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桜が散る。
はらはらと、桜が散る。薄紅いの花びらに目隠しをされるようだ。
「美しいな」
気さくな、呑気とすら思える声が耳朶を打って振り向くと、舞い散らう花吹雪のなかに、穏やかな表情の助三郎が立っていた。その近づく気配に全く気づかなかった自分に、格之進は苦笑する。
「ずいぶん長いことぼーっと花など眺めて、」
気楽な口調で言いながら助三郎が隣に並んだ。盛大に花びらを散らしている巨大な古木を、目を細めて見上げる。
「なにか考え事か?」
「いや別に」
格之進は短く言った。言ってから、自分の口調があまりにぶっきらぼうなことに気づく。
助三郎はほんの一瞬、視線を流して格之進を見たが、なにも言わなかった。
桜が散る。
どちらを向いても、視界を横切るのは淡く、限りなく白に近い薄紅いの花弁だ。あるかなきかの風に、しかし花は止むことなく、はらはらと散る。朝靄はまだ、遥かになだらかな頂をぼんやりと隠していた。
「桜が、」
と格之進は言っていた。言うつもりなど、なかったのに。
「桜があんまり散るから、思い出していた」
助三郎がこちらを見たのがわかったので、格之進も彼を見た。目が合った。
なにを、と助三郎は訊かない。
「そうか」
とだけ言って細められた眼がただ、誠実で親身だった。
たおやかな朝の光が射し込んでくる。
桜が散る。
あの日も狂ったように桜が散っていた、と格之進は思う。
降りしきる花びらのなかで、涙の止まらなかった春があった。喪失感と後悔、敗北感に駆られたあの春。あの日の慙愧が、慟哭がよみがえる。
あの桜花のように、一気に散ってしまいたかった。武士らしく潔くありたかったが、それも叶わなかった。それすらも。
格之進の嘆きは花びらと寄り添うように草履の足先に落ちていく。
救えなかった命があった。救えたはずの命だった。武士として命がけで守るべき者を、守り切れなかった。あの激しく、美しく、そして残酷だった春。
俺は無力だった。
花びらと共に虚空をさ迷い、その思いも涙もやはり、花びらと同じようにはらりと舞い落ちた。呟くたびに掃き溜めがわりの足元に積まれてゆくものを、格之進はやり切れない思いで見下ろす。
覚えている。なにもかも。
桜の花が一気に咲き、あっと言う間に散るまでの間に、めくるめく速さで起こった一連の出来事。春の嵐のようだった。流された涙も血も、怒りも、糾弾も。ご老公のお言葉。格之進の手首を掴んだ助三郎の手の熱、痛みを覚えたほどの、その強い力も。そして、すべてを降りこめるように、桜が散っていた。久遠のように。
圧倒的な勢いで、すべてが押し寄せる。その激しさに格之進は気が遠くなりかけた。
ああ――
そのとき鳶が鳴いて、そののどかに、しかし長く響く声が格之進の意識を引き戻した。はっと我に返った。
見ると隣にはまだ助三郎が立っていた。静かな表情で格之進を見ていた。いや、見守って、いた。目が合うと、助三郎はふっと微笑んだ。細められた眼差しが優しい。
どれほどの時間が過ぎたのか、格之進は定かではない。
しかしすでに朝靄は掃き清められ、くっきりとした山の線に明るい陽が射している。格之進はかなり長いこと、己の思考に埋没していたはずだった。助三郎はその間、立ち去りもせず、なにを言うでも訊くでもなく、ただ隣に佇んでいたのだ。ただ、寄り添うように。
「…助さん」
と、彼を見つめた。
助三郎は格之進の隣に立っている。あまりにも、さりげなく。気づかなくても構わないほど、さりげなく。黙って格之進に付き合ってくれていた。
山越えの風が吹き降りてきて、ざあっと舞い上げられた桜吹雪の向こうに、霞んでしまいそうな微笑みが揺れる。舞い散る桜のなかに佇む助三郎は美しかった。藍の着物が花霞に浮き上がるようだ。
「なぁ格さん」
と、彼は格之進を呼んだ。
「うん」
と頷いた声が、自分で驚くほど子供じみていた。
「侍は桜の散るさまを…その潔さを褒めたたえ、愛するが……かくありたいと願うが、」
その散り急ぐ桜を見上げながら、助三郎が言った。
「花は散っても、翌年もまた咲く。繰り返し、繰り返し、蕾をつけて花開く」
「助さん」
呼ぶと、助三郎は首を回して格之進を見た。ひどく優しい顔をしていた。眼差しが慈愛と尊敬に満ちている。彼は言った。
「俺は、散り急ぐ様よりもむしろ、その強さをこそ潔いと、尊いと思う」
そうした格之進の強さをこそ潔く尊いと思う、と助三郎は言っているのだと格之進はわかった。
「…助さん」
と呼びながら自分が笑ったことに、格之進は後から気づいた。なにか光るものを心のうちに感じた。
「いい顔してるよ、格さん」
嬉しそうに、どこか弾んだ声で助三郎が言った。にっこりと、助三郎も笑った。
「希望の匂いがする」
桜は散るが、また繰り返し蕾を持ち、花開く。繰り返し、繰り返し。
人生とは、生きていくということはつまり、そういうことなのだ。あの春のように、これまでも、これからも、様々なことがあり、おそらく幾度も、辛く悲しいことも巡ってくる。その度にどん底まで落ち込んだとしても、踏ん張って持ち直すしかないのだ。負けたくなければ。
花が散っては咲くように。
「年々歳々花相似たり、と云うものな」
毎年、春は巡ってきて花は同じように咲く、というその故事を思い出して格之進は言った。
ああ、と助三郎が微笑んだ。そして、
「歳々年々人同じからずとは云うが、俺たちはどの年も、共に花を眺めてきたな」
「ああ、そうか…」
と、格之進は吐息と一緒に言っていた。穏やかに、しかし揺るぎない微笑で見つめている助三郎に、頷いた。
「そうだな」
その通りだった。
思えば傍らには、いつでも助三郎がいた。辛く苦しいときも、嬉しいときも。いついかなる時も、傍らには助三郎がいた。

年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず
仕事中、スタバでLaptopを広げて外を眺め、ああ、桜が散っているなぁ…と
しみじみ思っていたら、こんなのを書いていた。
数年ぶりの「桜の季節の日本」に、もう、感無量なのだ。
春、狂ったようにそこいら中に桜の咲き乱れるこの国の神秘!美しすぎる。
この国に生まれてよかった。一瞬一瞬にそう実感する。いや、マジで。
世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
こんなにも、桜は日本人の心を惑わす。
きっとDNAにインプットされたなにかが、あるに違いない。
「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」は、人の世の無常を詠んだもの。
毎年毎年、春は巡ってきて花は同じように咲くが、
人の世は年とともに変わり、その花を見る人は毎年毎年同じ人ではない。
或いは、人は出会っては別れていき、同じ顔ぶれは続かない。
―― とは云うものの、助格はいつも一緒。
と云う、これはただそれだけのFanfic. あ、あと、人生楽ありゃ苦もあるさ。
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