久高島の奇跡-はじめに- 

November 01 [Mon], 2010, 14:57
沖縄の久高島という島で、一つの奇跡がおきた。

このブログは”終わることのない”奇跡の実録物語。


久高島とは・・・・

久高島は、沖縄本島から東に5キロほど離れた、周囲8キロ、人口200人ほどの小さな島だ。
琉球神話では非常に神聖な島で、
その昔、琉球の創世神アマミキヨが天からこの島に降り立って琉球の国創りを始めた。
今でも古い伝統が受け継がれ、
島内には男子禁制、部外者立ち入り禁止の聖地が数多く残っている。


島へは、本島南東部の安座間から船で渡ることができる。
フェリーで約20分。
本島から気軽に離島気分を味わえる島の一つだ。


そこで、一人の女性から出会ったことから物語は始まる。

第壱篇 これまで 

November 02 [Tue], 2010, 9:00
沖縄へ旅に出る計画を立てた。
ここ近年、年に2回は沖縄へ出かけていたが、
世の中を襲ったリーマンショックの影響をモロに受けて、
休んでる場合でもなくなり、実に1年半ぶりの沖縄旅となった。

自転車を運んで行き、一人できままに旅を続けるスタンスになってすでに10年を迎えていた。
最初は北海道をきままに走っていたのが、
いつしか場所は沖縄となり、今は離島をまわる旅へと変わっていったので、
今回ももれなく離島を周る計画を立てた。

沖縄本島周辺の島はほとんど周っていなかったので、今回は沖縄本島をベースに、周辺の離島をめぐることにした。
第1目標は久米島、その他主に渡嘉敷諸島を巡り、旅を終える予定だった。
久米島以外は自転車もあるので、すべて船で巡ることしていたが、船の時刻表が思うように組み合わず、旅前に綿密も計画を立てて旅に出発した。
普段はほとんど、計画は立てず目的地だけピックアップするだけだった。



夏の沖縄につきものな台風も今年は少なく、ましてやここ近年沖縄本島へ上陸すらしていない。
ただ自他ともに認める台風男でもあるので、予断は許さず予備の日程を作ることとした。

かくして、8泊9日の旅が始まろうとしていた。

第弐篇 久高島目指して 

November 03 [Wed], 2010, 10:00
8月28日に沖縄へ旅立ち、那覇を経由して久米島に向かった。
久米島はチャリでのんびり周遊、いつも通りの旅を続けた。



天気予報では台風発生のニュースがあり、何年ぶりかに本島を直撃しそうだと言っていた。
久米島へは2泊3日で滞在し、3日目である8月30日の朝1番の飛行機で本島に舞い戻った。
計画では明日以降は本島を拠点に渡嘉敷などへ渡る計画でいたが、台風の動向次第で船も出なくなるし、
ましてや本島へ台風の暴風円がかかっていたので、計画を見直す必要があった。

8月30日の計画としては、本島南部を午前中にぐるっと回り、沖縄本島南東部に位置する安座間からフェリーで久高島へ渡る計画だった。
島といっても本当に小さな島であることは分かっていたので、3時間ほどの滞在で引き上げるつもりだった。
そしてその日のうちに那覇に戻り宿泊・・・という計画で、那覇→安座間までの移動以外は、なんてことのないものだった。

10時過ぎに那覇空港を出発、橋でつながっている瀬長島を経て、糸満、ひめゆりの塔を過ぎていく。
天気は台風がせまっているとは思えないような晴れだったが、ところどころでスコールが降った跡があった。
安座間からの船は14時出港予定だったが、いつしかから13時に出港だと勘違いを始め、奥武島到着時点で12時過ぎ、間に合わないのではないかと思い始めた。

ましてや炎天下でペースもなかなか上がらない。
唯一救いなのは、再び那覇へ戻ることを見越して空港のコインロッカーに必要な荷物以外は置いてきたことだった。



無理して久高島へ行くのはやめようか・・・・そうも思い始めた。
本島から離れてないので行こうと思えばいつでも手軽に行けるし・・・・
そうも思ったが、明日以降台風の影響で身動きがとれそうもないので、今日のうちにいろいろまわろうと決意した。
がんばって安座間まで漕ぎきることを決意した。

想定通りに本島南部の道はアップダウンが頻繁にあり、ペースをあげようにもなかなかあがらない。
しかも、スコールの後もあり水は巻き上げるし、路面はぬれてて滑りやすいしで、悪条件が重なる。

そして前方の久高島が見え始め不思議とペダルをこぐ足にも力が入る。

出港時間(だとおもってた時間)ぎりぎりの12時50分ぐらいに、ようやく安座間港へ到着。
無事に島へ渡れると確信した瞬間でもあったが、どうも港が静かだ。
人もいなければ船すら港にいない。
まさかの欠航?か、、と思ったが、港の小さな待合所には人がいた。
乗船券発売所に向かってみると、窓口は閉められている。

