ぼくはまだ、ここにいる。 

January 07 [Thu], 2010, 0:02
西澤保彦『身代わり』読了
















タックシリーズ、9年ぶりの長篇、第6作。

大傑作『依存』の後日談ともいえる本作だが、
推理小説の核としての殺人とそのトリックについては
西澤氏にしてはひねりが効いていない。
まったく関連の見えない二つの殺人をつなぐものが
ちょっとありきたりだし、やや無理がある。
後日談に終わってしまっていると言えばそれまでの作品である。

しかし、本作はシリーズにおいて
なくてはならない作品だったとは思う。

私の関心ももう最初っから
タックの回復と帰還にしかないわけで、
その一点において本作をこれ以上なく感慨深く読んだ。

「先輩」(私のなかでは「ボンちゃん」ではなく「先輩」)の
事件への自発的な介入を「代償行為」と語るウサコにしびれた。

              (幻冬舎、2009年9月25日)

妄執の標的
「ただいま」というひとりごと

妄執の標的 

December 31 [Thu], 2009, 14:04
西澤保彦『収穫祭』読了
















原稿用紙にして、1944枚。

西澤保彦氏の作品中で最長の大部だが、
時を忘れて(仕事を忘れて)一気に読みきった。
そして、読了後、時のうつるまで呆けてしまった。

殺しすぎである。
鎌で首をばっさり、11人ですよ。

単純に言って、
これだけの殺人を犯人特定の遺留品を残さずになしとげるのは、
科学的捜査が今ほど精緻ではないだろう28年前のこととはいえ、
不可能だろう。

しかし、なにが面白いかって、
三人の中学生の心中に狂気が沸き起こるその時が
台風の直撃を受け、豪雨が吹き荒れるひと晩であるということだ。
そして、三人が向かうのが小学校の旧校舎であるということだ。
もう完全に、相米慎二監督の『台風クラブ』。

また、狂騒の一夜から13年後、
青年の「脳内宇宙で爆発」する
フラッシュバック(記憶連鎖の炸裂)の契機となるのが、
テレビCMに一瞬映ったエキストラの手指にあった
三角形をかたちづくる黒子だったということだ。
もう完全に、三島由紀夫先生の『豊饒の海』。

もちろん、ラストには、
西澤氏らしい強烈などんでん返しがある。

これまでのSF設定の諸作や、
タックシリーズとはまったく毛色の違う作品だが、
本作は西澤氏の「裏」の代表作となるだろう。

              (幻冬舎、2007年7月10日)

「ただいま」というひとりごと


以下はわずかにネタバレを含むため、未読の方は注意を。

Goodbye To Romance 

December 17 [Thu], 2009, 23:11
曽我部恵一 「SINGS」
















ライブ会場で限定販売されていた
曽我部恵一によるカバーアルバムがリリースされた。

そのわずか8公演のツアーでは、
こともあろうに「犬山」に来るというので
あわててチケット入手に動いたものの叶わず、地団駄を踏んだ。
こうして一般販売されたことを
手放しで今、私は喜んでいるところである。

ちょっと手間だけど、全曲を以下に記す。

 1. How Can I Apply…? (THE TRASH CAN SINATRAS)  
 2. Sunday Mornig (THE VELVET UNDERGROUND)
 3. Last Caress (THE MISFITS)
 4. Goodbye To Romance (OZZY OSBOURNE)
 5. サイダー '73 (大滝詠一)
 6. No Fun (THE STOOGES)
 7. Here Comes Your Man (PIXIES)
 8. Like A Virgin (MADONNA)
 9. 時計をとめて (ジャックス)
 10. Blue Thunder (GALAXIE500)
 11. Yesterday (THE BEATLES)
 12. LOVE (JOHN LENNON)
 13. Stand By Me (BEN E KING)

深夜の事務所で、
ちっちゃなレコーダーを使って録音されたというこれらのトラックは
まさに「フォークギターを練習中の中学生が
ソングブックを見ながら練習しているよう」で、
これ以上ない優しい音色をたたえている。

オジーの「Goodbye To Romance」では、
ランディ・ローズのあの印象的なイントロもソロも
曽我部はまったくなぞろうとしていない。
それでいて、この曲の中心を完全に射抜いている。
そのことに、心底驚かされた。

私などMETALLICAのカバーでしか知らない
ミスフィッツの「Last Caress」も絶品。

         (ROSE RECORDS 、2009年12月4日)

いのちの水 

December 16 [Wed], 2009, 22:30
SOUL FLOWER UNION 「AQUA VITE」












巷に溢れる凡百の「歌」と比せば
圧倒的な強度を保持しているとはいえ、
正直言って、シングルカットするような曲ではない。
清志郎とマイケルへの追悼カバーも、
ソウルフラワーにしては尖りがなく、まぁ時事ネタみたいなものだ。
曽我部恵一によるMIXも及第点。

