祈る

April 20 [Fri], 2012, 22:53
ほとんどの劇場には神棚があって、公演のたびに主催団体や、オーケストラ、または個人が神棚に一升瓶をドンと捧げています。公演終了後、あの一升瓶はどこに消えるのか…そんなことはどうでもいいのだけど、僕は今まで一度も劇場の神棚に手を合わせたことはないし、今後もしないでしょう。
これは僕と逆の立場の人を否定しているのではありません。やりたい人はやればよろしい、そういう考えです。
では祈っていないのかと言われると、いいえ、違いますよ。
舞台の成功も、ケガがないことも、神棚に手を合わせる人と同じように僕は祈っています。

そうです。祈っているのです。

以前、こんな話(神棚には手を合わせない話)をしたとき、「では君は一体何に祈るのか?」との質問を受け、「祈りとは何かに対しておこなう行為なのか?」と疑問を持ったわけです。
僕の中では、祈りとは「○○に…」のような対象を必要としていなかったのです。
息を吐くのが自分で完結するように、祈りも自分の動きの一つにすぎなかったのです。
「何に息を吐くのか?」と質問されたら返事に困るのと同じです。「光合成推進の為です」とは言わないでしょう?

先日、アリンコが一生懸命、自分の何十倍もの大きさの虫を巣に運んでいました。
その行列のすぐ横では、少年たちがサッカーをしています。
ボールや少年たちのゆくえ次第で、アリンコたちの努力は(もしくは生涯すら)一瞬にして消滅します。

でも、きっとアリンコは巣に神棚なんてかまえていませんし、死すら恐れていません。
自分たちの行動に疑問も持っていないでしょう。

実はそんなシンプルな生き方こそが祈りそのものとは言えまいか。
だって、祈りは「こうあってほしい」ということを求めたり、願ったりする行為でしょう?
そう考えると、アリンコに限らず、虫も花も、自分たちの生き様を常に成し遂げているのですから。

何か祈りを捧げる相手が必要な場合は、それは両親に祈ります。
祈りを求める自分を生み、育んだのは両親だからです。

金木犀

October 05 [Wed], 2011, 2:49
ちょっと体調を崩し、一日横になっていた。
季節の変わり目、特に春と秋にはよくこうなる。
夜になってずいぶん楽になったので、買物がてら少し歩いた。
金木犀の甘い香りに気付く。
そうだよな、昼間だけ発しているんじゃないよな。
夜の落ち着いた空気に、この香りはいっそう映える。
星すらもその香りをまとっているかのよう。


  幼きあの頃の
  なつかしい歌
  ひとりで 口ずさめば
  思いで遠く
   (藤公之介)


それこそ懐かしい歌を思い出す。
高校生のときに出合ったこの詩が、今、何と実感を持って響くことか。


  時うつろいて
  人は変われど
  金もくせいは
  今年も匂う…


ああ、ちょっと元気でた。

碧のイタリア、碧の夏 6

September 01 [Thu], 2011, 0:10
イタリアの奥深さ…なんて面白いんだ。

マルタでのコンサートの主催者・ジュゼッペの家が、まさかの築800年であることは先に紹介したとおりだが、各部屋に飾ってある絵画も数百年前のものというのが当たり前で、時間の感覚がどうにかなってしまいそうになる。
最も驚いたのは、リビングに1835年製のピアノがフツーに置いてあったことで、鍵盤は6オクターブしかなかったが、音はちゃんと出た。1835年というとシューベルトの死後7年である。俺がこのピアノに驚いていると、気を良くしたジュゼッペは「マス、これを見てみろ!」と言うではないか。さらなるお宝に胸を躍らせたが、出てきたのはオペラのレコード群。いや、珍しいのもあったよ、バスティアニーニのアリア集とか、往年のオペラ歌手たちによるナポレターナ集とか…。それも凄かったよ。でもさ1835年のピアノの方が驚きだろう。なのにジュゼッペったら「このピアノは手入れしていないから…」と、あまり関心がないご様子。

写真はロマーノの家に飾ってあった指揮棒。ムーティーがスカラでドン・ジョヴァンニを指揮したときのものだと。ちゃんとコルクのところにサインがしてあった。ロマーノもスカラのプレイヤーだが、ムーティーは別格の存在らしい。別格だけど、メールする仲でもある。



