ペルーボリビア2006(5) -9/18 ウユニ- 

2006年11月07日(火) 1時03分
部屋で2時間ほど仮眠を取った後、9時半過ぎにホテルで朝食。食堂のテーブルもやっぱり塩。メニューはフルーツの盛り合わせとパン、卵。結構豪華。

今日はウユニ塩湖一日ツアーの日。ホテルのロビーで待ってたら、カルロスが1時間近く遅れてやってきた。遅いと突っ込んだら居心地悪そうな顔。でも夜通し運転してくれてたから無理ないか。英語のガイドが付いているはずなんだけど、なぜかおらず。聞いてみても、「いない」って言うだけ。仕方ないのでとりあえず出発。

車を走らせ始めたらすぐに、一面塩の大地に。今は乾季だから、殆んど水はなし。視界全体が真っ白で眩しくて目を開けてられないので、A嬢にサングラスを借りる。しばらくして着いた小さな建物(これもやっぱり塩で出来ている)の前には小さな池があって、カルロスが指を漬けてみろというので漬けてみたら、指全体に塩の結晶がこびりついて真っ白になった。すごい塩分濃度。その建物は、昔は塩のホテルとして営業してたんだけれど、今はもう営業していないとのこと。

塩の表面は、亀の甲羅みたく6角形が連なったような模様になっていて、境目は盛り上がっている。なんでこんな模様になるのかしら。とりあえず写真を撮ったりして遊ぶ。ただ標高が高いのであまり走り回れず。

ウユニのちょうど真ん中あたりに浮かぶ、魚の島と呼ばれる島に行く。この島を一周する散歩道があって、その途中で島の一番高い丘に登ってウユニを見渡せるというので、行ってみる。ひょろ長いサボテンが沢山立っているその丘はかなりの急勾配で、標高が高いせいもあって登ってるとすぐに息が切れた。でも丘の頂上から見た、一面の塩の景色は壮観。

車に戻ると、カルロスが昼食の準備をしてくれていた。島の入り口付近にあるテーブルで、チキンとジャガイモとサラダ、そしてデザートにオレンジ。なぜかコーラは少し辛い味がした。日差しはかなり強くて、太陽の方に向けていた背中がすごく熱かった。

次に行った火山の島の周りには少し水が張っていて、水に映りこんだ山を見ることができた。一面に水が張っていて、鏡みたくなっているのも見てみたかったな。

ウユニの街に立ち寄って、カルロスの事務所にお邪魔してみたり、商店を覗いてみたり。街外れには地平線まで一直線の線路と廃棄された機関車があったので、機関車によじ登ってみたり、線路でスタンドバイミーごっこをしてみたり。そのあと湖に戻って夕日を沈むまで見ていた。

ペルーボリビア2006(4) -9/17,18 ラパス〜ウユニ- 

2006年11月06日(月) 1時41分
ウユニまでは車で10時間。ラパスを出て1時間くらい走った後、レストランで食事。レストランに入ると、店員はみなテレビにかじりついていて、声を掛けるまで気付いてくれなかった。画面を見ると、映画の「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」をやっていた。メニューはスペイン語しかなかったので、ガイドブックで調べながら、鶏肉のスープと、ハムとチーズのオムレツを注文。おいしかった。

オルーロを過ぎたあとの道は舗装されていなかった。カルロスはかなり車を飛ばしてたから、揺れがすごい。大丈夫かなあと思ってたら、途中、道の脇に横転しているトラックを見かけた。怪我人はいなさそうだったけど、深夜にこんな場所で大丈夫かなあ。

だんだん寒くなってきて、持っている服を全部着た上に、カルロスが貸してくれたブランケットに包まっていた。疲れもあってか、揺れと寒さと、時々来る対向車の強烈なライトの中でも、いくらか寝られた。一方、朝にはウユニに着くように殆んど休憩も取らずに走ってくれたカルロスはやっぱり大変そうで、途中のトイレ休憩の間、ハンドルに突っ伏していた。カルロスの努力のおかげで、日の出る頃にちょうどウユニの塩のホテルに到着。

塩のホテルは本当に塩で出来ている。テーブルやら椅子やらベットの台まで。床には塩粒が敷き詰めてあって、ざくざくして気持ちがいい。でも設備は近代的で、ちゃんと暖房もあったし、熱いシャワーも浴びられた。

ペルーボリビア2006(3) -9/17 ラパス- 

2006年10月24日(火) 1時32分
ラパスの街はすり鉢状になっていて、その斜面には赤茶けたレンガの小さな家々が建っている。上に行くほど貧しい人が住んでるらしい。その底の平地は意外と近代的な都市。高いビルやマンションも結構沢山ある。平地といっても坂が多く、歩いてると、さすが高地なだけあってすぐに息が切れた。

