Takes place in the 18th episode "駆け落ち妻の目に涙" of the
38th part.
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助三郎が部屋へ戻ると、振り分け行李や笠など彼らの荷物を前に正座をした格之進が、手のひらにのせた印籠を見つめていた。
「格さん?」
はっと助三郎を振り仰いだ格之進は、決まりの悪そうな顔をした。
「まじまじと印籠など見つめて、どうかしたのか」
後ろ手で障子を閉めながら、助三郎はごく気軽に尋ねた。
「いや別に」
ぶっきらぼうな口調に、助三郎は思わず笑い声を洩す。
「なにが「別に、」だ。そんなものを取り出してしげしげと眺めていたくせに」
「そんなものとはなんだ…!」
格之進が声を荒げた。
格之進を相手にこれは、自分でも失言だったと思う。それでも、助三郎は軽い口調で言った。
「そうムキになるなよ、格さん」
「そうはいくか。いくらなんでも、そんなものとはけしからん云い…」
「わかったわかった、悪かったよ」
忌々しげにこちらを睨んで始まった格之進の小言を、助三郎は意識して神妙な表情を浮べながら遮った。説教は懲り懲りだから、隙を与えず話を元に戻す。
「それで?一体どうしたんだ。印籠がどうかしたのか」
いかにも不承不承、助三郎の謝罪に納得した格之進は、大きな溜め息をひとつ洩らしてから、助三郎の問いに答えた。
「葵の御紋の持つ意味について、考えていたんだ」
「葵の御紋の持つ意味?」
舌を噛みそうに鯱張った言葉を鸚鵡返しに言いながら、内心、助三郎は首を傾げる。なにを唐突な?
「昼間、儀兵衛さんが、将軍家拝領の棗(なつめ)のことを話しただろう。葵の御紋入りの」
と、格之進。
「ああ…」
そう言えば、そうだった。
彼らは今、駿府一の茶問屋、柿島屋に世話になっている。その主、儀兵衛から将軍家拝領の棗があると聞き、ぜひ拝見したいと言ったご老公に、儀兵衛は恭しく言ったものだった。
曰く、棗には勿体なくも葵の御紋が刻まれているので、無闇に人目に晒すわけにはいかない。棗は仏間に飾って店の者と拝んだ後、蔵に大切に納めてあり、これを拝むことができるのは一代につき一度限りと既に遺言にしたためている。
それはまた念の入ったことですな、とご老公が苦笑を見せたように、助三郎もそのあまりの仰々しさを、どこか滑稽に思ったものだ。
格之進が、言った。
「俺は、襟を正されるような思いがした」
「襟を正される?儀兵衛さんにか」
首を傾げた助三郎に、格之進はああとうなずいた。
「あの大仰さを少々滑稽に感じるのは俺たちの立場ゆえであって、世の人びとならば、それが当然と思うのだろう。俺は儀兵衛さんの話を聞いて、葵の御紋の持つ意味を再認識したんだ。人びとにとって、いかに有難く、同時に恐れ多いものなのかということをだ」
それは、助三郎にもわかる。わかるが――。助三郎は、精悍に整った格之進の顔を見つめた。強い光を宿した黒い瞳、理知的な額、少し唇を尖らせた表情。
助三郎が黙っていると、格之進は更に言った。
「そして、それを常に身に帯びていることの責任を痛感したんだ。俺も気を引き締めてお役目に励まねばならんと思った」
自身の手のひらの、その葵の御紋を刻んだ印籠に視線を落として、格之進は強い口調でそう言い切った。
彼の実直さ、生真面目さを再認識する思いで、助三郎は格之進の横顔を見る。まったくな、と思う。
「格さんらしいが、」
と助三郎は笑顔を見せた。
「これまでだって充分すぎるくらい気を引き締めて、立派にお役に励んでいるではないか」
「それはそうだな」
と、格之進が顔を上げて助三郎を見た。
「気を引き締めねばならんのは助さんの方だ」
しまった、と助三郎は思う。
「また新助と飲みに行くつもりなのだろう」
「いや、俺は別に、」
と言ったが、膝を進めて体ごと助三郎を見た格之進に遮られた。
「甲府でも、いそいそ飲みに出かけたではないか。いずれきちんと云わねばと思っていたのだ」
「格さん、勘弁してくれよ」
情けなくなりながら助三郎は思わず嘆願した。しかし、悲しいかな、こうした説教をはじめた格之進は自分の手に負えるものではないとも知っている。
事実、すっかり勢いづいた格之進は眉根を寄せて言うのだった。
「いや、今日という今日は云わせてもらうぞ。まったく助さんは、俺たちのお役目を一体なんだと心得ているんだ」
藪蛇だった、と後悔しても始まらない。
「なにって、そりゃ、」
と、助三郎は答えようとしたが、またしても格之進の言葉に遮られた。
「物見遊山の大店の隠居のお供ではないのだ!いかにお忍びとは云え、御三家、三十五万石の大藩、水戸の先の藩主であり、先の副将軍であられた水戸光圀さまの護衛なんだぞ」
「格さん、こんな処で声が大きいぞ」
「話を逸らすな」
「いや、そんなつもりはな…」
「助さんのように浮ついていては間違いの元だ」
「格さん…」
「もう少し自重すべきだと思わんのか、助さん。だいたい助さんは…」
格之進の小言を聞きながら、とほほ…と肩を落とし、彼の手にある印籠に神々しく描かれた葵の御紋を恨めしく睨む助三郎だった。

38th part.
