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「助さん?」
新助が怪訝そうに呼んだ。
「どうしたんです?」
「なにがだ」
「浮かない顔ですね」
「そんなことはない」
助三郎は軽く流し、南瓜の煮つけを口に放り込んだ。
「でも助さん」
としかしお娟が、新助の後を受けて言った。
「為替が入ったからって、せっかくご隠居さまがお酒をつけてくださったのに、全然飲んでいないじゃありませんか」
「ああ、いや…」
咄嗟の言い訳が出てこずに言葉を濁す。ふと気づけば、揃って全員が助三郎を見ていた。
「助さん?」
「…いや」
観念、あるいは面倒さというか、どこか排他的な気分が押し寄せてきた。なにを言うのも億劫に思えた助三郎は、箸を置いて主を見る。
「ご隠居。申し訳ありませんが、少し外してもよろしいでしょうか」
「どこへ行く」
ご老公が応える前に格之進が言った。詰問のようなそれは、尋ねているのではなく、既に咎める口調だ。
「いや…ただ、少し…外の空気を吸いたいだけだ」
助三郎は曖昧に答えたが、実際、ただそれだけだった。
「助さん…!」
と格之進が、詠嘆的に首を振りながら名を呼んだ。実に不機嫌な顔をしている。手にしていた味噌汁の椀と箸を膳に戻して、彼は言った。
「食事の最中だぞ。勝手もいい加減にしないか」
助三郎は黙って格之進を睨(ね)め付けた。
格之進の物言いは大概にしてそうだが、勝手もいい加減にしないか、と言ったその言葉は、助三郎の耳に、威圧的なほど尤もらしく響いた。
彼は同じ声音で、尚、言った。
「それよりちゃんと食べないか…!ろくに箸を付けていないぞ」
むっとして言い返す。
「そんなことはない」
「ほう…?」
格之進が冷ややかな目を助三郎の膝先の膳へ向けた。
自分では気づいていなかった。だが、見ればなるほど、助三郎の膳は殆ど手付かずだった。ぐうの音も出ない。助三郎は押し黙って、格之進を睨んだ。
「あの、」
と新助が口を挟みかけたとき、ご老公が呼んだ。
「助さん」
「は、」
「少しな、庭で月でも眺めてきてはどうですかな」
そう言ってご老公が、やさしく目を細めた。
「ご隠居…!」
と、格之進が異議を唱えたときには、助三郎は既に、ご老公に軽く頭を下げて立ち上がっていた。
「そうさせていただきます」
「待たんか助さん!」
格之進の声を聞いたが、助三郎は応じずに廊下へ出ると、後ろ手で障子を閉めた。冴えた夜気が肺腑に満ちて、ほっと息を吐(つ)く。
「助さん!」
と障子の向こうで格之進の声が聞こえ、ご老公の諌める声が続いた。
「格さん」
それでも更に、格之進の声は追いかけてきた。
「湯上りの浴衣で、外は寒いぞ!」
いつの間にか、それは助三郎を案じる声に変わっていた。
しかしそれでも助三郎は引き返さなかった。足早に廊下を渡りながら、まるで逃げるようだと思う。そう思って、苦笑が浮かんだ。
別に、なんでもないのだ。
素足に旅籠の下駄を引っ掛けて庭へ出て、助三郎は独り嘯く。そうだ、別になんでもない。そう繰り返すが、それも虚しく、震えるほど、痛みを覚えるほどに、拳を固く握りしめていた。
いずれ直ぐにも、俺はこの地を発つ。ならば一体、なにが言える。なにをしてやれる。
今朝、その思いに、助三郎は心底、途方に暮れた。その思いつきはあまりに痛烈で、その時、背を預けたなまこ塀の冷たい感触が、骨まで沁みてくるようだった。
俺は無力だ。
念じて、空を仰ぐ。
剣では誰にも負けぬ。御三家・水戸藩に仕える歴とした侍でもある。だが、助三郎は無力であった。
いまは、外気の冷たさにこそ、むしろ救われる思いがする。
明るく屈託ない仲間たちは愚か、細い月影からも、逃れたいような心地がした。
早くも枯れた木立が、骨のような影となって空に聳えている。闇のなかで強く香る金木犀と、降るような鈴虫の声が、秋の深まりを告げていた。

風を祭る、
太陽の光に祭る。
風を祭る、
草と木の緑に祭る。
風を祭る、
蒼空の玻璃宮に祭る。
風を祭る、
新潮のとよみに祭る。
風を祭る、
川と州の魚鱗に祭る。
風を祭る、
菜園の斜面に祭る。
風を祭る、
海港のブイに祭る。
風を祭る、
浴泉のフラフに祭る。
風を祭る、
鉄鋼の腕に祭る。
風を祭る、
軽羅の女体に祭る。
風を祭る、
ありとある花に祭る。
『風を祭る』 ――北原白秋
