「批判」

May 04 [Fri], 2012, 19:13
批判に弱いというのは、私の課題である。
批判されないと伸びないこともあるのは事実である。
しかしながら、私は少しの批判に脆い。

批判どころか指摘、いやそれどころか自分について何か推測されたり、言葉にもしていないことをイチイチ読み取られたりすることが好きではない。侵入された気になってしまうのだ。「しんどそうやな・・・」って気を遣われるよりも、「しんどい」と自分から言える環境が大事だということ。逆に、何を言っても驚かれない、批判されない、裏を推測されない環境があるからこそ、「しんどい」と正直に言えるのである。


…しかし最近は、この「批判」というものにも、種類があるということが分かり出した。

私が苦手なのは、自分の行動や考えについて、「お前はこう思っているからだ」「これこれこういう動機だろ?」という類の批判である。こういう批判が来ると、何もできなくなる。一挙一頭足を監視された感じになり、息苦しくなり、自由な行動ができなくなる。「あなたのためだ」とか「お前のことを思って」とかだと余計にしんどい。

逆にそれが、「自分」に対して向いたものではなく、「仕事」や「行動」に対して向いたものなら、まだ分かるし、周囲に迷惑をかけないためにも、最大限の成果を出すにも、受け入れなくてはいけない部分も大きいだろう。

だが、批判を無防備に受け入れるだけでは、そのうちに破滅する。自分は昔、それをやりすぎてしまったことがある。だからこそ重要なのが、「強みがどこかにある」「自分を活躍させている場所がある」という状態で受けるべきだということ。「自分にはこういう力がある」という自信がある元に批判を受け入れられるようになると、一歩前進だろう。

その状態を目指そうと思う。

「集中力」

May 04 [Fri], 2012, 18:08
このブログを読んでいる大多数の方は、「あの人は集中力があるね」と言う言葉を言ったこと、もしくは言われたことがあるのではないかと思う。

自分も、言われたことがある。
1つのことに入り込み出した時の集中力は凄まじいと言われたことは多々ある。

しかしながら同時に、「お前は集中力がない」と言われたこともある。
事実、一時期の自分は「集中力のなさ」を直すのに必死になっていた。

特にサッカーをしていた時は、集中できないことが多かった。
1つのプレーが終了したと思ったら、間髪入れずに次のプレーが始まる。一瞬でも集中を切ったら、その刹那大ピンチを向かえる。
そこに、余計なことを考えられる余地は残されていない。

試合や練習後の反省をノートに書いている時は入り込むことができたが、動きのある試合や練習そのものに入り込むのはとても難しかった。

…一体これはどういうことなのか?


おそらくそれは、「外部に対して集中しているか?」と「自分に対して集中しているか?」の差なのではないかと思う。

「外部に対して集中する」とは、「周囲のものごとを上手にインプットする」という能力のこと。

広い「外部」に対する集中力では、「視野が広い」とか「物事によく気がつく」という言い方をすることができる力のことだ。狭い「外部」に対する集中力では、「ドラマ・映画・読書に対して熱中できる」とか「(射撃等で)1点をじっと見つめることができる」という力だろう。

「外部に対して集中力がある」人は、街を歩いているとき、ある店が潰れていたり、新しい花が咲いていたり、おいしいラーメンの香りがすることにも気づくだろう。そういう習慣があるから、「どんなモノが売れるか?」「何が流行っているか?」「今そのモノはどういう状態なのか?」をキャッチするのは上手だろう。だからこそ、これらの資質は、開発・提案営業・マーケティング等に向くのだと思う。車の運転にも必要な才能だと思う。狭い意味での「外部に対する集中」ができる能力は、物の修理や会話等に向いているのではないか?

いずれにせよ、「外部の流れと自分の脳内が同じ世界にいる」状況で生じることである。



一方、「自分に対して集中する」とは、「自分の世界に入り込む」という能力のことだ。

外部との関わりは関係ない。あるのは自分の世界のみ。
「話を聞く」ではなく「一方的に語る」。「本を読む」ではなく「文章を書く」。「周りを見て動く」ではなく「自分はどう思っているか考える」。

…外部の世界というよりも、「独自の世界」がある。
夢中になりすぎて、ハッと気づけばものすごく時間が立っていたという経験もあるだろう。

これらは、独自の世界を育てたり、ある専門性を身に付けて活かす分には必要な能力でもある。時に大きな力にもなるだろう。何しろ、「周りを感じる」というよりも「自分の中の独自な世界」が源になっているのだ。…が、それだけでは、外部の世界で役に立ちにくいとも言えるだろう。活かせれば強大だが、活かせなければ使い物にならない。

「内部に対して集中力がある」人が街を歩くと、美しい景色とか新しい店とか関係なく、あれこれ考えてしまうと思われる。人によっては、「周りを見て歩こう」と思っても気が付けば別のことを夢中になって考えていたり、自分の世界に入りすぎて人にぶつかりそうになった経験もあるのではないだろうか。


