19.ごっくん、ごっくん 

2006年11月20日(月) 14時21分
2004年4月25日日曜日(発症57日目・転院3日目)

9時 五女病院に到着! 会社に行くときよりも早起き。
オモニはデイルームでナースSさんと経管栄養中。ほかの患者さんはとっくに朝食を終えて、各部屋に帰っているのに、経管栄養は時間がかかるので、まるで、居残りで給食を食べさせられている子のようです。

ゆうべ当直だったSさんの報告をうける。
「夜中にトイレに1回行ったけれど、ぼくと女性ナース二人で行き、移乗をすませたら、トイレ内は女性スタッフのみにしました」

Sさんは、初日の男性ナースで、わたしたちが男性の介助は嫌だと伝えたことをしっかり覚えていてくれてそうした模様。だけど、日によっては、男性ふたりが当直の日もあるので、なんとか、オモニは、座位自立と、自分でお股ちゃんをふけるようにならなければなりません。よい目標ができたぞ。

それから報告は続き、「朝は、鼻から管を入れましたが、午前中にST(言語療法)終了後、うまくいけば昼からは、口から入れます」とのことでした。

お口からの食事に向けての第一歩です。

食事を流したあと、薬を流しこみ、それから白湯を流して、チューブを抜きます。
まさに、水責め・・・。

9時45分
疲れてベッドに横になる。ナース二人がかりで、移動してもらう。

ちょっとオモニとお話しをすると、オモニは、いま、8月30日だと思っていました。今日は、地方から娘達がきてお騒がせしますってナースたちに言ったそうです。
五女が、「?」という顔をすると、オモニは、「勘違いか」と自分でも疑問の顔をしました。

10時35分
ST(言語療法) 昨日とは違うひと。このひとも可愛いひとで、昨日のひとよりベテラン風。
綿棒を凍らしたもので口の中をアイスマッサージしたあと、ゼリーを食べることに。
一口食べる「おいしい」とごっくん。
2口目 ごっくん。 3口目 ごっくん。 つばだけごっくん。
4口目 ごっくん。 5口目 ごっくん。 つばだけごっくん。
6口目 ごっくん。 7口目 ごっくん。
ここで、オモニ「胃が小さいのか、(経管栄養中)栄養があがってきちゃうの。きのうは苦しかったけれど、今日は楽です
ST「管がないからね、今日は、いいかもしれませんね」

8口目 ごっくん。
オモニ「こういうの好きだから大丈夫。ゼリー、好物なんです」
9口目 ごっくん。 つばだけごっくん。
10口目 ごっくん。 つばだけごっくん。

ここで気がそれてSTとおしゃべりする。
11口目 ごっくん。 12口目 ごっくん。 13口目 ごっくん。14口目 ごっくん。つばだけごっくん。

ここから、ゼリーの残りが型くずれ気味で水っぽくなる。
15口目 ごっくん。 16口目 ごっくん。17口目 ごっくん。つばだけごっくん。

オモニ「冷たいから飲み込みやすいわ」
18口目 ごっくん。 19口目 ごっくん。 つばだけごっくん。

ゼリーひとつ、ペロリと食べ終わりました!
すっごい。
その後、口の動きをチェックして、11時10分「ベッドに戻りたい」と言う。

ろくに休むひまもなく、11時15分。PT(理学療法)です。今日はPTのサブマネジャーがすることに。まずは1階の売店で、リハビリシューズを選んでもらいます。
それまで、スリッパだったのをいろいろなスタッフに冷たい目で見られていたので、ようやく「規則通り」の格好がつきました。

体をほぐしたりしながら、いろいろと体の状態をチェックされました。
舌をべーと出したまま30秒保つというチェックもされました。
ひとつの動作をじっとできるかどうかチェックで、オモニはまあ合格という程度。

12時05分お部屋に戻り、トイレに行く。オモニ、自分でふきました!

