From the 12nd episode "京娘が秘めた謎!" of the 33rd part,
以下は劇中のワン・シーンを切り取って、桐花の勝手な解釈で小説っぽく書いたもの。
登場人物、脚本は桐花には帰属しません。
萩の港は、港というにはあまりに淋しい。
助三郎はつかず離れずの位置で、船や人びとを見渡す小夜を見守っていた。着いた船が去り、人が疎らになっても、彼女は動かなかった。
さらに四半刻ほど待って、助三郎は小夜に近づいた。
「来なかったんだな」
彼女ではなく、波のうえを滑るように飛ぶかもめを見て、声を掛けた。
「大事な人、来なかったか」
うなだれている小夜は助三郎を見ることなく、波打ち際へ歩いていった。
助三郎はただ、その小さな後ろ姿を目で追う。
「助さん」
と、小夜がこちらを見た。ひとつに束ねただけの髪が細い肩で揺れている。
ん?と反問しながら、助三郎は彼女の傍へ歩み寄っていった。
「神さまって、いはるんやろか」
小夜はそう尋ねながら助三郎を仰ぎ見た。ふっくらとした、まだあどけない頬が切ない。
ああ、と自信を持って、助三郎は即答した。
「いるさ」
小夜はすうっと微笑した。それは波打ち際にさわさわと消えていく泡のような、弱々しい、どこか羨ましそうな眼差しだった。
胸を突かれた。
小夜の微笑みは、旅の合間に助三郎がよく見る種類の微笑だった。虐げられてきた者の、さんざんな目に遭って辿り着いた安らかさ。ある種、諦めのような色が、そこにはある。とても儚い、悲しい微笑だ。
まだ女ではなく、かと云ってもう少女ではない彼女が不憫だった。何不自由なく幸せに暮らす武家の娘や大店の娘もいれば、小夜のような娘もいる。人の一生に、何故そのような差が生じるのだろう。
その頼りなげな微笑のまま、小夜は淡い角度に首をかしげて助三郎を見上げる。ひっそりとしたそれは野の花が風に揺れるような仕草だった。小夜は呟くように言った。
「うちも、いはると思いたい」
ひっきりなしに、かもめが鳴いている。悲しい声だ。
海へ視線を戻しながら小夜がさらに言う。
「でも、いはるなと思うと、すぐに消えてしまいはる。…今日もそうや」
助三郎は少し返答に困る。
こういうとき、やはりご老公はすごいなと助三郎は思うのだ。徳であり、その魂の美しさでもあり、また年の功でもあろうが、とにかくご老公ほど、悩める庶民の心に染みる実のある温かい助言をできる人はいないだろう。
「小夜さん」
と名前を呼んだが、喉元まで上がってきた安易な言葉を助三郎は呑み込んだ。
そもそも、神はいると答えたが、本当にそうだろうか、と彼はふと思う。視界を横切った真っ白な海鳥の行方を睨むように見て、助三郎はそれと知らず奥歯を噛んだ。
お前は本当に、そう思っているか。そう信じているのか。神はいる、と?
助三郎は自分に尋ねた。
ご老公の供をして諸国を漫遊し、彼は、人の世のありようを目の当たりにしてきた。そこで目にするのは、民百姓が、いや、あらゆる階層の、真面目な者、正直な者ばかりが割に合わない人生を送る、この世の常だ。
神も仏もいないのではないかと思うときがある。
ときどき、調子の悪いときには、そう思うことがある。救えず、死を見届けるためだけに出会ったのだとしたら悲しすぎると思うような別れの後などは特に。
神も仏もいないのではないか。もし本当にいるのなら、なぜ弱い者、正しい者を救っては下さらないのかと腹立たしくなる。
徳川の世は、本当に正しいのだろうかと思ってしまうことすら、ある。
自分の人生が、生き方が、本当にこれで正しいのだろうかと迷うのだ。
かと云って、助三郎にできることは限られていた。それでも、彼は彼の道を往くしかない。なんの努力もしないよりはいいだろう。幸運なことに助三郎は、ご老公と共に、人びとを救うことができる。全体に占めるどれほどの不正を正し、正しい人びとを救うことができているかは、わからない。それでも。
神はいるのだ。
でなければ、俺はあの方のお傍にはいなかっただろう。
助三郎は思った。格之進と一緒にご老公の供をするに至ったことは、助三郎が自身の人生の僥倖だと思えることの筆頭だ。
ご老公がいて、格之進がいる。
人の世は、人生は、不正と欺瞞、理不尽なことで満ちているが、多少なりとも、彼らにはその不正を正し、人びとを救うことができる。
そうだ。捨てたもんじゃないさ。
それをどう小夜に伝えたものかと助三郎が答えを探していると、
「助さん」
小夜が呼んだ。名を呼ぶ短い発声にも、京言葉独特の余韻がある。