ふと出港時間を確認すると、14時になっている。
???
自分で紙に書いてたメモ書きを確認すると、”14:00”と書いている。


勘違いしてたことを、初めてそこで気付いた。



今までの緊張感が体全体から抜けて、へなへなと階段に座り込み、自分自身に笑いがこみあげてきた。


なぁ〜〜〜んだ・・・・・


ちょうど昼食の時間でもあったので、船の待合所に併設されている小さな食堂へ入った。
のんびり、沖縄そばを食べながら、船の時間を待つことにした。

第参篇 出会い 

November 04 [Thu], 2010, 13:00
14時の定刻通り船は安座間港を出発した。
20分ほどで久高島へ到着する。



船には、工事業者や観光客などそこそこ人を乗せていた。
船酔いを避けるために、船の外側、しかも一番後ろに陣取る。
デジカメで写真をとりながら、ビデオカメラもチラホラとまわしていた。

ふと女性が一人でいるのが目にとまったのだが、さしあたり誰かと待ち合わせかたまたま別行動してるか、、、
とさして気にすることもなかった。

船は定刻通りに久高島に到着。
自分は自分の自転車を持ち込んでいたので、一番後ろからノロノロと自転車をひきながら島に上陸した。
観光客はみんな、港近くのレンタサイクルへ向かっていく。

安座間港の乗船券発売所でもらった、手書きの地図を見ながら進んでみるが、集落を抜けてしまうと飲み物の確保が難しいということで、レンタサイクル屋近辺にある自販機で水分補給をした。

久米島での日焼けと、那覇から安座間まで走りぬいた時の日焼けが、とうとうピークに達して、とくに額のあたりがジリジリしていた。
手持ちのタオルを頭に巻いて、手書きの地図を片手に島のはじっこを目指した。


地図を持っているとはいえ、手書きであるしあるはずの目印を見つけることもままならずに、いつの間にか集落からはずれて、あきらかに目指している道とは違う道を走っていた。
迷うといっても小さな島であるのでいずれどこかに出るだろうと思いつつも、気付くと墓地へ出てしまい、急いで退散した。

次第に島の中心の道路にでて、ようやく所在地をつかむ。



一番神聖な場所、フボー御嶽(うたき)を外側から見る。
男子禁制でもあるし、部外者も立ち入るべきではない場所であるので、道路から写真をとってそのまま通りすぎた。
ロマンスロードと名付けられた道を通ったが、細い遊歩道で道の両側から草が覆っているので通るのも怖い感覚だった。

そして、再び島の突端を目指す。



そして目指していたカベール岬へ到達した。
港にはそこそこの観光客がいたが、岬にはまったくもって観光客どころか人すらいなかった。
風の音と、波の音のみが聞こえる。



この場所は、琉球神アマミキヨが一番初めに降り立って、ここから琉球の島々を作ったという神話が残る場所だ。
岬に到着後、地図を眺めていると、遠くにこちらへ向かってくる自転車が見えた。

次第に近づき、女性が一人でこいでいるのがわかった。

、、同じ船にのっていた女性だ。

ほどなくして彼女は岬に到着して、挨拶もそこそこに、

「ここがいちばん端っこですか?」

と彼女から声をかけてきた。
これが、一番最初の彼女との会話だ。

聞けば地図を持っていないという。
しかも、一人旅で、おそるおそる地図もなく一人でここまで来たという。

会話もそこそこに、ばらばらに岬周辺の散策を始めた。
岩場の隙間に小さな砂浜もあり、やどかりが歩いていた。

自分自身で岬に満足をして、自転車のある場所に戻ると、港にいた観光客たちが押し寄せていた。
どうみても場違いなカップルや、わざわざ本島からレンタカー、、しかもハイエースを持ち込んでる不思議な家族連れなど。
彼女は別の場所へいたので特に会話をかわすことなく、自分はその場を後にした。

行きは島の西側をメインに見ていたので、帰りは東側をメインに見ることにした。
舗装もなくうっそうとしている道を進む。
ところどころ浜辺に出られる看板がある。一人だと勇気をしぼりだして・・・といった雰囲気だ。
わずか数メートルで浜が見えているのだが、その数メートルが嫌に不気味なのだ。
浜の名前も良く分からず、手持ちの地図にもいくつか浜の名前が書いてるが、もはやどこにいるのかわからなかった。

島の集落付近にさしかかり、集落内へと進行方向を変えた。
子どもたちが広場で遊んでいたり、猫が公園の真ん中で昼寝をしてたり、のどかな風景が広がる。
集落の路地に入ってしまったとたんに、現在地が把握できなくなる。路地は迷路のように入り組んでいて、同じような石垣の風景が広がる。
沖縄本島の某テーマパークの作られた沖縄の風景ではなく、天然の沖縄の街並みが広がっている。

