権力による強制収用と共産主義

October 16 [Thu], 2008, 13:29
野菜刈り取られ…涙ぐむ園児 保育園の畑を大阪府が行政代執行
10月16日11時56分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081016-00000542-san-soci

野菜畑は約20年前から園児用の菜園として利用。第二京阪の建設のため、平成15年から用地買収の交渉が始まっていたが、保育園側は「大切な食育の場」と拒絶していた。

 府は今月6日、強制的に撤去させる代執行令書を保育園側に交付。園側は立ち退き取り消しを求めた裁判を起こした。訴訟はまだ係争中で、大阪高裁が30日に決定を出す予定となっているが、府は高裁決定を待たずに代執行に踏み切った。


政界を去った中山氏の成田空港問題における強制収容正当化もそうだがこれは民主主義国家がやるべきことではない。
成田空港問題には途中から新左翼が積極的に介入した。共産主義を掲げる人々である。
人間には自然権としての所有権がある。自然状態において所有する欲望がありこれが人間の権利として認められるものだ。
しかし同時にその所有の欲望が他者の労働力を搾取するなどしてまでも満たそうとする資本主義のシステムに反抗する共産主義者たちは所有権を否定するものだ。新左翼は矛盾しているだろうか。成田空港問題においては自分の持つ農地を渡さない住民に対して小ブルジョアとレッテル張りをした左翼団体もあるという。
自らの労働力と子供しか所有できないプロレタリアートのために政治権力を持った共産主義者たちは資本主義経済を計画経済に強制的に変革し、所有権を根拠にする私有財産も剥奪し平等な再分配を妄想した。
強制収用は国益の名を掲げるとともに、国家を形成する最小単位である国民個人の所有物を剥奪する横暴まさに共産主義を根拠にする所有の独裁と同様の罪だ。保守主義や民主主義や自由主義を掲げる者が行うこととの矛盾、欺瞞が許されるのか。

追記・
子供にも所有権はある。

http://www.sanyo.oni.co.jp/newsk/2008/10/16/20081016010003131.html
>4月、府の収用裁決により西日本高速道路会社に所有権が移転。

府の収用裁決これはいわば強制収用するための府に限定された合意形成であって所有者である理事には合意を得ていないために合意形成が得られたとはいえない。上に書いたように所有権は自然権であるからその所有権を持つ個人の同意が欠かせない。たとえ国家であれなんであれ他者が剥奪することはできない。法律上がどうであれ採決がどうであれ、採決したから所有権が移行されるのでは収容のための収容に過ぎない。

拉致の脅威と核の脅威、テロとの戦い

October 16 [Thu], 2008, 10:10
拉致解決へ「追加制裁を」要請文 日本の“自力”求める家族ら
10月16日8時6分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081016-00000087-san-soci

テロとの戦いと称しイラク戦争における日本への要求は大きく多額の金銭を費やした。
明らかにテロである北朝鮮による日本国民拉致に対する対応もテロとの戦いであると認識されているはずであるのにこのテロとの戦いは続くなかで北朝鮮をテロ支援国家からはずした。なるほど北朝鮮は支援国家ではなくテロ国家そのものだ。
形式はどうでもよい。制裁を解除する根拠などない。
核の脅威を根拠にする正当化はできない。
核の脅威はわれわれ日本国民を含む多くの人間に対する脅威であることは、量的に拉致より上位に掲げるべきであるかのように思えるが、拉致というテロ行為も日本国民に限らない被害が出ておりこれも同じく人間全体への脅威という質を考慮する必要がある。
ブッシュ大統領は国民の大きな支持を得てイラク戦争を開始した。
しかし事実として国民による指示は大きく後退した。
このためにイラクと同じく大きな問題のある国家北朝鮮に関しては融和策ソフト路線をとる。
イラク戦争における激しい攻撃的やり方が否定されたから、正反対のソフト路線は正しいというバランス感覚が欠如した単純な思考によるものだ。
解散するべきかするべきではないか。経済政策の行方はどうか。
これらについて拉致被害者はなんら見ることも意見することもできない。
麻生氏が首相になるほどの支持を得ているのはこのような国民国家の危機に対する期待であろうからこの件に対する成功に大きく貢献するための行動をとるべきで、これができないのであれば正反対と思われる福田と変わらないということになる。そして自民党の存在価値も失われる。
必要な構造改革は優勢民営化などという小さなものでもなく成長できない成長路線でもない。媚米媚特定アジア路線の脱却、国家であるにもかかわらず国家の体をなしていない現在の改革、まともな国民国家となるための軍事的経済的政治的主権の回復だ。

後期高齢者医療制度と自己責任

October 16 [Thu], 2008, 9:57
「減る資金、増す不信」 天引き相談続々 
10月16日1時7分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081016-00000505-san-soci

老齢は多くの医療を必要とすることは自然の力であるし、これに対抗することは人間の力だ。
老齢を根拠とする年金から天引きしてでも医療費にあてるということは、医療の必要性が年金の必要性と同じ老齢を根拠にしていることという原理に反する。
一部にある老齢といえども実は各年代別に見ると老齢といえる層に財産があるというが、この理屈には年代別という前提を根拠にすることの根拠が不明瞭だ。
医療も年金その他福祉は個人単位で必要か不要化が判別されるものであるが総じて老齢といえる年代に・・・という話であるから、上の理屈では財産のない老齢といえる年代は無視している。
典型的な功利主義的論理だ。多くの幸福が認められればその他の不幸は無視する。幸福を根拠にしながら不幸な人にある幸福のなさは視野に入れないという矛盾があるのに妥協する線引きの根拠は何か。
個人単位で考え年代別でのみでは区別しないことが必要だ。高齢者のための制度は今現在ある高齢者のための制度ではない。人間は通常生きてさえいれば老齢になり医療や福祉が必要となることが必然。
高齢者もその他の年代も個人により収入や財産のありなしは大きく差異があるのだから、制度を支えるための負担をその個人により区別する累進税のようにするのがよいと思う。
この制度は高齢者に一定の自己責任を求めるものであるが、高齢者に自己があるとともに政治にかかわる人間にも自己がある。
自己責任を果たしえない弱者があるから政治という統治体がこれを代行する。政治という当事者はこの自己責任を果たさず自己責任論を語るのか。
P R
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