この分類で言うと、紛れもなく私は、「自分に対して集中する」というタイプである。自分で定義して分類していくのは好きで、実際に文章を書くのも好きだ。だが、人の話を聞くことは好きではないし、周囲の状況に自分を合わせて動くことも苦手である。そのような特性が分かった上でどのような選択をとるかは私次第である。これは、他の人にも同じことが言えるだろう。


以上、集中について、あれこれ述べて来たが。
最後に、「何でそんな偉そうな言い方するん?頭イイとでも言いたいだけだろ」と茶々を入れてくる人のために、こう述べておく。

つまり、「自分が好きなことには集中できるが、好きではないことには集中できない」ということなのだろう。

「適応」

May 04 [Fri], 2012, 18:03
「適応」という言葉がある。

科学的・辞書的な意味はさておき、ここでは『その場に合わせる』という意味で使うことにする。
世俗的にも、その意味で使われることが多いのではないかと思われる。
社会に適応する、文化に適応する、職場環境に適応する…。

「適応する」という仰々しい言い方はせずとも、「周りの人が何をやっているか、もう少し考えたらどうだ?」「今〇〇をする時だってことくらい、指示しないでも分かるやん!」という言い方をする人は多いのではないかと思う。周囲の雰囲気に適応できない人を指し、「KY」という言葉も横行したほどだ。

先日まで、自分は「適応」という言葉を、「動きのある日々の生活における暗黙の事項や流れに合わせることができる能力」ととっていた。

スポーツや店舗等における予期せぬ状況に柔軟に対応できる力だってそう。思いつきで行った場所でおきた突然のハプニングを楽しみながら乗り切れる力だってそうだ。これは、一時期流行した「ストレングス・ファインダー」でいう、「適応性」に近い能力だと思われる。これを持っている人は、空間的・時間的なインプット・アウトプットがとても上手である(このことを称して、「器用だ」という人も多い)。

それと対局にあるのが、「予め何かを決めておく」ということ。
「相手が左側に行ったら、自分は右側に動こう」「お客様には、まずこう言おう」「部屋についたら、まずTodoリストを見よう」
これらは、空間的・時間的なインプット・アウトプットが下手なこと、つまり、1つ目の意味での「適応」がない部分を補う対処策であるとも言える。



しかし最近になって、「適応」には「動きのある日々の生活における暗黙の事項や流れに合わせることができる能力」以外の意味もあるのではないかと感じるようになった。

それは、「制度・システム・計画への適応」である。
制度・システム・計画というと、「毎朝8時にラジオ体操から始めること」「左に2歩行ったら、次は前に1歩進め」「手順通りに書類を作ること」「3年後に〇〇をするために、まずは××をする」などが存在する。

…これらに対する嫌悪感である。

例えば、「毎日学校という建物の中に閉じ込められるのが息苦しい」「週5回会社に行くという習慣自体が合わない」「計画通りに進めることはしんどい」等である。無味乾燥な世界に押し込まれた「抑圧」を感じることが多いのだろう。そして、これらの抑圧に苦しんだ人は、より人間的で自由な方向を目指して活動する人が多いのではないかと思われる。



…以上に挙げた2つの「適応」は、相反するものであるように思われる。

前者が「その場に任せて動く」ことに適応する能力。
後者が「予め決めておく」ことに適応する能力。
(後者は「能力」というより「器質」に近いか…)

現代社会は「柔軟性」の方が大切と言われることをよく聞くが、地道さが要求される場面だってある。どちらが必要なのか、大切なのかは、時と場合とその人の生まれ持ったモノによって変わるだろう。


ただ、どちらにも共通していることが、「外部のものごとに自分を合わせて行く試み」であるということ。

「自分はこう思う、こうしたい」→「こうする」ではなく
「今の流れがそうだから、周囲の文化がそうだから」「システムではこうなっているから、計画上次はこうすべきだから」→「こうする」という流れになっていること

「外部のものごとに自分を合わせる」という意味では、両方とも「適応」なんですね。

もちろん、適応する能力や器質があったからと言って、それを実行するか否かは別物だということを、付け加えておきましょう(「AKY」という言葉もありましたっけ。空気読めるけど敢えて読まないぜ、という…)。


以上は、筆者が自分で定義した「適応」という言葉について述べた。

ちなみに、「適応」で検索すると、以下のように出ています。
http://kotobank.jp/word/%E9%81%A9%E5%BF%9C
正確(?)な意味が知りたい方は、ご自分で勉強して下さい。

ブログ開始に当たって…

May 04 [Fri], 2012, 18:01
思ったこと、考えたことを書いていきます。

今日1日で終わるかもしれないし、明日止めるかもしれません。
ずっと続くかもしれません。

もしブログを書かなくなったら…。
その原因は、体調不良なのかもしれないし、ただ単に飽きただけなのかもしれません。
ブログが何かのバロメーターになるかもしれないし、ならないかもしれません。
僕がいつまでこのブログを続けようと、あなたには関係ありません。

もちろん、内容には注意を払うべきでしょうし、日常生活に影響が出て来るのは問題です。
が、ブログを続けようが辞めようが、誰にも迷惑はかけていないはずです。
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