遅くなりましたが、先週の木曜日、2/25に放送された
「スイートJAM」126回のご報告です。
今回のえりかちゃんの一言は、
朝倉さん(以下、朝) ドッジボールは、
逃げ続けて最後まで生き残るタイプです。
耕史さんは(横の山本さんを見てから)どうですか。
山本さん(以下、山) 俺?
僕はですね、自分が狙われて、必ずボールを取るタイプです。
朝 おーー。
山 それで、誰かに(ボールを)渡すの。
なぜなら俺ね、投げるの苦手なの。
朝 へぇーーーっ!
山 そう。それであるとき、こう二人、ドンドンと当たって、
敵と味方にドンドンと当たって落っこっちゃった場合
あるじゃない?
って言ったときに、「これはドッジボール?」っていうパターン。
朝 (爆笑)
えりかちゃんたら、そんなオヤジギャグに大笑いしてくれて、
優しいですね〜。
山本さんは光沢のある濃いめのグレーのスーツ。
シャツは白。襟は左右をネクタイの下でとめるタイプ。
ボタンが黒いです。
ネクタイは、黒地にハ虫類の革のようなシルバーの模様入り。
靴は白です。紐靴。
白いので、デザインがはっきりとわからないです。
ゲストさんの方からの一言は、
"ROCKは生だ"。
山 もうほんとに。
僕もまぁ、ROCK、好きな身として、
生きていることが、僕はなんか、
ROCK、な感じの生き方とか、
ほんとに楽しみな日になりそうです。
ということで、今回のゲストは、シーナ&ロケッツの
鮎川誠さんです。
山 この「ROCKは生だ」というのは?
鮎川さん(以下、鮎) ROCKはね、生なんですよ。
山 そうですよね〜。
ROCKは生だって言うね、もうほんと文字通りですけども。
鮎 決めとっても、生き物の生でもあるからね。
音楽も生きてますからね。
毎日なんか、こう・・・こう歌ってくれーとか、
言いよるわけですよ、音楽が勝手に。
こうギター弾いてくれとか。
申し遅れましたが、鮎川さんのしゃべりはずっと、
九州弁です。
こちらによると、筑後弁なのだとか。
鮎川さんが言われているまんま文字にしていきます。
ご了承ください。
山 音楽が勝手に。
鮎 勝手に言うんです。
その場でね、お客さんとか盛り上がったりすると、
予定とか何の役にも立たなくなるからね。
山 ほぉーーー。
その辺を今日は、いっぱい勉強させてもらおうかなと。
よろしくお願いします。
「スイートJAM」126回のご報告です。
今回のえりかちゃんの一言は、
朝倉さん(以下、朝) ドッジボールは、
逃げ続けて最後まで生き残るタイプです。
耕史さんは(横の山本さんを見てから)どうですか。
山本さん(以下、山) 俺?
僕はですね、自分が狙われて、必ずボールを取るタイプです。
朝 おーー。
山 それで、誰かに(ボールを)渡すの。
なぜなら俺ね、投げるの苦手なの。
朝 へぇーーーっ!
山 そう。それであるとき、こう二人、ドンドンと当たって、
敵と味方にドンドンと当たって落っこっちゃった場合
あるじゃない?
って言ったときに、「これはドッジボール?」っていうパターン。
朝 (爆笑)
えりかちゃんたら、そんなオヤジギャグに大笑いしてくれて、
優しいですね〜。
山本さんは光沢のある濃いめのグレーのスーツ。
シャツは白。襟は左右をネクタイの下でとめるタイプ。
ボタンが黒いです。
ネクタイは、黒地にハ虫類の革のようなシルバーの模様入り。
靴は白です。紐靴。
白いので、デザインがはっきりとわからないです。
ゲストさんの方からの一言は、
"ROCKは生だ"。
山 もうほんとに。
僕もまぁ、ROCK、好きな身として、
生きていることが、僕はなんか、
ROCK、な感じの生き方とか、
ほんとに楽しみな日になりそうです。
ということで、今回のゲストは、シーナ&ロケッツの
鮎川誠さんです。
山 この「ROCKは生だ」というのは?