どうにか港に戻り、船のりばの近くにある東屋に向かった。
特にすることもなかったので、日陰に入りながら明日からの行動予定を立てようかと思っていたのだ。

すると、カベール岬に一人でいた女性がそこにいて、一人でベンチに座って猛烈に携帯電話をいじっていた。
港の風景を簡単に写真におさめてから、彼女に話かけてみた。


「どちらからいらしたんですか?」


旅人会話の定石ともいえる質問文から、会話が始まった。
東京の池袋の方です、、とにこやかに返答をもらい、そこから怒涛のごとくの会話が始まった。
お互い一人旅であったし、会話相手を切望するわけではないが、やはり話相手は欲しい。

船まで30分以上は時間があったが、旅に至るまでの経緯や、仕事の話、それぞれが見た久高島の紹介・・・・などなど、途切れることがなく会話が続いた。

船に一緒に乗り込み、一番後ろの場所から風景を見て、そこでもなお会話が続く。


久高島を去る時には空に虹が出ていた。

第四篇 発展T 

November 05 [Fri], 2010, 11:00
会話は弾んであっという間に安座間港についた。

いろいろな偶然も会話している間に発見した。
同い年であること、転職経験があること、東京のお互いが遠くない場所に住んでる事、沖縄に何度も来ている事。
いろいろな偶然が、いろいろな驚きにつながり、妙な親密感を覚えた。

話の流れから、彼女が行った事がないという、那覇の公設市場へ食事に行こうという話になった。
明日は確実に台風の影響を受けることがわかっていたので、自分自身那覇市内で過ごそうかと考えていたし、彼女も那覇に泊っているということだったので、明日夜に公設市場で会いましょう、、ということになった。

お互いに電話番号とメアドを交換して、彼女は車で、自分は自転車でそれぞれ那覇に戻った。


翌日・・・やはり台風はやってきていたのだが、思いのほか天気が荒れていない。
自転車で周るのをあきらめて、急きょレンタカーを借りて、観光してまわることにした。
今晩会う約束をしていたので、確認しがてら彼女へメールを送ってみる。

送信後にしばらく返信がなかったので、昨日は勢いで行くことにしてたけどやっぱりキャンセルされたのかな・・など、余分な事を考えていた。
レンタカーに乗り、特にアテがなかったが、旅のテーマはあくまでも島めぐりだったので、橋で渡れる伊計島や宮城島へ渡ることにした。
伊計島はかつて行ったことがあったが、近くの浜比嘉島は行った事がなかったので、どちらかと言えばそちらがメインになった。
時折降る土砂降り、、、というより暴風雨。ところが島へ通じる海中道路を抜けると突然青空が出始めた。
同時に彼女からもメールの返信があった。
「公設市場了解!」との内容。どこかほっとした気分だった。
ここぞとばかりにカメラをまわしながら、浜比嘉島を周遊。周回道路がないのでいったりきたりしながら、何の変哲もない(失礼!)島を車でざっくりとまわった。
その後伊計島まで車を走らせて、海中道路まで戻ってきたのだが、そこでカーナビにちらちらうつりながらも、遠目には人気がまったくない、藪地島なる島を発見。
暇をもてあましそうだったので、行ってみることにした。
藪地島もやはり橋でつながっていたのだが、舗装された道路は島に入って数百メートル。そこから先は両脇を草が生い茂った砂利道が続いていた。
あきらかに車で入った痕跡があったので、この先に何かがあること間違いなし!と思い最初は迷うことなく入って行ったのだが、次第に覆う草が多くなり、道も荒れ始めた。
引き返そうにも引き返すことができないので、ひたすら奥に進んだ。

昔、テレビゲームで流行った弟切草のワンシーンが頭をよぎる。
そして道路の一番奥までたどり着いた。突然開けた場所があって、車は転回もできるし駐車もできそうな場所だったので、ためしに降りてみた。
奥に看板が立っていて、「ジャネー洞」と書かれれており、看板の横にしたへ下りていく小道があった。
数メートルほど降りると、再び開けた場所があり、その奥に洞窟があった。



人気はまったくない。しかし、洞窟の入り口には古い赤いソファーが並べられていてその向かいには石碑などが立っていた。
洞窟は地元の人にとって神聖な場所であることも多いのでむやみやたらに入ってはいけないのと、ましてや一人きりで洞窟の中に入るのは無謀でもあるので、入口だけでおしまいにした。
ガイドで大々的に書かれているわけでもないし、島の入り口に案内看板があるわけでもない。
まったくの偶然でこの洞窟を見つけてしまった。
何故か洞窟の前には旅人帳が置かれていたので、記入だけしてきた。

