瓦解 

2008年03月16日(日) 23時44分
リアルな夢を見る。

あまりにリアルなので、現実ではないかと朝起きて妻に確認する。

そういうことはたまにある。大抵は悪い夢。

そのことを誰かに話すと、精神を病んでるのではと疑いの目で見られる。

未解決事件の犯人になっていたりもする。

心配してくれてありがとう。

どうやら俺の周囲には、精神が頗る健康な人間が多すぎる。

してやったりだよ。

「やっぱり病院に行ってみます」と言ってみよう。

行かないけど。

4月の滑り台、色は世界 

2008年03月11日(火) 14時20分
4月から、娘が幼稚園に通い始める。

4月から、俺は新しい職場に転属になる。

生活が変わる。

3年間、夜間の仕事が多かったから昼間はほとんど家にいた。

4月からは、家には妻と息子の2人だけ。

娘は世界に一歩を踏み入れる。俺も同じ世界に帰る。

俺が世界を出たとき、世界は1mmも揺るがなかった。そして世界の外で、俺は世界のことをたくさん知ろうと思った。

だけど唯一知ったのは、如何に自分が世界のことを知らなかったか、ということだけ。

もうすぐ俺が世界に戻っても、やはり世界は1mmも動かないだろう。

しかし、家の中はそうではない。

世界の中にいて、そこに存在することは簡単ではない。

でも、なんとか折り合いをつけていかなくちゃ。

誰もいない真昼の公園で独り占めした滑り台も、もうすぐ世界の色に染まる。

二度とおとずれない時間。

娘は0歳から3歳になり、俺は、とりあえず年を3つとった。

均衡の再構築 

2008年03月09日(日) 14時33分
実際のところ、カネは欲しい。

使い切れないほどのカネを手に入れて、死ぬまで好きな場所で好きな人と好きなことをしていたいから。

本を読んで、音楽聴いて、ギターを弾いて、飛行機雲を追いかけて、夕方まで昼寝して。

でも俺、本当にそんなことを望んでいるのか...。

20代の頃はカネなんてまったく興味なかったのに、将来なんてどこか遠い外国の話のように思ってたのに。

みんなに褒めてもらったとしても、それで満たされるとも思えない。

意外と、いまのままがいちばんよかったりするのかもしれない、なんて最近は思う。

愛してくれる人に囲まれて、愛してくれる人を愛して。

かけがえのないものとかけがえのないときを共有して。

幸せってこういうことなのかな、なんて考えてしまうのはもう若くない証拠か。

だとしても、その中に俺が求める精緻な均衡はない。

もう若くはないが、この基底状態を脱することは可能だろうか。

いずれにしても、春は嫌いだよ。

人も自然も俄に美しさを増し、街中には死が溢れ出す。

全部、俺の知らないところで起こってくれればいいのに。

進化的縮小 

2008年03月08日(土) 0時33分
思うが、脳はもう少し胃腸のことを考えてあげるべきだ。

疲れるとブドウ糖を欲しがったりする。

徹夜明けには塩分が欲しいようだ。

病み上がりにはハンバーガーやらミートソーススパゲティを欲しがる。

けど、そんなわがままな脳の欲望の犠牲になるのはいつも消化器官だ。

ようやく病の床から抜け出せたばかりだというのに、いきなり肉ってのはひどい。

お前の気持ちもわかる。タンパク質、ビタミン、アミノ酸。きっと身体のことを考えてのことだろう。

でも肉はだめだ。

見ろ、全部吐き出しちまった。

とりあえず、こういうときは消化が良いものがいい。

そうだな、鴎外はどうだ。

わたしの核心 

2008年03月03日(月) 1時21分
常に、3つか4つは持ち歩いている。

最近になって使い分けが上手くなってきたが、ちょっと前までは、それが面倒だったり、馬鹿だったりしたために丁寧に使い分けたりはしていなかった。

結果、人生において、いくつかの大切なものを確実に失った。

適応するということを幼い頃から拒む傾向があったのは、いつも身軽でいたかったからか。

しかし、現実的に、適応するということが生きるということならば、やはり1つというわけにはいかないだろう。

考えてみれば我々の日常は、そこまでシンプルではない。

3歳の娘でさえ、もう2つは持っている。

そう思うと、それは意識的にというより、成長とともに本能的に装備されていくものなのかもしれない。

