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サンサーフの歩み

サンサーフは東洋エンタープライズ社のハワイアンシャツ・ブランドだ。
同社の他の製品同様に、消え行く人の手の温もりのある製品の復元がテーマになっている。また土砂には全身となる港商事時代にハワイアンシャツの生地を輸出していたというバックグラウンドがある。
生地の輸出は次第に製品輸出へと移行し、現在ヴィンテージハワイアンシャツ・ブランドとして珍重されるファッションマートも同社の商標登録ブランドだったのだ。
バイヤーの中にはサーファンドサンドやシャヒーンズ・オブ・ホノルルといったブランドを保有したアルフレッド・シャヒーンもいたという。
サンサーフはその伝統をベースに80年代初頭に生まれた同社のオリジナルブランドであり、80年代中期には早くもヴィンテージ・ハワイアンシャツの蘇生に取り組んでいる。
以後、資料として収集された膨大なコレクションの中から毎年いくつかのデザインが選ばれ発表されてきた。
そして、その陰では当時の柄を忠実に再現するために素材、染め、縫製、ディテールへの追求が着実に行われてきたのだ。
素材であればレーヨン平羽二重、フジエット、レーヨン壁縮緬などの生地がすべて別注で織られている。
染めも昔ながらの抜染やオーバープリントといった職人の手を必要とする手法が掘り起こされている。
また歴史を深く掘り下げ歴史的事実を検証するという姿勢も注目したい部分だ。
この妥協を許さない製品化への取り組みがあるからこそ、世界のコレクターからも評価されているといえる。
ケオニ・オブ・ハワイのジョン・メイグスがその復活に同社を選んだのもサンサーフの確かさを手にしたからなのだ。
毎年、待ち望んだ新作が発表される時期が来ると一国も早く袖に手を通したいという気持ちはマニアだけの願望ではないだろう。
”SUNSURF SPECIAL T-SHIRT”
サンサーフスペシャルエディションで使用する実名ネームタグから17ブランドをピックアップして多色プリントで施した豪華なアイテムTee。

ハワイアン・アンティーク「マウナケア・ギャラリー」

ハワイ島第2の都市であるヒロは、いまも日系人が多く住む情緒ある街だ。
最近、映画ホノカアボーイの舞台となった日系移民の小さな町ホノカアも近い。
日本の乾物まで売っているようなノスタルジックなダウンタウンだが、その一角に実はマニアックなギャラリーがあるのでハワイ島を訪れたら是非とも覗いてみることをオススメする。
「マウナケア・ギャラリー」はハワイを始め、ポリネシア一帯の文化的産物を展示・即売する知られざるスポット。
商品はすべて年代物ばかりで、フラドール、ウクレレ、絵画、彫像、アクセサリーなどの装飾品だけでなく、資料的価値の高い過去の印刷物(メニューや各種パンフレット)や書籍も豊富。
数は少ないがヴィンテージ・アロハ、ハワイアンシャツ、ティキもある。
オーナーのマーク・ブラックバーン氏は、アメリカ本土で事業を成功させた実業家で個人的にポリネシア文化に傾倒しコレクションを重ねるうちにギャラリーまで作ってしまったという熱中人。
日本においても発売されたハワイアン・アンティークの写真集「ハワイアナ」の作者でもある。
ヒロにある豪邸には,40〜,60年代のプリント生地やアロハシャツがうなるほど残っている。服に加工されることなく反物として保存された生地は、いまや黄金期を伝える貴重品である。

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「カハラ」遍歴と遺産

カハラ社は1936年にナサニエル.ブランフリートにより創業され"デューク・カハナモク"ブランドなどを抱えていたが1974年に倒産。
その後1986年に元オーナーの一人、デイル・ホープにより権利が買い取られカハラの名が復活するに至った。
現在であは生産量、1日600舞、年間200種類ものデザインが生み出されるハワイ3大メーカーのひとつとなっている。
日本とは事情が異なり、米国であh企業の経営権が不頻繁に売買され、オーナーが変わることや1度消滅したメーカーが再生することも多い。
それゆえカメハメハのように老舗メーカーといえども現在は製品の内容がまったく違うこともあるのは知っておくべき。
カハラ社の過去の資料のなかには、50年代のシャヒーンに所属する日系人デザイナー、ボブ・サトウの貴重な原画がある。
魚や貝、イソギンチャクが整然と並ぶユニークな絵柄は当時、大人気を博しワット・ムルスほか多くのメーカーが過去にそのデザインを販売したものであるので復刻が望まれる。
アロハシャツ大事典 歴史とディティールを見てみる