今日、4月9日は祖父の49回目の命日だった。
墓参に行ってきた。
私の祖父は1892年(明治25年)8月16日に広島県に属する瀬戸内海の孤島で生まれ、青年時代に上京して勉学に励み、それなりに出世した。戦争が終わってすべてが無になり、ガリ版きりで生計を立て1956年(昭和31年)4月9日の未明に突然亡くなった。享年64。
年がわかるが、私は祖父に抱かれた唯一の孫である。が、1歳8ヶ月のときに祖父が亡くなったのでまったく記憶にない。わずかに残された祖父に抱かれている写真や、祖母や父母の話から溺愛されたことを知らされている。
祖父は1940年(昭和15年)、50歳を目前に長崎に単身赴任をし、暇に任せて
半生記を書いており、それが残っている。
昨年、その半生記を現代語に訳し、祖父が赴任していたいくつかの土地を訪ねて祖父の面影を追った。
祖父は幼年期はいたずらばかりしており、しかし勉強はそれなりにでき、勤めると上司には逆らい部下には親身になり、家庭では子煩悩を隠さず、私が
祖父のDNAを受け継いだのは紛れもないと悟った。
半生記には祖父が住んださまざまな
家の地図や間取りが書かれていたが、これを解読しその場所を訪ねたことこそ、
おとぎ話に出てくる宝探しに等しい、最高に面白い謎解き遊びだった。祖父が死して50年近くたっても「ほう、わしの住んでいたところがわかったかの」と、孫(私)と遊んでくれていることを知り、祖父の偉大さに感激したものである。
しかし私はいまだに祖父の期待には応えておらず、その不甲斐なさを恥じるばかりだ。
あと1年で没後50年となり、たとえば著作権の保護期間を終えてしまう。祖父はもはやそういう遠い存在なのであるが、半生記を紐解いた私にとっては祖父はすぐ身近にいる気がする。今が1955年(昭和30年)だと思って、あと1年の余生をいかに密度濃く大切に生きられるか、祖父にあやかって生きてみることにする。
周囲は桜が満開だった。今日始めて悟ったが、
祖父の葬儀は満開の桜の下で行われたのであろう。
満開の桜に見送られて逝った祖父。それもいいかも。