「助さん?」
新助が怪訝そうに呼んだ。
「どうしたんです?」
「なにがだ」
「浮かない顔ですね」
「そんなことはない」
助三郎は軽く流し、南瓜の煮つけを口に放り込んだ。
「でも助さん」
としかしお娟が、新助の後を受けて言った。
「為替が入ったからって、せっかくご隠居さまがお酒をつけてくださったのに、全然飲んでいないじゃありませんか」
「ああ、いや…」
咄嗟の言い訳が出てこずに言葉を濁す。ふと気づけば、揃って全員が助三郎を見ていた。
「助さん?」
「…いや」
観念、あるいは面倒さというか、どこか排他的な気分が押し寄せてきた。なにを言うのも億劫に思えた助三郎は、箸を置いて主を見る。
「ご隠居。申し訳ありませんが、少し外してもよろしいでしょうか」
「どこへ行く」
ご老公が応える前に格之進が言った。詰問のようなそれは、尋ねているのではなく、既に咎める口調だ。
「いや…ただ、少し…外の空気を吸いたいだけだ」
助三郎は曖昧に答えたが、実際、ただそれだけだった。
「助さん…!」
と格之進が、詠嘆的に首を振りながら名を呼んだ。実に不機嫌な顔をしている。手にしていた味噌汁の椀と箸を膳に戻して、彼は言った。
「食事の最中だぞ。勝手もいい加減にしないか」
助三郎は黙って格之進を睨(ね)め付けた。
格之進の物言いは大概にしてそうだが、勝手もいい加減にしないか、と言ったその言葉は、助三郎の耳に、威圧的なほど尤もらしく響いた。
彼は同じ声音で、尚、言った。
「それよりちゃんと食べないか…!ろくに箸を付けていないぞ」
むっとして言い返す。
「そんなことはない」
「ほう…?」
格之進が冷ややかな目を助三郎の膝先の膳へ向けた。
自分では気づいていなかった。だが、見ればなるほど、助三郎の膳は殆ど手付かずだった。ぐうの音も出ない。助三郎は押し黙って、格之進を睨んだ。
「あの、」
と新助が口を挟みかけたとき、ご老公が呼んだ。
「助さん」
「は、」
「少しな、庭で月でも眺めてきてはどうですかな」
そう言ってご老公が、やさしく目を細めた。
「ご隠居…!」
と、格之進が異議を唱えたときには、助三郎は既に、ご老公に軽く頭を下げて立ち上がっていた。
「そうさせていただきます」
「待たんか助さん!」
格之進の声を聞いたが、助三郎は応じずに廊下へ出ると、後ろ手で障子を閉めた。冴えた夜気が肺腑に満ちて、ほっと息を吐(つ)く。
「助さん!」
と障子の向こうで格之進の声が聞こえ、ご老公の諌める声が続いた。
「格さん」
それでも更に、格之進の声は追いかけてきた。
「湯上りの浴衣で、外は寒いぞ!」
いつの間にか、それは助三郎を案じる声に変わっていた。
しかしそれでも助三郎は引き返さなかった。足早に廊下を渡りながら、まるで逃げるようだと思う。そう思って、苦笑が浮かんだ。
別に、なんでもないのだ。
素足に旅籠の下駄を引っ掛けて庭へ出て、助三郎は独り嘯く。そうだ、別になんでもない。そう繰り返すが、それも虚しく、震えるほど、痛みを覚えるほどに、拳を固く握りしめていた。
いずれ直ぐにも、俺はこの地を発つ。ならば一体、なにが言える。なにをしてやれる。
今朝、その思いに、助三郎は心底、途方に暮れた。その思いつきはあまりに痛烈で、その時、背を預けたなまこ塀の冷たい感触が、骨まで沁みてくるようだった。
俺は無力だ。
念じて、空を仰ぐ。
剣では誰にも負けぬ。御三家・水戸藩に仕える歴とした侍でもある。だが、助三郎は無力であった。
いまは、外気の冷たさにこそ、むしろ救われる思いがする。
明るく屈託ない仲間たちは愚か、細い月影からも、逃れたいような心地がした。
早くも枯れた木立が、骨のような影となって空に聳えている。闇のなかで強く香る金木犀と、降るような鈴虫の声が、秋の深まりを告げていた。

風を祭る、
太陽の光に祭る。
風を祭る、
草と木の緑に祭る。
風を祭る、
蒼空の玻璃宮に祭る。
風を祭る、
新潮のとよみに祭る。
風を祭る、
川と州の魚鱗に祭る。
風を祭る、
菜園の斜面に祭る。
風を祭る、
海港のブイに祭る。
風を祭る、
浴泉のフラフに祭る。
風を祭る、
鉄鋼の腕に祭る。
風を祭る、
軽羅の女体に祭る。
風を祭る、
ありとある花に祭る。
『風を祭る』 ――北原白秋
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