午前中だけでも、こんなにもりだくさん。
13時からお昼の経管栄養スタート。チューブを口から入れました。
「痛くないけど、苦しい」らしい。
ここで、オモニの初孫を妊娠中の四女が来ました。
「チビちゃん、二人おいてきたの?」と聞いていました。
四女に子供が二人いると思っているようでした。
複雑・・・。

午後のことは、また次回に続く、です。
リハビリがはじまると、やることが多くて報告することも増えます。

18.2日目は、モムサル 

2006年11月13日(月) 15時52分
2004年4月24日土曜日(発症56日目・転院2日目)

リハビリ専門病院に転院して2日目。今日からいよいよ本格的にリハビリがはじまります。

三女は張り切って、朝8時30分に病院到着。
オモニは、デイルームで経管栄養中。

10時30分
言語療法。担当は、Tさん。関係ないけど、美人。
桃のゼリーを一口食べる。

11時15分
理学療法。主担当の代わりにきたSくん。汗かきかき頑張ってストレッチしてくれたので、オモニがそばにいた三女にティッシュあげなさいって、韓国語で指示だすほど。

13時
昼の経管栄養。
苦しそう。
三女が、気分をまぎらわすため、藤沢周平の「竹光始末」を朗読する。

15時
作業用法では、オモニの入浴をチェック。今日はなんとか、スタッフみんな女の人。主担当の人は、お休み。ゴールデンウィーク前なので、休みのスタッフがぱらぱらと多い。
それでも、土日休日関係なくリハビリができるのは大きい。

ようやく、担当医のK先生と話す。
なんと、オモニの心臓の病院の主治医の先生とお知り合いだった。偶然。
入院面談のときに、心臓のことが心配っていっぱい訴えたから、循環器が専門のK先生が担当になってくれたらしい。そうでないと、金曜日に入院する患者さんは、きのうの最悪なM先生が担当になるんだって。これは、ムスメたちのお手柄だよね。ちなみにM先生は、整形外科が専門。整形が専門のリハの先生ってちょっとね・・・。

K先生がいうには、半側空間無視は、訓練することで安全になっていくんだって。
オモニの飲み込みはそこそこよいので、練習していきましょうとのこと。

ナースと入浴について語る。
オモニ、口では、男性スタッフが入ることに「仕事だから理解するよ」といいつつ、体が、めちゃめちゃ拒否。

モムサル(体の震え?)しちゃって、無理。

第一、全個室の高い病室のフロアは、ナースのほとんどが女性だから、同性介助。これって、やっぱり貧富の差なわけ?

断固、オモニは、モムサルで拒否。

今日のオモニは、相変わらず経管栄養だし、やっと桃ゼリー一口食べる程度なのに、
「銀座の薬膳、ああいうの食べると元気になるのにな〜」と発言しておりました。

銀座の薬膳めざして、がんばれ!オモニ。

20時15分 オモニ、ベッドにごろん。三女と五女も帰宅。

17.初日は、最悪の印象 

2006年10月23日(月) 14時16分
2004年4月23日(発症55日目・転院1日目)
9時40分オモニは、Hリハビリ専門病院に無事到着しました。

移動中、病院が書いた申し送りをちゃっかり開いて読みました。
医師は、オモニのことを
「意識レベル3月1日 JCSU−10  4月23日E4V5(T)M6
左片麻痺MMT0/5」
と記入してありました。
ナースは、「意識レベルT−1、左片麻痺MMT上1/下1」と記入。さっぱりわからないけれど、のちのために書き写しました。

病院につくなり、トイレに行くといったオモニ。
迎えに出てきた男性のナースともうひとり別の女性のナースが連れて行ってくれました。
男性がつれていくことに、びっくりした娘達は、「男性は、嫌だ」と伝えました。

この病院にきて最初に言った要求です。
あれほど入院面談であれやこれやと確認した娘達でしたが、男性が介助にあたるということは考えてもいなかったので確認すらしませんでした。まさに晴天の霹靂。

トイレのあと、医師が診察にきました。
カニューレを交換するはずが、どうもチューブのサイズがそろっていないらしい。探してくると退出。

その後、別の医師が登場。
オモニを担当するK医師は本日はお休みで、かわりのM医師でした。

M医師は、オモニの入院フロアのスタッフを10人ぐらいつれてきて、オモニのベッドをぐるりとかこみます。
M医師は、オモニにいろいろと質問を大声でして、ひとりで知ったような判断を勝手にくだします。

「お名前を言ってください。・・・それくらい言えたら平気」
「悪いほうはどっち?左?」
「ナースコールは押せる?・・・こういったケースのひとは、押せるといっても押せないものだ」
「だいたい想像つくからいいや」と、およそ診察とは思えない発言。

