すぴ母の、ぼやき 

October 28 [Tue], 2014, 23:09
すぴ母です。

随分と時間がたちました。
すぴがいなくなってから、3ヶ月と少し。
毎日が怒濤のように過ぎて行きます。
すぴがいない生活に慣れてはきたものの、ふと、どツボにはまります。
今日は、久しぶりにピークがやってきたので、こうして記事を書いて自分の気持ちと向き合ってます。
すぴのまなざし、ふわふわの毛、かわいいおしり。
すぴに会いたくてしょうがないです。

いつも、このピークがやってくると、思うのです。
私がこの気持ちを手放さないといけない。
そう理性ではわかっているのですが、どうしてもできない。

どれだけ、彼に癒されていたのでしょう。
彼がいないと…、夜寝る前にぎゅっとしないと毎日が終わった気になれない…
私はへなちょこ人間なのでした。

すぴ、大好きだよ。

すぴ、の贈り物。すぴ母が今思うこと 

August 10 [Sun], 2014, 5:23
すぴ母です。

こうして振り返ると、あっという間の出来事でした。
特に、病気がわかってから3週間。その時は、濃厚な日々を過ごさせてもらいました。
でも、今は、すぴが突然私たちの目の前から消えてしまった、そんな感覚なのです。
一緒にいた10年という日々に対して、3週間という時間はあまりにも短く一瞬なのかもしれません。
辛そうなすぴの記憶が全くなく、すぴとの楽しい思い出、可愛かったすぴが私の脳裏を埋め尽くしています。これもまた、すぴからの贈り物なのだと思います。すぴ、ありがとう。

他にもたくさん、後から気付いたことがあって…

【すぴ日誌】
一生懸命つけた日誌。途中からエクセルで作ってA4にプリントアウトして、半分に折ってホッチキスでとめて、後はマスキングテープでまとめる、という手作り風ノートにしてみたのでした。


〈文字はあとから記入しました〉

ホッチキスがなかなか上手くいかなくて…本当は一ヶ月分まとめたかったのですが、数週間分に量をおさえました。すぴの命がそこでおわってしまいそうでいやだったのです。
だから、7月12日、復活の兆しが見えた時、すぐに大きなホッチキスを飼いました。これで、ずっと日誌をつけられる〜と喜んでいました。
でも、7月15日がやってきました。なんと、ノートの最後のページでした。


〈ノートの右側は裏表紙なのです〉

こんなことってあるのですね…。
まるで、すぴが天国にいくのは決まっていて、避けられないことだったのだ、どうぞ諦めなさい、と言われているような気がしました。
「ママ。ぼくはね、天国に行くことにしたの。決めたんだよ」とすぴに言われているような気がしました。
これも肩から力が抜ける出来事でした。

【夏休み】
息子は今年から幼稚園に通いだしました。幼稚園の夏休みが目前でした。18日に終業式でした。夏休みに入ってから、息子の面倒みながらすぴの看病は大変厳しかったです。夏休みの前に逝ってしまうなんて…すぴの気遣いかと思うと、なんとお礼を言ってよいやら…。
また、先日、息子のお友達に我が家に遊びに来てもらいました。そんなこともすぴが居たらできなかったことです。すぴ、本当にありがとう。仲良くしてもらってるお友達で、久しぶりに会って息子は本当に楽しそうでした。
すぴ父とも息子と一緒にゆっくりお出かけできるようになりました。今までは、すぴにお留守番させて、夕方晩ご飯のころには戻る、というパターンになっていました。犬と幼児とが一緒に楽しめる場所というのは限られていて、ましてや、気温が高くなるとまたその場所も限定されていきます。息子にも小さいうちに家族でたくさんお出かけさせてあげたいという思いもあり、ただ、すぴのことが気になりあまり遠出ができない、といった状況でした。でも、すぴにとってみたら、以前に比べると断然お留守番が増えていました。本当に悪かったと思います。
なのに、この気遣いです。すぴ父と息子と一緒にゆったりと時間を過ごしながら、すぴへの感謝の気持ちが絶えません。そして、いつまでも、いつまでも、こうしてすぴにありがとうを言えている自分でありたいと自分を戒めます。すぴ、ありがとう!!