I own no rights to "水戸黄門", no copyright infringement is intended.
助三郎が部屋へ戻ると、振り分け行李や笠など彼らの荷物を前に正座をした格之進が、手のひらにのせた印籠を見つめていた。
「格さん?」
はっと助三郎を振り仰いだ格之進は、決まりの悪そうな顔をした。
「まじまじと印籠など見つめて、どうかしたのか」
後ろ手で障子を閉めながら、助三郎はごく気軽に尋ねた。
「いや別に」
ぶっきらぼうな口調に、助三郎は思わず笑い声を洩す。
「なにが「別に、」だ。そんなものを取り出してしげしげと眺めていたくせに」
「そんなものとはなんだ…!」
格之進が声を荒げた。
格之進を相手にこれは、自分でも失言だったと思う。それでも、助三郎は軽い口調で言った。
「そうムキになるなよ、格さん」
「そうはいくか。いくらなんでも、そんなものとはけしからん云い…」
「わかったわかった、悪かったよ」
忌々しげにこちらを睨んで始まった格之進の小言を、助三郎は意識して神妙な表情を浮べながら遮った。説教は懲り懲りだから、隙を与えず話を元に戻す。
「それで?一体どうしたんだ。印籠がどうかしたのか」
いかにも不承不承、助三郎の謝罪に納得した格之進は、大きな溜め息をひとつ洩らしてから、助三郎の問いに答えた。
「葵の御紋の持つ意味について、考えていたんだ」
「葵の御紋の持つ意味?」
舌を噛みそうに鯱張った言葉を鸚鵡返しに言いながら、内心、助三郎は首を傾げる。なにを唐突な?
「昼間、儀兵衛さんが、将軍家拝領の棗(なつめ)のことを話しただろう。葵の御紋入りの」
と、格之進。
「ああ…」
そう言えば、そうだった。
彼らは今、駿府一の茶問屋、柿島屋に世話になっている。その主、儀兵衛から将軍家拝領の棗があると聞き、ぜひ拝見したいと言ったご老公に、儀兵衛は恭しく言ったものだった。
曰く、棗には勿体なくも葵の御紋が刻まれているので、無闇に人目に晒すわけにはいかない。棗は仏間に飾って店の者と拝んだ後、蔵に大切に納めてあり、これを拝むことができるのは一代につき一度限りと既に遺言にしたためている。
それはまた念の入ったことですな、とご老公が苦笑を見せたように、助三郎もそのあまりの仰々しさを、どこか滑稽に思ったものだ。
格之進が、言った。
「俺は、襟を正されるような思いがした」
「襟を正される?儀兵衛さんにか」
首を傾げた助三郎に、格之進はああとうなずいた。
「あの大仰さを少々滑稽に感じるのは俺たちの立場ゆえであって、世の人びとならば、それが当然と思うのだろう。俺は儀兵衛さんの話を聞いて、葵の御紋の持つ意味を再認識したんだ。人びとにとって、いかに有難く、同時に恐れ多いものなのかということをだ」
それは、助三郎にもわかる。わかるが――。助三郎は、精悍に整った格之進の顔を見つめた。強い光を宿した黒い瞳、理知的な額、少し唇を尖らせた表情。
助三郎が黙っていると、格之進は更に言った。
「そして、それを常に身に帯びていることの責任を痛感したんだ。俺も気を引き締めてお役目に励まねばならんと思った」
自身の手のひらの、その葵の御紋を刻んだ印籠に視線を落として、格之進は強い口調でそう言い切った。
彼の実直さ、生真面目さを再認識する思いで、助三郎は格之進の横顔を見る。まったくな、と思う。
「格さんらしいが、」
と助三郎は笑顔を見せた。
「これまでだって充分すぎるくらい気を引き締めて、立派にお役に励んでいるではないか」
「それはそうだな」
と、格之進が顔を上げて助三郎を見た。
「気を引き締めねばならんのは助さんの方だ」
しまった、と助三郎は思う。
「また新助と飲みに行くつもりなのだろう」
「いや、俺は別に、」
と言ったが、膝を進めて体ごと助三郎を見た格之進に遮られた。
「甲府でも、いそいそ飲みに出かけたではないか。いずれきちんと云わねばと思っていたのだ」
「格さん、勘弁してくれよ」
情けなくなりながら助三郎は思わず嘆願した。しかし、悲しいかな、こうした説教をはじめた格之進は自分の手に負えるものではないとも知っている。
事実、すっかり勢いづいた格之進は眉根を寄せて言うのだった。
「いや、今日という今日は云わせてもらうぞ。まったく助さんは、俺たちのお役目を一体なんだと心得ているんだ」
藪蛇だった、と後悔しても始まらない。
「なにって、そりゃ、」
と、助三郎は答えようとしたが、またしても格之進の言葉に遮られた。
「物見遊山の大店の隠居のお供ではないのだ!いかにお忍びとは云え、御三家、三十五万石の大藩、水戸の先の藩主であり、先の副将軍であられた水戸光圀さまの護衛なんだぞ」
「格さん、こんな処で声が大きいぞ」
「話を逸らすな」
「いや、そんなつもりはな…」
「助さんのように浮ついていては間違いの元だ」
「格さん…」
「もう少し自重すべきだと思わんのか、助さん。だいたい助さんは…」
格之進の小言を聞きながら、とほほ…と肩を落とし、彼の手にある印籠に神々しく描かれた葵の御紋を恨めしく睨む助三郎だった。

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