あげくに、オモニは、「疲れた」と主張しているのにかかわらず、「トイレの様子もみよう!」といいだす始末。この大勢の男女の前で、オモニにトイレに行かすかい?
ムスメたちが驚がくしていると、さきほどトイレに連れて行った男性ナースが「ぼくが様子はみましたので」と、このM医師の暴挙を止めてくれました。

このM医師は、むっとしながら、「MRIはとれますか?」なんてアホな質問をして、その場にいたムスメ3人は、声をあわせて、
「とれません!」

オモニは、ペースメーカー入れているんだよ???

なんとか、M医師と大勢のスタッフが病室から出ると、さきほどの医師が再登場。
カニューレのサイズがなく、すったもんだの末、結局「とっちゃえ」と言う判断になりました。
いずれ取れるとは知らされていましたがチューブのサイズがないから、「取る」という結果になるとは思わず、少し驚きました。

この病院の医師のレベルは大丈夫か? と思わせる午前の診察でした
担当のK医師が、このM医師よりかはマシな人でありますように、と祈りました。

そのあとは、ソーシャルワーカーの挨拶やら、レントゲン、CT、心電図、骨密度検査など大忙しでした。

体重を車イスごと計って、40.7キロと言われました。激やせ! オモニは50キロはあるはずなのに。この2ヵ月弱の間に10キロも痩せたの? かわいそう。だけど、オモニは、洋服が着られるって喜んでいました。
(実はこれは計算間違えで、のちに49.1キロだったと判明するのだ)


初日に判明した問題は、トイレと入浴介助に男性が入るということです。
もちろん「嫌だ」と伝えました。

はたして、これからどうなることやら?

初日のオモニは、かわいいピンクのパジャマを着て、この病院のトイレがキレイだと、喜んでいました。
明日から、日中洋服に着替えます。パジャマで毎日過ごす病人ライフともおさらばです。
ファイト!


             

16.救急病院は卒業 

2006年10月19日(木) 11時20分
2004年4月22日(発症54日目)

きのう、転院が決まって、なんだかバタバタした日。
看護師さんも、ドクターも、薬剤師さんもみんなびっくりした様子でした。
「明日、転院するんですか? もう少し先かと思っていました。あそこはなかなかベッドがあかないので、よかったですね!」
ただ、理学療法士さんだけが、少し心配そうでした。
リハビリ専門病院は、訓練がきびしいらしいのです。
そんな大変さはわからず、家族中、いよいよ本格的リハビリと思ってウキウキしていました。

オモニは、例の「21世紀の恩恵」で、ばっちり入浴も済ませ、気持ちよさそうに午後は昼寝。
自分で、タオルを顔にのせて寝ていました。

五女「そんなののせて苦しくないの?」
オモニ「ふふふ。吸入しているのよ。自分の力で。蒸気で」

な〜るほど。自分のはく息で吸入ですか? 
思えば、もうこの日からオモニの自己ケア術ははじまっていたんですね。

この日、オモニは、テレビの料理番組に出演してスープのとりかた、野菜のゆでかたを教える夢を見たとのこと。教えるの好きみたいで、そんな夢をみたせいか、まだ退院もしていないうちから、介護の番組にでて、今回のことを宣伝しようと思うのと、早くも未来志向。

明日の転院に向けて、わくわくしていたのでしょうね。
前の日に、孫が4人いるって言ったら三女にびっくりされたことも覚えていて、大阪に2人るでしょう? これも夢? ちょっと混乱していたかな? としっかり自己分析できてきたし、だんだんよくなっていきそうと思いました。

だけど、転院にむけて、担当ドクターは、いろいろと心配なことを並べ立てます。
「年齢のせいもあって、左側の脳も多少機能低下しています。嚥下は時間がかかりそうです。今回の脳梗塞のせいもあるし、以前のワレンベルグのせいもあるし、誤嚥があるので、口からの食事はかなり先になりそうです。痙攣も今後おこる可能性はあります」

そうか〜、そんなに大変なの? 左側の脳も多少機能低下って何?
オモニの梗塞は右側なのに? 医者ってこわいことばかり言います。

ともあれ、明日はいよいよ転院です。
ダメもとでお受験した有名校にちゃっかり入学気分。
今日で、急性期の病院は卒業です。
つまり、オモニの命は助かったってこと。
いちばんかわいいパジャマを枕もとに用意して帰りました。

15.ベッドが空いた! 