【サーターアンダギー】
すぴが亡くなるとき、なぜかサーターアンダギーのことが脳裏にうかびました。
すぴは、小さい頃、すぴ父とすぴ母の沖縄旅行のおみやげだったサーターアンダギーを、1袋全部たいらげたのです。美味しかったんでしょうね…そのあと、一度も口にさせなかったんだけど、こんなに早く亡くなるのであれば、最後に一口でも二口でもあげれば良かった…と思います。供養のためにも、家族で時々サーターアンダギーを頂いています。
…あとあと、ふと思ったんです。あれは、すぴのテレパシーではなかったかと!
よ〜く、よ〜く、この日誌を読み返して、はたと気付いたのです。
「大好物しか食べてない」
クッキーも生協のだけ。他の市販のものは食べませんでした。小さい頃から食べなれてるというのもあるのでしょうが、美味しかったのでしょうか?!お値段は、まあまあ良い感じの無添加のものです。
ジャーキーもです。ライスジャーキーといって、これまた生協のオヤツなんですが、お留守番の時にあげる、少し上等なおやつだったのです。
ササミなどの手作り食も、本当は食べたかったのかもしれない。今度飼う時は手作り食にしようと決心しているすぴ母なのでした。
あらま。食いしん坊のすぴだから、注射を打ってもらえたら美味しい物が食べられるとわかって、そのように仕向けたのかしら?!多いにあり得る(笑)
サーターアンダギーのことも、結構脳裏に浮かんだんです。でも、こればかりは、あげたら寿命が縮まると思い、できませんでした。
…のように、ひょっとして、すぴのテレパシーを私は受け取って行動してたのかしらん!?なんて思いました。
最初に病院にかかった時、すでに食欲がなくて注射を打ってました。だから、すでに食欲は落ちつつあり、ほっておいたら、もう何も食べれなかったかもしれません。注射を打ったことで、体力を奪い、結果寿命が縮まったかもしれないと思いましたが、注射のおかげで最期にこんなに美味しい物を食べることができたのかもしれない、そう思うと、なんだかちょっと笑ってしまうのでした。
サーターアンダギーはそれにしても、寿命3日は縮んだな…それはないぞっ、すぴ!

【目力】
リンゴちゃんの親子に会ったとき、リンゴちゃんママが「犬が、一点をずっと見るようになると、もうお別れが近いって友人に教えてもらったの。この子もずっと見てるでしょ。もう近いんだなって思って」ておっしゃってました。
すっかりすっかり忘れていて、ブログを書き出して思い出しました。
すぴ!最期に私を見つめていたのは、そういうことだったの!
どうして早く気付かなかったんだろう…そしたら、もっともっと、すぴに話したいことあったのに。最後はずっとずっと抱っこしてあげたのに…。
最後の数時間だけ、呼吸が荒く本当にぐったりしていました。だから、全然気付かなかったのです。
でも、そうやって、私たちに気付かれないように気付かれないように、すぴはがんばっていたのかもしれない、そう思えるようにもなりました。

すぴが残してくれたものや、私たちが抱くすぴへの思いを見つめてると、はたと犬の凄さを思います。

私の妄想なのですけど…

犬には、人間を喜ばすお仕事があり、いかに人間を喜ばせることができたか、ということを使命にしてるんではないかな…と思うのです。
だから、私たちをこのように心配させず、余計なことをさせず、うまく諦めさせる段取りもしてあの世にいってしまったすぴは、天国で「特別賞」を貰ってるのではないかな、と妄想して楽しんでいます(笑)
何か副賞もあって、「ママにしゃべりかけてもいいで賞」とか「早く生まれ変わっても良いで賞」とか、貰ってるといいなあ、なんて。

いつ会いにきてくれても、恥じない人間でありたいと思います。
すぴ、最高のママだね、てみんなに褒められるように、まだまだがんばるね!


〈凱旋は、この車でヨロシクっ〉





〜関連ページ〜
すぴ、病気の進行 〜まとめ〜

すぴ、病気の進行 その1 〜腫瘍らしきものがわかるまで〜

すぴ、病気の進行 その2 〜1度目の復活〜

すぴ、病気の進行 その3 〜2度目の復活〜

すぴ、病気の進行 その4 〜再び、嘔吐の連続。注射。〜

すぴ、病気の進行 その5 〜3度目の復活。そして…〜

すぴ、の贈り物。すぴ母が今思うこと


すぴ、病気の進行 〜まとめ〜 

August 07 [Thu], 2014, 3:12
動物の最後がこんなに早いと、私は知りませんでした。
人間のように、よぼよぼに老いていき、歩くのもままならず、介護が必要になって、ゆっくりと息を引き取るものとばかり思っていました。
早いと知っていれば、あんなこともしたかったし、こんなこともしたかった…と思ってみたり、最後は最後で私たちは全力を注げたのかもしれない、と思える日もあります。
私たちのために、もしかしたら病気のわんちゃんをかかえてネットサーフィンしている飼い主さんのために、最後まで命の炎を燃やし続けるどこかのワンちゃんのために、すぴの最後の日々が役立ってもらえれば、嬉しいなあと思います。
最後の数ヶ月のこと、その時の思いを綴った言葉を大切にしながら、よりわかりやすく、また、すぴの様子を思い出す限り書き足していきたいと思っています。思い出したら書き足し、修正するつもりです。
よろしくお願いします。
また、こちらのページでまとめてみました。

書き加えて更新したこともここに追記していければと思っています。



すぴ最後の数ヶ月


「オレは不死身だぜっみてろよっ」

すぴ、病気の進行 その1 〜腫瘍らしきものがわかるまで〜

すぴ、病気の進行 その2 〜1度目の復活〜

すぴ、病気の進行 その3 〜2度目の復活〜

すぴ、病気の進行 その4 〜再び、嘔吐の連続。注射。〜

すぴ、病気の進行 その5 〜3度目の復活。そして…〜

すぴ、の贈り物。すぴ母が今思うこと

8月10日
 ・全部の記事を、「追記」形式をやめて1ページに表示できるように変更しました。
 ・『すぴ、病気の進行 その1 〜腫瘍らしきものがわかるまで〜』に追記しました
 ・すぴ日誌の写メをそれぞれ日付ごとに画像をアップしました。すぴの様子が、よりリアルになると良いなと思っています。少しコメントも寄せました。
 ・「まとめページ」に「すぴ、の贈り物。すぴ母が今思うこと」を加えました。
 ・各ページに関連ページのリンク先を掲載しました。

すぴ、タローに会えた? 

