lesson 2 "Dressing a Character" (2/2)

October 29 [Thu], 2009, 18:52
仮装パーティの準備で、クラスの皆はがやがやと大忙しだ。

グリーシャはMephistopheles(メフィストフェレス=民間伝承に伝わる悪魔)
の仮装に挑戦している。ゴージャスな黒の衣装は彼に似合う。
ヴァニアは老人の仮装らしい。顔にホクロを装飾するつもりが、
大きく描きすぎてパンダみたいだと笑われている。
お調子者のポールは、自分をカッコ良く見せたいのか知らないが
ありきたりな紳士の衣装を纏っている。

みんな騒がしくて、僕は自分のメイクに集中できない。
「凄い!」「いつもと全然違うのね!」「似合ってるな!」
彼らは互いに衣装やコンセプトの巧妙さを評価し合っている。

「ん?」「誰?」「アレは何の仮装なんだ?」
黙々とメイクをしている僕に対する評価も、ちらほらと聞こえてくる。
確かに、僕はどこの誰かもわからないような衣装を着てますとも。
なんだか気恥ずかしいような、落ち着かない気分が高まってくる。

僕は一体、誰なんだ?
僕が一番知りたいさ。

得体のしれない震えが僕を襲う。
ああ、静かな部屋でひとりこの衣装を着て、メイクをして、
鏡で自分の姿を見れば。
ひょっとしたら「奴」の正体を見抜けるかもしれないのに。
周りの喧騒が邪魔をする。

ふと気付けば、うわっ、もう時間だ。
ひとり、またひとりと、衣裳部屋を退室していく。
結局最後に残っているのは僕だけになってしまった。

今からトルツォフ先生に、僕たちの仮装を披露しなくちゃいけない。
なのに、僕はいまだに、自分が誰かということにすら自信が持てない。

気付くと衝動的に、僕は自分の顔のメイクをこすって落とし始めていた。
顔がぐちゃぐちゃになってゆく。どこが鼻かもわからない。
でも何故だかとても悔しくて、夢中でメイクをこすった。

はは、そうだ。もっとグチャグチャにしてやれ。
つけまつげをむしり取って、
手には薄ピンクの塗料を。
そして何だか良く分からないクリームを、髭に塗りたくる。
髭だけじゃだめだ。かつら全体にも。クリーム。ベトベトに。
全てを台無しにするのには、さほど時間はかからなかった。

なんだか楽しくなってきたぞ。
うん、歩き方は、もっと奇妙に。不審者らしく。
そうだな、身体全体を、意味もなく右に傾けようか。
杖も欲しいな。手近にあったものを掴む。

そして鏡を見る。
そこには、「奴」がいた。
見つけた。こんなところに居やがったのか。
「カビの生えた男」だ。

「見つけた!こいつだ!こいつだよ!」僕は叫んだ。
喜びを抑えきれずに叫んだ。
ついに見つけたその姿を披露するため、ステージへと急いだ。

ステージでは、トルツォフ先生が、ポールの衣装を評価しているところだった。
何やら声を荒げて、指導をしている様子である。とうてい上機嫌とは思えない。
苛立ったような調子で、ステージに上った僕に対して先生は問いかける。
「次!次はお前…誰だ?コスチャ?いや、違うか?」

そう。コスチャは僕の名だ。
僕本来の名だ。

だが、今は違う。

「誰だ…?」先生は一転して非常に興味をそそられたように、舞台上の僕に語りかける。

「あっしは批評家でさ」途端に口をついて出てきたのは、そんな台詞だった。
いつもの僕とは違った声の調子。
いつもの僕とは全く違った歩き方。
おおげさにハットを取り、過剰に恭しく、先生に一礼をする。

「批評家?」戸惑ったように、先生は問いを重ねる。
「ええ、それもとびっきり卑劣な奴でしてね」
僕は擦れるような、軋むような耳障りな声で答える。

そのあと、ひとつ嘲るような笑いでも放ってやろうとしたが
僕の口から出てきたのは、甲高く耳障りな叫び声のようなものだった。

「お前は、一体――」つい高くなりそうな声を抑えるように、
冷静に先生は続ける。「ちょっと、このフットライトの近くに来なさい」
悪意のにじみ出るような足取りで、僕はゆったりと言われた方向に向かう。