過去に書かれていたものをチラチラ見てみたが、観光客が来てないこともないようだが、知る人ぞ知る場所といったところのようだった。

ジャネー洞をあとにしてから島の南部をちらほら走って回って、夕方にはレンタカーを返却してからホテルに戻った。
ちらほらと彼女ともメールをしつつ、天気を気にしていたので、待ち合わせの時間より一足先に公設市場が営業しているかどうか見に行ってみることにした。
ホテルから歩いて15分ほどで公設市場へ。いつもの活気はないものの一応営業している。
待ち合わせの時間までゆとりがあったのでアーケードをぐるっとまわってみた。その間にかなり雨脚が強くなっている。
今日は延期のほうがいいかな?と思い、どうしようかとメールしようとした瞬間に、彼女から「ついた」連絡がきた。

特に待ち合わせ場所も決めていなかったが、すんなりと会う事ができた。

公設市場へ入り、彼女が食べた事がない魚を中心に、エビやグルクンなどを選んで、2階に向かう。那覇に来た観光客が一度はやるであろう行動。
10数回沖縄を訪れている彼女が一度も公設市場でこのパターンを経験したことがないというのも、驚きだったのだが・・・

酒の飲みつつ、刺身をたべつつ、久高島での船の会話の勢いそのままに話がどんどん進んでいく。
今日行ったジャネー洞の話といい、那覇へ来るまえの久米島の話、沖縄本島の話、旅の話が中心だったが、話題に事欠く事がなかった。
公設市場も閉店の時間になり追い出された。そして不思議と自然にもう一件ということになり、適当に近くの居酒屋にはいった。
ひたすら酒だけを飲み続けて、語り合う。
終電とか関係ないし、そもそも那覇には電車ないし、、モノレールだけ、、、ホテルまで徒歩圏内でもあったので、時間は特に気にしていなかった。

飲み疲れて、話疲れたころ合いで解散することにした。

自分自身明日も台風の余波で離島へ渡る船は欠航になることを予想していた。
欠航になった場合には彼女のレンタカーで行動を一緒にさせて!と大胆なお願いをしていた。
このお願いに対して彼女は、快く引き受けてくれた。
帰る頃には雨は落ち着いていて、歩いて帰るにはちょうど良い気温でもあった。
途中まで一緒に帰り、後はそれぞれのホテルへ帰って行った。

翌朝、遅くまで飲んでいたにも関わらず早めに起きて、船の出港具合を確かめる。
軒並み欠航・・・
船が欠航なので一緒に車載せてください!メールをすると、ほどなくして返信があり、では一緒に!ということになった。

二人で動く一日が始まろうとしていた。

第五篇 発展U 

November 06 [Sat], 2010, 10:30
朝、ホテル近くの泊港の旅客ターミナル”とまりん”まで迎えに来てもらう。

緊張するまでもなく、ごく自然に、、、これまでずっと知り合いだったかの如く、ごく自然に車に乗り込んで、彼女の運転で走り始めた。
昨日一人で行ったジャネー洞へ向かう事になり、高速道路を経て藪地島へ。
また今帰仁の史跡も見たいということで、行こうという話になった。
沖縄の高速道路が全線で無料でかなり動きやすかった。

台風は去っていたのだが典型的な台風一過とはいかずに、いまいちすっきりしない天気だった。

まずは、海中道路を通って、平安座島、宮城島とわたり、伊計島へ到着。
島の奥まで行き、今度は小さな路地へと入ってみた。アテもなくとりあえず探検といった気分。
島の灯台を見つけて、行ける所まで車で行き、徒歩で灯台近くまで行った。
道は台風のせいでずいぶんと荒れていた。
一人であれば来ないような場所を二人でずかずかと入っていき、個人的には、さすがに一人で沖縄に何回も来てる彼女だけあって、なかなか好奇心旺盛なんだなぁ〜といった印象を受けた。

伊計島のさとうきびは、台風のせいで折れているものが多くあった。
彼女自信、さとうきびをなめたことがないというので、折れているサトウキビをみつけて、それをこまかく折って彼女に渡すとえらく感動していた。
伊計島の遺跡を見た後に藪地島へ。

昨日と変わらずジャネー洞へ続く道は草が覆っており、彼女もおっかなビックリで運転を続ける。
唯一昨日と違ったのは、ジャネー洞近くの駐車スペースに、車が一台あったこと。
われわれが到着して歩き始めたと同時にすれ違い、間もなくどこかへ行ってしまった。

ジャネー洞の異様な雰囲気に彼女も驚いていたが、率先して洞窟の中へはいって行った。
後を追うように自分も入っていく。中には人がいた痕跡があるが、ずいぶん前のようだった。
すぐに洞内はまっくらになり、携帯のあかりを頼りにしたが危険そうだったのですぐに引き返した。