今回のイタリア滞在は、少し慣れてきたミラノではなく、まずローマで旅装をとき、それから北へと移動した。ローマはまだそれほど詳しくないので、とりあえずスペイン広場へ。日本ではごく限られた場所でしかはかないパンツで散歩。バカンス気分で気持ちイイ。



そのスペイン広場で似顔絵を描いてもらった。「美しく描いて」と注文したらこうなった。どうよ。

碧のイタリア、碧の夏 5

August 31 [Wed], 2011, 2:43
コンサートを無事終えた翌日、死にゆく街(il paese che muore)との別名を持つバンニョレージョ(Bagnoregio)なる街に行ってきた。



ご覧のとおり、切り立った断崖絶壁の上に位置するこの街は、まさに天空の城を彷彿とさせる。街の起源については、2500年以上前まで遡ることができるらしい。過去に大地震があった影響で人々はいなくなり、街の土産物屋で尋ねたところ、現在は10人しか住んでいないそうだ。街には1軒のB&Bがあるが、「死にゆく街」なんて言われると泊まるにも勇気が必要だ。



街に入って少し歩くと、あっという間に終点、行き止まり。すぐに大きな広場に出ると、その左手に噂のB&Bを発見。誰か泊まっているのだろうか。



それにしても、このバンニョレージョに着くまでの牧草地帯と空の色のコントラストの美しかったこと。今回のイタリア滞在は常に天気に恵まれ、雲一つない青空に毎日感動させられた。この空が日本に続いていることを疑問視したくなるほどの特別感。
ここバンニョレージョでもその碧(あお)い空は同様に見ることができたが、その真っ直ぐな碧と淋しげな街の佇まいは、互いの存在意義を増長しているかのようで、俺の心をちょっと静かにした。


碧のイタリア、碧の夏 4

August 29 [Mon], 2011, 23:37
マルタでの公演の翌日、今度は1時間ばかり東に移動したオルテ(Orte)という街での公演だった。
オルテは今回訪れた街の中では大きい方だが、それでも人口8000人程度。典型的な山岳都市で、街に入る道も限られているそうだ。街のいたるところにフクロウのマークや彫刻があった。
この日の公演は街の広場。昨日に引き続き野外でのコンサートだ。しかも昨日よりも大きな広場なので、マイクの準備があるではないか。まるでロック歌手のコンサートのようだった。



早い時間からお客様が広場に集まっている。今夜も9時半開演。
ステージとなる場所の後ろに位置する家が楽屋代わりで、家主の少々おせっかいで親切なお婆ちゃんが「もう何年もお世話をしている」と自慢していた。



イタリアの雰囲気に慣れたのか、いや二回目だからかな、とにかく肩の力が抜け、いつもより声が伸びやかに飛んでいる気がする。お客にもそれが伝わるのか、いつもに増して「ブラヴォー!」の声が多い(基本的にイタリアのお客様は熱狂的で、優しい…そんな印象はあるが)。



昨日に引き続き、ナポリ民謡で客をあおったら昨日以上の大合唱に。
アンコールでもその曲を歌ったのだが、何だか気分が高揚した俺は、演奏中、客席に向かって走り出してしまった。マイクがなくても十分響いていたので、客席の中でお客さんと握手やハイタッチしながらナポリ民謡を歌い合った。



観客はまたも総立ち。こんな感動がイタリアで得られるなんて、なんという不思議な話。なぜかおふくろと子どもの頃歌っていた「あいうえウシウシまみむめモー」という歌が頭の中で響いていた。

終演後は例によって大宴会。深夜遅くまで繰り広げられる食事とお喋り…
そうそう、会場のレストランの地下に、何百年も前の地下道の跡があってビックリした。

自分の音楽が、しかも学んできたイタリアの音楽が、イタリアでイタリアのお客様と喜びを分かち合っていることに、俺は心から興奮していた。


碧のイタリア、碧の夏 3

August 26 [Fri], 2011, 22:30
マルタ(Marta)でのコンサートは21時30分開演。イタリアらしい。
昼間は日本並みに暑いが、湿度が低いので日陰に入ると涼しいし、夜になると少し肌寒いほどだ。