街中には露店が沢山あって、食べ物やら飲み物やらCDやらDVDやら電化製品やら何でも売っている。街中を歩く人は、普通の洋服着ている人もいるし、伝統的なインディヘナの衣装を着ている人もいるけれど、インディヘナの民族衣装着ている人はやっぱりおじいさんおばあさんが多い。流行っているのか何なのか良くわからないけど、アイスクリーム屋さんが異常に混んでいて、街を歩いていても、アイスクリーム食べながら歩いてる人を多く見かけた。

車も意外と多くて、しかも運転は結構荒い。道も車優先でぼやぼやしてたら轢かれそうになる。ギュギュウ詰めの乗り合いバスが走っていて、乗客の一人なのかバスの乗務員なのか良くわからない人が窓から身を乗り出して行き先らしきものを大声で叫んでいた。

大通り沿いの広場にはメリーゴーランドがあって、子供たちが遊んでいた。メリーゴーランドには、なぜかピカチュウがいた。

合気道 

2006年10月23日(月) 1時49分
土曜日は突然の企画で、大学のサークルの同期で集まって、
合気道の練習をしました。多分4、5年振りくらい。

道場に向かう途中、練習何すんの?って企画の言いだしっぺに聞いたら、
主将がメニュー決めろよと言われ。
「主将」ってのが自分を指した言葉だと気付くのに数秒かかりました。
そういや僕、主将だったっけ。
毎回の練習、メニュー全部僕が決めて仕切ってたっけ。

練習は基本動作から形から乱取りまで一通り全部。
受身とか関節技の感覚とかは自分でも驚くくらいまだちゃんと覚えていて
相手の動きの癖なんかも組んだ瞬間思い出したりして、
あーやっぱ5年以上前のこととはいえ4年間殆んど毎日やってたことって
頭と体に染み付いてるんだなあとしみじみ思いました。
思った通りに体が動くかどうかは別にして。

久しぶりの道場の畳の感触はすごく心地よくて
練習は予想外に楽しかったのだけれども
日常使ってない筋肉を総動員したので
今日は体中が痛かった。

ペルーボリビア2006(2) -9/16,17 マイアミ〜ラパス- 

2006年10月23日(月) 1時08分
折角揃った3人の席がバラバラだったので、3人一緒に座れる席に変えてもらえないかカウンターに相談しに行ったら、思わぬトラブル発生。A嬢の予約がキャンセルされている。どうやらゲート変更時に、A嬢のを含むそれまでのチェックインがすべて航空会社側で勝手にキャンセルされていたらしい。でも席が一つ余ってるはずだから、全員搭乗し終わった後に機内に案内できるということなので、僕とG嬢は先に機内へ。

なかなかA嬢が入ってこないのでおかしいなあと思ってたら、乗務員がつかつかと僕の席にやって来てA嬢のところに行けという。不思議に思いながら飛行機を出たら、しょぼくれた顔のA嬢が。

事情を聞いてみたら、席がすでに満席なのでA嬢はこの飛行機に乗れないらしい。だってビジネスクラスの座席に空席があったよ、乗れるはず、と言ってみても、乗務員のいかついおっちゃん、「それはうちら乗務員の席だ。席は満員でもう席は無い。絶対に。信じろ。」の一点張り。こんな状況で Trust Me とか言われても、全然頼もしくないし。

結局、僕ら二人は先にラパスに行き、A嬢は今日はマイアミ泊で明日ラパスに向かうことに。折角再会したのにまた別々。このあとの旅行スケジュールもどうなることやら。

早朝に着いたラパスの空港は標高4000メートル。気のせいかあまり高度を下げずに着陸したような。予定ではこのまま車でウユニに向かうはずだったけど、A嬢のラパス着の目処が立つまでラパスで待つことに。

高山病のこともあるし、一旦休もうということでラパスのホテルへ。朝食ではコカ茶を飲む。ちょっと癖があるけど、色や味は日本茶に似てておいしい。コカの葉が豪快にコップに浮いていた。噛んだらどうにかなるのかな。お昼ごろまで一眠りすることにしたものの、シャワーを浴びたら手足が痺れるし寒気がするしであまり眠れず。

12時過ぎにツアーの人から電話があって、A嬢が昼過ぎの飛行機に乗って夜にはラパスに来られることが判明。安心してまた寝る。今度はぐっすり寝られた。

15時ごろ起きて、ホテルの人に教えてもらったレストランで昼食。G嬢はホットドッグ、僕はハンバーガー。出て来た料理は殆んど同じだった。サラダバーには見たことない形のイモとがが並んでいた。しばらくラパスの町をぶらぶらした後、露店で水を買って17時ごろホテルへ戻り、また寝る。

