エドマンド・バーク「現代の不満の原因を論ず」『バーク政治経済論集』80-83頁

December 01 [Sat], 2012, 14:08
政党とは、その連帯した努力により彼ら全員の間で一致している或る特定の原理にもとづいて、国家利益の促進のために統合する人間集団のことである。……自己の政策を実地に移すべき手段の採用を拒否する人間が本心からこの政策の正しさを確信しそれを大切なものと考えていると本当に言えるのか不可解である。統治の固有な目標を画定することが思弁的哲学者の仕事であるに反して、行動の場における哲学者とも言うべき政治家の仕事は、これらの目標を実現すべき適切な手段を発見してそれを効果的に採用することに他ならない。それゆえに名誉ある結合はすべて必ず自らの最初の意図として、自分と同じ考えの持主がその共通な計画を国家のあらゆる権勢と権威を藉りて実地に移すことができる状況へ彼らを置くために一切の正当な方法を追求する旨を公言するであろう。
……政党結成の基礎となるべきこの一般原理、その適用にあたっては必然的に全員の一致協力が要請されるこの原理に、彼が協力できないというのならば、彼ははじめから別の、彼の見解に一層適合した党派を選択すべきであった。

エドマンド・バーク「ブリストルの選挙に臨んでの演説」『バーク政治経済論集』403頁

November 17 [Sat], 2012, 9:49
私は諸君の指図に従わなかった。その通り。私は真理と自然の指図に服従することにより、私自身の持前の堅固な志操で諸君の見解に抗しつつ、諸君の権益を守り抜いてきた。諸君にふさわしい代表は、確固たる信念の持主でなければならない。なるほど私は諸君の意見を尊重しなければならないが、しかしその意見とは、諸君や私が今後五年間にわたって持たなければならない意見なのである。私にとって尊重すべきものは、断じてその時代の民衆の向背ではなかった。諸君は他の人々と並んで私を、国家の柱石として現在の地位に選んだのであり、変わり身の早さと軽薄さ以外の取柄を何一つ持たないあの屋上の風見鶏のように、その日その日の気まぐれな流行の風向きを告知するだけの役にしか立たない存在として選出したのではないことを私は知っている。

G・K・チェスタトン『正統とは何か』290頁

March 06 [Tue], 2012, 15:47
秩序のない混沌の土地では何の冒険も期待できぬ。だが権威の確立した土地を旅するならば、どれほど多くの冒険でも期待することができる。懐疑のジャングルの中には何の意味も発見することもできないが、教義と秩序の森の中を歩む者には、無尽蔵の意味を発見することができるのである。

G・K・チェスタトン『正統とは何か』148頁

March 06 [Tue], 2012, 15:11
われわれのおばあさんの代の人たちは、ペインをはじめとする自由思想家が人の心を迷わせたと嘆いたが、たしかにそのとおりだったのだ。自由思想家はなるほど人の心を迷わせる。私の心も大いに迷わせてくれた。人間理性万能の説をなすこういう連中は、私に理性そのものにたいする疑惑を抱かせてくれたのである。

G・K・チェスタトン『正統とは何か』120頁

March 06 [Tue], 2012, 15:06
自分の愛する場所を滅ぼすおそれがいちばんあるのは、その場所を何かの理由があって理性的に愛している人間である。その場所を立ち直らせる人間は、その場所を何の理由もなく愛する人間である。・・・・・・自分の国を愛するのに、何か勿体ぶった理由を持ち出す連中には、単なる偏狭な国粋的自己満足しかないことが往々にしてある。こういう連中の最悪の手合は、イギリスそのものを愛するのではなくて、自分の解釈するイギリス、自分のイギリス観を愛しているにすぎぬのである。

G・K・チェスタトン『正統とは何か』113頁

March 06 [Tue], 2012, 15:04
人間は、この世界に住むのが快適かどうか考え始めるより前に、すでにはじめからこの世に住んでしまっている。

G・K・チェスタトン『正統とは何か』76頁

March 06 [Tue], 2012, 14:59
正しい人間の意見であれば、たとえその人間が自分の下僕であっても尊重する――それが民主主義というものだ。

G・K・チェスタトン『正統とは何か』76頁

March 06 [Tue], 2012, 14:53
現今の諸事雑事を問題にする場合、いやしくも平凡人の一致した意見を重視するのであれば、歴史や伝説を問題にする場合、いやしくもそれを無視すべき理由はない。つまり、伝統とは選挙権の時間的拡大と定義してよろしいのである。伝統とは、あらゆる階級のうちもっとも陽の目を見ぬ階級、われらが祖先に投票権を与えることを意味するのである。死者の民主主義なのだ。単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない。・・・・・・われわれは死者を会議に招かねばならない。古代のギリシア人は石で投票したというが、死者には墓石で投票して貰わなければならない。

G・K・チェスタトン『正統とは何か』75頁

March 06 [Tue], 2012, 14:49
若いころから私には一度も理解できないことが一つある。民主主義は、どういうわけか伝統と対立すると人は言う。どこからこんな考えが出てきたのか。それが私にはどうしても理解できぬのだ。伝統とは、民主主義を時間の軸にそって昔に押し広げたものにほかならぬではないか。それはどう見ても明らかなはずである。何か孤立した記録、偶然に選ばれた記録を信用するのではなく、過去の平凡な人間共通の輿論を信用する――それが伝統のはずである。

G・K・チェスタトン『正統とは何か』65頁

March 06 [Tue], 2012, 14:47
現代の革命家の先生がたは、底知れぬ懐疑家であるからして、いつでも自分の足場を自分で打ち壊すことに躍起になっているのである。