2006年10月05日(木) 12時21分
2004年4月21日(発症53日目)

昨日からおしゃべり出来るタイプのカニューレになったオモニは朝からおしゃべり炸裂です。

朝10時に五女が病室に到着するなり、もう、とまらない。

オモニ「お葬式の写真は六義園で撮った写真がいい」
五女「お葬式って・・・」

オモニ「もう少し早く病院にきてほしい。オモニがわがままましら?」
五女「そんなことないけど、10時でもけっこうがんばっているほうだと思うけど」

オモニ「もう、今日のリハビリ終わったの。ベッドに座る練習して、立ち上がって、鏡をみて、先生とダンスしているみたいだったから、他人には見られたくないの。カーテンしてやってほしかった」
五女「見たかったな〜、ダンス」

おしゃべりしすぎて、むせり、10時35分に吸引してもらいました。
吸引が済むと、さっそく口が動きます。
オモニ「バカになっちゃうわ」
ナース「大丈夫。しっかりしていますよ〜」
オモニ「うふふ」

昼の経管栄養後は、昨日の入浴について語ります。
「きのう、お風呂のときは、恥ずかしかった。みんなどうしてキレイ、キレイ言うのかしら? 病気になると人権なんてないわ。セクハラっぽいわ、ここは。
でも、わたしが阪神のアリアスをみてカッコイイって言っちゃうのと同じかしら」

たしかに、オモニの肌はめちゃキレイなので、ナースさんも思わず言ってしまったのでしょう。

夕食前には、病院の朝の出来事について小言。
「朝、6時にお尻みましょうって冷たい手で触られて、終わったらすぐ食事ですって流動食を流し込まれて、嫌だわ」

最後に、オモニ・ワールドのつづきについて語りました。
「大阪の孫、レイちゃんとタカラちゃんと、孫が全部4人お通夜に来たのよ」

う〜ん、オモニに孫はひとりもいないのに、希望的シチュエーションなのか?
この時点で、「タカラちゃん」だって、まだ胎児なのよ。

まあ、こんな調子の一日でしたが、うれしいことがありました。リハビリ専門病院のベッドが空いたという知らせを聞き、なんと明後日転院することに決まりました!
さっそく医療相談室に走り、民間患者移送サービスの会社に手配しました。お値段がけっこう高いのにはびっくり。

今日から本格始動のオモニのおとぼけ会話&的を射た病院批評、これからますますスパークします。
久しぶりの会話は想像以上に早口でした。

14.微妙な日 

2006年09月30日(土) 18時25分
2004年4月20日(発症52日目)

この日、カニューレをカフなしに変更しました。これは、気道も確保していない、とても細いタイプのもの。誤嚥の心配はあるけれど、練習しなければ! とドクター・ユハッセンに言われました。
さらに、理学療法士さんにも、ベッドで立ったり座ったりの練習をしました。「リハビリの専門病院に行ってもできるように少しやっておこうね〜」ということでした。
オモニは汗だくだく。
それでも、オモニのいうところの「21世紀の恩恵・寝たまま入浴機械!」を使って、久しぶりの入浴。オモニが寝たままでも、台が上下して湯船に浸ったり出たりするすぐれものです。
さらに、耳鼻科の先生にまだ口からの飲み込みは無理と言われたので、口の中をしっかりアイスマッサージしました。

ただ気になるのは、オモニはハンカチでグリグリ〜って自分の鼻を押さえてしまうことです。どうやら、鼻水が出ているような気がするらしい・・・。
ドクターいわく、「いろいろチューブが入っていたから、粘膜が過敏になっているのでようね」
う〜ん、小さな埃とかも気になるのかな?