August 07 [Thu], 2014, 1:33
すぴ母です。

すぴがいないこと、に段々と馴染んできているように思います。
すぴがいない!と思うことが減ってきました。
少しずつ、すぴとの楽しい想い出を思い出すことが多くなってきました。
でも、はたと、すぴが居ない現実にひっかかり、どうしてすぴがこの世にいないのか、について考え涙してしまいます。すぴに会いたい。もう二度と絶対に叶わないことなのに。その気持ちにひっかかってしまうと、なかなか切り替えられず、代理すぴをぎゅっとしてしまうのでした。代理すぴ、には、後ほどまた登場してもらいます(笑)

今日は、私の遠い記憶の話です。
少し前の記事にも書いたのですが、すぴ母は、幼少の頃、タローという犬を飼っていました。
10才まですぴ母は大阪に住んでいました。父の転勤で埼玉にやってきました。
大阪で8才のころからタローを飼いました。ある晩、突然に父が子犬を連れて帰ってきたのです。
それはそれは、可愛くて。
私たちが寝ている部屋のドアに、体当たりして「入れろ〜、入れろ〜!」といわんばかりでした。ガラス越しに、茶色くて、まるでぬいぐるみのように可愛い物体が跳ね回っている様子が見えました。
子犬、という新しい生命の息吹に、私たち家族が温かく癒されたような気がしました。
本当にかわいかった。

でも、まだ小さかった私は、友達と遊んだり、祖父の家に遊びに行くのが楽しくて、タローのことは二の次三の次になっていきました。家族で隣の祖父の家に遊びにいくと、タローが延々と泣くのです。ぼくのこと忘れないで〜といわんばかりでした。隣の家にいるだけなのに…。それだけ相手にしてあげる時間が少なかったのか、タローがそういう寂しがりやの性格だったのか、今は確かな記憶がなく…両方だったのかもしれません。

埼玉に引っ越すと聞いて、どんな家がいいか家族で相談した記憶があります。
その頃、一軒家に住んでいた私は「マンション」というものに住んでみたくて興味津々でした。
おまけに、その年は東京ディズニーランドが開園したばかり。
埼玉にいって、東京ディズニーランドにも行って、マンションにも住むぞ〜!!
と心が躍っていました。
タローのことは、どこかでひっかかりつつも、祖父母がみてくれる、という父と母の言葉に安心を覚えました。タローは、大丈夫。…そう自分に言い聞かせていました。タローと一緒に埼玉に行けないのはいやだ、とは一言もいいませんでした。どんなに小さくても、私にそう言うことは、絶対にできました。絶対に。私にその勇気がなかったし、自分のことしか考えていなかったのです。

引っ越しの日、タローはずっと鳴いていました。私たちの異変に気付いているようで、ずっと、ずっと鳴いていました。だけど、会いにいけなかった。お別れの挨拶をすると、余計に鳴いてしまいそうで。自分の罪悪感が大きくなりそうで。本当は会いに行きたかった。抱きしめたかった。ごめんね、タロー。

それから、大阪で祖父母がタローの面倒を見てくれたけど、どうしてもタロー鳴き止むことができなかったそうです。
私たちももうマンションに住んでしまって、引きとることもできず、飼ってくれる人もみつからず。
私にはどうずることもできず、タローは、保健所行きになりました。どんな思いで保健所に行ったのか、そのことを考えると、言葉がなくなります。

なぜ、引っ越す時に自分のことしか考えることができなかったのか。私は、後悔し、自分の過ちを悔やみました。タローと一緒に行きたい。どうして、その考えが出なかったのだろう。

…私の中で、タローへの思いは消えることがありませんでした。
もし、次に動物を飼うのなら、このような思いは絶対にしない。
その決意は固かったのです。

すぴ、私の思いを叶えてくれてありがとう。
タローに会えてるといいのだけど。
タローにも、すぴにも、絶対にまた会いたい。
ふたりをぎゅっとしたい。

うざいから、いや!って、いつものように、すぴに言われた気がしました。
そんなすぴが大好き。




すぴ母、10才のころ。タローと。タローは雑種です。



すぴ、押し花になる 

July 30 [Wed], 2014, 10:29
すぴ母です。

綴りたいこともたくさんあるし、すぴの最後の様子も、できるだけ書き加えようと思っているのに、夏バテなのかバテバテモードでなかなかうまくいかず…がんばりますっ

少し前になってしまうのですがすぴ父のお母さんから、素敵なプレゼントをいただいていました。

すぴ父のお母さんは、押し花教室をされています。スタジオにもたくさんの押し花の作品を届けてくださり、いつも生徒さんの心を癒してくださいます。
お義母さんの作品には、心がこもっている…と表現したら良いのでしょうか…ただ押し花をはりつけた…とは言いがたい、なんとも暖かく、見ている物の心を動かすような作品ばかりです。
20日のお昼過ぎ、お義母さんから連絡があって、すぴの押し花を作ったので持ってきてくださるとのこと。
すぴが、押し花になりました。

朝から手がけて、午後4時に持ってきてくださいました。すごい!
我が家のリビングで、いつも通り、相変わらず静かに私たち親子の会話を盗み聞きするようなすぴ…に見えてなりませんでした。
時々は、遊びにおいでね!すぴ!