鮎川さん(以下、鮎) ROCKはね、生なんですよ。
山 そうですよね〜。
ROCKは生だって言うね、もうほんと文字通りですけども。
鮎 決めとっても、生き物の生でもあるからね。
音楽も生きてますからね。
毎日なんか、こう・・・こう歌ってくれーとか、
言いよるわけですよ、音楽が勝手に。
こうギター弾いてくれとか。
申し遅れましたが、鮎川さんのしゃべりはずっと、
九州弁です。
こちらによると、筑後弁なのだとか。
鮎川さんが言われているまんま文字にしていきます。
ご了承ください。
山 音楽が勝手に。
鮎 勝手に言うんです。
その場でね、お客さんとか盛り上がったりすると、
予定とか何の役にも立たなくなるからね。
山 ほぉーーー。
その辺を今日は、いっぱい勉強させてもらおうかなと。
よろしくお願いします。
「バック・トゥ・ザ 鮎川」コーナー。
最初のターニングポイントは、
モノクロの板付空港(現・福岡空港)の写真。
鮎川さんが高校生の時、ビートルズが来日。
「嵐のために急遽羽田から板付空港に到着が変更になったみたい」
と(いう噂、デマが)鮎川さんの周りの音楽仲間にすごい勢いで広まった。
「板付にビートルズが不時着するなら、迎えに行かななるめぇ」
と言い合って本当に板付まで行ったけれど、結局デマだった。
ビートルズは1966年6月頃に来日。
(こちらによると、6月末から7月初めのようです。)
このときの武道館ライブはあとからテレビ放映された。
(上と同じウィキによると、7/1昼公演をその日の夜放送した模様)
あのときライブを見た人間はみんな
(鮎川さんの音楽仲間のことと思われます)
頭の中にビートルズの姿が焼きついてしまった。
ライブ放送後は、初対面の時でも素性も聞かずいきなり
「『ディトリッパー』知ってる?」という会話になっていた。
鮎川さんが住んでいた久留米だけではなく、日本中でそうだった。
鮎川さんが音楽をやろうと思ったきっかけは、このビートルズ。
板付放送、福岡のFEN(米軍基地向けの放送)を聞き始めた。
その板付放送、FENでDJが「BEATLES!」(ネイティブなアメリカ発音)
と言うのが、何と言っているのか分からなかったけれど、
ビートルズの曲がかかる。
翌日、「聴いたやろ、お前?」
「BEATLES(ラジオの通り発音)って、あれは何だ?」
という話になった。
何週間後かにカタカナで「ビートルズ」という文字を見て、
ようやくわかった。
一番最初にビートルズを耳にしたときのインパクトは、
口では言いにくい。
言葉にすれば、ただ胸がすかっとするとか、すっとするとか、
やった!という感じだったりした。
「なんかわからんけれど、自由自在な感じがした」
「のびのびしてる」
「自分たちで決めた強さを感じたんだろうね」
ビートルズの武道館ライブで、
メンバーがステージに上がってから「ROCK'N ROLL MUSIC」を歌い始める
までのこと、その様子を、嬉しそうに話される鮎川さん。
1曲目が始まると、
「その瞬間に魂をぬかれたみたいになって、はぁ〜ちなって、
それからですね」
ジョンやジョージのギターの弾き方、ポールのペースの弾き方を
「もうまねっこですよ」
ビートルズライブを見た1,2週間後、昔の野球仲間にばったり会ったら、
今からバンドの練習に行くけど来る?と誘われて付いて行った。
彼のオートバイに二人乗りして田んぼのあぜ道の向こうの納屋に行ったら、
知らない仲間がいた。
自己紹介もなく「ギター弾ける?」とボーカルがギターを貸してくれた。
ボーカルは歌に専念したいとのことで、ギターを譲ってくれた。
リードギターが「ROCK'N ROLL MUSIC」のリフをこう弾いてと教えてくれて、