コンサート会場に着き、配布されるプログラムを眺める。日本語が一切書いていないプログラムを見つめていると、なんだか不思議な気持ちになる。今日、本当に歌うのかな…、俺でいいのかな…のような。
ここでハッと気がついた。MIYAMOTO が MIJAMOTO になっているではないか。これではミジャモトだ。
でも何だか面白いからそのままでもいいや…と、イタリアに来ているせいか楽天的になっている。日本だったらチクリと文句を言うところだが。



お客様たちは真剣に音楽に耳を傾け、何より楽しんでいる様子が伝わってくる。居眠りをしている客なんて一人もいない。
「音楽を楽しむ」って一体どういうことなんだろう…と、本気で考えさせられるほど、音楽を得ようとする姿勢が心地良い。単に文化の差として片付けられない何かがそこにはある。



おかげさまでコンサートは大成功。最後には観客総立ちになり、そんな体験初めてなものだから、終止ニヤニヤしっぱなしになってしまった。共演者たちも口々に「良かった、素晴らしかった」と讃えてくれ、前回、前々回のイタリア公演と比べて、やや落ち着いている自分が感じられた。



公演後は主催者のジュゼッペの家のバルコニーで大宴会。ちなみにジュゼッペの家の土台は1200年代にできたらしい。奥さんの手料理がバイキング形式で。相変わらず美味すぎる。老人たちも深夜まで容赦なく食べている。



そしてこれが主催者のジュゼッペ。ボエームやアンドレア・シェニエを丸暗記しているつわものだ。しかも音楽家ではない。
「マス、声の調子が悪いときはこう言えばいいんだ」と言ってジュゼッペが夜中の1時に叫んだ。しかもムチャクチャでかいい声で。

ルイージ!!

それを聞いてロマーノも唱和する。

ルイージ!!ルイージ!!

面白かったので俺も叫んだ。

ルイージ!!ルイージ!!ルイージ!!

碧のイタリア、碧の夏 2

August 26 [Fri], 2011, 0:34
同じくトゥーシャ地方のマルタ(Marta)という街は、ヴァッレラーノ (Vallerano) よりやや大きいが、それでも人口は4000人弱。ヴァッレラーノ同様、ちょっと歩けば街を一周できる。たたマルタは、ボルセーナ湖(Lago di Bolsena)という大きな湖に面した街であり、休暇を楽しむ人々(外国人を含む)で賑わっていた。



翌19日の本番を控え、コンサート会場でのリハーサルに向かった。
本番は教会と聞いていたのだが、なんと教会の中庭。外で演奏!?
外でリサイタルなんて、人生初だ。



客席は芝生の上だけではない。教会の回廊からも立ち見で聴くことが出来る。
写真は回廊から。



そして嬉しいことに今回の演奏会の広告がデカデカと新聞に取り上げられていた。
ちゃんと俺の名前も書かれてあった。何だか嬉しい。

リハーサルも順調。このプログラムを、このメンバーで演奏するのは4回目なので、お互い呼吸を確認するだけで心地よく進む。フルートのロマーノが言った「明日は素晴らしいコンサートになるだろう」


碧のイタリア、碧の夏 1

August 24 [Wed], 2011, 22:52
ラーツィオ州、ヴィテールボ県(Regione Lazio,Provincia di Viterbo)は、ローマの北に位置する。この辺りはトゥーシャ地方(Tuscia)とも呼ばれ、中世の古い街並みを数多く見ることができる。
ヴァッレラーノ (Vallerano) という小さな街も例外ではなく、人口約2,500人のこの小さな街は小高い丘の上に位置し、古い街並みの間にまるでミステリアスな坂道が数多くある。



人々は気さくで、すぐ話しかけてくるが、日本人がよほど珍しいのか、みんなジロジロト視線を投げかけてきた。
この街に、わが親愛なるマエストロの家があり、まずは奥様お得意の家庭料理をご馳走になった。
イタリアで美味しくないレストランにあたることはあまりないが、家庭料理以上に美味しいレストランというのも数少ない…そんな印象を持っている。というのも食事を心から楽しむという彼らなりの作法(?)は、家庭でこそ最も効力を発揮するのだろう。もちろん味そのものも抜群なのだが、「家庭的な楽しみ」というスパイスが味を何割も増すのではなかろうか。

