月下美人、あす咲き誇らん

June 17 [Wed], 2009, 1:28
俺が月下美人の花を初めて見たのは、いつだったろうか。

物心ついた時。おそらく5歳くらいだろうか。家の近所の大きなお屋敷の玄関に、一年に一度だけ、大きな花が飾られる。
自分の身の丈よりも大きなその花の株を、不思議な気持ちで見上げていた記憶がある。

空には満月の淡い光の輪が浮かび、その下でまさに可憐と言える花をつけているその植物の名前が、月下美人だと知ったのはそのずっとあとである。

『どうか、見てあげてください。一夜しか咲かない花です。』

その流麗な毛筆で書かれたメッセージと一緒に飾られる純白の大きな花びらからは、なんともいいようのない甘い芳香が漂っていた。

近所の人もその花の前に集まり、カメラのシャッターを押す。

「儚くて美しい花ですね」

そう口々に言う“儚い”という言葉の意味は分からなかったが、一夜しか咲かないという不思議な魅力に人々は惹きつられるのかもしれないと幼い自分も思ったのだった。
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俺が高校生になったころ、テレビ番組の影響で世界遺産に興味を覚えた。

それはアンコール・ワットというカンボジアにある寺院遺跡である。
これはカンボジアを代表する建築物で、クメール建築の最高傑作と言われている。

その話を知り合いのおじさんにしたところ、毎年夏にやっている高校生ボランティアワークキャンプというものがあると聞かされた。

しかし費用がバカ高いので、母に相談すると、自分のバイト代で行くならいいという返事をされたのだった。

俺は、どうしてもアンコール・ワットを諦められず、バイトを始めた。

しかし2か月経ってもとうてい目標の金額には届きそうにない。
もうすぐ夏休みが来てしまう。参加するなら6月中に申込みをしなければいけない。しかし、残りの夏休みで目標金額に達成するのか微妙だった。

念願のアンコール・ワットを諦めかけた時、父から意外な言葉をかけられた。
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「お前、ボランティアに行きたいんだって?」

「うん」

「で、バイト代は貯まったのか?」

「それが…、ちょっと今年は無理かもしんないね」

「そうか、じゃあ、お父さんのへそくり貸しといてやる」

「え?」

「その代わり絶対返せよ?お父さんがコツコツ貯めた金なんだから」

「マジで?いいの?」

「今回だけだよ」

「やった!!!」

そしてその夏休み、俺は計画した通りカンボジアワークキャンプに出掛けたのだった。

楽しみにしていたアンコール・ワット。
本当に綺麗で、絶景を見て涙が出てくるってのはこういうことなんだなと思った。

しかし、俺がそこで出会ったのは美しいものばかりじゃなかった。

約30年に及ぶ内戦。
戦争で親を亡くした子供たち。
大量虐殺の歴史。
狭い国土にばら撒かれた地雷。
今でもその傷跡に苦しんでいる人たち。
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思春期であった俺にとって、教科書に書かれたものではない歴史の重みは、想像以上に強い印象を残した。

そして、そんな小旅行で出会った一人の少女がいた。

少女は貧困から両親を亡くして、孤児院で暮らしていた。俺が彼女と出会ったのは、寺院の修復のボランティア活動でだった。

毎日ボランティアと混じり破壊された寺院の修復をしている彼女はこんがりと小麦色に日焼けし、白い歯をのぞかせて笑う仕草はとても可愛らしかった。

言葉の通じない俺たちは、地面に絵を書いたり、ジェスチャーなどをしてコミュニケーションを取った。

どうやら、彼女は俺と同じ15歳のようだった。

そんなある日の晩、俺はガイドの辰巳さんについて買い物に出掛けることになった。

その帰り際、ちょうど彼女の住む孤児院の前を通りかかると、2階部分の窓辺には、あの少女の姿があった。
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そして美しい満月の下に浮かんでいた彼女の瞳からは、大粒の涙が溢れていたのだ。
その姿はまるで、一夜限りしか咲かない儚い月下美人のようであると、その時俺は思った。

彼女の笑顔からは想像も出来ないほど、その時の彼女は大人びた憂いを放っていたのだ。


いよいよワークキャンプ最終日になった時、俺は彼女に下手くそな絵をプレゼントした。

それは、月の下に佇む少女の横顔。その下に、たくさんの月下美人の美しい花。

『来年、君にこの花をプレゼントするから』

そう伝えたつもりだが、伝わったのかはよく分からなかった。

そして、俺は、急いで自分の住所を書いて彼女に渡し、『手紙、書いてね』とジェスチャーをして、立ち去った。

しかし、彼女からの手紙は届くことはなかった。
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しかも焦っていたので、日本語で住所を書いてしまったことを思い出した。

(もしかしたら、そのせいで手紙が書けないのかも)

いつも前向きで活動的なことだけが取り柄な俺は、そう考えた。

だから、また来年もカンボジアに行くべく、バイトを続け、今度行った時はちゃんと話せるようにと、カンボジア語の勉強もしたのだ。

そして、いよいよ出発の日が近づき、月下美人を花屋で買い込んで来た。

月下美人は1メートル以上はある大きな花だ。
これをどうやって持っていくというのか、我ながら苦笑せざるをえなかった。

しかも、辰巳さんにメールで確認すると、植物の持ち込みは検疫があるため難しいだろうと言われてしまったのだ。

しょうがなくその年に一夜だけ開花した月下美人の写真を撮り、俺は意気揚々とカンボジアへ向かった。

そして辰巳さんから聞かされた事実をいまだ信じられない気持ちで聞いていた。
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「あの子はもう孤児院にはいないみたいだよ」

俺は辞書を片手に孤児院の子供たちに彼女の消息を聞いてまわった。

しかし、彼女の行き先を知っている者は誰一人としていなかったのだ。

日本に帰って来た俺は、正直言って落胆していた。

俺にとっては大切な出逢いで、だけど彼女にとってはそうじゃなかったんだと。

そして俺に残されたのは年に一度しか咲かない美しい月下美人だけだった。

せっかくの出逢いを無駄にしたくない。俺は近所で毎年月下美人を飾っているお婆さんに教わり大切に育てることにした。

そして4年という月日が経ち、あのお婆さんも亡くなって、毎年月下美人が飾られていたお屋敷も更地になり、その跡には数軒の一戸建てが建った。

俺は毎年月下美人が咲くと、あのお婆さんと同じように玄関先に飾った。

一年に一夜だけ咲く花に彼女の横顔を重ねて。

そしてその花にこう書いた貼り紙を添えて。

『一夜しか咲かない花です。どうぞ見てやってください。』
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そしてその下に、カンボジア語で月下美人の花言葉を添える。

『ただ一度だけ会いたくて』


今年も月下美人の花が咲く香りが部屋に立ち込める。

この花と出逢えるのは一年に一度だけ。明日の朝になればその花は萎んでしまう。

俺と彼女のたった一度の出逢いのように。


俺は貼り紙を添えてただその儚い姿を眺めていた。

「キレイな花ですね」

その時後ろから声が聞こえ振り返った。

それはいくらか色が白くなったいつかの少女の姿だった。

「日本語のたくさん勉強しました。今から学校でもっとたくさんします」

その手には擦り切れたあの日俺が渡した住所の紙が握られていた。

今目の前にある月下美人の花は、また明日も美しい花を咲かせてくれる。
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