弾き方が分かった。
リパプールサウンドやローリングストーンズを全部聴くと感じる、
あの前に前に押してくれるようなサウンドの一番大切なものを
教えてもらった、と話されてます。
山 でも、突然「ギター弾ける?」ってのもすごいですよねぇ。
鮎 そうですよね。
お互いのことを何も知らないのにバンドに入れてくれて、
1ヶ月後にプールサイドでの納涼エレキ大会に出場。
誰も聴いてないんだけど、自分にとってはすごい体験だった。
高3の夏それで味を締めてしまい、2学期が始まっても
頭の中が学校に戻らない。あそこのコードは?とか、
どんなふうに弾いたら?とかで、頭の中は一杯だった。
(とおっしゃってますけども。
リンク先のウィキに書いてありますが、
鮎川さんは九大卒でいらっしゃいます。)
2つめのターニングポイントは、
シーナ&ロケッツのデビュー曲「涙のハイウェイ」(1978)の
シングルジャケットが映りました。
山本さんは「僕、2歳ですね。」と言ってます。
鮎川さんは九州でサンハウスというバンドを長くやっていたが、
解散。30歳手前だった。
もう少しバンドやりたいと思い、シーナ&ロケッツを結成。
奥様のシーナさんの本名は悦子さん。
シーナは鮎川さんが大好きなラーモンズの曲名
「Sheena Is A Punk Rocker」からと、
鮎川さんのおばあちゃんの名前が「しな」さんで、
その両方からシーナにした。
シーナ&ロケッツは、デビュー当日、いきなり
エルビス・コステロの前座を務めた。
お客さんはもちろん誰も彼らを知らなくて、
初めて自分たちを「ロケッツ」と呼んでくれたのは、
コステロだった。
山 す・・・げぇ(口の中で呟いてる)。
そのときにYMOの高橋幸宏さんが客席にいらした。
メンバーの細野晴臣さんがシーナ&ロケッツをおもしろい!と
言ってくださって、鮎川さんに話が来て、
YMOライブのゲストでギターを弾いた。
出来たてのYMOのお披露目ライブで、六本木のジャズクラブだった。
客席にはビートルズをプロデュースしたクリス・トーマスがいた。
サディスティック・ミカバンドのミカさんもいた。
その日の東京では、最高にホットな場所だった。
ライブ後、細野さんが「一緒にレコードを作ろう」と誘ってくれた。
ここで、シーナ&ロケッツのディスコグラフィ。
「YOU MAY DREAM」(1976)・・・テレビ出演映像はこちら。
「SWEET INSPIRATION」(1984)・・・PV映像はこちら。
「LEMON TEA」(1985)・・・ライブ映像はこちら。
「HAPPY HOUSE」(1988)・・・PV映像はこちら。
「THE JUNGLE LOVE」(2000)・・・PV映像はこちら。
「JAPANIK」(2008)・・・試聴はこちら。
山 いや、でもロックンロールですね、やっぱり。
30年分をざっとやってくれて嬉しいと、
鮎川さんはおっしゃってます。
「これが僕の30年、どうぞよろしく」と言いながら、
顔を赤らめてらっしゃいます。
山本さんは自分が1、2歳のときから今までずっとだと
感嘆してます。
山 これやっぱり、曲作りとか、どういう?
(と言いながら、ギターのネックを抑えるしぐさになってます、山本さん)
感じで??セッション的にやっぱり作る曲が多いですか?
鮎 バンドで集まって作ることもあるし、
詞を見ながら(ギターを弾く真似をして)こう曲を
作ることが多いです、最初はね。
山 詞が先なんですか。
鮎 詞が先。
サンハウスの時からの詩人の友人がいる。
ボーカルだった人だとおっしゃったと思います。
ディスコグラフィのところのリンク先の
作詞欄のお名前かな?