その後、洞窟とは反対側へ続く道を下りて、海辺に出た。
見た目はきれいなのだが、よく見ると台風の後ということもあり水はにごってきれいとは言えなかった。
木陰になっている岩場でしばし、のんびり海をみて、出発した。

今度は名護方面へ。
急きょタナガーグムイに行こうという話になった。

道中、古宇利島へ渡る。
ここらへんまでくると、台風のつめあとが顕著だった。
木が折れて電線に絡まっていたり、道に木が横たわっていたり・・・

古宇利島大橋を渡り島へ渡った瞬間に、人の数が突然多くなった。
橋のたもとにビーチがあり、多くの人が海水浴を楽しんでいる。



藪地島より断然なきれいな海に、二人してテンションが一気にあがり、ためらうことなく靴を脱いで足だけ海に入った。
再び来たを目指し、タナガーグムイへ到着。
自分自身、来た事がなかったので、とても新鮮な風景。
車をとめて、断崖絶壁を下る。
頼りないロープをつかんで慎重にゆっくりと。
台風で道が荒れているせいもあるのか、かなり降りるのに苦労した。
そして、見える池。やはり台風のせいか、初めて来た自分でもわかるぐらいに、水が多い。
我々以外に誰もいないので、滝の音だけが聞こえる。



しばしぼぉ〜っとして、池の反対側見える滝に登れないだろうか・・・という話になった。
早速実行。道があるような、ないような、、の場所をよじのぼって数十メートルほど進んだが、これ以上はむり・・という場所になってしまい、断念した。
二人してかなりアクティブに動きまわり、汗だくになった。
再び降りてきた絶壁をロープを頼りに登って車へと戻る。



そして那覇へ戻ることにした。
すでに夕暮れ。
実は、お昼も食べていないし、その他ほぼ食べないで行動していたので、さすがにおなかがすいた。
名護のA&Wで久しぶりの食べ物を口にした。
彼女が那覇で夜に友達と会うというので、帰路を急ぐ。

そんなこんなであっという間に時間が過ぎていった。
本当に自然体な感じで、違和感も感じることなく、かなり楽しく遊んだ。
純粋にものすごく楽しかったし、また会いたいとも思ったので、東京へ戻った時には、また会う約束をした。

翌日には彼女は東京へ戻り、自分は粟国島へ渡った。
朝は普通に彼女とメールを交わしていたが、粟国島に渡り、不測の事態。
携帯が通じない・・・・
粟国に渡ったら写メおくるから!という約束が果たせないどころか、突然の音信不通。
せっかくの出会いに水をさしかねない事態に、気が気ではなかった。

持っていたPCからメール送信を試みたが、ドメイン指定受信をしているせいかエラーでメールが帰ってきてしまう。
もしや拒否されたか?楽しかったのは沖縄だけのものだったのか?
などなど、余分な事を考えた。
なにはともあれ、考えても仕方ないので、粟国島は粟国島で楽しみ、1泊2日で粟国島を後にした。
船が那覇に戻る直前で、ようやく電波が入り、一番に彼女へメールをした。
携帯で送信してエラーが帰ってきてしまったら、拒否されているということだったが、幸いにもエラーは帰ってこなかった。

泊港に到着して、メールの返信があった。ものすごく、嬉しかった。
別に何の変哲もないメールのやりとりだったが、ものすごくうれしかった。

再び台風が接近し、残りの旅程も短くなっていたので、一日短縮して、台風上陸前に帰ることにし、
涙を飲んで9月4日の真昼間の便で東京へ帰ってきた。

次に彼女に会うのは、東京で・・・沖縄から帰ってきたちょうど一週間後の9月11日と決まった。
最初は夜に飲みに行く話だったが、メールでのやりとりで、温泉・ぶどう狩りへ行く事になった。

二人の関係が変わろうとしていた。

第六篇 告白 

November 07 [Sun], 2010, 14:30
沖縄から戻っても、メールを交わしていた。
9/11に遊びに行く件も含めて、仕事での他愛のない話など、メールの回数こそ少ないが、ほぼ途切れることはなかった。

彼女と沖縄で遊んでものすごく楽しかったことが忘れられなかったし、もしも付き合うことができたら楽しいんだろうなぁ〜という気持ちがあり、どうしても沖縄の楽しい感覚から抜け出せずにいた。

そもそも、一緒にいるときの会話でも、メールででも相手の彼氏がいるかどうかなんてわからなかったし、そんなこと気にするまでもなく、彼女の事がものすごく気になり始めてた。