大切にしていた最初の1つは、そうしてだんだんと他のものと見分けがつかなくなってしまう。

でもいまさら不安になって見比べたところで、とっくに俺は適応することを選んでしまっているじゃないか。

1日の明け方に「弓」という映画(韓国/キム・ギドク監督)を観た。

時間が時間で、真剣に鑑賞したとは言えないが、奥が深くて、すばらしい作品だった。

極めて限定されたシンプルな世界、その中で人間は、はたして人間たり得るか、

2つ目を手に入れて、はじめて人間はヒトになるか・・・、

世界に新たな相が流れると、人間は理性を得るか...。

真ん中あたりは空っぽだ。

浄化する不純 

2008年02月26日(火) 23時51分
交差点、先頭で信号待ち。

脇のコンビニの駐車場から初心者マークをはりつけた軽がおずおずと俺の車の前に鼻先をのばしてくる。

ピンクのマフラーを巻いた女の子は、どうやら携帯をいじっている。

かわいいから許す。

まったく、好意というやつは・・・。

善良な顔はいつだって仮面。素面はとても人には見せられない顔をしている。

ピンクのマフラーに埋まった横顔も、申し分ない。

先を譲った俺のことを彼女は、いい人、くらいには思うだろうか。

などと考えている自分を恥じたり、蔑んだり。

勝手に入ればいい、信号が青に変わったってどうせすぐにはアクセルを踏まないからさ。あえて待ったりもしないがね。

すると同じ駐車場からもう一台の車が、俺と彼女の間に無遠慮に割り込んでくる。

学生らしき男。

その挙動は明らかに不自然。何がなんでも間に入ろうとする意思が伝わってくる。

信号が青に変わって、2台は俺より先に交差点を通過していった。

それからしばらく走ったところのカラオケに2台続けて右折していくのを後方から静かに見守る。

ああ、また一歩、俺は死に近づいた。

南瓜の思いがけぬ効能、とモザイク 

2008年02月23日(土) 23時10分
今夜は家で焼き肉をした。

近所に肉屋があって、うまい肉を安く売ってくれる。

二千円もあれば、カルビだけでお腹いっぱいになれる。

肉はうまかった。でもそれ以上に今日はなぜか野菜がうまかった。

かぼちゃがうまかった。

「あ、かぼちゃおいしいね」と妻が言った。

焼くのはいつも俺の役目だ。

何度もかぼちゃの焼き加減をたしかめては、意味もなくひっくり返してみたり。

今夜の食卓には、肉とかぼちゃと小さな幸せがあった。

ふと古い洋画が観たくなったが、なぜかイギー・ポップのライブDVDを観ている。

パンツを下ろしやがった。

規定する涙、あるいは悲鳴とか 

2008年02月22日(金) 17時17分
女の子が小さい男の子をいじめるのには理由がある。

男の子の中に、”じぶん”の存在を確かめられないからだ。

叩いて、叩いて、男の子が流した涙こそが、女の子にとっては、まさに”じぶん”。

だから叱らないでおこう。

幼いお前も、そうやって必死に存在しようとしているんだね。

でも大丈夫。

もう少し時間がたてば、きっと男の子もお前のことを規定してくれるよ。

我が初恋の結論 

2008年02月22日(金) 0時32分
100円ショップの店内で思わず息をのんでしまった。

客足の様子からして、たぶん土曜か日曜の午後。

初恋の、あの側頭部を硬質な何かでいきなり殴られたような衝撃がよみがえり、目の前に垂れた一瞬の闇が明けると、そこに立っていたのは一人の処女、たぶん小学生。

あらゆるものから隔てられていることによってのみ持続し、触れようとした瞬間、絶頂と消滅を同時に果たす美。

そんな美しさを秘めた少女に揺さぶられてしまった33歳、そういった趣味は持ち合わせていない。

そうか、遠い過去の初恋は、”恋”ではなく、一種の”反応”にすぎなかったらしい。
プロフィール
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  • アイコン画像 ニックネーム:萬芭
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ロックと文学を好み、妻と娘と息子と暮らすサラリーマン。
考えたこと、感じたこと、もしかしたら散文とか詩とかも、書くかもしれません。
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