鮎 詞をもらうと、なんかルーレットみたいに、
好きな音楽いっぱいある中で、
どういう感じの曲が合うかな?とか、
言葉からインスパイアされたりして。
詞が先が多い。
山 あ。なんとなくもう、ふっとわいてくる感じですか。
鮎 うん。
山 なんかこだわりとかってありますか。
鮎 そうですね〜。やっぱしねぇ、ギターで、
山 うん。
鮎 ロックはギターで始めよう、ちゅうのが。
もういつも、あの、もうすぐわかるような曲が作りたいですね。
山 んーーーー。
鮎 ギターがバン!とあったら、あロケッツだ!っちいう。
それはローリング・ストーンズやら、
僕の憧れのビートルズやらもそうだけど、
もうどこ切ってもストーンズサウンドっちゅうのが
ほんとにすごいことやし、羨ましいことやし。
自分らも願ってるのは、もうどこ切ってもロケッツ、みたいな。
山 やっぱりそれは音色(おんしょく)だったり。
鮎 うん。
山 使うギターももちろんそうでしょうけども。
鮎 うん。そうです。
シーナ&ロケッツのライブ映像が流れました。
ライブハウスですね。
お客さんがステージ前に押し寄せて、ぎゅうぎゅうになってる。
山 かなりお客さんが近いですね。
しばらく観たあと、
朝 かっこいいーーー。
山 お客さんも、もうものすごい。
男性も多いし。
(スタッフが押し戻してる映像を見て)
もう入ってくるな、みたいな。
と言いつつ、山本さんの目はライブ映像にくぎ付け。
山 いやちょっとほんとに。お客さんもロックしてますね、
これは。
みんなからパワーをもらってるから、
「おかげでやれとるちみんなで言いよるけれど」とのこと。
お客さんが鮎川さんたちに触りたいだろうし、
鮎川さんたちもお客さんに触りたい。
山本さんが危険ではないかと訊いてます。
鮎川さんは、
危険とはいつも背中合わせ。
でも、一人もけがはさせたくないし、
最高にHAPPYな気分で帰ってもらいたいから、
自分もシーナさんも全部を見張ってると言われてます。
ロケッツは音楽にうるさいファンが多くて、
いついつのあれをやって、みたいなリクエストももらう。
鮎 でもね、ロックは、あんまり予定調和なね、
ほど面白くないものはないんですよ。
山 ROCKは生だ、という感じですか?
アンコールが最初から決まってることほど、
ロックファンをバカにしてるものはないと思っておられて、
だから、こだわるのは生。
前もって考えたことをやるのは、すごい恥ずかしい。
鮎 僕たちは今、最高に、なんちゅうか、
いつもやってるライブをずっと続けられたら、
こんな素敵な場所ないし、もう俺らどこにも行かんぞ
ちゅう感じで、ライブにしがみついてるちゅうか。
ステージは最高ですよ。
山 そうですかー。
鮎 うんー、気持ちいいし。
でかい音で出せるし、誰も止められんし。
突っ走って。
でもまぁ、終わりがあるんだけどさ。
山本さんが印象に残ってるライブは?と訊くと、
今までのライブはどのライブも最高だった。
ほらあれ、と言えば、みんなが浮かぶライブもある。
「でも、"NEXT LIVE"だね」
山 こないだのこういうところが良かったから、
これはまた次生かそうよ、とか言うのは?