新しいペットロスのカタチ 

July 29 [Tue], 2014, 22:49

すぴが亡くなった時、多くの人が花束などをくれました。


無愛想なフレブルは、イジり甲斐があったのか、結構多くの方から可愛がられていたようです。


そういう方たちへの返礼品として、すぴ母がネットで品物を探していました。


そして、下の写真がその結果です。






いろんなすぴです。笑


ペットロスはロスですが、少し愉快な感じを取り戻してきました。


部屋中、すぴだらけでなんか楽しいですよ。笑

すぴ、形見 

July 24 [Thu], 2014, 12:54
すぴが他界してから一週間が過ぎました。


すぴが「過去」になりつつあります。


なんというか。。。


昔、というか、誰にでも一度はあることかもしれませんが、海水浴場で大好きな浮き輪を風で飛ばされてしまったことがありました。


風に煽られ浮き輪を手放すと、浮き輪は波に飲みこまれ沖へ。


あっという間、もう手が届かない。


つい、さっきまで手の中にあったのに、もう届かない。


徐々に浮き輪は遠ざり、小さくなって、最後には見えなくなる。


色や形を思い出せなくなる。。。




そんな感じです。




すぴという生々しい存在が、失せていき、過去になりつつあります。




でも、ひと目で強引にすぴの存在を思い出させるものがあります。


リード。




すぴと私たちをつないでいたもの。


見ればいつも、その先に、すぴの存在を感じてしまいます。


ブヒという鼻息さえ聞こえてきます。笑




形見ですね。




焼け残った小さな爪の骨などを、ペンダントに入れましたが、すぴの一番の形見は、リードかもしれません。


大切にしよ。




すぴ父より。

すぴ、の思い 

July 18 [Fri], 2014, 23:00
すぴ母です。
ペットを亡くされる方、皆さんここを通過するのでしょうが、10年も一緒にいると、がっつりどっぷり「すぴ」が生活の中に入り込んでいて、それをみつけるたびに、「はあ…」とため息をつきます。あっちで、はあ…、こっちで、はあ…。
食事を摂りながら、ふと、でも、なんとなくなんだけど、すぴがなんとなしにやっていたことがちょっとした拍子でみつかって、ほっこりすぴの親孝行、みたいなことが起こりそうな気がして、すぴ父にも伝えてみました。

午後、息子を祖父母のところに預ける段取りをし、そろそろ出ようという時、電話がなりました。「藤ママです」その声を聞くだけで、涙がまた溢れ…
すぴが大好きでやまなかった藤ママ。小さい頃から、私たちの旅行の時は、いつも必ず藤ママに預けていました。自宅を開放して、放し飼いでワンちゃんたちを預かってくれるのです。いつもお迎えの車がとまって、藤ママの姿が現れると、猪突猛進したすぴ。飼い主そっちのけで、ちょっぴり寂しかったんだぞ〜。
…というくらい、藤ママ大好き。牛のひづめを教えてくれたのも藤ママでした。
藤ママのところに連れてってあげたい。そう思っていたのですが、行ってしまったら最後のお別れになってしまいそうで、足が向かなかったのです。でも、でも、連れて行ってあげたかった。藤ママにだっこしてもらいたかったね、すぴ。ごめんね。
藤ママが、「ちょうどね、本当にね、今日すぴちゃんのことを思い出していたんですよ。そしたらすぴ父から電話があって、またお子さんとご旅行でもあって、予約の電話かと思っていたんです。本当に残念です…」ああ、すぴ、藤ママのところに挨拶いったんだなあ、なんて思いながらお話を続けていると、電話の向こうで、また携帯電話がなる音が。「ちょっと待ってください…もしもし!ちょうど今奥様と話していて…」あれま!すぴ父でした。こんなことってあるのかあ。「ねぇ。すぴちゃん、頭が良かったから。ちゃんと考えて…」再び、号泣。息子が「も〜!」と怒ってティッシュ持ってきてくれました。
すぴの、やんわりとした、あったかい春風のような思いが時空を超えて、すぴ父、すぴ母、藤ママの間を駆け巡っているような気がしました。
「ありがとう〜」ってすぴのサプライズプレゼントだったのかなあ。
ちょっと驚いたけど、すぴの思いが私たちに届けられたような気がして、嬉しくて、寂しくて、そんなことができるすぴが凄すぎて、自分がちっちゃすぎて、またしばらく泣いてしましました。


