コメント19 

2005年09月02日(金) 14時47分
最終的な疑問は

・匿名さんの現在の会社組織での現実に即したとされるコメントは、何故簡単にそうとはわからなかったのか。

やっぱりこれかな。
レイチさんと、わたりとりさんの仰ることはこんなによくわかるのに。
わたりとりさんが、コメントで書いていた、「壁」を感じたときの流儀、これが匿名さんには、ないと感じるのかもしれません。

て、これらがchargeupさんの理解の一助となるかはわかりませんが…。
私はかなりの理解が出来たと思います。すっごく納得出来ました。

ちょっちぷん (2005-09-02 14:07:43)

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2005年09月02日(金) 14時45分
なるほど、これはやはり私の社会経験が特殊なせいかもしれません。
理由の2>は物理的に出来ないときがある(またはいつもそこまでの余裕がない、こともありうる)というのは、私にも実感出来る理由です。
ちょっと前後しますが、1>の理由などは特に職種や企業を体系立てる作業効率によって、可能か可能じゃないか大きく別れそうですね。
この1>の理由が明確に作業に結びつく職種だと、2>と同様に余裕が持てなくなるし、
合理的ではないことを賃金を払っているにもかかわらず、出来るとは言えないということですよね?
ということは、「できない」場合は代替案を提示出来るならば、やり方は問わない企業、というか職種はかなり少ないということですか。
うーーん。これは他の職種を経験していない私では全くわからないことのようです。

ちょっとおさらいを。
Q「壁」の認識と(何、が壁なのか、それによっては続く話が変わりそうです)
A「できない」を受け入れられないことを「壁」と感じる

Q「できない」は受け入れるかられないか、で理解はその先ではないか、ということ
A必ずしも、ただ受け入れられる業務形態とは限らないうえに、受け入れられる職種、業務形態は少ない(ようだ)
ということは、システムというか多数派にあわせていくのが最も効率が良い、という点で変更、転換が大変難しい

※単に友人関係などの「壁」であれば、受け入れ難い、難くないで語れるかもしれないが、会社組織などである一定の効率の良さや、作業を担う役割をきちんとこなすことを前提とした場合、難しいケースも多い。

Q「できない」(ASという大きなくくりではなく)が一般社会のシステムでは本当に受け入れられないのか
A上でも述べた通り、職種や業務形態によっては、代替案すら受け入れられないこともある

Q定型発達者とそうでない人を見分けるのは何のためか。
A作業効率を徹底するためには本当の怠け者を見分け怠けられない作業をさせねばならないため。

こんな感じで理解しているのですが、レイチさん、わたりとりさん、合ってますか?
ちょっちぷん (2005-09-02 13:57:20)

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2005年09月02日(金) 14時44分
もし私が、入社してきたAさんに仕事を教えることになり、Aさんに「私のやりかたで覚えさせてほしい」と言われたら、YESと即答できません。
1>こちらの教え方も、理由があって合理的に組み立てたものだから
2>教える人がAさんだけではないから
3>組織に対し経過と成果を報告をしなければならないから

なので、いやな言い方ですが「特別扱い」する理由が必要なのです。定型発達者と見分けがつかないことがネック、と書いたのはこの点です。

もしくは、教わる人に合わせるやるかたは特別扱いではない、それがもっとも良い教え方だという「価値観の転換」が必要なのです。私がではなく、組織が。
※コーチングの話を私が度々出すのは、最近のコーチング理論では上記の転換が始まりつつあるからです。

「システムを変えないとなぁ〜変えたいけどさ・・・でも、現在の現実ではまだ厳しいよなぁ〜うわっ説教くさ!」とコメントを控えるのが、私の流儀。
しかし、そうでないかたもいる、と感じました、ということです。
どこでそう感じたかと聞かれると、辛いものが。なんとなくです。^^;

わたりとり (2005-09-02 09:32:49)

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2005年09月02日(金) 14時42分
レイチさんが仰っていた記事、先ほど見てきたのですが、あまり違和感を感じなかったのです。嘘、という表現には多少きつい響きは感じたものの総意としては概ね同感でした。
私は9割方ASではないと思っていますが、こうなるとAS的感覚に近いものはあるのかもしれません。多分思考体系なんかは全く違うと思いますが。
私は多分言葉通りに全てを読んではいないと思うのです、ありもしない裏の意味を思うこともあるような気がします。それでもほとんどは言葉通りに受け取っていると思います。
何故かと言えば、それが真意がどうか確認もせずに推測していくと相手を決定的に傷つけることがあるからです。そこで確認したがり病が発症したような気がします。
そのですね「できない」ことの理由や背景を突き詰める作業が、怠けている(甘えている)ことによってかどうかを判断するための作業だとしたらものすごい無駄だな、と思うんです。
作業の担う部分がまったく出来ないのなら、話は別ですが、そうではないならば、そのやり方を試してみる余裕はあるのではないか、と思っているのです。
で、そのやり方を持っているということは、努力があったからこそ持ちえたのだと思うし、見方を変えれば出来るのであれば、何も「出来ない」理由や背景を突き詰めることもない、と思うのです。匿名さんの仰る努力や結果、というのは、あくまでも健常者の知っている範囲のことでしかないし、他のやり方を持っていないならいざ知らず、持っている人に対して、健常者のルールのみで努力してるしてないを押し付けるのは、ちょっと傲慢に感じるな、と思いました。
「できない」だけじゃない、「他の方法」を持っている、は関係ないのかなぁ、と。どうしてそこは一切無視なのかなぁ、と思うのです。