鮎 それはダメなんだ。
山 あ。そういうのは。
鮎 そんなー。前は前でもう終わりなんです。
なんちゅうか、いいところは自分でもってるやろし。
山 自分で気づいて。
鮎 ただもう、口で言ったりしたらどっちらけですよ。
もう、黙ってするよ。
山 へぇ〜。
鮎 なんかこうしたいことがあったら。
うん。
ただ、なんちゅうか、僕たちは・・・・
いや。うん、そんな感じ(と言われてにっこり)。
鮎川さんの笑顔のスロー映像がロケッツのライブ映像に切り替わって、
曲かライブ自体のエンディングと思われるところを映して、
曲の終わりとともに映像も終了。
最後の曲は、今回は「リクエスト特集」ということで、
「これまでの放送の中から、反響の大きかった1曲をお送りします」
とナレーション。
2007年12月12月13日on airから、KKDによる「JUMP」。
健さん、山本さん、DAIさんと3人が並び、
DAIさん→健さんとリードボーカルが交替していき、
山本さんに替わったところからはずっと3人のハモリに。
この10ヵ月半後に健さんは虹の向こうの人になってしまった
わけですが、このときはまだ誰もそんなことは知らない。
思ってもいない。もちろん、私たちも。
CMで使われた「JUMP」の、滅多に見ることのできないパフォーマンスを、
ウキウキしながら観てた。聴いてた。
ツインギターにパーカッションが入ると、締まりますねぇ。
NAOさんのドラムとはまた違った感じで。
その耳に小気味いい感じと、3人だからこその厚みのハーモニー。
何よりも山本さんの安心しきっているような、
居心地がよさそうな屈託のない顔。
3人がフロントに立つのが当たり前だった頃の映像に、
涙がこみ上げて来ました。
鮎川さんは1948年生まれ。
還暦を過ぎてらっしゃるのですが、
永遠のロック少年であり、ギター少年でいらっしゃいますね。
山本さんがあまり口をはさめないほど滔々と、嬉しそうに、
当時のこと、ロックのことを語られました。
九州弁なのは、私が鮎川さんをテレビで観た初めから
ずっと変わりません。
私のささやかな認識の範囲に過ぎませんが、
1945年に終戦で、そこから1950年代(半ばくらいまで?)までに
生まれた方々は、
高校生から小学校高学年くらいの頃にビートルズが来日。
ビートルズがデビューしてわりとすぐに
彼らの音楽の洗礼を受けてらっしゃるようです。
私たちが意識して聴き始めたのは日本の音楽でしたけど、
この方たちは、まだ日本のラジオからは歌謡曲が流れていた時代に、
FENから流れて来たROCK'N ROLLなどを聴き、
その原体験がまんま純粋培養された世代。
気持ちは原体験の頃の熱さのまま、
今はもういい感じで肩の力も抜けていて、
洗練された、成熟した日本語を駆使して詞を書き、
その詞を乗せるメロディは聴きやすかったり美しかったり。
今も現役の50代、60代のそんなアーティストは
何人もいらっしゃいますね。
音楽系の方がゲストだとここがいつもにも増して長いことに、
今日文字にしている途中で気づきました。
山本さんの言葉もその答えもできるだけそのまま文字にしたい
からですが、長くなって、スイマセン。
読んでくださって、ありがとございました。
次回、今週の木曜日放送、127回のゲストも鮎川誠さんです。
最初のターニングポイントは、
モノクロの板付空港(現・福岡空港)の写真。
鮎川さんが高校生の時、ビートルズが来日。
「嵐のために急遽羽田から板付空港に到着が変更になったみたい」
と(いう噂、デマが)鮎川さんの周りの音楽仲間にすごい勢いで広まった。
「板付にビートルズが不時着するなら、迎えに行かななるめぇ」
と言い合って本当に板付まで行ったけれど、結局デマだった。
ビートルズは1966年6月頃に来日。
(こちらによると、6月末から7月初めのようです。)
このときの武道館ライブはあとからテレビ放映された。
(上と同じウィキによると、7/1昼公演をその日の夜放送した模様)
あのときライブを見た人間はみんな
(鮎川さんの音楽仲間のことと思われます)
頭の中にビートルズの姿が焼きついてしまった。
ライブ放送後は、初対面の時でも素性も聞かずいきなり
「『ディトリッパー』知ってる?」という会話になっていた。
鮎川さんが住んでいた久留米だけではなく、日本中でそうだった。
鮎川さんが音楽をやろうと思ったきっかけは、このビートルズ。
板付放送、福岡のFEN(米軍基地向けの放送)を聞き始めた。
その板付放送、FENでDJが「BEATLES!」(ネイティブなアメリカ発音)
と言うのが、何と言っているのか分からなかったけれど、
ビートルズの曲がかかる。
