this is the closest I've ever gotten to a college graduation.
実を云うと、これが私が経験した大学の卒業に最も近い体験と云うことになります。

Today I want to tell you three stories from my life.
今日は、私の人生から、3つのお話をしようと思います。

That's it. No big deal. Just three stories.
それはどうってことはないですよね。たった3つの話ですから。


The first story is about connecting the dots.
最初の話は、点と点をつなぐことです。

I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit.
私は、リード大学を6ヶ月でドロップアウトしましたが、本当にやめてしまうまで、18ヶ月かそこいらはもぐりの学生として居残っていました。

So why did I drop out? It started before I was born. 
で、何故やめたのかって? それは、私が生まれる前にさかのぼります。

My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption.
私の生みの母は、若い、未婚の院生で、私を生んだら養子に出すと決めていました。

She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife.
彼女は、私を大学卒業した人に養子にして貰おうと強く思っていましたので、ある弁護士夫婦が誕生時に私を養子にする手はずがすべて整っていたのです。

Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl.
だが意外にも、私がポンと出たとたん、彼らは、本当はは女の子がほしかったと、ぎりぎりの瞬間に決めてしまったです。

So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: "We have an unexpected baby boy; do you want him?"
そこで、私の両親は、養子縁組待ちのリストの家に夜中に電話をかけたのです。「予定外の男の子が生まれたんですけど、欲しいですか?」

They said: "Of course."
彼らは云いました。「もちろんですとも」

My biological mother later found out that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school.
私の生みの母が後でわかったことなんですけど、私の母親は、大学も出ていなければ、父親は、高校も卒業していなかったのです。

She refused to sign the final adoption papers.
そこで、彼女は、最終養子縁組の書類のサインを拒みました。

She only relented a few months later when my parents promised that I would someday go to college.
彼女は、私の両親が私を大学に行かせると約束して2、3ヶ月後に折れました。

And 17 years later I did go to college.
そして、17年後に大学に行ったのです。

But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition.
しかし、何も知らないで、スタンフォード並みの高い学費の大学を選んでしまったので、労働者階級の両親は、蓄えは、私の学費に消えていくんです。

After six months, I couldn't see the value in it.
6ヶ月後、大学にいることに価値を見いだせませんでした。

I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out.
私は、私の人生で何がやりたいか全くわからないし、私がそれを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかもわからなかったのです。

And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life.
なのに、ここで私は、両親が全生涯をかけて貯めたお金すべてを使っている。

So I decided to drop out and trust that it would all work out OK.
そこで、私は退学して、すべてはうまくいくと信じることに決めたのです。

It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made.
その当時は、非常に怖かったが、後で振り返って私が今まで行った最良の決断の一つであったといえます。

The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn't interest me, and begin dropping in on the ones that looked interesting.
ドロップアウトした瞬間から、興味のない必須科目をとるのを止め、そして、興味ありそうな科目をとり(不正聴講)始めたり。

It wasn't all romantic.
でも夢のようなことばかりではなかった。

I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms, I returned coke bottles for the 5¢ deposits to buy food with, and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple.
私は、寮に自分の部屋がなかったので、友達の部屋の廊下で寝たりした。食費を稼ぐのにコーラ瓶を5セントで返しに行ったり、日曜の夜は、クリシュナ教の寺院で食事を貰いに7マイルも町を抜けて歩いていったりしました。

I loved it.
それが好きだったんです。

And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on.
私の好奇心と直感の赴くままに転げ込んだ多くの事柄が、後になって、値段の付けられないものに変わったといえます。

Let me give you one example:Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country.

一つの例を申し上げましょう。リード大学は、当時は、国内では最高のカリグラフィ(飾り文字)教育を提供していました。

Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed.
あらゆるポスター、各戸棚に貼るラベルにたるまでキャンバスには、美しい手書きのカリグラフィが施されていました。

Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this.
私は退学していて、普通の授業は受けられないので、カリグラフィをどうやって学ぶか、その授業をとることに決めたのです。

I learned about serif and san serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great.
セリフ(欧文活字のひげ飾り)やサンセリフの書体、活字の組み合わせで字間を変えたり、素晴らしい印刷活字(フォント)の作り方などを勉強しました。

It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.
それは、美しく、歴史的で、科学では捉えられない芸術的に微妙なもので、実に面白いことがわかったのです。

