草原の径 

September 14 [Tue], 2004, 3:17
草原にひとすじの径が続いている。
彼方の盛り土はかつての井戸であろうか。往時人々が草原の生命力を克服した証かもしれない。
推測違えども、なおこのように遺っていること。おおかたわらわらと訪れるこの地に縁なき異人の好奇心が草原からその体裁を護っているのであろう。

たたずみて憂愁の刻を感じ、ふりかえりては蛮習の現実を視る。後ろへ向かう途は連綿と母の子宮に繋がっているにちがいない。

人生朝露のごとく、苦悩艱難霞割を越えるに前途朧なるもなお羇旅恙なく。

海内(かいだい) 

August 03 [Tue], 2004, 1:51
昔、中国では国の四方が海で囲まれていると考えられていたため、国内、天下のことを海内といったそうです。(角川文庫・間違いことば500より)
元来「癒し」の要素で成り立っていた私の写真が、「寂しさ」「哀しさ」を内包するにいたったのは生活環境の変化もさることながら、その概念が外延を通じて事物を探るようになったからなのかもしれないと気づきました。
最近の作品にどのように意味合いを与えるのか。難しい問題が解決しそうな手がかりがいくつかあります。。
単純に私は時間を遡って幼子の眼で世間を見ていたのです。
すべてがそうだとは言い切れませんが、この写真などはまことそうでなければシャッターを押した理由がありませんから。

写真の題名について 

December 16 [Tue], 2003, 1:40
「猫町」のキャプションボードに〈写真をいいわけにして旅を続ける心情を綴った記述があります〉。
もはや、私の写真に旅が必要ではないことは明白です。
しかしながら、見知らぬ土地で眼前に立ち現れる現象は相変わらず何とも言えず魅力的で、「旅」の呪縛からなかなか逃れられそうにありません。

紀行的写真が面白くない理由は知覚外の事物や、未体験ゆえに心に入り込んでくる事態が画面を覆い尽くしてしまうことにあるのかもしれません。
このようなことは当然タイトルにも反映されていて、かつて私が発表した駄作の数々にも視覚的表現以前の要素が画像を形成している証となる「題名」が連なっています。
ここでひとつの仮説。
過去の連綿とした作業が今の私に進化を与えているのだとすれば、写真の題名にも変化が現れているはずです。
今回の展示に、どのような題名をつけるか。
写真は用意されたにもかかわらず、いつまでも展示できないのは「題名」が決まらないことに原因があります。

前へ… 

December 09 [Tue], 2003, 2:55
DTPなどのように「著しく変化する状況」を扱うことで生計を立てていると、前が見えなくなってしまうことがあります。
相手は「怪物」のようなものです。なぜ、それほどまでにどんどん変化(一般的には進化)していけるのか。このことを考察してみますと、この「怪物」は、一見過去の資産(従来のテクノロジー)を積み上げて生きているように思いますが、実はそうではなくて情け容赦のないリストラにより「怪物」が「怪物」である所以を維持しているのです。
この結果は対峙する人間に多大な負担を要求します。
遠く過ぎ去りゆく「怪物」に「さよなら」をするのか、またね!と「手を振り見送る」のか、はたまた「必死でついて行く」のか。
いずれにしても、3年、5年先を見通せる情報収集力と分析、構築力が必要となります。
そして「必死でついて行く」ことを選択したならば、自身も負けず劣らずに一切情け容赦しない再構築をしなければなりません。

ここまで書くと、勘の良い方はすでにお気づきかもしれませんが、段ボール箱をつばめのしっぽに託したことと同様に、私が前へ進むために往くべき道が見えてまいりました。

昨日、写真家の喜井さんと話す機会があり4時間にもわたる議論の末「真理」は人が支えているものだと理解しました。大きな収穫です。大好きなポストモダンはまだまだ黎明期のようです。
形而上学の流れから思索に入った私にとって、現象学は衝撃的なものなのです。

本日の結論としての、Photoshop CS について
新機能がクオリティの向上と作業の効率化に向けられていることはアナウンスにより明白ですが、興味深いことは光学的な要素をデジタル処理の結果として反映することにより、より「写真のように」見せようとする機能が盛り込まれていることです。
このことはデジタル画像が決して写真ではないことを示唆しますが、写真における「瞬間」の再現をデジタルで「行為」する私にとって「方法」が拡がることはありがたいことです。

前へ進むために、いわゆる進化は常に過去の連綿とした資産あるいは事態と決別することを要求します。
「創造性」は目的ですから、普遍的でなければなりませんが「方法」は過酷な修行を経たものにのみ与えられるのかもしれません。

写真作家・冨田茂人

変! 