ただ、疑心暗鬼にもなり、どうして今度会ってくれるのだろう?そもそも彼氏は?裏に何かあるのでは?など、疑問に思ったことも確か。

沖縄という空気が、彼女との時間を良く見せているのかもしれない、、という考えもあったので、今度遊びに行ったときにもう少し彼女とのことを考えてみよう、、、と思った。
何はともあれ、あの沖縄の雰囲気で出かけられることに、すごく楽しみ感があった。

9/11当日の朝方の夢で、彼女が待ち合わせに現れず、他に男がいることが発覚、、、
というものを見てしまった。
かなり怖かった・・・・

当日、彼女の家の近くまで迎えに行き、時間になるのを待った。
そして彼女はあらわれた。

朝方の夢もあったので、かなり不安と緊張があったが、それが一気にとんでいった。
かくして、一日が始まった。

行きの車中、沖縄と同じ雰囲気がただよった。
なんともごく自然に会話し、笑いあい、今までの緊張感が嘘のようにリラックスして時が流れた。
富士五合目に上り、その後風穴、氷穴、洞穴と計画にはあまりないコースを周る。
本当に自然に、極端な話、長く連れ添った夫婦のように、当たり前に二人で動き、楽しんだ。

目的地のぶどう狩りも楽しんだ。



時間無制限の食べ放題。思いのほか食べられずに、苦しんだが、それはそれでぶどうに舌鼓を打って食べまくった。
ぶどう狩り終了したのがすでに夕方。
そこからほったらかし温泉へ向かう。
途中のフルーツ公園で甲府盆地の景色を楽しんだ。
次第に日が暮れて、夜の帳がおり始めた。



遊具の上に二人で座って、写真をとったり景色を眺めたり・・・
どこか居心地の良い時間が流れた。

一体、彼女は何を考えているのだろう?
ふとそんなことも思った。

暗くなった時点でほったらかし温泉へ。それぞれ夜景をみながら温泉に入り、再び今度は完全にくらくなったフルーツ公園で甲府盆地の夜景を見た。
先ほどの場所は先客がおり、違う場所を探して歩いてようやく夜景が見える場所を探し当てた。

他愛もない話があり、実に多くの話を彼女とした。
話のネタが尽きる事がなかった。

星空を見に行こうという話になり、再び河口湖へと戻った。
河口湖から西湖をまわって、湖のほとりに車をとめた。
そこには満点の星空が広がってるはずだったが、一部雲がかかっていた。
なおいっそうの星空を求めて再び富士山の五合目へと登った。

昼間とはうってかわってものすごく寒く、真夏の格好で行ったがために、二人で凍えた。
それでも少しだけ歩いて、星空を見た。
何個も流れ星を見て、きれいな星空に見とれ、下を見ると河口湖湖畔の夜景も見る事が出来た。

居心地の良い空間。


ふと、ここで付き合ってもらおうと、告白してしまおうかと思った。
本当に彼女といると楽しいし、安心もする。

でも、富士山での告白はできなかった。
万が一、、、万が一断られて帰りの道中で気まずくなるのも嫌だった。
それまでものすごく楽しい雰囲気が流れていたゆえに、なおさらのものだった。

楽しかった。

日付もとうにこしてしまい、東京へ帰ることにした。
東京へ帰る道中も会話は途切れることがなかった。

会話しながらも、どこかで彼女に告白しようと心に決めた。
この場だけで彼女との関係を終わらせたくなかったし、もっと一緒にいたい気持ちが強くなった。
ただ、運転しているせいもあり、なかなかタイミングが見つからず、八王子を越した時点で、彼女を送った先で言おうと心に決めた。

そして・・・・彼女の家の近くまで来た。
彼女がシートベルトをはずす。。。


・・・なかなか、話を切り出せない・・・・


、、、、このままでは、彼女が下りてしまう、、、なんとしてでも言わないと、、、、


時間はすでに朝方、、もうあたりは完全に明るい。


焦るあまりに、

あーー楽しかったね!
疲れたけどー、、本当に楽しかった。。。

あたりさわりのない感想が口をついて出ていた。

そして・・・・



「突拍子もない事を言うようだけど、
   付き合ってもらえませんか??」





あーー言ってしまった。
そして、彼女は、

「ありがとう!よく言ったね!(告白したね!)」


と言ってくれた。
すぐに返答がもらえるとはおもってないので、「考えます」という返事だろうと思いこんでいたが・・・・



「こちらこそよろしく」


と返事をもらった。
一気に肩の力が抜けた。肩の力どころか体の力が抜けて、旅の疲れが一気に飛んで行った。
気持ちも嬉しすぎて飛んで行こうとしていたが、極めて冷静を装う。