None of this had even a hope of any practical application in my life.
この様なことは、何も私の人生における実際的な活用に見込みを持ったものではありませんでした。
But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me.
しかし、10年後、マッキントッシュ・コンピューターを設計する時にそれは私によみがえったのです。

And we designed it all into the Mac.
わたくしたちは、すべてをマックに組み込みました。

It was the first computer with beautiful typography.
それは、美しい活字を持った最初のコンピューターでした。

If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts.
もし私が、大学のこの単一のコースに寄り道していなかったならば、マックは複数書体も入っていなかったり、字間調整フォントも無かったでしょう。

And since Windows just copied the Mac, its likely that no personal computer would have them.
ウインドウズは、単なるマックのコピイですので、そのようなパソコンは無かったようです。

If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do.
もし私が、退学していなかったら、このカリグラフィの授業をを受けていなかったであろうし、パソコンも今あるように素晴らしい活字を搭載していなかったかもしれない。

Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college.
もちろん、私が大学にいた頃は、先を見て点と点を結ぶことは不可能でありましたが。

But it was very, very clear looking backwards ten years later.
しかし、それは、10年後を振り返ってみると非常にはっきりとしています。

Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards.
もう一度云います、あなた達は、先を見て点と点を結びつけることは出来ないけれども、過去を振り返ると繋げることが出来るだけなんだ。

So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
だから、あなた達は、将来、点どうしが何らかの形でつながってくることを信じるべきなんだ。

You have to trust in something - your gut, destiny, life, karma, whatever.
あなた達は、自分の根性、運命、人生、カルマ、何でも良い、とにかく信じること。

This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.
このアプローチは、私を裏切ったことはなく、私の人生においてのすべての違いをもたらしたのである。。

My second story is about love and loss.
私の第二のお話は、愛することと失うものについてであります。

I was lucky ? I found what I loved to do early in life.
私は幸運でした? 私は、人生で早い段階でしたいことを見つけました。

Woz and I started Apple in my parents garage when I was 20.
ウオズ(Steve Wozniac )と私は、私が二十歳の時、両親のガレージで、アップルをスタートしました。

We worked hard, and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4000 employees.
われわれは、一生懸命に働き、10年間で、ガレージでの2人の会社から、従業員4,000人、20億ドル企業に成長しました。

We had just released our finest creation - the Macintosh - a year earlier, and I had just turned 30.
私たちが、最高の創造物 -マッキントシュ- をリリースし、丁度1年前、私は、ちょうど30歳になったところでした。

And then I got fired.
そこで、解雇されたのです。

How can you get fired from a company you started?
あなたが立ち上げた会社からどうして追い立てられたの?

Well, as Apple grew we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so things went well.
そうです。アップルが成長したので、私と一緒に会社をやってくれる非常に有能な人を採用し、最初の1年そこそこはうまくいった。

But then our visions of the future began to diverge and eventually we had a falling out.
しかし、われわれの未来に対するビジョンに亀裂が生じ始め、結局は、崩壊したのです。

When we did, our Board of Directors sided with him. So at 30 I was out.
私が決めた時、取締役会は彼の側につきました。そして、私は30歳そこそこで、失職したのです。

And very publicly out.
これは知れ渡っていることです。

What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating.
私の全人生の焦点であったものが、消えてしまい、それは我慢のならないことでした。

I really didn't know what to do for a few months.
私は、本当に、数ヶ月は、何をしようとも思いませんでした。

I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down - that I had dropped the baton as it was being passed to me.
私は、前の世代の企業家たちを失望させたと感じました。それは、自分に渡されたバトンを落としてしまったという思いです。

I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly.
私は、ディビッド・パッカード(HPの創業者の一人)とボブ・ノイス(フェアチャイルド半導体とインテルの共同創業者)に会いました。そして、最悪に台無しにしたことをお詫びしようとしました。

I was a very public failure, and I even thought about running away from the valley.
わたしは、非常に知れ渡った失敗者であったので、シリコンバレーから去ろうと考えたことさえありました。

But something slowly began to dawn on me ― I still loved what I did.
しかし、私には何かがゆっくりと見え始めました。私は、まだ、私のやった仕事が好きでした。

The turn of events at Apple had not changed that one bit.
アップルでの変事でもその気持ちをいささかも変えることはありませんでした。

