追憶 (未完成) 

October 13 [Tue], 2009, 15:57
「あの…山口です」
そう言ってから、男性が軽くお辞儀をして、私を見つめた。
少しお腹の膨らみが目立ち始めた若い女性の姿が、半歩下がった横から、やはり私を見つめている。この若い夫婦が、私に何の用があるのかさっぱり分からない。私に向けられた真っ直ぐな視線に気後れして、思わす瞬きをする。顔を少し傾げて男性の胸元あたりに目をやりながら、この人たちは誰かと考えてみる。
 男性の方は30過ぎくらいだろうか。背丈もあり、がっちりとした体格で、ハンサムとは言えないが、微笑んだような細い目の優しい瞳。何か懐かしさを覚える。連れの女性は、整った顔立ちに大きな二重まぶたの目と鼻筋の通った形の良い鼻、透き通るような白い肌と艶やかで長い黒髪、大きなお腹を支えるには不安定に思われる細く伸びた脚。一度見ただけでも忘れられないような美しい女性だ。けれど、私にその記憶はない。返す言葉に詰まって申し訳なさそうに顔を上げると、もう一度男性が名乗った。
「山口の息子です。親父がお世話になりました。」
「えっ、山口さんの息子さん…?」

彼とは2時間ほど前にメールしていた。今日、私が出勤していることを知らせると、今から行くと返事があった。逡巡したが、もう会えなくなるかもしれないので、迷いながらも連絡を入れたのだ。
 11月に移動があり、この売り場を離れることになりました。9月にお会いしたのが最後で、またお越しいただけるかと楽しみにしていたのですが…。山口さんとお会いできて楽しかったです。
ありがとうございました。
今日は出勤しています。

こう書いて、メールを送った。しばらくしてから、いつもより遅い返信があった。
接客の合間を縫って、携帯の画面を開く。

今日は何時までですか?

2時過ぎまでいます。
送信ボタンを押すと、手紙のマークが画面からだんだん小さくなって消えていく。手紙が届くときめきを胸に感じる。

ほんの間をおいて携帯に着信音が鳴る、さっきよりも随分早い返信だ。

今から行きます。

彼のメールにそう書いてあったのだ。
久しぶりに今日は、遅いランチに連れって行ってもらおう。この前、私の誕生プレゼントに好きなネックレスを選んでおきなさいと言って貰ったけど、そんな高額なもの受け取れないから、お気持ちだけ頂戴すると伝えよう。それから、やっぱり移動先の場所も知らせよう。
そんな事を考えながら、彼の到着を知らせるメールを待っていたのだった。

「あの…息子さんが…どうして…?」
私は混乱しながらも、今目の前に立っているのは、私の待つ人の息子であることを理解した。どこか懐かしいと感じたこの目元は父親譲りものもと気付いたからだった。だが、その瞬間、その目は悲しみに満ちて、表情が翳った。

「親父、亡くなりました。」
「うそ…。いえ、あの、さっきメールを…。」
「どうしようか迷ったのですが、僕が返信しました。」
「えっ。あぁ…そう…だったんですか…。」
「親父がお世話になりました。」
「お世話だなんて…とんでもない。私のほうこそ…。」
「急なことだったんで、親父もさぞ無念だったろうと…。やはりお知らせしたほうが良いかと思いまして…。」
「えぇ…ありがとうございます。確かに、前にお会いしたとき少しお疲れのようでした。でも、まさか…。それからしばらくして、やっぱりご様子が心配だったので、一度メールしたのですが、元気だとお返事をいただいたのですよ。」
「えぇ、そのメール、親父の携帯に残っています。親父の返信も…。それから3日後の10月の5日に亡くなりました。」
「なんてことに…。信じられない…ショックです。」
「本当に…私たちもそうなんです。お腹の赤ちゃん、お義父さんも楽しみにしてたのに…。」
あの人の若い頃はこんなふうだったかしらと、つい彼の息子に見入っていたらしい。お嫁さんの声で我に返った。

最後に会ったとき、最近なんか喉の調子が気になるし、この際人間ドックにでも入って、徹底的に健康診断を受けようと思うと言っていた。妻を乳ガンで50代で亡くし、胃から肺へ転移して余命いくばくもない末期ガンの姉がいるので、人一倍健康には留意していた。
殆ど外食せず、自炊で塩分脂肪をコントロールし、毎日の適度な運動を欠かさず、健康オタクに近い生活習慣だった。その甲斐あって、外見は歳よりかなり若く見えるし、実際、体力精力的にも年齢より遥かに若かった。そんな彼のことだから、喉の調子が悪いと聞いても、軽い風邪くらいに思っていたのだが…。

 彼との出会いは、一年半前だ。私がこの仕事に就いてから、客と販売員として出会った。
こういう店には、老若男女いろんな人種がやって来る。彼との出会いもその中の一人に過ぎなかった。単におしゃべり好きで長居したがる客もあれば、下心見え見えで近づいて来る輩もいる。彼はそのどちらでもなかった。どの販売員に対してもお得意様だった。彼からのちょっとした差し入れは、販売員のだれもが貰っていたし、特別なことでもなかった。上品で高ぶらないお人柄で、お話のユニークなオジサマとして、販売員の誰からも慕われていた。
この仕事が一年過ぎた頃、彼が私に言った。
「もう一年になるかな?仕事には慣れましたか?」
「まぁ、私が来て一年って、覚えてくださってるんですね。」
「そりゃもう…。片想いして一年ですから…。」
「はぁ?」
「ははっ、あなたにですよ。」
「またいつものご冗談ですね。」
「これまで、こういう冗談は一度も言ったことがありません。ひと目見て惹かれて、それからずっとです。」
「よく分りませんが…。」
「丁度いい。告白したついでだ。良かったら今度、食事でもご一緒してもらえませんか?」
「ついで?ですか。」
ついでという響きがおかしくて、缶コーヒーをバーコードにかざしながらオウム返しをした。
「130円です」
彼が差し出した千円札を受け取り、レジからつり銭を出して手渡す。
「食事は・・・夜はダメなんです。あの、でも・・・お昼でしたら・・・。」

P R
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