馬のひづめをがじがじするすぴ。
「やめられないっす。ちょっと臭いのが、サイコー」by すぴ。

すぴ、お骨になる 

July 17 [Thu], 2014, 21:00
すぴ母です。

《7月15日(火)〜16日(水)》
すぴ父の仕事の予定とスタジオの都合を合わせ、木曜午前中に火葬になりました。それまで、この暑さの中、どう遺体を痛めないでいけるのか…
とりあえず寝室を冷房でがんがんに冷やし、保冷剤をお腹にあてておけば大丈夫だろうと思っていたのですが、完全に夏の日差しの中で厳しいだろうと、ご近所でお世話になっている方が、大きな発砲スチロールの箱とドライアイスを買ってきてくださいました。保冷剤もたくさん投入しました。すぴの遺体は、偶然にもいつもいびきをグーグーかくときと同じ体制で死後硬直し、幻覚でいびきが聞こえるようでした。肋骨も動いているようなきがして、何度も見てしまいました。死後硬直があんなに硬くなるとは知らなくて驚きました。
亡くなった直後に排泄されたうんちが体を汚しており、まだ少しずつでているようなので、これが最後のお手入れと思い、一生懸命きれいにタオルでふいてあげました。肛門にティッシュを少し詰めてあげました。

先生に電話にて、すぴが亡くなったことを、ご報告しました。
そしたら、リンゴちゃんも今朝方亡くなったと、さきほど連絡あったんです、とのことでした。リンゴちゃん!!命日が一緒になるなんて、なんていうご縁だったのでしょう。おつかれさま!すぴと仲良くしてやってね。なんだか幼稚園生が会ったとたん意気投合して、手をつないで逝ってしまった、そんな感じでした。

なぜかサーターアンダギーがとても気になりました。すぴ父に買ってきてもらいました。沖縄の料理店のお持ち帰りで、すぴに2個、私たちも1個ずつ頂きました。とっても美味しかった!すぴ、ありがと!父、ご苦労様でした!
サーターアンダギーを昔1袋全部食べてから、禁止されていました。が、おそらく、すぴはあの美味しさを忘れられずにいたのでしょう…療養中あげたかったけど、確実に3日は寿命を縮めました(笑)

バレエの生徒さんがたくさんお花をくださいました。
仲良くいつも気にかけてくれた子供たちも、涙を浮かべながらお別れの挨拶に来てくれました。良かったねすぴ。みんなにハーレムされるの、大好きだったものね。


2014年7月15日 あっという間に祭壇ができました。すぴには、ひまわりが似合います。

すぴ父とすぴ母は、完全ペットロス状態で、放心しながら、泣きまくり、落胆しまくり、すぴの存在の大きさに打ちのめされていました。
私たちが愛してたと思ってたけど、実は、すぴに愛されていたことに気付きました。
息子には、丁寧に説明して、少しずつ、少しずつ、もうすぴ(にいに、と呼んでいました)に会えないことを理解していきました。

《7月17日(木)》
9時半、ペット葬儀屋さんがみえました。なんだかばたばたしちゃって、すぴ父と少し口論になってしまい、こんな最後に気分は最悪でした。すぴとの約束がすでに守れてなくて、すごく情けない思いでいっぱいでした。がんばらなくては。なんとか気持ちを持ち直し、火葬の準備に入りました。
おやつとフード、それに手術でとってしまった睾丸のホルマリン付け(ちょっと笑)を、火葬の台にのっけました。すぴをこの目で見るのが最後になる、言い尽くせない悲しみに、ずっと泣いていました。
ドアが閉じて、すぴが見えなくなりました。すぴ、さようなら。ありがとう。本当にありがとう!元気でね!
ペットの葬儀は、車で来て頂いて、車の中で火葬(煙ナシ!)する業者に頼んでいました。1時間〜1時間20分ぐらいで終了しますので、少々お待ち下さい、とのことでした。
こちらの業者さん、ペットセレモニー シオンさんといいます。
http://www.eden-tokyo.com
0120-139-406 大出 茂 様

じっくり私たちの話を聞いてくださり、自分も犬を飼っていて3月に亡くしたばかりなんです。とお話になっていました。
1時間ほどしたころ、呼び出しがあり、いよいよお骨拾いです。
私は、不謹慎ですが、火葬のあとの骨をみるのが好きです。今まで渦巻いていた、いろんな亡き人への思いが、一気にすーとなくなるのを感じます。いっさいがっさい、理屈ぬきで諦めることができます。もうこの世にいないことが、頭でなく、体でわかります。
すぴのおでこ、骨になっても奇麗に残ってました。あのおでこをなでなでするのが大好きでした。じっくり見ていましたところ、こちらの大出さんが、こんなことをおっしゃりました。
「これは……、老衰ですね」
「???」すぴ父と母は仰天しました。だって肝臓に腫瘍が…
「いや、肝臓はあんまり気にならなかったですよ」
そういえば、腫瘍かどうかも確認しておらず、悪性か良性かも検査してないから、それ以上反論することができず。
煙がでないように、また、焼き過ぎたりすることのないように、中の様子をみながら絶妙に加減しながら火葬にあたるそうです。
また、病気や事故で亡くなる子っていうのは、骨が粉々になってしまうとのこと。生きるパワーが病気に使われてしまうと粉々になりますし、事故にあうということも結局どこか体の調子がおかしいからで、骨が粉々になってしまうとこのとでした。また、「がん」だったら、(理由はちょっと忘れてしまったのですが)もうあと10分くらい焼かないといけないそうです。そうでないから、がんではなかったのでは?と言われました。えーーーーーー!!!
なので、老衰。天寿を全うしたのではないか、とのことです。
私の肩の力ががくっと抜けました。
この数週間がんばってきたけど、肝臓でもなく、ガンでもないとな???
すぴはでも、全然老犬に見えなかったんです。毛艶が良くて…と申したら、だから、生きるパワーが強くあって、生きることに使えたからですよ。病気に使ってたら、こんなに奇麗な骨が残らないのです、と言ってもらいました。
だから老衰の子は、具合がわるくなってからがくっと亡くなるまでが早いんです、とも。あ〜、納得です。
そして、今まで流していた涙が、ぴたっととまりました。
ちょっと足が悪かったですね…と少し茶色くなった後ろ足を見せてくれました。
そんな、痛がる様子はなくて…というと、犬は我慢強いですからねえ、とのこと。
すぴ、そうだったのかい?痛かったのかい?犬生を全うしたの?
なんだか、すぴのほうが数段上に感じました。
すぴががんばってくれたのに、飼い主が元気でいられるようにがんばってくれたのに、私が簡単にへこたれちゃって良いのだろうか。
亡くなる前日、私をじ〜と見つめていたすぴ。あの時、どんなに体が辛かっただろう。なのに、平然と私を見ていました。あの目の力に、私は元気をもらっていたのだと、気付きました。
すぴ、すごすぎるよ。そんなに凄いやつだったなんて、知らなかったよ。本当に、ありがとう。