I had been rejected, but I was still in love. And so I decided to start over.
振られても、まだ、好きなんです。そして、始めてみようと決めたのです。

I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me.
その時は、判らなかったのですが、アップルから追い出されたことが、私が経験することができた最良の出来事であるという風に変わったのです。

The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything.
成功していることの重みが、再び、すべてに対して確かでないという、初心者の軽さに置き換わったのです。

It freed me to enter one of the most creative periods of my life.
私の人生の最も創造的な期間の一つに入れる自由を持ったのです。

During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar, and fell in love with an amazing woman who would become my wife.
次の5年間は、NEXT社、もう一つは、Pixar 社をスタートさせ、私の妻となる素晴らしい女性と恋に落ちました。

Pixar went on to create the worlds first computer animated feature film, Toy Story, and is now the most successful animation studio in the world.
ピクサー社は、トイ・ストーリーという最初のコンピューターアニメーション映画を作り、今や世界で最も成功したアニメーションスタジオになっています。

In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT, I retuned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple's current renaissance.
思いがけない事で、アップルは、NEXT社を買収し、私は、アップルに戻ってきて、NEXTで開発した技術は、現在のアップルの改革の心臓にあります。

And Laurene and I have a wonderful family together.
そして、ローレンスと私は、素晴らしい家庭を築いてきました。

I'm pretty sure none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple.
アップルを追い出されていなかったら、この様なことが起こっていないと断言できます。

It was awful tasting medicine, but I guess the patient needed it.
ひどい味の薬でしたが、患者には必要だったのですね。

Sometimes life hits you in the head with a brick. Don't lose faith.
時々、人生は、あなたの頭を煉瓦で殴るようなことをします。だけど、信念を失ってはいけない。

I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did.
私が続けてこれたたった一つのことは、私のやったことが好きだからと断言します。

You've got to find what you love.
みなさんも、自分の好きなことを見つけなきゃいけない。

And that is as true for your work as it is for your lovers.
それは、仕事に対しても、恋人に対しても同じです。

Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work.
あなた方の仕事は、人生の大部分を占めていくだろうけど、本当に満足できるたった一つの方法は、あなた方が素晴らしい仕事と信じられることをすることです。

And the only way to do great work is to love what you do.
偉大な仕事をする唯一の方法は、あなたのする仕事を愛することです。

If you haven't found it yet, keep looking. Don't settle.
まだ見つからないなら、探し続ければよい、止まってしまってはいけない。

As with all matters of the heart, you'll know when you find it.
心の問題と同じように、見つかればすぐ判ります。

And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on.
大きな恋愛関係と一緒で、年をとるほど良くなっていくものです。

So keep looking until you find it. Don't settle.
だから見つかるまで探し続けること、止めてはいけません。

My third story is about death.
私の第3のお話は死についてです。

When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right."
私は、17歳の時、「もしあなたが、今日が最後の日だと毎日思って生きているとすれば、きっと、ある日、あなたは、確かにひとかどの人物になるであろう。」

It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself:
"If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?"
この言葉は、私に強い印象を与えました。その時以来、過去33年間、私は毎朝、鏡に向かって、自分に尋ねています。「今日が私にとって最後の日であったら、自分が今日やる予定のことを、やろうと望んでいるのであろうか?」

And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.
答えに「No」が幾日も続くと、私は何か変える必要があると悟るわけです。

Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life.
私がまもなく死ぬであろうことを思うことは、私がこれまで人生で大きな選択に迫られた時の非常に重要な手段である。

Because almost everything ? all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important.
というのは、ほとんどすべてのもの、外部からの期待のすべて、プライドのすべて、屈辱あるいは失敗への恐れのすべて、・・こういったものは、死に面した時、消え去ってしまうものだからです。

Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose.
あなたが死のうとしていると思うことは、あなたが何かを失ってしまうのではと思う罠を抜け出すための私が知っている最良の方法です。

You are already naked. There is no reason not to follow your heart.
あなた方は、すでに裸なのです。自分の心のままに従ってはいけない理由など全くありません。

About a year ago I was diagnosed with cancer.
私は、1年ほど前、ガンと診断されました。

I had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas.
朝の7時半にスキャンしましたが、私のすい臓に腫瘍がくっきりと映っていたのです。