ともあれ、血液をサラサラにするワーファリンという薬の投与量も決まっていなし、カニューレもとれていないけれど、それでも、ベッドが空き次第転院可能なのです。

正直、不安がいっぱい。

明日のリハビリ病院の病棟会議の結果、転院日が決まるのです。ゴールデンウィークも近いし、その前に転院したいと思っていました。なぜなら、普通の病院は土日祭日はリハビリが休みになってしまうのですが、専門病院のウリは、「365日リハビリ」です。そこで一日でも早く、いっぱいリハビリさせないと! 鼻息が荒くなる五人娘でした。

しかし、その夜、オモニは、「二女の夫のハンカチ持ってきて。そのハンカチを棺桶に入れてね。みんな持病をもっていってあげるから」と、また妙な発言。

持っていくって、どこへ? 棺桶って何よ?

13.双六でいう一回休み 

2005年12月25日(日) 0時28分
2004年4月19日(発症51日目)

ここまでトントン拍子に回復に向かうオモニ。
この日は、飲み込みができるかどうか耳鼻科の先生に診てもらうことに。
うまく行けば、さらば鼻からの流動食だったのに・・・・・・。

経管栄養が終わって、車椅子に移乗して、ばたばたとトイレに行って(ちゃんとトイレよ)、それから、吸引して、そのまま息つくひまなく耳鼻科に連れていかれたので、オモニ、絶不調だったのです。

のどの腫れは良くなったのですが、水をためしに飲んだら、むせっちゃいました。
のどの水を注入して、ゴックンと飲んでみて、ストップウォッチでタイムを計りました。時間がかかってしまいました。

結果、「いまのところ、食べ物での訓練は無理です。まったく見込みがないわけではないけれど、訓練が必要」と言われてしまいました。

アイスマッサージで、喉を刺激する宿題がでました。
効果は2,3週間後に出るとのことでした。

なんだか、順調に回復していたので、ものすご〜く残念でした。
付き添ってくれたナースさんは、エレベーターを待ちながら、

「飲み込み出来そうなのにね、来週また診てもらいましょう!」って、励ましてくれました。
「それに、一時はどうなるかって状態だったのに、すごく良くなりましたよね」と慰めてくれました。

良い人だ〜!

飲み込みについては、トントン拍子の回復中における、双六でいうところの「一回休み」みたいなものだと思って、再チャレンジすることに!

アイス棒で、喉を刺激したり、口の体操したり、嚥下の訓練が始まりました。

だけど、同じ日、頭の抜糸が済んで、次の病院に転院できる目途が立ちました。
ベッドの空き次第、来週中には転院可能に

12.「お受験」 

2005年12月17日(土) 17時36分
2004年3月30日(発症31日目)

話しは、前後しますが、家族は、この日、次の転院先の第一候補の病院を決めました。
3月中に決めてくださいと言った担当医も少し驚いていました。
何事も、善は急げ! ですから。

(「善は急げ!」は本当です。この病院の入院希望の受付が、4月に入ったら満床で。締め切られてしまったのですから)

トントン拍子に、4月6日には早くも、その第一希望の病院に面接に行くことになりました。
担当医からは、提供資料としてオモニのCTの写真をもらっていたので、何かのときのために(?)、自宅でこっそり撮影もしました。

転院候補の病院は、ものすごく人気のあるところで、ほとんど「お受験」のような気分でした。

しかも、前評判では、個室がなんと、5万円もするとのことでした。

「だってそこが東京でいま一番のリハビリ病院なんでしょう? お金はなんとかするさ」
と、口では言うものの、
10日で、50万。
20日で、100万。
心中では、計算しては驚くばかり。

しかも四人床なら、差額ベッド代はかからないので、天と地の差!

でも、本当によい病院か、評判だけを信じてはいけない。
そこで、面接には、長女、四女、五女が行くことにしました。

病院を納得するまでチェックすることにしました。
決して、下手には出ずに、聞きたいこと、要求したいことは、きちんと言おうと決めて、娘三人、なにか決闘にでも行くような勢いでした。
長女は、チェックリストまで作っていたくらいですから。

四女はこのとき、妊婦で、その迫力ったらありません。
面談が終わるなり、病院のラウンジで、グレープフルーツジュースをぐびぐび飲んでいました。

それもそのはず、面談した医者に、お母様はどんな方?と聞かれて、娘三人はぺらぺらと、オモニのことを語りました。
聞き取りして、カルテのようなものにいろいろと書き入れている医者も、書くスペースがなくなって欄外に書くくらいでした。
休む暇なく語っていた四女が、一息入れたとき、この医者が、ようやく、