でも、ソウルフラワーはこれでいい。

なんたって、
「潮の路」「もっともそうな二人の沸点」「日食の街」ですよ。
「もっとも」のギターの掛け合いには、そりゃしびれるっしょ。

ソウルフラワーには、新曲はもう出来次第、
ライブ録音とカップリングして、がんがんリリースしてほしい。

         (SOUL FLOWER RECORD 、2010年1月1日)

虚空を射抜く眼差し
ルーシーの子どもたち
どこよりも強い風が

象徴としての夜会服 

December 08 [Tue], 2009, 0:19
三島由紀夫『夜会服』読了
















右も左もダザイだらけのこのひととし、2009年、
人知れずひっそりと角川文庫ががんばっている。
二月に『純白の夜』、三月に『夏子の冒険』を新装版で出し、
少し間をあけて、この十月、初の文庫化となる本作を出版したことである。
なぜに今、唐突に、ミシマ先生の本作が
角川文庫で、改版でもなく初版で出版されるのか、
そのへんの事情は不明ながら、まったくもって素晴らしいことではないか。

で、『夜会服』。
とある令嬢の結婚と、姑との「神経戦」を描いた軽めの娯楽小説で、
よほどのことがない限り三島論でも言及されることはない。
しかし、こうした軽めの作品群にも確かに「ミシマ」が息づいているし、
紛れもなく「ミシマ」である。

「運動の先輩の忠告は、小うるさい場合が多い」だの
「幸福というものは、独創的であってはいけないものだ」といった、
実にミシマらしいアフォリズムはもちろんだけれど、
ぼくがしみじみとしてしまうのは、次のような描写の妙である。

 「首のつき具合が、決して猫背にならず、少し反らすようについていて、
  そこから胸へと下りてゆく線が、自然で、なだらかで、美しかった。
  胸も決して下品なほど豊かではなく、ただ全身の印象が、下へ下へと
  垂れていくような感じではなくて、目に見えぬピアノ線で、上方へす
  っと吊られているような感じがあって、これが馬上の姿を、まだ下手
  なりに、いかにも見伊達のあるものにしていた。」

さて、本作が刊行されたのは
昭和42年9月(連載開始はそのちょうど一年前)で、
『葉隠入門』刊行直後にして、
既に自衛隊への体験入隊も済ませている頃だ。
文壇はもちろん、世間からも異物視されはじめたころである。
すでに、あの『豊饒の海』の連載も始まっている。
ぼくは残念ながら、その同時代に生きていないから、
ひと手間かけて、こうした確認作業が必要なのだが、
そんな時期に描かれたこの『夜会服』を、ひどく感慨深く読み進めた。
いろいろなものが透かし見えるように思うのだ。

11月25日には『複雑な彼』(こちらは集英社文庫で文庫化済み)が
角川文庫で続けて出ているはずである(まだ未見)。
骨のある編集者が角川文庫にはいる。

     (1967年作品、角川文庫、2009年10月25日)

みんな考え方の問題 

December 04 [Fri], 2009, 23:39
樋口有介『夏の口紅』読了

















旧姓を聞いてもすぐには思い出せないくらい
存在そのものが記憶の彼方にあった父が死んだと唐突に連絡があり、
十五年前に家を出た父が新しく持った家庭を笹生礼司が訪ねると、
血のつながりはないが「従兄妹」にあたる美少女季里子に迎えられ、
これが遺品と手渡されたのは
どうやらひどく貴重で、しかも新種でもあるらしい
傷みのない完全なゴクラクトリバネアゲハの標本だった。
しかも、その蝶の標本は二体あり、うちの一体は、
そこで初めて知らされた「姉」のためのものであるという。

意匠を凝らして無理して作りだしたような感じがなく、
本質的に言って、実に樋口氏らしい作品である。

『雨の匂い』に次ぐ、シリーズ外のベスト上位作品。

解説は米澤穂信。
ちょっと意外な感がしたけれども、興味深いことに、
氏はここで樋口有介の「文体の虜になった」と語っている。
米澤氏の作品も愛読する私としては、自分が好む文体というものが
ここにあることを再認識した。

     (1991年作品、文春文庫、2009年7月10日)

理解しようという傲慢

自分自身の無意味さを恐れない。 

November 24 [Tue], 2009, 23:18
樋口有介『11月そして12月』読了
















樋口作品としても
かなり地味な部類にはいるだろう本作は、
家庭で起こる二つの不倫に振り回されながらも、
晴川柿郎がひとりの少女と出会い、成長していくという、
まあ、青春小説なのだが、
そこはそれ、樋口作品であるから、
曲がって曲がって、やっとのやっとでスタートライン、という
実にひねりのきいた物語になっている。
そもそも樋口氏の諧謔のきいた文章でなければ、
このストーリーで一作をものすことだってできはしないのだ。