I didn't even know what a pancreas was.
私は、すい臓が何かも知りませんでした。

The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months.
医者たちは、これは、ほとんど確かに、治療不可能なタイプのガンです、3ヶ月から6ヶ月しか生きられないでしょうと云いました。

My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctor's code for prepare to die.
私の医者は、私に家に帰って、私の仕事を片づけるようアドバイスしました。それは、医者の死への準備をしろというコードなのです。

It means to try to tell your kids everything you thought you'd have the next 10 years to tell them in just a few months.
それは、あなたがこの先10年間に子どもたちに云っておきたいと思うことを、ここ2、3ヶ月の間に全部云っておくようにということでした。

It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family.
それは、あなたの家族に対して出来るだけ楽になるように万事成し遂げよということなのです。

It means to say your goodbyes.それはつまり、さよならを告げると云うことなのです。

I lived with that diagnosis all day.
私はその診断を一日中もって過ごしました。

Later that evening I had a biopsy, where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach and into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor.
夕方遅くなって、私は、バイオプシー(生検)を受けたのです。そこでは、内視鏡はのどから胃を通って、腸内に入り、針を私のすい臓に入れて、腫瘍の細胞を採取しました。

I was sedated, but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope the doctors started crying because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery.
私は、鎮静剤で平静でしたが、妻は、そこにいたのですが、医者たちが顕微鏡下の細胞を見たとたん泣き始めたと私に云ってくれました。それは、外科で治療可能なごくまれな形態のすい臓ガンであることが判ったからです。

I had the surgery and I'm fine now.私は外科手術を受け、今も元気です。
This was the closest I've been to facing death, and I hope its the closest I get for a few more decades.
これは、私が死に直面した最も最近の経験ですが、これから先、二三十年経ってもこれが最後に願いたいものです。

Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept:
No one wants to die.
それを通して生きたから、今や、ちょっとは確信を持って言えるんだが、死は意識すると有益だが、純粋に頭の中の概念でしかなかったということです。誰も死にたくはないですよね。

Even people who want to go to heaven don't want to die to get there.
天国へ行きたい人でもそこへ行くために死にたくはない。

And yet death is the destination we all share.
でも、死はわれわれすべての終着点なのだ。

No one has ever escaped it. 誰だって、それから逃れられない。
And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life.
そして、そうあるべきなんです。なぜなら、死は、生の単一の最高の発明品だから。

It is Life's change agent. It clears out the old to make way for the new.
それは、生の変化を起こす代行者であり、新しいものを作るために古きものを消すのです。

Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away.
丁度今、新しいものはあなた方であり、しかし、いつか遠くない将来、あなた方は、古くなりそして消え去られる日が来る。

Sorry to be so dramatic, but it is quite true.
ドラマチックな言い方ですまないけど、それは全く真実なのです。

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life.
あなた方の時間は限られているので、誰か他の人生を生きて、無駄をすべきではない。

Don't be trapped by dogma - which is living with the results of other people's thinking.
他の人々の考え方と共に生きていくというー教条にとらわれる必要はない。

Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice.
あなたの心の中の声を他人の意見の騒音の中にかき消されないようにしなさい。

And most important, have the courage to follow your heart and intuition.
そして大切なことは、あなたの心や直感に従う勇気を持ちなさい。

They somehow already know what you truly want to become.
そうしたわけか、それらは、あなた方が本当になりたいことを、すでに知っているのだ。

Everything else is secondary.
それ以外のすべてのことは二の次でよい。

When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation.
私が若かった頃、「全地球カタログ」という私の世代のバイブルの1つのような驚くべき出版物があった。

It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch.
それは、スチュアート・ブランドという男が、ここから遠くないメンローパークで制作したもので、彼は詩的なタッチで命を吹き込んでいました。

This was in the late 1960's, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and polaroid cameras.
この時代は、60年代後半、パソコンやデスクトップ印刷がでる前で、すべて、タイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていました。

It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along: it was idealistic, and overflowing with neat tools and great notions.
それは、35年前に戻って出されたグーグルのペーパーバック版ともいうべきもので、理想に燃え、身近なツールや素晴らしい概念であふれていました。

Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue.
スチュアートと彼のチームは、「全地球カタログ」を何度か出版し、それからそのコースを走りきってしまい、彼らは最終版を出しました。