7時半過ぎにドライバーのカルロスが迎えにきて空港へ。ラパスに着いたA嬢を迎えて今度こそ3人揃う。そのままウユニに向かう。

ペルーボリビア2006(1) -9/16 成田〜マイアミ- 

2006年10月17日(火) 0時19分
今日から9日間の南米旅行。行き先はペルーとボリビア。主な目的地はボリビアのウユニ湖、ペルーはマチュピチュ遺跡とナスカの地上絵。特にマチュピチュは小さい頃からずっとずっと行きたかったところなのですごい楽しみ。

一緒に行くのは会社の同期のA嬢とG嬢。A嬢はいまカリフォルニア州はサンノゼに住んでるので、経由地のマイアミで合流予定。

成田でG嬢と待ち合わせ。成田からボリビアのラパスまではアメリカン航空で。シカゴとマイアミで2回乗り換え。成田で乗り込んだシカゴ行きの飛行機は、左隣のおじさんが、エコノミーの狭い座席に収まるかも疑わしい、すごい巨漢のアメリカ人だった。僕が座ってシートベルトを締めようとしたら、シートベルトの左右が両方メス。あれっと思ってたら、その巨漢のおじさんが言った。

「Oh, Maybe You Have Mine. ナガーイ。」

確かに僕の左手のシートベルトは、限界まで長くなっていた。かくしてそのおじさんはそのシートベルトを受け取り、乗っている間ずっと、アンネの日記のペーパーバックを読んでいた。ぼくら二人はスペイン語の勉強。でも数の数え方すらなかなか覚えられず。数字は英語で通じるよね、といって切り上げ、「シムソンズ」なる映画を観る。

シカゴでの乗り継ぎは、マイアミ行きの飛行機がどんどん遅れていく。もともとマイアミでの乗り継ぎ時間が1時間しか無いのに。結局50分遅れで飛行機は出発。つまりマイアミでの乗り継ぎ時間は現時点で10分。

どきどきしながらマイアミに着いて、係の人に乗り継ぎの飛行機のチケットを見せたら、「D36! Run!」って。言われるままに走ってD36のゲートに着くと誰もおらず。見つけた係の人に聞いたら、今度は「E5」と。掲示板を見ると、ゲートが変更されてて、乗る予定の飛行機の出発も30分遅れている。ひとまず安心。

E5のゲートについたら、ちゃんとA嬢がいた。半年ぶりに会ったA嬢は元気そう。一時はどうなることやらと思ったけど、なんとか合流成功。とりあえず再会を喜ぶ。

ポール・オースター 『ティンブクトゥ』 

2006年10月11日(水) 0時37分
もうポールオースターの本は、過去の購買履歴により予約開始と同時にAmazonからニュースレターが届いてその場でワンクリック予約注文、というのがパターンになってますがこの本も例に漏れず。

相変わらずのオースター節と柴田元幸氏の翻訳。
この本だけじゃなく、オースターの本を読んでるときはいつも、文章を追う目が次へ次へと先走ってしまいます。僕はそんな、行き急ぐ前のめりの目を必死であやしながら読みます。そうしないと、こんなすばらしい文章を見落としてしまいます。要注意。

善は善を生み、悪は悪を生む。たとえこっちの与える善に悪が返ってきても、己の得る以上の善を与え続けるしかない。でなけりゃ―これはウィリーが使った言葉そのものである―わざわざ生きる意味がどこにある?

はやく、『Oracle Night』出ないかな。
ちなみに、『Oracle Night』は、我等が同胞が、デッドロックとかと徹夜で格闘する、とかそういう話ではない、多分。念のため。
原書で読め、という話もあるが、僕は柴田元幸氏の訳で読みたいのだ。

4105217119ティンブクトゥ
ポール・オースター 柴田 元幸
新潮社 2006-09-28

by G-Tools

携帯 

2006年09月27日(水) 0時18分
復活させました。

番号、メールアドレス変わってません。
アドレス帳がエンプティです。

コレをみてて、僕とよく連絡を取る方、
連絡先を再度教えてくださいな。

よろしゅうお願いします。

ただいま 

2006年09月25日(月) 18時40分
無事帰り着きました。
体重1.5キロ減。

携帯なくしました。(多分盗まれた。)
手元には引きちぎられたストラップ。
御用の方はPCメールか本人に直接でおねがいします。


明日が怖い。

明日から 

2006年09月16日(土) 0時05分
地球の裏側へ。
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