どうでしょう、それでもやっぱり健常者の現実ではちょっと難しいな〜、なのでしょうか。
待てよ、私は健常者と呼ばれる人の一部じゃないのか?ともう一人のちょっちぷんが言っていますが。
でもこれ、私も現実社会で感じたことあるのです。おかしいな、と。
ちょっちぷん (2005-09-01 23:34:30)

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2005年09月02日(金) 14時41分
すっごくわかりやすかったです。
いや、今回ここでさせてもらった会話はかなりの理解に繋がりました。
レイチさんと、わたりとりさんのように理論的かつ冷静で押し付けのない方に突き詰めて話をさせてもらえることって、あまりないですから。

レイチさんのコメントで一つはっきりわかったのが、私が「壁」はなかった、と感じていたことと、「壁」を感じた人との違いです。私は「できない」ことに対して理由や背景、をあまり必要と感じていないようです。これは私の社会経験も大きく関係しているかもしれません。
職種によっては、そこに焦点を当てねば立ち行かないルールがあるのかもしれない、ということもわかりました。
この「できない」に関しては、障害のあるなしに関わらず、本当は出来る出来ないは、私にとってはあまり関心の対象ではないのかもしれません。そこを突き詰めていくことよりも、まず「違う方法」を既に持っているかいないか、の方に目を向けているのだと思います。
「できない」ことのメカニズムやそれがただの甘えでしかないことを追求しても、人格形成を最終的にどこまで付き合えるかを考えたら無駄な気がしてしまうのです。それなら既に他の方法を提示している場合は、それをやってみる方がはるかに効率が良いと思うのです。
そこで「他の方法」も提示できない、どの仕事も全て「できない」となったら、初めてレイチさんやわたりとりさんが感じた「壁」を感じるのかもしれません。
いや、多分感じないと思います。「できない」が怠けであるとか所謂甘えであったなら、自然に淘汰されてゆくものだと思っている気がします。

ちょっちぷん (2005-09-01 23:13:35)

コメント14 

2005年09月02日(金) 14時40分
私はレイチさんにはASのお知り合いがいて、その方と衝突したりいろいろあった末理解に至ったと思っていました。もしかして「最初わけわからなくて混乱した」のも私のことでした?

「理解できた」問題の記事は何だろうと私も楽しみだったのですが、あれでしたか。あれはあげるのに勇気がいりました。非難覚悟でした。今なら無理だと思います。悪語だらけ。ああいう表現を定型発達者は嫌うだろうと思いながら書きました。私が外の世界で起こっていることを自分の世界で理解するための言葉でした。
chargeup (2005-09-01 19:30:26)

全部chargeupさんのことです。私のASの知り合いはここにこられる皆さんだけですから。LDやADHDの子なら小中学校のクラスメイトでいましたけど、ASの知り合いはたぶん一人もいなかったと思います。

あれは悪語だらけだから逆に判りやすかったんです。こちらのルールで読むと、非常にイヤミったらしい文章で(笑)、それなのに書いてる本人は「悪意はない。事実をそのまま書いてるだけです。でも定型発達者の皆さんにはそう見えないみたい」と“申し訳なさそう”に言う。この矛盾はなんだろう・・・と。その前に「言葉通りに受け取る」という意味がわからずずーっと悩んでたもんで、そんなときにこの記事がきたから、「もしかして文章がイヤミったらしく見えるのは、私自身が、書いてあることを言葉通りに受け取らず、有りもしない単語の「裏の意味」を無意識に読んでるからなんじゃないのか?」って思い直したんです。そこでしばらくの間、chargeupさんの書いた過去の記事やコメント欄での返答を読み直し、そこに書いてある事柄を裏読みせずに読む「訓練」をしました(笑)。それでようやくASという障碍の本質が見えてきて、「これは思ってたより大変な障碍だなあ」と実感するに至ったと。。。

あ、『光とともに?』という自閉症児を扱ったドラマでのやりとりもだいぶヒントになったような気がします(どこがどうって聞かれると説明は難しいんですけど?)。

レイチ (2005-09-01 22:18:55)

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2005年09月02日(金) 14時39分
私から見ると匿名さんは、chargeupさんが障碍者であること自体をまだまだ受け入れきれてないように見えました。「障碍者といったって自分と大してかわらないように見える」「できないというのは思い込みでは?」「私だってできるんだからあなただってきっと」という思考の罠にはまったままいまだ抜けられずにいるように感じていたんです(それが顕著に表れたのがところてんの酢醤油派・黒蜜派のやりとりですかね)。