翌日、「聴いたやろ、お前?」
「BEATLES(ラジオの通り発音)って、あれは何だ?」
という話になった。
何週間後かにカタカナで「ビートルズ」という文字を見て、
ようやくわかった。
一番最初にビートルズを耳にしたときのインパクトは、
口では言いにくい。
言葉にすれば、ただ胸がすかっとするとか、すっとするとか、
やった!という感じだったりした。
「なんかわからんけれど、自由自在な感じがした」
「のびのびしてる」
「自分たちで決めた強さを感じたんだろうね」
ビートルズの武道館ライブで、
メンバーがステージに上がってから「ROCK'N ROLL MUSIC」を歌い始める
までのこと、その様子を、嬉しそうに話される鮎川さん。
1曲目が始まると、
「その瞬間に魂をぬかれたみたいになって、はぁ〜ちなって、
それからですね」
ジョンやジョージのギターの弾き方、ポールのペースの弾き方を
「もうまねっこですよ」
ビートルズライブを見た1,2週間後、昔の野球仲間にばったり会ったら、
今からバンドの練習に行くけど来る?と誘われて付いて行った。
彼のオートバイに二人乗りして田んぼのあぜ道の向こうの納屋に行ったら、
知らない仲間がいた。
自己紹介もなく「ギター弾ける?」とボーカルがギターを貸してくれた。
ボーカルは歌に専念したいとのことで、ギターを譲ってくれた。
リードギターが「ROCK'N ROLL MUSIC」のリフをこう弾いてと教えてくれて、
弾き方が分かった。
リパプールサウンドやローリングストーンズを全部聴くと感じる、
あの前に前に押してくれるようなサウンドの一番大切なものを
教えてもらった、と話されてます。
山 でも、突然「ギター弾ける?」ってのもすごいですよねぇ。
鮎 そうですよね。
お互いのことを何も知らないのにバンドに入れてくれて、
1ヶ月後にプールサイドでの納涼エレキ大会に出場。
誰も聴いてないんだけど、自分にとってはすごい体験だった。
高3の夏それで味を締めてしまい、2学期が始まっても
頭の中が学校に戻らない。あそこのコードは?とか、
どんなふうに弾いたら?とかで、頭の中は一杯だった。
(とおっしゃってますけども。
リンク先のウィキに書いてありますが、
鮎川さんは九大卒でいらっしゃいます。)
2つめのターニングポイントは、
シーナ&ロケッツのデビュー曲「涙のハイウェイ」(1978)の
シングルジャケットが映りました。
山本さんは「僕、2歳ですね。」と言ってます。
鮎川さんは九州でサンハウスというバンドを長くやっていたが、
解散。30歳手前だった。
もう少しバンドやりたいと思い、シーナ&ロケッツを結成。
奥様のシーナさんの本名は悦子さん。
シーナは鮎川さんが大好きなラーモンズの曲名
「Sheena Is A Punk Rocker」からと、
鮎川さんのおばあちゃんの名前が「しな」さんで、
その両方からシーナにした。
シーナ&ロケッツは、デビュー当日、いきなり
エルビス・コステロの前座を務めた。
お客さんはもちろん誰も彼らを知らなくて、
初めて自分たちを「ロケッツ」と呼んでくれたのは、
コステロだった。
山 す・・・げぇ(口の中で呟いてる)。
そのときにYMOの高橋幸宏さんが客席にいらした。
メンバーの細野晴臣さんがシーナ&ロケッツをおもしろい!と
言ってくださって、鮎川さんに話が来て、
YMOライブのゲストでギターを弾いた。
出来たてのYMOのお披露目ライブで、六本木のジャズクラブだった。
客席にはビートルズをプロデュースしたクリス・トーマスがいた。
サディスティック・ミカバンドのミカさんもいた。
その日の東京では、最高にホットな場所だった。
ライブ後、細野さんが「一緒にレコードを作ろう」と誘ってくれた。
ここで、シーナ&ロケッツのディスコグラフィ。
「YOU MAY DREAM」(1976)・・・テレビ出演映像はこちら。
「SWEET INSPIRATION」(1984)・・・PV映像はこちら。
「LEMON TEA」(1985)・・・ライブ映像はこちら。
「HAPPY HOUSE」(1988)・・・PV映像はこちら。
「THE JUNGLE LOVE」(2000)・・・PV映像はこちら。
「JAPANIK」(2008)・・・試聴はこちら。
山 いや、でもロックンロールですね、やっぱり。
30年分をざっとやってくれて嬉しいと、
鮎川さんはおっしゃってます。
「これが僕の30年、どうぞよろしく」と言いながら、
顔を赤らめてらっしゃいます。
山本さんは自分が1、2歳のときから今までずっとだと
感嘆してます。
山 これやっぱり、曲作りとか、どういう?