It was the mid-1970s, and I was your age.
それは、70年代の半ば頃で、私はあなた方と同じ年でした。

On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous.
最終版の裏表紙には、もしあなたが冒険好きならば、ヒッチハイク上で出くわすかもしれないようなまだ朝早い田舎道の写真がありました。

Beneath it were the words: "Stay Hungry. Stay Foolish." It was their farewell message as they signed off.
写真の下には、「ハングリーであれ、馬鹿であれ」と書かれていました。それらは、彼らが断筆する際のさよならのメッセージでした。

Stay Hungry. Stay Foolish.
ハングリーであれ、馬鹿であれ。

And I have always wished that for myself.
そして、私は、私自身そうありたいと望んできました。

And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.
そして今、卒業して新たな人生を始めるにあたって、あなた方にそれを望みたい。

Stay Hungry. Stay Foolish.
ハングリーであれ、馬鹿であれ。

Thank you all very much.
ご静聴、ありがとうございました。

私のメイクの先生 

2011年07月23日(土) 20時47分

Jen

26. Petite. Korean. Designer. Genuine. Loves everything beautiful, cute, and funny.

http://www.frmheadtotoe.com


いきなりのこの情報。。 怪しいこと極まりないですが、、私が最近はまってるブログ!!彼女のメイク動画は、わかりやすいし、可愛いし、参考にとってもなります!!

 残念ながら日本から撤退してしまったセフォラで買えるものが中心ですが、ドンキやソニプラでも揃えられるものも沢山!!

これまた、怪しい日本語の翻訳でもみれることができます            http://translate.google.com/translateu=http%3A//www.frmheadtotoe.com/&hl=en&langpair=en|ja&tbb=1&ie=UTF-8

何を使うかのリストも書いてあるし、ちゃんとすっぴんからメイクしていくのでその過程がじっくりわかる

私はスキなタイプのメイクなのですっかりハマってしまった〜そしてしっかりメイク用に使ってるのがこのコスメ



動物実験なしの、低アレルギー。。ただ、、なかには中国製も、、、しかしMACくらい、発色がよい!!!ドンキで買うと高いけど、個人輸入したりすれば3〜10ドルでほとんどのものが買えちゃいます(アイシャドーが150色あったりするしね)

そういえば、、去年か友達の友達に初対面でいきなり言われた「ジャパニーズドール!!!」。。。????私の頭の中がカタカナ化した瞬間だった(苦笑)

スンゴイ複雑な気持ち。。。まあ、、中国人が日本人やってて日本人よりも日本人らしく見えるという不思議なことが起こってるのは知ってるが、、、

スンゴイ、ハイテンションに「日本人形みたいで可愛いい」と、、、可愛いと言われる歳でもない、、、(百歩譲って、アジア人は若くみえるらしいということにして)、、そして日本人形が可愛い????か???オイオイ〜けなしてる?

人の美的感覚はわからんもんです

でも、なんとな〜くその日から、目はこれ以上は大きくならないんだから、自分の目を生かした化粧をしようと思った次第であります

 でもね、、、不器用だからか、、、難しいんだわな〜〜〜化粧(苦笑)






自由なパリ 

2011年07月23日(土) 19時37分


 たまたま、よんでたBBCの記事〜ホントにたまたま(笑)

んでもって、最初は、また日本のチャカしネタかとおもったけれども、そうでもない様子

 ま〜なぜだか一度は行ってみたいな的な雰囲気がある、パリ〜

たしかに、どこからともなくイメージまで浮かび上がってくる(苦笑)

でもな、、、これ、基本的に日本人がかかる病気だそうな、、、 実際、どうしてこうなるのかな。。。

こんなことにならないように、寺山修司の言葉のように、

「書を捨てよ、旅に出よう!!」

。。旅にでてこうなるのか、、(苦笑)でも、旅に出て免疫つけないとね!