「すばらしいお母様ですね」と言いました。

このせりふを聞いて、三人娘、みんな、納得したように
「そうなんです!」と言って、ようやくだまりました。

なんの面談なのやら、ふう〜

11.カトウか、ササオカか 

2005年12月12日(月) 14時18分
2004年4月13日(発症45日目)
この朝、オモニは話せるタイプのカニューレと交換してもらいました。
夜間や流動食中は、もとの話せないタイプに換えましたが、3月4日以来のオモニとのおしゃべりが可能になったのです。

少し声は変な感じでしたけれど、オモニは話す、話す。
ほんとうに堰を切ったように話す話す。
早くて、内容も飛ぶけれど、9割方ついていけました。

まずは、ケアにくるナースさんたちにはお礼を言っていました。
「トイレのこと、ご迷惑おかけします」
「いろいろとよくしてくださってありがとうございます」

ナースさんたちは、「久しぶりに声を聞く!」という人や、「はじめて声を聞く!」という人などさまざまでした。みんさん家族と同じく、喜んでくれました。

ナースさんがいちばん受けていたのは、寝たまま全自動で入れる入浴に連れていってもらったとき、オモニが、「21世紀の恩恵をさずかっているわ」と言ったときです。
この頃のオモニが話すことは、5割り増しくらい大袈裟になっていて、いま振り返ると、けっこうおもしろかったです。

理学療法士の先生とも、5年ぶりにお話しできました。
「今回、はじめておしゃべりしますね!」とにこやかに声をかけられて、
「またお世話になります」ときちんと挨拶していました。
さらに「ここに来て、心房細動もおちついてきて、カトウチームのおかげです」とも言っていました。

カトウチームって何?

これが、あとでわかった高次脳機能障害のひとつ、「保続」というもので、担当の先生の名前をずっと間違っておぼえてしまうのでした。
さらに話しも大きくなっていて、どうもオモニの中では、国家プロジェクトなみの規模で医療チームが結成させて、オモニは実験台になっていて、治療されていたと思っていたようです。
だから、うまくいかないと、「カトウチームに申し訳ないわ」と頻繁に言っていました。
すごい創造力!?

ちみに、カトウは、ときどきササオカにもなっていました。

10.小麦粉のナゾ 

2005年12月05日(月) 14時23分
引き続き、オモニとの筆談について。

なにやら、連想ゲームみたいな状態になってきて、オモニが言おうとしたことがわかる娘は得意げになるし、いまひとつわからないと、意気消沈するし、といった日々が続きました。

オモニも、苦しいさなか、必死で何かを伝えるのに、あんまり娘たちがわかってくれないと、ふ〜っとあきらめてしまいます。

なかでも、いちばんのナゾは、小麦粉。

オモニの唇は、あきらかに、「小麦粉と卵」といっていました。

「なに? 小麦粉? ホットケーキ食べたいの?」
と、娘。

首をふるオモニ。
なにか、必死に言っています。

オモニの唇は、あきらかに、「きじ」と言っていました。

「やっぱり、ホットケーキの生地のこと? 作り方? 知ってるよ。心配しないで」
と娘。

首をふるオモニ。
すこし、うらめしそうに娘を見ます。

なんだろう? 何を伝えたいの?オモニ?

答は、スピーチカニューレ(話せるタイプの気管のチューブ)に交換して明かされました。

なんと、オモニはこのひと月の間、「自分のお葬式」に参加していたのです。
臨死体験というものでしょうか?

生地とは、布地のことで、棺にかけるものをさしていたのです。
絹の布に、小麦粉と卵でとかしたもので戒名を書くのです。
オモニは、なんにも用意していない娘にそのことを頼みたかったのです。

しかも、オモニの「お通夜」には、5人娘はだれひとり来ていなくて、ぷんぷんと怒っていたそうです。オモニは火葬場の煙突のてっぺんに座りながら、娘達が来ていないことに、腹を立てていたとのことです。

さらに、もっとすごいことに、孫の一人もいないはずのオモニに、大阪の孫、「レイちゃん」というのが存在していたそうです。なんだか、すごくハイパーな世界が、あの眠っている期間に繰り広げられていた模様。

続きはまた次回紹介します。
聞いていて、娘達は、けっこうハラハラしました。
ちょっとおとぼけが過ぎていましたので・・・