で、このトゥーシャ地方に何しに来たかと言うと、コンサート出演のためである。
暑い夏の日本を飛び出して、もっと暑いイタリアに来た(日中は40度近い)。しかし夜や日陰はとっても涼しい。

ちょっとだけ、コンサートの様子や、このトゥーシャ地方をご紹介しようと思う。



写真はお世話になったご夫婦。



死について2

May 03 [Tue], 2011, 23:36
子どもの頃から「死」が恐ろしくて仕方なかった。
自分がこの世から無くなってしまうことを恐れていたのだと思う。

ところで死ってなんだ。
婆ちゃんが死んだとき、そこにあるのは死ではなく遺体だった。
「生と死」が前述の例のごとく「在と無」に置き換えるとすれば、確かに遺体は火葬すれば骨になって、その骨もいつかは風化して、結局は限りなく「無」に近づくのかもしれない。
しかし俺はやはり婆ちゃんの「死」を見つけることは出来ない。
婆ちゃんは確かに生きていない。死んだ。では、死はどこに在るというのだ?

たとえば「脳死」と言う状態がある。詳しいことは良く知らないけど、人工呼吸器をつけていれば見た目には寝ているように見える状態だ。ということは、話は出来ないけれど、髪の毛は伸びる。
仮に自分の親がその状態になったとき、俺は何を思うだろう。親はもう俺の手を握ることは出来ない。しかし俺は定期的に親の伸びた爪を切るのだ。

たとえば「前世」というものについて、まるで血液型を当てっこするかのごとく嬉々として話す人がいる。ちなみに俺の周りで頻出する前世は、中世の騎士、修道女、武士などで、誰一人として「僕の前世はミツマタヤリウオで」とか、「私の前世はナミカ亜科のコダカアカイエカで」などと言う人はいない。
別に何だって宜しい。言うこと自体に罪はない。

どちらのたとえ話を見ても「死」は俺に複雑に迫ってくる。
ところが最近考えていることにより、恐怖は多少和らいできた。
他人の死から「死」そのものが何かを見つけることは出来ない。
死んだという状態さえ、厳密に言い切ることは困難だ。心肺停止が死だと誰が断言できようか。
ただ一つ思うのは、自らの死は絶対的無であろうという予想。
絶対的無ゆえに、そのときは恐いという感情すら抱くことはない。
いや「そのとき」すらもきっと無いのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

断っておきますが、決して心が後ろ向きになっているのではありませんよ。
何かの宗教に傾倒しているわけでもアリマセン。相変わらずのオレオレ教です。
しかし死について考えることは、自分(人間)にとって大切なことのように思えるのです。
これも好奇心です。

死について

May 02 [Mon], 2011, 1:17
一枚の写真を懐かしく見ること。
「今日は徹底的に掃除をするぞー」と張り切ったとたん、懐かしい写真がポロリと出てきて、手が止まってしまうことだってあるだろう。

今、ここにある一枚の写真は「今」ではない。
言葉で説明すれば「過去の一コマ」というやつかもしれないが、では「過去」ってやつは存在するのか。
「存在した」とも言う人がいるかもしれない。
しかしこの場合の過去は、その時においては「今」だったわけだから、決して過去が存在していたわけではない。

この写真を撮って下さった方はすでに他界されている。
しかし実にニコヤカに写真を撮っていた姿を、今もはっきりと覚えている。

この写真という枠はカメラが作り出したものだけど、その枠を選択したのは亡くなったその人だ。
つまりこの写真は、その亡くなった方の目線だ。

写真に写っている俺は、今より少し細く、今より若い。今の俺とは異なる。
しかし撮った方の目線はあのときの今と同じ今が、まさに今もここにあるではないか。

これは一体どういうことか。

未来と過去の存在を当たり前に信じていると、この話は疑問として成立しない。
これは歌うことにも共通する理念だ。発した瞬間、消えない歌はないのだから。




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