島根県浜田市で、
隣人同士の事件が起きた。これにより「
浜田」という地名を久しぶりに聞き、
近隣トラブルとのことで
隔世の感を感ぜずにいられなかった。こんな田舎でもそういうことがあるんだ。
私の父は少年時代の
昭和9年(1934年)前後、転勤族だった父親(つまり私の祖父)の赴任先、島根県浜田町(当時)で過ごした。だから浜田は思い出がいっぱい詰まった場所であり、私は父からのみならず祖母や叔父からも幾度となく浜田の話を聞かされており、祖母と叔父とで浜田市を訪ねたことがある。
特筆すべきは、
隣人のMさん一家との交流だ。浜田の我が家とMさん宅は小さなしおり戸でつながっており、幼い叔父は毎日のようにMさん宅で遊び、すでに子供の大きかったMさん夫妻はわが子のようにかわいがったという。
父一家は何年かで次の赴任地へ越したが、それでもMさん一家との交流は続いた。
父たちが転居して30年も経った昭和40年(1965年)ごろだろうか。東京の我が家に大学受験を控えたMさんの孫が下宿しに来た。Mさんとの関係が当時の私にはよく理解できなかったのだが、あとになってようやくわかったのは、親戚でもなんでもない、何十年も前に過ごした土地の、単なる隣人の子供ということだった。
昔は隣人同士が家族のように暮らしていたのだ。それが何十年も離れて暮らしても交流が続いていたのである。
が、今は挨拶すらせず、どんな人かも知らない隣人関係だ。「個人情報」「プライバシー」「個人主義」などの単語がはびこるが、それとこれとはまた別だと思う。
ごく一部の仲間同士でつるんだり、ネットでは出会いを求めているのに、リアルな世界では反目しあう、おかしな世の中になった。
もうコウ考えること自体「
年」なんですね。
古きよき時代と祖父母たちに感謝。