そこから、またいつも通りの会話があり、そこで彼女は家へと向かった。
車のドアを閉める瞬間、、自分は、

「後で(付き合うのを)やっぱりや〜〜めた!はナシだよ!」

とわけのわからないことを口走っていたが、彼女は

「そんなこと、ない!ない!」

と笑いながら去って行った。






9/12の早朝のことだった。

第七篇 さらなる関係 

November 08 [Mon], 2010, 14:00
告白の日から一週間ばかり会える日がなかった。
それでも毎日欠かすことなく、朝の”おはよう”、仕事終わりの”お疲れ様”メールは欠かすことなく続けた。
メール不精の自分が珍しく、飽きることもなく手を抜く事もなくメールを続けている。

付き合ってからの第一回目のデートは、江戸城跡の皇居の公園。
9月中旬でもまだまだ暑さが残る日だった。
皇居を散策して、豊洲に移動して映画を見て、池袋に移動して居酒屋に入った。
一日中会話は止まることなく、居酒屋でも酒を飲みながら盛り上がった。
いつの間にか電車がなくなり、終電を逃した。
ボーリング場へ行き、ボーリング対決。
その後ダーツを投げながら、朝を迎えた。
あっという間な一日が過ぎた。
お互いに車があるおかげで、休みの日でお互い予定がなければとことんいろいろな場所へでかけた。
付き合って一カ月の間に、千葉・房総、横浜、町田、津久井湖など、いろいろな場所へでかけて、夜になると星空を求めて移動するデートを重ねた。
時間を忘れてとことん遊んでまわった。
平日は平日でお互いの仕事に没頭し、それぞれの時間も大切にしながら過ごしていた。
このメリハリもまた、心地よい気持ちだった。

付き合って一カ月を過ぎたあたりで、一緒に飲みに行った時に、ふと結婚について語る事があった。
”もし二人が結婚したら・・・”という会話が出た。
別に意識することもなく、何かの話の流れでこの話題が出たのだと思う。

お互い年齢が二十代最後の年ということもあり、結婚に向き合う気持ちは似ているものがあった。

自分自身でここまで落ち着いて、、ここまで腰を据えて恋愛できることに驚いたし、なによりも彼女といることに”しっくり感”があった。

いつか結婚したいね・・・こんなことを言うようになった。

二人の気持ちは定まっている。定まっているなら、結婚ということに対してわざわざ時間をかけなくてもいいのではないか?
と思い始めた。
付き合った期間が長ければ良いというものでもないし、かといってデキちゃった結婚が良いとも思わない。
ただ、気持ちが二人一緒で、居心地の良い空間を作り出してくれる彼女と、遅かれ早かれ結婚したいと思った。

いろいろ考えてみることにした。
奇跡的な出会いも、沖縄での出会いも、そんな空気はさっぴいて、彼女そのものを見ることにした。
やはり、一緒にいての安心感が大きく、一緒にいてものすごく”しっくり”くる。
この感覚が大きい。
それぞれがそれぞれのことを尊重し合えているし、何よりも将来の二人で一緒にいる姿が想像できた。

決めた!
彼女と結婚しよう!

付き合った期間、一カ月半で、自分の中で決めた。
正直、彼女が結婚に前向きだったことも一因ではあったが、それでも自分にとっての彼女の存在は大きい。

早くプロポーズをするのが良いのか、もっと機が熟してからがいいのか、考えたが決めたら即実行。
なんの迷いもなかった。

ふたりで遊びに行った帰り、夜景を見に、聖蹟桜ヶ丘へ行った。
前々から、ジブリ映画である「耳をすませば」の話があり、あんなすがすがしい恋愛っていいよね、、、という話はしていた。
そんな話もあり、聖蹟桜ヶ丘の夜景がきれいだという前評判を聞いて、行くこととなった。
この日に、彼女にプロポーズをしようと決めていたが、なかなかタイミングをつかめないでいた。



あらかじめ調べていった場所は人が思いのほか多く、のんびり話せる雰囲気でもなかった。
場所を移動して、映画の舞台になった場所を夜な夜な探すこととなった。

有名ないろは坂を登って住宅地になった。
高台で雑木林になっていて車を止められそうな場所を見つけた。
車を降りてあたりを少しだけ散策してみた。
遠くを見渡せる場所を見つけてしばらくそこで夜景を眺めた。


タイミングを見計らって、正式にプロポーズした。

彼女は少し驚いていたが、引き受けてくれた。
話の流れでさりげなく、言ってしまったので、最初彼女はわからない様子だった。
人生最初で最後のプロポーズ。
告白する以上に緊張した。


かくして結婚に向けて歩き出すこととなる。

第八篇 圧倒的な結末 

January 01 [Sat], 2011, 0:00
プロポーズからの日々は、あっという間に過ぎていった。
関係も深まり、常に一緒にいる存在となった。
結婚を意識して、住む場所やそろえる家具などあれこれと思案した。