どうですか、少し笑顔になられて、良かったです、と大出さん。それが、僕の仕事です。ペットロスなんかになられたら、困りますから。
あ〜感服です。
今までの説明の中に、私たちが元気になるために少し誇張があったかもしれない…けど、これもご縁。最後は、飼い主としてやりきったと思っても良いのだと、またまた、肩の荷がすーとおりるようでした。

また、すぴ母には別の思いがありまして。
また詳しく書きたいことなのですが…幼少の頃飼っていた雑種犬(タロウ)を、致し方ない理由の積み重ねがあり、保健所行きにさせてしまいました。私は小さいながらも、次に買う犬は絶対死ぬまで面倒見る、と固く固く誓っていました。今もその犬のことを思うと涙がとまりません。あの子の鳴き声が私の脳裏から消えません。ずいぶん寂しい思いをさせました。構ってほしくて良く泣く子でした。

もし、すぴが天寿を全うしたのであれば、今そう思っても良いのならば、私はその約束を果たすことができたのかもしれない、またまた、すーと肩の荷がおり、骨抜きになりました。
すぴ、タロウに会えたかな?よろしく言っておいてね!あの時は何もできなくて
、本当にごめんねって、伝えてね!みんな、大好きだよ!

すぴ、病気の進行 その5 〜3度目の復活。そして…〜 

July 17 [Thu], 2014, 2:24
すぴ母です。

《7月12日(土)》
夜中の2時半、なんと置きっぱなしだったライスジャーキーを食べました!暗闇でがさがさ音がするっ、思ったらすぴがライスジャーキー食べていたのです。
ラストチャンス!!!なんとかなった!と嬉しくなりました。最後のかけに出て良かった!
もうササミも食べなかったので、お魚のタラにチャレンジ。消化やすぴの体調にあうのかどうか不安でしたが、自分の直感を信じてみました。少しずつ食べ、最後には出した分完食!奇跡が起こるのか…このまま少しずつ、少しずつたべるんだよ、すぴ。という願いもむなしく、午後3時頃から吐き出しました。薬のあとの嘔吐です。きっと、薬が効いて胃の調子が良くなったあとに、今の消化機能を上回る食品を食べてしまうので、体が拒絶反応を起こすのでは?!とすぴ父とよく話していました。薬でよくなった人工的な健康から、元の本来の自分の能力に戻る時にある種のギャップみたいなものが生まれて体が追いつけなくなるのかなあとも思いました。

しかし、この吐き気が全くとまりません。すぐにくる吐き気に反応する姿が痛ましくて、いてもたってもいられませんでした。
この吐き気をとめてあげられるのなら…でも、注射の吐き気だったら少しすれば落ち着くこともある…明日の朝にはおさまっているかもしれない…
落ち着いてほしい、そう思いました。