 パリ症候群

 パリ在住の日本人の中に鬱病を発するものが多く(毎年百人程度)、中にはかなり重篤なものも含まれるらしい。

これを現地に在住のドクター太田という方が「パリ症候群」(syndrôme de Paris) と命名したそうな


 記事によると「診察者の73%は女性で、20代、30代が突出する。学習意欲が低い女性が大挙留学し、言葉の壁に跳ね返される例が相次いだ。

そして、今やそれは、転職志望の女性たち

 フランス語を身につけ、服飾や旅行、メディア関係の『パリらしい』仕事をしたい〜(パリも知らないのにパリらしいって、、、) そんな夢想を抱いた人たちがこの街に来て打ちひしがれると。。。

典型的な症候は、将来への見通しの不安(そんなこと言ったら、私は今も、昔も、どこにいてもこれはつきまとうわ)と、言葉によるコミュニケーション失調。
それから対人恐怖、外出恐怖、、、、

「自分をバカにしている声が聞こえる」ようになり、妄想を発して強制入院、自殺未遂に至るケースも

原因についてドクター太田はこう語っている。

「日本のサービスの質は官民ともに世界最高だが、フランスは残念ながらその対極に近い。日本基準のままだと不快な体験を重ねることになる。きちんとした日本人はこの国のいい加減さではなく、それについていけない自分を責めてしまう。」
 
(。。。。。フランス人だって人間ですよ、、、サービスが対極ってのは言い過ぎでないかい?!確かに日本のサービスはサービスだよな、、でも周りから見たら、過剰な気が、、なのでそもそも、あんまり比べてはいけないと思う、、日本基準は世界基準ではないことはたしか、、)

症状としては、日常生活の些細な不調がきっかけで軽い鬱状態になり、それが不安、外出恐怖、交通機関への恐怖症と症状は進行し、25%が帰国する前に入院加療を必要とする状態にまで悪化する。

ドクター太田によると、『症状は異文化との違和感でフランスに適応できない人に発症する』。

そして、日仏協会のマリオ・ルヌーがこれにこう付け加える

『社会関係がぜんぜん違う。日本的な集団主義は西欧的な個人主義と相容れない。日本人は自分たちの集団から離れるとまるで無防備になったような気になるんだ。』

『雑誌が日本人の幻想を育てているんだよ。あんなものばかり読んでいると、パリではそこらじゅうにマヌカンがいて、女性はみんなヴィトンでまとめていると思うんだろうね。』

残念ながら現実はそれとはほど遠い。街にはヴァン・ゴッホもいないし、そこらじゅうにトップモデルがぞろぞろ歩いているわけでもない。別にだからといって病気になることはないじゃないか。」

というものであった。

ま、、そこまではだれも考えてないと思うが(苦笑)〜そりゃ、言葉は通じないわ、CHA◎NEL行ったら日本人には見切り品を売りつけられたり(ほんとにあるらしい)、ウェイターにガン無視されたりすれば、嫌気がさすのも当たり前のような気がする

でも、相手が100%悪いといえるかな・・?

色んな文化や風習がある中で、その土地のマナーや行動が日本では当たり前と思っていても、それが裏目にでることが多々あるのは、なんとな〜〜く知っている、、ハズ、、??

ま〜思ってたより全然、綺麗じゃないパリの道(三歩あるけば、犬の)や、小粋なアメリの世界の地下鉄が物乞い+電車がモーレツな勢いで、ホームに入り、走りながら開いちゃうアバウトなドア、、英語で話すとフランス語が解らないと思い嫌味を笑いながら言うバーテン(不思議なことに悪口は何語でも、大外わかってしまうもの)などなど、たしかに、、ビックリするようなことがあるはず。

 そんなこんなで聞いたアドバイスは「挨拶」

いたってシンプルで当たり前のような事だけれど、これがホントに重要らしい。

大体、日本だとお店にはいると店側が「いらっしゃいませ〜〜」と、機嫌が悪かろうが、早く帰りた気持ちを抑えてようが、この言葉を言ってくれる

それに慣れ過ぎると海外に行くと、自分から挨拶するのを忘れがちになる。(忘れるというよりシャイなのよね

でも、これがホントに大事、、、自分から挨拶するのとしないのとでは後の展開が、大きく違う。。。場合が多々ある。意味、恐ろしい、、、

ま、、人間だもの。。。。。自分が気に食わなかったらそれでオシマイ、、ドライというか、、なんというか、、、でも相手が挨拶もしないで、レジに物出したり、カフェの席についたり、、、そりゃ感じ悪いのよね

したら、相手も感じ悪くなるさ

カッコ悪いな〜と思う発音でも、言うのが恥ずかしくても、気持よく挨拶からはじめよう!!!!