いつのまにか秋も深まり、いよいよこちら側の両親とあいさつすることとなった。
東京郊外の料亭でこちらの両親と4人で食事。
彼女は終始緊張していた様子だったが、何事もなく終了した。

両親は、結婚に反対することもなく、ただ、いきなり決めて大丈夫?と
心配するのみだった。
最終的には、自分できちんと決断しなさい、、と
判断をゆだねられた。

12月に入り、年の瀬も押迫ったころに、彼女の両親との食事がセットされた。
結婚を申し込むというより、結婚を前提にまじめにお付き合いしている、、
と伝えることが任務だった。
彼女の母親には、以前に彼女の家の玄関先であいさつしたことがったが、
父親に会うのは初めてだった。
会食はなごやかにすすんで、緊張しどおしの時間だった。
あれやこれやと食事が終わり、結局結婚のことをいいだせず終いだった。

けじめだけはきちんとつけておきたかったが、
それができなかったことに対する、自分のふがいなさが、
なんとも言えない嫌悪感につながった。

かえり道それを彼女に伝えたが、彼女はいまいちピンときていなかったようだった。
もしかするとすべての心中をさっしていたのかもしれないが、
「そんなこと、大丈夫だよ」
と、慰めのつもりでいわれた一言が、
心にひっかかり、訳の分からない感情を彼女にぶつけていた。
「そんなこと」、、、だったのか・・・・


これ以降、二人の関係に隙間ができあがってしまった。
彼女の両親との会食の日に訳のわからない感情を彼女にぶつけてしまった事、
あとあと冷静に考えれば、バカなことしたものだと反省し、
彼女に謝罪をした。

結婚は考えられない、、、そんな事を言い始めたのは2010年もあとわずかで終わるという日だった。
しばらくお互い考えようということになったが、
両親を巻き込んでいる以上、いまさら結婚をしばしやめる、、とは、
両親へは伝えづらかった。

それでも正月には、彼女がこちらの家へ来て一緒に食事をした。
同様に、こちらも相手の家に出向きあいさつをした。
あいさつは先の会食のお礼も兼ねていた。


正月休みが明けて、1月の普通の週末に、普通にドライブに出かけた。
どことなくよそよそしく、どことなくぎこちない空気が流れる。

この時、彼女は何かを言いたかったのだと思う。
彼女と一緒にいて、初めて感じる重い空気。

結局、何事もなく無難に一日が過ぎ去った。
その後、連絡頻度も少なくなり、やり取りが圧倒的に減った。

その頃、自分自身でもいろいろな心労を抱えており、
彼女との関係の含めて、精神的に限界に近付いていた。
というより、彼女と将来のことを見据えて考えていることで、
どうにか、家のことであったり、仕事のことであったりの心労にふたをしていたのが、
彼女との関係が不安定になったとたんに、
自分の精神バランスが崩れてしまった。

一週間、連絡がまったく途絶えた。
自分自身も、これ以上の負荷をさけるために、
連絡することを避けていた。

最も話を聞いてもらいたい人にきいてもらえない、
孤独感にうちひしがれたりもしたが、
そもそも、こうなってしまった原因の一端が自分であることも事実であったので、
自責の念も加わり、どうにも自分で制御できない状態になってしまった。

最後まで彼女には伝えなかったが、
この時には、医師の診断のもとで「パニック障害」と診断されていた。
一人で電車に乗れなくなり、感情のコントロールがしずらい状態だった。


そして、メールがとんできた。
「大切な話があるから会いたい」と。
「大切な話」の文字ですべてを悟った。
話は会ってから、と書いてあったのだが、
「別れたいの?」というこちらかのメールに
「うん」と、メールでかかれていた。

結局、自分自身の体調も限界を迎えていたので、
その時には会うことはしなかった。

そして、すでに彼女との関係を続けることも、
続けようとする努力も、する気にはならなくなった。


すべてから逃げたと言っても良いと思う。



彼女へ手紙を送った。
一言「今までありがとう。さようなら」と。
最後に「もう連絡をとらないで欲しい」と付け加えた。

すべてが終わった。

心の健康の回復は実に2か月以上もかかり、
桜の咲く頃にはようやく回復をとげた。
その間、友人たちが常に支えてくれた。
途中、東日本大震災もあったが、
その混乱が今回の悲しい出来事をわすれさせてくれ、
悲しみが悲しみでかき消されるという、
なんとも皮肉なこととなった。


手紙以降、彼女から連絡は一切ない。



あの日々は、電光石火の如く過ぎ去り、すべてが良い経験となった。
時々、沖縄での出来事を夢に見ることがある。
しかしながらそれは夢でしかないのだ。

奇跡は、やはり奇跡でしかなかったのだ。
プロフィール
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  • アイコン画像 誕生日:1981年7月1日
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