「今日は、おおきに」
助三郎は思わず微笑した。健気だな、と思う。結局彼女は、助三郎の答えなど必要とはしていないのだ。
「帰ろうか?」
ともかく、助三郎は尋ねた。彼女の待っているのが誰なのか、彼女が口ごもるワケとはなんなのか、まったくわからないのでは力になりようもない。
「はい」
こっくり、と小夜はうなずいた。
守るようにして浜を歩き出しながら、助三郎は彼女を呼んだ。
「小夜さん」
「小夜でいいです」
尻上がりの京言葉がへんに甘い。
その言葉にただ微笑を返して、助三郎は立ち止まった。
「神さまはいる」
身体ごと小夜を見て、しっかりと断言した。ひとつしかない真実を告げるように、そのコツをすべて駆使して、助三郎は云った。
「いつだって、いるさ」
わずかな濁りすらない確信に満ちた響きで締めくくった。
じっ、と小夜は助三郎の目を見た。少なくとも気分は伝わったのだろう。彼女はややあってから、にっこりと強く、うなずいた。
「はい」
助三郎がいやな気配に気づいのはそのときだ。周囲を見回す。それがなにか、すぐにわかった。松の木立の向こうに捕り物姿の役人たちが現われたのだ。
「助さん…?」
助三郎の視線を追いかけた小夜が役人を見つけた。反射的に、彼女は助三郎に身を寄せてきた。
「助さん」
「落ち着いて」
助三郎がささやくように云い終えたときには、二人はばらばらと周りを囲まれた。
戦って切り抜けられない数ではない。しかし助三郎は抵抗しない方を選んだ。ここで争うのは得策ではない。
「二人に聞きたいことがある。大人しく従ってもらいたい」
見覚えのある男が言った。先日、左衛門宅へやってきた奉行所の役人、石山与兵衛の部下だ。
心細げに見つめる小夜に、助三郎はごく冷静にうなずいて見せた。
以下は劇中のワン・シーンを切り取って、桐花の勝手な解釈で小説っぽく書いたもの。
登場人物、脚本は桐花には帰属しません。
萩の港は、港というにはあまりに淋しい。
助三郎はつかず離れずの位置で、船や人びとを見渡す小夜を見守っていた。着いた船が去り、人が疎らになっても、彼女は動かなかった。
さらに四半刻ほど待って、助三郎は小夜に近づいた。
「来なかったんだな」
彼女ではなく、波のうえを滑るように飛ぶかもめを見て、声を掛けた。
「大事な人、来なかったか」
うなだれている小夜は助三郎を見ることなく、波打ち際へ歩いていった。
助三郎はただ、その小さな後ろ姿を目で追う。
「助さん」
と、小夜がこちらを見た。ひとつに束ねただけの髪が細い肩で揺れている。
ん?と反問しながら、助三郎は彼女の傍へ歩み寄っていった。
「神さまって、いはるんやろか」
小夜はそう尋ねながら助三郎を仰ぎ見た。ふっくらとした、まだあどけない頬が切ない。
ああ、と自信を持って、助三郎は即答した。
「いるさ」
小夜はすうっと微笑した。それは波打ち際にさわさわと消えていく泡のような、弱々しい、どこか羨ましそうな眼差しだった。
胸を突かれた。
小夜の微笑みは、旅の合間に助三郎がよく見る種類の微笑だった。虐げられてきた者の、さんざんな目に遭って辿り着いた安らかさ。ある種、諦めのような色が、そこにはある。とても儚い、悲しい微笑だ。
まだ女ではなく、かと云ってもう少女ではない彼女が不憫だった。何不自由なく幸せに暮らす武家の娘や大店の娘もいれば、小夜のような娘もいる。人の一生に、何故そのような差が生じるのだろう。
その頼りなげな微笑のまま、小夜は淡い角度に首をかしげて助三郎を見上げる。ひっそりとしたそれは野の花が風に揺れるような仕草だった。小夜は呟くように言った。
「うちも、いはると思いたい」
ひっきりなしに、かもめが鳴いている。悲しい声だ。
海へ視線を戻しながら小夜がさらに言う。
「でも、いはるなと思うと、すぐに消えてしまいはる。…今日もそうや」
助三郎は少し返答に困る。
こういうとき、やはりご老公はすごいなと助三郎は思うのだ。徳であり、その魂の美しさでもあり、また年の功でもあろうが、とにかくご老公ほど、悩める庶民の心に染みる実のある温かい助言をできる人はいないだろう。
「小夜さん」
と名前を呼んだが、喉元まで上がってきた安易な言葉を助三郎は呑み込んだ。
そもそも、神はいると答えたが、本当にそうだろうか、と彼はふと思う。視界を横切った真っ白な海鳥の行方を睨むように見て、助三郎はそれと知らず奥歯を噛んだ。
お前は本当に、そう思っているか。そう信じているのか。神はいる、と?