ただし、どうにも気になる点があって、
それは、柿郎が子どもの頃に「自閉症」だったという一点だ。

仮に柿郎の「自閉症」が軽度のものであったとしても、
「自閉症」ってこういうものではないと思う。
この設定に樋口氏はどれだけ責任をもって、
どれだけのものを託しているのか、
その重さは切実なものとしては感じられなかった。
確かに、柿郎にはちょっと変わったところがあるけれど、
「ちょっと内向的で、人づきあいが苦手」ぐらいに思えてしまう。
本作が柿郎の一人称で語られる物語であることを考慮に入れたうえでも、
私は違うと思う。
もちろん、自閉症の中学生時のケースしか知らない私に
認識の過ちがあるのかもしれない。
柿郎はまた、高校を中退したときには、家族に無理矢理連れていかれた病院で
「社会的過剰適応症」と診断されたとも設定されているのだが、
こういう事例は多くあるのだろうか。

     (1997年作品、中公文庫、2009年10月25日)


うかれた平和の断片
傷口に塩を擦り込むような。
人世は我慢だ。
理解しようという傲慢
清濁併せ呑む度量とは
舟としての棺
ただの恋愛が
撃剣霊化
AM I EVIL?
水槽の中の金魚に己をみる。
ペシミストの不幸
キリンの美意識
諦める。我慢する。最善を尽くす。
あてつけとしての自殺
原点としての夏
みんなが言うほど、いやなやつでは
現実と幻想の間には
あんたって、けっこうハードボイルド
時間の手垢に汚れるということ
俺は君が思っているほどタフじゃない

きっとまたどこかで会う 

November 15 [Sun], 2009, 21:37
高田崇史『QED 出雲神伝説』読了
















ミステリの所感を記すことの難しさを
今、私はあらためて感じているのですが、
物語の主旋律ではないと思うので、
ひとつだけ書いてしまいます。

「月修寺」ですよ。

そう、三島由紀夫先生の、あの四部作の。

心千々に乱れて、慌てて『九段坂の春』を開けば、
すでに「月修寺」の伏線は張ってあり、
その時には見逃してしまっていた自分が恥ずかしい。

本作では恐ろしくあっさりと流されてしまった、
『カンナ』シリーズとのニアミスはどうつながるのか。
そして、あの毒草師はどう出るのか。
巻末flumenの前代未聞のハイ・ジャンプといい、
QEDの残り二作、どうなるのかまったく見当がつかない。
高田崇史氏、すげえよ。

QEDシリーズは各巻の独立性が確保されているから
どこから読み始めても面白いと思うけれど、
本作は『九段坂』に続けて読むことをすすめるね。

つい先日、三重県を高校見学で訪れる機会があり、
それこそタタルと奈々のようにふらりと伊賀上野に
足を伸ばしてみたく焦れたが、時すでに夕刻に近く、叶わなかった。
無念。

      (講談社ノベルス、2009年10月21日)

誰か武芸を習わん。



カンナ・カムイ 

November 10 [Tue], 2009, 21:12
高田崇史『カンナ 奥州の覇者』読了
















蘇我氏の書き残した歴史書であり、
日本の正史(とされているもの)を根底から覆しかねない
出賀茂神社社伝『蘇我大臣馬子傳暦』を手に失踪した
早乙女諒司を追って、岩手入りする甲斐と貴湖だが、
そこで再会した諒司は、……これがなんとも、
俄然、急展開する物語についていくだけで手一杯である。

征夷大将軍坂上田村麻呂(まさに征夷!)率いる朝廷軍に破れた
蝦夷の長アテルイ(阿弖流為)とモレ(母禮)をめぐる謎をからめる
高田氏の手腕は見事のひとことである。
いったい、高田氏はどこまで見通しているのか。

エピローグにはあの二人が登場する。
QEDと同時進行の物語であることがはっきりと語られた。

ちなみに、本記事執筆中のBGMはもちろん、
SOUL FLOWER UNIONのインスト
「アテルイとモレの逆襲」(『極東戦線異常なし!?』収録)と
「アテルイとモレの遊撃戦」(『EXILE ON MAIN BEACH』収録)である。
ジゲンのベースにしびれながら、記す。

          (講談社ノベルス、2009年7月6日)

独鈷い杵、こらしょ! 

November 09 [Mon], 2009, 23:10
高田崇史『カンナ 吉野の暗闘』読了
















QEDシリーズほど重くはなく、
すらすらと読める『カンナ』シリーズだが、
扱うテーマは決して軽くはない。

単なる「忍者もの」で書き流したものではなく、
間違いなくQEDの〈補助線〉として本作はある。
高田氏にとっても、
このタイミングで書かずにはいられない物語だったのではないだろうか。

鬼も天狗も土蜘蛛も、
役小角が使役した鬼神たちもすべては「まつろわぬ人々」だった。
同じ「人間」なのだ。
神話も伝説も昔話も、ねじ曲げられたリアルなのだ。

高田氏の諸作のテーマは恐ろしいほどに一貫している。

          (講談社ノベルス、2009年3月5日)

方法論としての神
十人の聖徳太子
IRON MAIDEN
ガルーダ!
サンタレス・ワールド
誰か武芸を習わん。
たえて桜のなかりせば
彼らの声を聞いている。
鋳成寿司
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