食事 5回(ライスジャーキー合計11本)
飲水 7回 
嘔吐 6回
おしっこ 7回
うんち 0回


〈ジャーキーと食べてくれたので、また一からやり直しだ!と思っているのですね…お魚は、鶏肉よりも消化が良いかもしれないと思ったのでした。〉

《7月13日(日)》
だんだん吐くのが落ち着いてきたのか?!病院に行かなくても大丈夫か?と様子をうかがっていたけど、9時ごろにやっぱり吐きました。これは、病院で吐き気止めしかない、最後の手段だけれど行ってみよう、とすぴ父と決意。
この間、最後と思ったけど、またきちゃったなあと恥ずかしく思いつつも、あの後ジャーキーが食べられていたので、また復活もあり得るのかなあ、なんて思いもありました。
胃のムカムカをおさえる薬を多めで注射と点滴うってもらいました。
その後、いつもの爆睡。でも少し最初の頃の爆睡と違います。もしかしたら死んでしまったのか???とすごく不安になりましたが、時々、きゅっと目を開けます。目の力は健在で、ああ良かったとこの日は何度も思いました。
しかし、暑い。自力で寝返りをうつことが難しくなってきたのか、爆睡しているのか、はあはあしながら、息が荒くなりました。いよいよか…と思うけど、体温が暑くなっただけのようで、寝る場所を変えると落ち着きました。
もう、立っているのがやっとにまで筋力も落ちました。おしっこするのに足をあげるのも厳しそうでした。でも、私たちにひとつも甘えません。きゃん、とも泣かないし、肝臓が悪い子は、痛みがあまりなく、ちょっとだるいかなあという程度のようです。苦しい様子はありませんでした。
食事はとれなかったけど、スープを作る気まんまんでした。食材を買いに出かけ、夜にかけてスープをつくりました。辰巳芳子さん著「あなたのために_いのちを支えるスープ」を参照して、しいたけスープにとりかかりました。(梅干しぬきました)これは美味しそう!すぴのためにたくさん作って、いずれ病気になる人のために役立てよう。なんて思っていました。玄米スープの準備もしました。が、しかし、そのスープも飲まず。葛湯にしてみてもだめ。気づくと、何も食べていないすぴなのでした。水もあまり飲んでいませんでした。
ずっと爆睡でしたが、夜起きました。お水飲んで、おしっこして、さあ、これから元気をとり戻そう、スープから療養して、だんだん食べていこう!と思っていました。が飲まず食べずで、また寝ました。薬の効き方が変わっているのかもしれない、明日の様子を見守ろうと思いました。
この日から、暑さもあり、また息子の喧噪に療養ができないだろうと、リビングつなぎの私たちの寝室をすぴ専用にしました。ベッドの上におしっこシートの大きいものをひきつめ、すぴのベッドを置き、ひえひえシートをおき、体を冷やしながら、いつ嘔吐しても良いようにとすぴ父の計らいでした。すぴ父が心配して、そのベッドの上で寝ようとしましたが、すぴは寂しいのか、最近みんなでリビングで布団をひいて寝ていたのですが、そちらに来るようになりました。吐き気が続いているのか、かまわれることが億劫のようでしたので、すぴに近寄ってぎゅっとしたり、お腹をさすってあげたい気持ちをぐっとおさえました。

食事 0回
飲水 2回 
嘔吐 3回 病院の注射のあとはナシ
おしっこ 1回
うんち 1回(チョコレート状)


〈見事に何も口にしていません〉

《7月14日(月)》
朝方玄米スープをつくりました。美味しそうな香り!これは人間にも本当に良いだろうなあと思いました。手間ひまかけたスープ。どうかすぴのからだの細胞にしみわたり、元気に変わりますように…。そして明日届く犬用のスープになんとかつなぎたい!がんばろう、すぴ!そう思っていました。
しかし、やはり注射の24時間後あたりから吐き出すように。今となればニンニクの影響はないだろうに、やはりこの吐き気は薬の影響だったのだなあと思いました。しかし、前日固形物は与えなかったので、吐きたい違和感はあまりないのか、少し頭をあげて吐きそうなしぐさがありつつも、吐かないでうつ伏せになる、ということが何回もありました。ベッドの上ですぴは過ごし、私はベッドを椅子代わりにして、パソコンで仕事をしました。すぴは、あまり寝返りをうつことができなくなり、時々体制を変えてあげました。すぴ父から、すぴは大丈夫か?というメールが何回か来ました。その都度、良い感じはしなしけど、吐き気もあるけど、なんとかこらえて大丈夫みたいだ、と返信していました。
しかし、気付くと水を全く飲んでいない。これは、シリンダーであげるしかないと、時間を見計らって少しずつ、吐くことにつながらないようにシリンダーで水をあげました。インターネットに、腫瘍をかかえながらも、1年半生き延びているというゴールデンレトリバーの飼い主さんの書き込みを発見。何度も水を飲まなくなるほど衰弱して死にかけたけど、そのたびにシリンダーで水をやり、よぼよぼで歩けなかった時もあったけど、今は歩けるようにまで回復したとありました。病院に通わないで、療養食に変えただけ、とも。ああ、今のすぴと似ている。飼い主があきらめないで、お世話をしていこう。すぴ父にもそのようにメールしました。それとは別に、すぴ父からメールが来ました。今すぐに必要とは思わないけど、念のため、ペット葬儀はここがいいんじゃないか、という内容でした。いざすぴが亡くなった時に供養の方法で喧嘩になるのがいやで、前々から話し合っていました。もしすぴが天国にいったら、火葬にして、墓はなし、粉骨して、すぴが好きだった場所に散骨しよう、と決まっていました。大事なことは決まっていたので、特に気がとがめるとかもありませんでした。
すぴは、おしっこをしたいようなのに出ません。今思うと介護の本を買ってきていたんだから、見ながらでもおしっこの介助をしてあげればよかった。何度かおしっこに立ちあがり、いつもおしっこをする場所で佇むのですが、じーとしているだけで、おしっこがでません。大丈夫かなあと心配しつつも、飲んでいる水の量が少なかったし、手伝うことにチャレンジしてみても、すぴに拒絶されてしまい(笑)あまり深く考えずそのままになってしましました。
19時ごろ、突然すぴが私たちのベッドから降りてリビングにやってきました。私に近寄り、足首の匂いをかぎました。いつも私に近寄るとこの動作をします。足首フェチなすぴでした(笑)。うわあ、復活―!と喜んですぴ父にすぴの勇姿をメールしました。