でも、、、一筋縄ではいかない場合もあるのが、フランスか、、、


人間としての尊厳や社会保障などの恩恵を手に!! 

2011年07月07日(木) 18時43分
(CNN)の記事からひっぱってきましたが、、、以前にこのようなことがあったそうです

 ベネズエラ人ダンサーのヘンリー・ベランディアさん(27)がアメリカに来たのは約10年前。彼は去年、アメリカ人の同性の恋人と、同性婚9 件が合法化されているコネティカット州で結婚した。


結婚前の2009年、ベランディアさんは保証人の助けを借りて永住権を申請した。ところが移民税関捜査局(ICE)はベランディアさんの強制退去手続きを開始

「自分の世界が崩れ落ちていくように感じた」とベランディアさんは言う。
また配偶者の男性は「私たちの結婚が連邦政府に認められなかった唯一の理由は婚姻擁護法だった」と語る。

婚姻擁護法は連邦レベルで結婚とは何かを規定するための法律で、96年に成立した。
 この法律によれば結婚は男女の間でないと成立しない。

オバマ米大統領はこれまで、婚姻擁護法を支持しないとする政府の姿勢を繰り返し言明してきた。だが行政機関はいまだにこの法律に従っている。

ベランディアさんの弁護士は、当局は家族を引き裂くよりも危険な外国人犯罪者を強制退去させることに力を注ぐべきだと訴え、事情を鑑みて退去手続きを取りやめるよう求める戦術に出た。

そして6月末にようやく、ベランディアさんの強制退去手続きの中止命令を勝ち取った。

ICEのジョン・モートン局長も先ごろ、特定の事例では柔軟な対応を取るよう職員に求める通達を出している。

ベランディアさんはまだ永住権を手にしてはいない。それでも今回の事例は多くの国際カップルにとって画期的な前例となったと言えそうだと。。。

 そしてこの間ニューヨーク州で同性婚が合法に

ニューヨーク以外に同性婚が認められているのは、東部4州(コネティカット、マサチューセッツ、ニューハンプシャー、バーモント)と首都ワシントン、中西部のアイオワだけ

びっくりしたのが、なんとな〜く、保守的な州だと思っていたところが、合法だったり、可決されであろうと思っていたカルフォルニアが駄目だったり 参政権のナサに初めてガッカリした瞬間だったわな、、この時は

 カルフォルニアの時は一応、署名はしたけれど、、、署名には参加出来るってことだったから(苦笑)宗教的な思想のシガラミはないもんで

日本は、、どうだろうか、、、と、、フト思ったが、、、

どうなんだろうか、、、実際、、

しかしべランディアさんの強制退去手続き。好きな人と国が違うだけで、離れ離れにならなきゃならないのはホントにつらいよな

ましてや強制退去・強制送還なんかされた日には、おそらく10年、(これは滞在してた期間によって決まってくるみたい〜たしか合法的に滞在期間を二年くらい越えた場合だったかしら)もしくは半永久的にアメリカには入れない

 ほんとたまたま好きになった人が自分とは違う国で生まれ、もしくは違う国籍だったりしただけで、当たり前のように生活してきた場所が、いきなり「国」という単位に変わって、それと同時にその大きさを初めて実感する

同性だろうが、異性だろうが、違う民族だろうがお互い愛し合っていれば一緒にいれるはずであって欲しい

ちなみに 米主要地方紙『ヒューストン・クロニクル』(6月27日電子版)によると、テキサス州ヒューストンに住む60代のセラピストと歯科医の男性は、03年、カナダ(10州のうち3州)で同性婚が合法化されるやいなやトロントに飛び、結婚したが、今回、ニューヨークでの「再婚」を決めた

〜カナダで結婚しても、米国では法的効力を持たないから〜

 ニューヨーク市のウェブサイトによると、すでに他の州や国で結婚している同性愛カップルも、ニューヨーク州での重婚が認められる。

ちなみに、、行ってみたいなニューヨーク(苦笑)なんだかご縁がないようで、、
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:kunkun
  • アイコン画像 血液型:A型
  • アイコン画像 趣味:
    ・旅行-行けるところまで行きたい
    ・映画-ホラーの中の哲学を見つけるのがスキ
    ・美術鑑賞-イブクラインとマグリットがスキ
読者になる
2011年10月
« 前の月  |  次の月 »
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31