(と言いながら、ギターのネックを抑えるしぐさになってます、山本さん)
感じで??セッション的にやっぱり作る曲が多いですか?
鮎 バンドで集まって作ることもあるし、
詞を見ながら(ギターを弾く真似をして)こう曲を
作ることが多いです、最初はね。
山 詞が先なんですか。
鮎 詞が先。
サンハウスの時からの詩人の友人がいる。
ボーカルだった人だとおっしゃったと思います。
ディスコグラフィのところのリンク先の
作詞欄のお名前かな?
鮎 詞をもらうと、なんかルーレットみたいに、
好きな音楽いっぱいある中で、
どういう感じの曲が合うかな?とか、
言葉からインスパイアされたりして。
詞が先が多い。
山 あ。なんとなくもう、ふっとわいてくる感じですか。
鮎 うん。
山 なんかこだわりとかってありますか。
鮎 そうですね〜。やっぱしねぇ、ギターで、
山 うん。
鮎 ロックはギターで始めよう、ちゅうのが。
もういつも、あの、もうすぐわかるような曲が作りたいですね。
山 んーーーー。
鮎 ギターがバン!とあったら、あロケッツだ!っちいう。
それはローリング・ストーンズやら、
僕の憧れのビートルズやらもそうだけど、
もうどこ切ってもストーンズサウンドっちゅうのが
ほんとにすごいことやし、羨ましいことやし。
自分らも願ってるのは、もうどこ切ってもロケッツ、みたいな。
山 やっぱりそれは音色(おんしょく)だったり。
鮎 うん。
山 使うギターももちろんそうでしょうけども。
鮎 うん。そうです。
シーナ&ロケッツのライブ映像が流れました。
ライブハウスですね。
お客さんがステージ前に押し寄せて、ぎゅうぎゅうになってる。
山 かなりお客さんが近いですね。
しばらく観たあと、
朝 かっこいいーーー。
山 お客さんも、もうものすごい。
男性も多いし。
(スタッフが押し戻してる映像を見て)
もう入ってくるな、みたいな。
と言いつつ、山本さんの目はライブ映像にくぎ付け。
山 いやちょっとほんとに。お客さんもロックしてますね、
これは。
みんなからパワーをもらってるから、
「おかげでやれとるちみんなで言いよるけれど」とのこと。
お客さんが鮎川さんたちに触りたいだろうし、
鮎川さんたちもお客さんに触りたい。
山本さんが危険ではないかと訊いてます。
鮎川さんは、
危険とはいつも背中合わせ。
でも、一人もけがはさせたくないし、
最高にHAPPYな気分で帰ってもらいたいから、
自分もシーナさんも全部を見張ってると言われてます。
ロケッツは音楽にうるさいファンが多くて、
いついつのあれをやって、みたいなリクエストももらう。
鮎 でもね、ロックは、あんまり予定調和なね、
ほど面白くないものはないんですよ。
山 ROCKは生だ、という感じですか?
