沖縄

December 18 [Sun], 2011, 0:57
泡盛心中   
常盤 常雄 詩  宮城 衛 曲  上沼 恵美子 唄
泡盛以上の人生があるか
あーーあ ああ我が酒よ 泡盛心中


この唄を聞くたび 沖縄を思い出す。
昭和の終わり頃、中学生の豆記者たちを引率して沖縄を訪れたことがある。
何を取材させたらいいのか、悩んだ。

沖縄本島をまわったのち、もっとも印象に残る久米島に渡った。
久米島は水稲栽培が盛んである。中国貿易の中継地でもある。昭和58年に自然公園に指定され、歴史、文化、自然の調和したリゾート地である。誰もが驚く美しさの東海岸2kmの砂浜が続く、たった周囲47.6km。3193所帯の小さな島である。

海岸の近くに防風のための樹木に囲まれた開けっぱなしの家の縁側で、純朴な子どもたち、おばあとの語らい、夜はおじいたちとの泡盛の杯を重ねる。私はあえなく、酔いつぶれて寝てしまった。
しかし、この時の人情と日本人の原点のようなあたたかいもてなし。私の心の故郷のように思える。

出発前にすこしは役に立てばと、にわかに詰め込んだ知識は全く役に立たなかった。
第二次大戦、地理的にも日本最後の砦であった沖縄本島、アメリカ軍と日本軍の死力を尽くした戦闘。
その戦渦は多くの住民を巻き込んだ。「集団死」「学徒ひめゆり部隊」「鉄血勅皇隊」などの悲劇を産み落とした。

これらの悲劇が本当にあったのだろうか?と思われるような住民の暖かさ。平和な家並みが忘れられない。
基地があるがゆえの、在日沖縄海兵隊員が女子中学生を乱暴した事件、繰り返す野蛮な行動には心が痛む。

「Kill!」と叫びながらの毎日の決死の実戦訓練を受けている米兵は、極度のストレスを抱えている。
そのストレスを吐き出すために、街に繰り出すのだとしたら、その暴力性はいかばかりだろうか?
沖縄に基地があるかぎり、悲しい事件はつづくのだろうか?

訪問当時、アメリカ軍の、基地の広さと、規模の膨大さに驚くばかりで、説明すべき言葉も無かった。
あの時、「何を取材するために沖縄に行ったのか?」
20数余年を経ても、今も問い続けている。

沖縄を思い起こす度、長い長い間、そして、今も忘れられないあの基地の大きさと、日本人の心の故郷のような沖縄の暖かさを思い出す。

何もできなかった。してこなかった。
しかし、「戦争はいやだ。」の心は持ち続けていよう。

水が溶けるような あの舌ざわり
この沖縄の酒 泡盛という奴

飲んで今日も 飲みつぶれ 酒場のすみで
ひとり泣きぬれる 泡盛の情けに
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老後のなぐさみにはじめた自己流の俳句や、演歌の背景など、徒然に書いています。
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