〈2014年7月14日 亡くなる一日前のすぴ。痛々しくも、力をふりしぼり、すべて自分の力で、いつも通りのことをやりました。私にはまぶしくて、かっこよくて、勇姿だった。〉

台所に寄って、脱衣所に移動。そこは、最近のすぴの避暑地で、洗濯機の下に背中をぴたっとくっつけて寝るのがお気に入りでした。


〈この時の写真を撮っておらず…元気な時の写真。すぴの気分は、こうだったのだと思います。〉

そこでひとしきり寝たら、リビングに移動。すぴのベッドを定位置に戻してあげると、そこでもひとしきり寝ました。そして、ハウスに移動。そこでも体を横たえて寝ました。その間、何か視線を感じ振り返ると、じーっと私のことを見ているすぴがいました。何度も、何度も見ていました。さすがに照れてしまい、我慢もできなくなり、なんだよ〜と近寄ってぎゅっとしました。私も、何度も、何度もぎゅーっとしました。やせていたけど、やっぱり肉厚があって、ふかふかで、最高でした。明日スープが届くからね、それを飲んでがんばろうね、と囁きました。
すぴ父が会社から帰ってきました。息子を寝かしつけてるつもりが、うっかり自分が寝てしまいました。すぴ父が食器の片付けなどしてくれたようでした。
私は深い深い眠りにつきました。


〈水分は全部私がシリンダーであげています。お買い物でゲットできた粉末のスポーツドリンクもシリンダーで。すぴは頑に口を閉じて拒否していました。歯の隙間から無理矢理シリンダーを入れてあげていました〉

《7月15日(火)》
AM1:00ごろ。がばっと飛び起きました。まずい!!すぴ!!!!
そして、寝室に行きました。暗くてすぴの様子がわかりません。前足を触りました。濡れている。わあ、寝ながら吐いちゃったんだ。手元の照明をつけました。おしりから、チョコレート状のうんちが出ていました。まずい。すぴ父をおこし、寝ながらうんちしていることを告げ、汚れたカバーを風呂場で洗ってもらいました。からだをキレイに拭きながら、様子がおかしいことに気づきました。全く反応しない。呼吸が浅い。目の力が、ありませんでした。
ああ、とうとう、とうとう、この時が来てしまった。
すぴ父にリビングのベッドにうつしてやりたいと伝え、二人ですぴを移動。
すぴ父はしきりに俺と一緒に寝た時は普通だったのに…目に力はあったのに…と話していました。
動物も、人間と一緒で、死に際は、目はほとんど見えていないけど、耳は聞こえていることを知っていました。私の父が亡くなる時にそうしたように、後悔を絶対しないように、すぴに私の思いをしゃべり続けました。

がんばろう、すぴ。もうちょっと、ママといよう。明日スープが届くからさ、それで毒素だして、もう一回復活して、お散歩しよう。ね、どう?すぴ。がんばろう、すぴ。
ねえ、すぴ、パパとママだよ!(すぴが、びくっとしました)

私は、ふと、話している内容を変えました。
すぴ。もういいよ。パパとママのことは心配しないでね(すぴ、また大きく反応…)
ありがとう。もういいよ。もうがんばらなくていいよ。(すぴ、ふか〜いふか〜い息を吸い込みました)
ありがとう、すぴ。かわいかった。10年間、本当に楽しかった。ありがとう。
パパとママのところに来てくれて本当にありがとう。
でもさ、サーターアンダギー一袋食べたとき、あれは本当にびっくりしたよ。
だめだよ、あれはさ。
また来てよ。また、パパとママのところに来てよ。ね…すぴ。本当にありがとう。

すぴは、ハアハアと呼吸を荒らげました。

魂が肉体から離れる時、お迎えが来ていなかったり、この世に未練があると、とても苦しいと聞いたことがあります。なかなか離れることができず苦しむ人もいるようです。

すぴ、ママのじいじがお迎えに来てるはずだよ。じいじがいるから安心してよ。会ったことあるよ。大丈夫だよ。会えたら、一緒に待っててよ。必ず、パパとママも行くからね。
安心して行きなよ。大丈夫だよ。がんばれ。
がんばれ。
がんばれ。

呼吸がゆっくりになっていきました。

じいじ、いたでしょ!会えたね!良かった良かった。

さらに呼吸ゆっくりに。失禁がありました。
最後大きく口があき、まるで、そこから魂が出て行くようでした。
5〜6回のようだったと思います。あくびのように大きく大きく口を開けていました
私たちは、泣きながらも、すぴ、ありがとうと言っていたように思います。

AM2:20 嘉本すぴ 永眠




〈すぴ母の父と。伊丹空港の待合室にて。まだ飛行機に乗れた時ですので、随分前です。すぴ母の父は平成19年11月13日に他界しました。〉




〜関連ページ〜
すぴ、病気の進行 〜まとめ〜

すぴ、病気の進行 その1 〜腫瘍らしきものがわかるまで〜

すぴ、病気の進行 その2 〜1度目の復活〜

すぴ、病気の進行 その3 〜2度目の復活〜

すぴ、病気の進行 その4 〜再び、嘔吐の連続。注射。〜

すぴ、病気の進行 その5 〜3度目の復活。そして…〜

すぴ、の贈り物。すぴ母が今思うこと
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