検討問題:自我は幻想・仮象・虚構ではないか:近代主義のマーヤーからトランス・モダンの真理へ 

2008年12月01日(月) 0時47分
偉大な深遠なインド哲学が説くように、現象はマーヤーと見るべきではないか。例えば、「わたし」とは、同一性という仮象の連続体に過ぎない。しかし、連続体とは、本来、ヒュームが述べたように、不連続の虚構である。
 同一性は瞬間の虚構・仮構である。それが、連続化されて、「わたし」=自我となるのである。
 そう、もっとも確実と見られる物質・現実・自我は、実は、虚構・仮構、すなわち、マーヤーと見るべきではないか。科学では、量子論/素粒子論がこのことを証明していると考えられる。
 不連続な差異が虚構として、連続化されて、「わたし」=自我を生んでいると考えられる。この帰結が同一性主義である。
 そうならば、真理はどこにあるのか、ということになる。それは、Media Pointにあるのである。差異に真理があるのである。差異が自己なのである。同一性は、仮象である。幻想である。
 三島由紀夫の『豊饒の海』の最終巻の「無」であるが、それは、端的には、現象のマーヤーを説いていると見るべきである。
 近代主義は、マーヤーの帰結である。そして、トランス・モダンとは、Media Poitnへの回帰である。幻想から真理へと回帰するのである。

差異と同一性 

2008年06月10日(火) 2時24分
自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1を基盤に以下、考察する。

 結局、Media Pointの問題である。イデア極性があり、極限が±1である。反発が-1であり、引き合いが+1である。しかし、常態は、極限ではなく、共振様相である。そう、現象とは、実は、極限と共振様相で構成されるのではないか。だから、宇宙物理学のダークエネルギーとは、共振様相のエネルギーを意味するのではないのか。
 即ち、(+i)*(-i)である。(+i)*(-i)>+1ないしは-1ということではないのか。今はここで留める。

以下、参照。
http://sophio.blog19.fc2.com/

古郷の地霊:天と地とのシンフォニー 

2006年10月24日(火) 1時57分
バスから降りて
田舎の空気が触れる
大空と大地を「聖霊」が満たしている
大地は、大空へ
大空は、大地へ
一つのコスモスの聖霊があるのである
地の力は、天とつながり、
天の力は、地とつながっている
このような地霊・コスモスの我が古郷なり
このような地霊・コスモスの中で育った我なり
東京が疎ましいのは当然である
東京には、精霊がないのである
このコスモスの息吹に満ちる我が古郷なりき
これが、神道の神であろう
カムイである
この大気・大地・大空には、メディア界があるのである。
ムーサイ(詩神)が棲んでいるのである
音楽が生まれ、詩歌俳句が生まれ、絵が生まれるのである
そう、木立が、竹林が、家屋が、呼吸をしている
大地が鼓動している
大地の生動がある
気が脈動しているのである
この気の感覚意識を近代は喪失したのである
馬鹿者め!
自分を守ることに精いっぱいの近代的自我主義者
クレイジー・ジャパン
今日、東京は死んでいる
死せる都市東京
そう、今から30年以上前
田舎は賑やかで
都会は静かだ
と皮肉な表現で言ったものだが、そのときから、印象は変わっていない
経済と自然が共振しないといけないのである
差異共振シナジー・フィールド
これは、芸術のフィールドでもある
経済・芸術・自然の三位一如
風が樹木をゆらし、ざわめく
灰色の雲が上空を満たす
ゴッホのようなエレメンタルな力を感じる
現象の影に、何かある力、
これを、近代人は、忘失しているのである
身体は、それを、観じているのに
風の又三郎である
嵐である
自然/神のエネルゲイアである
野蛮な近代人
自然は精妙・霊妙である
経済と芸術と自然がむすぶとき
ルネサンス
神即自然のエネルゲイア
近代は、神殺しの凶悪犯である

秋の虫 

2006年09月17日(日) 20時32分
こおろぎの

清かに聞こゆ

鈴懸路

新年の拙句 

2006年01月02日(月) 23時44分
新年の拙句

新しき春の雨に土匂い

年越えて寒さに心縮まりぬ

新年を狂母と過ごし沈む思い

人生は己の責任果たすものなり

知覚と心の明るき人は少なきかな

新年 

2005年12月15日(木) 17時28分
新年

平成18年は犬年だね
今年の抱負は何にしよう
やりたいことを一つにしぼる
難しいね
春はマンドリン
夏は土で皿かオブジェ
秋もマンドリン
冬も土で皿かオブジェ
いろいろやってみて
広げてみたら?
でも、一番夢中になることって
わかっているよね
秘密かな
       poem