November 30 [Sun], 2003, 2:21
safariから書き込みは出来ます。
Exploer ではページが読み込めます。でも safariから日記に行き着けないのです。
このような事態は、頼るべき先達は当然「つばめのしっぽ」さまですね。
何か思いついたらお知らせください。

研修。 

November 30 [Sun], 2003, 2:11
「研修」が何であったかを書き記した、「逢魔ヶ刻」という原稿があります。
オサカだけが、このことを理解していますが日記に書き込みたかったのです。
現在ウチの環境から「写真家Tの日常」にアクセスできない状態でありますので、想いだけを伝えて現状の出来事を検証してみます。

pen EE 

November 17 [Mon], 2003, 13:42
オサカの苦手な露光に関する理屈と pen EE の露光制御のしくみについて
EE のネーミングはエレクトリックアイすなわち電気仕掛けの眼、からつけられたと聞いております。
いまでいうところの AE (自動露光)なんですが、前に説明しましたように pen の露光装置は受光部自体が光を感じて自ら発電するセレン光電池を採用していますので、露出計用の電池を必要としません。
セレン光電池は7年から10年で初期段階の電圧を維持できなくなるとことが知られておりまして、恒久的に機能を保証するものではありません。しかしオサカの pen EE は AE がまだ作動していますから、このことはあまり気にせず動かなくなるまでは使えるぐらいに考えていてください。
もちろん AE が作動しなくなってもカメラとしては生きているわけで方法はあります。

ところで夕方、シャッターが切れなくなる原因について。
pen EE の AE プログラムはシンプルなもので、通常明るい被写体に対しては250分の1で絞りを制御します。暗くなると30分の1に切り換わって絞りが解放になった時点でおしまいという潔さです。
ISO100の場合、このおしまいのLV値はレンズがF2.8であればLV8となります。オサカのEE3はたしかレンズがF3.5だったと思いますので、これより少し限界が早くなります。
フィルムがISO400であれば同じEV8の条件でLV6まで撮影できますので状況に応じてフィルムを換えて撮影する必要があります。
補足、セレンはカメラ用のセンサーとしては感度が低い(一般にLV4から7ぐらい)ので最近のカメラのように暗いところで自動露出が作動することはありません。
以上、オサカのためのカメラ講座でした。

散歩 

November 16 [Sun], 2003, 15:57
はやくもシラバスに飽きてしまった私はしばらくの間、LPレコードとともに30年もの時空を遡り、三無主義のはやった頃の反戦歌などを楽しんでおりました。
やはり写真家は散歩だな、とわけの分からないことをつぶやきながらまたしても「影」を撮ってしまいます。
何の意味があるのかはきっと年内に書き込めると思います。
いまのところイワサキだけが、さわりの部分を聞いてくれました。

あぁ、またタダで講義してしまった。イワサキに請求書だしとこぉっと。

シラバス 

November 15 [Sat], 2003, 23:13
来年度から始まる某造形高校の映像コース、シラバス試案

オリエンテーション
写真について考える
古代洞窟壁画にみる画像の持つ意味
カメラオブスキュラが絵画に与えた影響
写真における構図の必要性
チョット乱暴ですが、私が技術不要論、構図不要論を展開するわけ

講義
写真表現の核は考えること
ロラン・バルト以降の写真論、映像論がなぜ難解であるのか
色について考える
なぜ色が見えるのか
デジタルにおける色のあり方
デジタル写真って何なのさ

実習
撮りたいものを撮ろう
なぜ撮りたかったのか・撮りたかったものが写っているのか
自分で現像する、プリントする(繰り返し実習)
表現行為は実は撮影以後にある
展示が写真を行為にするということ
写真を説明してはいけません
思ったことが写っていないのはなぜ
観察力・想像力・表現力について考える

週一2時間、半年でこんなことが高校生に伝えられるわけはないですね。
あくまで試案ですから、練り直します。
これじゃダメだよ、こうしたらっていう意見があればぜひ教えてください。

文化的 

November 09 [Sun], 2003, 0:28
写真装置が科学技術の進歩のおかげで、より小さく、より軽く、そして、より高機能高画質になっていくことを「文化的進化」と呼ぶならば、今私は文化的新生活感覚を満喫していると言える。
今日はカタカナを使いたくない気分なので出来るだけ漢字で表現してみます。
本来の写真術から逸脱した感光材料に依存しない撮影装置、有限桁の正数で記述される非相似形の画像のようなものを生成するこの方法は、初期段階の投資が従来のものより高額であることを除けば、維持費用における出費の低減は明らかに従来のものより有利であることは明らか。
試験的に、あるいは画像選択の訓練としてこのような装置を使うことは大変意義のあることだと考えます。
写真は画像、映像の一種でありますが決して動画ではありませんので抽出された時間と空間が平面に収まっていて、しかも必要であれば触れることが出来るものでなければなりません。
この条件さえ満たせばたとえ電脳画像生成機であっても写真表現の道具として認めないわけにはいきません。

って、長々書いた結論はただ新しいデジカメ買って嬉しかっただけなんです!
ポケットに入ってしまってこの高性能はとても嬉しい。
P R
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