私が「定型発達者がASを理解する上での最初の難関、もしくは第1の壁」と考えるのがまさにそれで、特にchargeupさんの場合、文章での表現やコミュニケーションが普通の人以上に長けているため、「定型発達者とたいして変わらない」という錯覚を起こしやすいというか、一端思い込んでしまった人の誤解を払拭するのがなかなかに難しい。しかも匿名さんの場合、乙武さんがお蕎麦を食べた話のときの様子では、chargeupさんが現状を自力で克服することにかなりの期待を寄せてたみたいだったし…。それが無駄だったことにようやく気づいて(いや、周りの人はみんなとっくに気づいていて無駄ですよと言ってたんですけど、本人は何を言われてるのか全くわかっていなかったようで)、それまでの期待が大きかった分、なんかからかわれてた気分になり逆ギレしちゃったのかなと。


ちなみに私が壁を乗り越えるきっかけになったのは、確か「ビジネス講座」の記事とその前後のやりとりです。どうしても定型発達者のルールでは解せない言い回しをchargeupさんがされてるので、どんなルールに当てはめればこの言い回しが悪意なく自分の中に届いてくるのだろうと逆の発想で考えていった結果、「あー、そういうことか!」と。サリバン先生、私「water」の意味がわかりました!となったわけです。

レイチ (2005-09-01 17:13:05)

コメント12 

2005年09月02日(金) 14時38分
「カバーの方法」という言い方が混乱を招いてるみたいですかね。うーん、もう1回言い直してみよう。

ある目標があってそれをどうしても達成しなければいけない。でも今やってるやり方ではその目標を達成することができない。両者とも「達成できないとわかっているやり方に時間と精神を費やすのは大変に無駄なことだ」と思っており、「できないのであれば別のやり方でゴールに到達することを考えなければいけない」ということでは意見が一致している。しかし、どういうやり方でいくかということについては意見がわかれている。

私から見ると、chargeupさんは、これ以上自力でやるには無理があり、自分一人の力で続けてももはやゴールには到達できないと思って援助を周囲の人にお願いしていた。しかし匿名さんは、元のやり方をちょっと修正するだけでもchargeupさんなら「自力で解決できるにちがいない」と思い込んでおり、周囲に助けを求めるのはもっと後、本当に自分一人で目標を達成できないことがわかったときで今はまだその時じゃないという観点から自力で解決するための案をいろいろと呈示し続けてるように見えました。

・・・そうですね、ちょっちぷんさんのおっしゃる通り、「できない」ことが理解できないんじゃなくて、chargeupさんの口にする「できない」という言葉を受け入れたくなかったのかもしれません。「できる」と思ってる相手が口にする「できない」という言葉は、私でも受け入れがたい。

レイチ (2005-09-01 17:06:56)

コメント11 

2005年09月02日(金) 14時37分
今のところ、こんな風に疑問や気になるところを抜き出しているのですが、いかがでしょう。
今度は私が激しくズレていかないように、確認しないと怖いです。

この中で私が気になるのは、

・「壁」の認識と(何、が壁なのか、それによっては続く話が変わりそうです)
・「できない」は受け入れるかられないか、で理解はその先ではないか、ということ。
※受け入れられれば壁などないような気もします。壁にぶつかるのは受け入れ難いからではないのか。

そこをクリアできたら、次の現在の現実社会での疑問に行けそうです。

・「できない」(ASという大きなくくりではなく)が一般社会のシステムでは本当に受け入れられないのか、
・匿名さんの現在の会社組織での現実に即したとされるコメントは、何故簡単にそうとはわからなかったのか。
・定型発達者とそうでない人を見分けるのは何のためか。

ちょっちぷん (2005-09-01 00:21:35)

コメント10 

2005年09月02日(金) 14時35分
わたりとりさんのコメントで疑問は、なるほど、と追いつきました。
なので、今度は全体像の確認をさせてもらいたいのですが。

レイチさんのコメントから
前提:ある記事とそれについた匿名さんとchargeupさんのコメントについての印象
1主旨はお二人とも同じことを主張していた。
2カバーの方法の違いへと話は進んだ。
 ※1ここに一つ疑問があります。何故カバーの方法へ進んだのか、は問題にはならないか。
3カバーの方法論のすれ違っているお二人の答えと状況+推測
4前記1〜3が起こったことに対するレイチさんの見解
 ※2ここで新しい問題として「できない」ことへの理解の壁として
「定型発達者がASを理解する上で一度はぶち当たる壁」というものが出てきます。
 ※3私がそれに対して感じた疑問が、「できない」を理解し難いのではなく、「できない」をそっくりそのまま受け入れることが、し難いのではないか、というもの。
次にわたりとりさんが感じたズレと「壁」について。
前提:匿名さんのコメントは現在の会社組織での現実に即したものであったことからズレが始まっているように感じたこと
1:前提により、現実社会でASとは知らぬ人を受容出来るかどうか
2:ネックは定型発達者と見分けがつかぬこと
 ※ここでまた新たな疑問、見分けるのは何のためか
3:現在の現実の「壁」がまだあり、その「壁」が邪魔をして、コメントを控えることもある
 ※「壁」の認識が三者三様?
ちょっちぷん (2005-09-01 00:05:44)
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