「ふむ。で、お前は、何の批評家だね?」
「私の同居人の、ですよ」
「同居人?誰だそれは」
「コスチャとかいう奴でさ」
「ひょっとして同居、とは、お前の内面に棲む、ということかね?」
まさにそれだ。やはり先生の慧眼は、正しく僕の意図を見抜いている。
「ヒヒッ、ご明察!」
「お前に批評が出来るとでも?お前は無知な者だろう」先生は反論する。
「無知な者ほど、批評したがるモンなんですよ」僕も負けじと言い返す。

「お前は何も分かっちゃいないな。
 お前のような者に何かが成し遂げられるとは到底思えんぞ」
「人に何かを教えようって奴こそ、何も分かっちゃいないと思いますがね」
僕はひどく気取って、フットライトの近くに腰かける。

「ふん、お前が批評家というのはでたらめだな。お前は単なる文句屋に過ぎん。
 ヒルだ。シラミだ。お前に噛み付かれても痛くはないが、イライラする」
「ヒル?それなら徐々に吸いつくしてやりますよ…少しずつ…でも確実にね…ククク」
「この害虫め!」トルツォフ先生は僕を見据えて、厳しく言い放った。
「おやおや、なんてぇ言い草ですかい」
「この、不潔な害虫めっ!」先生はもはや怒鳴っていた。

「ヒヒッ、結構結構、大いに結構!」しつこく僕は、嫌味なほどに陽気な口調で言う。
「実際ヒルってのは厄介ですぜ…沼あるところにヒルあり、ってね。
 沼の中にはもっと大勢いますぜ。奴らは払っても落とせない。
 もちろんあっしも、食いついたら簡単には離しませんよ…クヒヒ」

沈黙が訪れた。
ハラハラとした面持ちで、成り行きを見届ける級友たち。

そして一瞬の躊躇ののち、トルツォフ先生は満足そうに
フットライトを飛び越えて僕を抱きしめて、言った。

「良くやったぞ!それだ!」

抱きしめて先生は、僕の髭のクリームがべっとりと服についてしまったことに気付き、
「はははっ、まさしくこれは、簡単には払い落せんな!」
と明るい調子で言った。
他の生徒たちが、あわててハンカチーフを用意して先生の服を綺麗にしようとする。
先ほどまでの張り詰めた空気とは裏腹に、
明るくにぎやかな雰囲気が場を満たしてゆく。

そんな中、僕は、ある種の恍惚感の最中にいた。
僕は、何かを成し遂げたのだ。
それは一つの芸術的達成とも呼べるかもしれない。
僕は確かに、僕ではない別の誰かだった。


僕はその日の帰り道、
先生と交わした台詞を心の中で反芻していた。
そしてその日に確かな手ごたえを得た、あの独特の足取りや、
声の調子を頭の中で再現しようと試みた。

下宿に帰って、大家さんと会話を交わしていると

「あれ?あんた今日、なんかいつもと喋り方が違うねぇ」
と指摘された。
なんとも嬉しい気分だった。

僕は、「役を生きる」方法を身につけたのだ。
これはひょっとすると俳優に、最も必要な資質とも呼べるのではないだろうか?

風呂に入る。微かに顔に残ったメイクを、丹念に洗い落とす。

僕は、僕ではない他人の役を生きながらも、
それでも僕自身を失うことはなかったはずだ。

この実感は、あの演技の途中にも
自分が「変身している」という感覚が残っていたことが証明している。

つまり僕は、他人の役を生きると同時に
その役の観察者としての役割を果たす
ことができたのだ。
演技しながら、自分を批評する者になることが出来た。
一つの人格を二つに分けて、
一人は役者として。もう一人は内なる観察者として。

この不思議な二重人格の状態は、この数日間に感じた違和感のように
決して僕を悩ませることはなく、邪魔をすることもなく
以降、僕の創造力をかき立ててくれるものとなるのだった。
P R
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