一番夢中になることとは、何だろうか。
やりたいことがたくさんあって
一つに絞れない
外国、シチリアに行き、タオルミーナの青い海に行こう
あるいは、世界遺産の熊野古道に行こう
あるいは、特性のない男、夢遊の人々を読もう
又は、
途中

連詩「冬景色」1 

2005年12月08日(木) 17時43分
冬景色という言葉は、ほとんどイメージである

この言葉には、なにか郷愁がある

また、いろいろ想起させる

絵画にも、冬景色が多く描かれている

ブリューゲルの鮮やか狩りの場面、ブラマンクだったっけ、一本の道が勢いよく描かれる白一面の絵

また、小学生のとき、図工の時間で、模写した、裏日本の茶色だが、いろいろな茶色の細い板の塀が並び、建物が立つ家
鉛色の空が厳しい表情を与えている、とても、印象的な絵

そうだ、絵は存在している、絵はそこに存在している
冬景色が、絵に存在している

この存在感が、妙に、安心感を与える
気持ちをやすらかにする
冬は、いわば、死の季節であるが、眠りの時であるが
ある種の愉悦感がある

そう、別に雪景色(そうだ、冬景色とは、雪景色だ。)ではなくても、安心できる絵がある
そういう絵がいい
一つの世界である絵がいい
それだけで、十分存在している絵
私が冬景色、雪景色の絵に見たもの

              sophio

連詩「新年」 

2005年12月08日(木) 16時59分
イヌドシ 【連詩・新年】1
テーマ:【後期】連詩

 ∧∧

 .. ゞ

▼ノ  \シ

 ││ζ ノ´

 ¨ ¨ ¨

もうすぐ新しい年が来る

イヌ年イイ年おめでとう!

……………

『イイトシ』か……(遠い目)

(詩集0to0 )



遠い目は、何だろう

どこまで、遠く見ることができるだろう

時間がたつが、私は私である

過去の私と未来の私

過去と未来が通じている

現在には、今には、未来があるのではないか

未来が、今にあるのではないか

そして、私は、未来にいる

今、ここは、未来のそこ

では、過去は、どこにあるのだろう

過去は探すのにむずかしい

過去は、どこにあるのだろう

未来は、ここにあるのに、過去は、ここにはないようだ

しかし、あの時の私は、やはり、今の私ではないか

あの時、生き生きと楽しんでいた私は、やはり、

今の私ではないか

ならば、過去も、今、ここにある

T.S.エリオットの『4つの四重奏曲』を想起する

               sophio

新年9 

2005年12月01日(木) 18時06分
世間では、韓流ともてはやす

また、反中国反朝鮮の動き

しかし、東アジアは、また、アジアは、もう無視できない

脱亜入欧であった近代日本は、変わらざるをえないだろう

入亜入欧、ダブル入である。

右手に西洋、左手にアジア

合掌させて、樹にしよう

それとも森にしようか

それとも海にしようか

どこの海? 美しい海中の魚群、イルカの群れが泳ぐ

南の海

新年 8 

2005年12月01日(木) 17時54分
< 新年:3 > yt
テーマ:ブログ

頬を刺す風が私の口を動かせまいとして

さっきから邪魔ばかりしてる

去年はありがとう。今年もよろしくね。って言うだけなのに

たったそれだけの事が言えないなんて

なんて意地の悪い風。そうね、全部、風のせい。


占星術では、幸運の星、木星が入る星座が、その年は幸運であると言われている

2005年の夏頃に、木星が蠍座に入ったと思われるから、約1年間、蠍座の人は、運がついているといわれる

あなたのまわりにいる蠍座の人が今年はラッキーかどうか確かめみよう

もっとも、運の悪い人もいるだろう。運をつけるには、準備がいる。 努力の結晶として、運があるのだ。自然の営みだ。脳の営みだ

                  sophio
P R
2008年12月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
最新コメント
アイコン画像xiaoxinwow
» 連詩(秋4) (2007年04月30日)
アイコン画像詩集0to0
»  (2005年11月24日)
アイコン画像aco
» クリスマス(9) (2005年11月17日)
アイコン画像yt
» クリスマス(3) (2005年11月17日)
アイコン画像yt
» クリスマス(3) (2005年11月17日)
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:sophio
読者になる
Yapme!一覧
読者になる