アンコールが最初から決まってることほど、
ロックファンをバカにしてるものはないと思っておられて、
だから、こだわるのは生。
前もって考えたことをやるのは、すごい恥ずかしい。
鮎 僕たちは今、最高に、なんちゅうか、
いつもやってるライブをずっと続けられたら、
こんな素敵な場所ないし、もう俺らどこにも行かんぞ
ちゅう感じで、ライブにしがみついてるちゅうか。
ステージは最高ですよ。
山 そうですかー。
鮎 うんー、気持ちいいし。
でかい音で出せるし、誰も止められんし。
突っ走って。
でもまぁ、終わりがあるんだけどさ。
山本さんが印象に残ってるライブは?と訊くと、
今までのライブはどのライブも最高だった。
ほらあれ、と言えば、みんなが浮かぶライブもある。
「でも、"NEXT LIVE"だね」
山 こないだのこういうところが良かったから、
これはまた次生かそうよ、とか言うのは?
鮎 それはダメなんだ。
山 あ。そういうのは。
鮎 そんなー。前は前でもう終わりなんです。
なんちゅうか、いいところは自分でもってるやろし。
山 自分で気づいて。
鮎 ただもう、口で言ったりしたらどっちらけですよ。
もう、黙ってするよ。
山 へぇ〜。
鮎 なんかこうしたいことがあったら。
うん。
ただ、なんちゅうか、僕たちは・・・・
いや。うん、そんな感じ(と言われてにっこり)。
鮎川さんの笑顔のスロー映像がロケッツのライブ映像に切り替わって、
曲かライブ自体のエンディングと思われるところを映して、
曲の終わりとともに映像も終了。
最後の曲は、今回は「リクエスト特集」ということで、
「これまでの放送の中から、反響の大きかった1曲をお送りします」
とナレーション。
2007年12月12月13日on airから、KKDによる「JUMP」。
健さん、山本さん、DAIさんと3人が並び、
DAIさん→健さんとリードボーカルが交替していき、
山本さんに替わったところからはずっと3人のハモリに。
この10ヵ月半後に健さんは虹の向こうの人になってしまった
わけですが、このときはまだ誰もそんなことは知らない。
思ってもいない。もちろん、私たちも。
CMで使われた「JUMP」の、滅多に見ることのできないパフォーマンスを、
ウキウキしながら観てた。聴いてた。
ツインギターにパーカッションが入ると、締まりますねぇ。
NAOさんのドラムとはまた違った感じで。
その耳に小気味いい感じと、3人だからこその厚みのハーモニー。
何よりも山本さんの安心しきっているような、
居心地がよさそうな屈託のない顔。
3人がフロントに立つのが当たり前だった頃の映像に、
涙がこみ上げて来ました。
鮎川さんは1948年生まれ。
還暦を過ぎてらっしゃるのですが、
永遠のロック少年であり、ギター少年でいらっしゃいますね。
山本さんがあまり口をはさめないほど滔々と、嬉しそうに、
当時のこと、ロックのことを語られました。
九州弁なのは、私が鮎川さんをテレビで観た初めから
ずっと変わりません。
私のささやかな認識の範囲に過ぎませんが、
1945年に終戦で、そこから1950年代(半ばくらいまで?)までに
生まれた方々は、
高校生から小学校高学年くらいの頃にビートルズが来日。
ビートルズがデビューしてわりとすぐに
彼らの音楽の洗礼を受けてらっしゃるようです。
私たちが意識して聴き始めたのは日本の音楽でしたけど、
この方たちは、まだ日本のラジオからは歌謡曲が流れていた時代に、
FENから流れて来たROCK'N ROLLなどを聴き、
その原体験がまんま純粋培養された世代。
気持ちは原体験の頃の熱さのまま、
今はもういい感じで肩の力も抜けていて、
洗練された、成熟した日本語を駆使して詞を書き、
その詞を乗せるメロディは聴きやすかったり美しかったり。
今も現役の50代、60代のそんなアーティストは
何人もいらっしゃいますね。
音楽系の方がゲストだとここがいつもにも増して長いことに、
今日文字にしている途中で気づきました。
山本さんの言葉もその答えもできるだけそのまま文字にしたい
からですが、長くなって、スイマセン。
読んでくださって、ありがとございました。
次回、今週の木曜日放送、127回のゲストも鮎川誠さんです。
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座生まれ・O型
すべての始まり。
もやってます。
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