助三郎は自分に尋ねた。
ご老公の供をして諸国を漫遊し、彼は、人の世のありようを目の当たりにしてきた。そこで目にするのは、民百姓が、いや、あらゆる階層の、真面目な者、正直な者ばかりが割に合わない人生を送る、この世の常だ。
神も仏もいないのではないかと思うときがある。
ときどき、調子の悪いときには、そう思うことがある。救えず、死を見届けるためだけに出会ったのだとしたら悲しすぎると思うような別れの後などは特に。
神も仏もいないのではないか。もし本当にいるのなら、なぜ弱い者、正しい者を救っては下さらないのかと腹立たしくなる。
徳川の世は、本当に正しいのだろうかと思ってしまうことすら、ある。
自分の人生が、生き方が、本当にこれで正しいのだろうかと迷うのだ。
かと云って、助三郎にできることは限られていた。それでも、彼は彼の道を往くしかない。なんの努力もしないよりはいいだろう。幸運なことに助三郎は、ご老公と共に、人びとを救うことができる。全体に占めるどれほどの不正を正し、正しい人びとを救うことができているかは、わからない。それでも。
神はいるのだ。
でなければ、俺はあの方のお傍にはいなかっただろう。
助三郎は思った。格之進と一緒にご老公の供をするに至ったことは、助三郎が自身の人生の僥倖だと思えることの筆頭だ。
ご老公がいて、格之進がいる。
人の世は、人生は、不正と欺瞞、理不尽なことで満ちているが、多少なりとも、彼らにはその不正を正し、人びとを救うことができる。
そうだ。捨てたもんじゃないさ。
それをどう小夜に伝えたものかと助三郎が答えを探していると、
「助さん」
小夜が呼んだ。名を呼ぶ短い発声にも、京言葉独特の余韻がある。
「今日は、おおきに」
助三郎は思わず微笑した。健気だな、と思う。結局彼女は、助三郎の答えなど必要とはしていないのだ。
「帰ろうか?」
ともかく、助三郎は尋ねた。彼女の待っているのが誰なのか、彼女が口ごもるワケとはなんなのか、まったくわからないのでは力になりようもない。
「はい」
こっくり、と小夜はうなずいた。
守るようにして浜を歩き出しながら、助三郎は彼女を呼んだ。
「小夜さん」
「小夜でいいです」
尻上がりの京言葉がへんに甘い。
その言葉にただ微笑を返して、助三郎は立ち止まった。
「神さまはいる」
身体ごと小夜を見て、しっかりと断言した。ひとつしかない真実を告げるように、そのコツをすべて駆使して、助三郎は云った。
「いつだって、いるさ」
わずかな濁りすらない確信に満ちた響きで締めくくった。
じっ、と小夜は助三郎の目を見た。少なくとも気分は伝わったのだろう。彼女はややあってから、にっこりと強く、うなずいた。
「はい」
助三郎がいやな気配に気づいのはそのときだ。周囲を見回す。それがなにか、すぐにわかった。松の木立の向こうに捕り物姿の役人たちが現われたのだ。
「助さん…?」
助三郎の視線を追いかけた小夜が役人を見つけた。反射的に、彼女は助三郎に身を寄せてきた。
「助さん」
「落ち着いて」
助三郎がささやくように云い終えたときには、二人はばらばらと周りを囲まれた。
戦って切り抜けられない数ではない。しかし助三郎は抵抗しない方を選んだ。ここで争うのは得策ではない。
「二人に聞きたいことがある。大人しく従ってもらいたい」
見覚えのある男が言った。先日、左衛門宅へやってきた奉行所の役人、石山与兵衛の部下だ。
心細げに見つめる小夜に、助三郎はごく冷静にうなずいて見せた。
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