一人十色

January 29 [Fri], 2016, 16:29
何か乗り越えたときに、自分は生まれ変われるのだろうか。生まれ変わってきたのだろうか。
お別れをしてきた人に、私は生まれ変わったのよと、言えるだろうか。

なんか自分、ちっちゃいなぁ。
なんも変われてない。
成長してない。
幼稚いまんまや。
最近、自分が嫌いなんでマイナス思考です。

変われてないと思うと、なんかヤダナァと思うけど、例えば久しぶりに会う人に、変わったねと言われると、少し淋しく感じないだろうか。変わってないねと言われると、少し安心しないだろうか。そう思うのは、まだ私がちっちゃいからだろうか。


以下、コピペ。

・・・・・・・・・・・・
昨日の、「夢に手足を。」について、感想をくださいと書いたら、たくさんいただけました。夜中、ずっと長い時間、そのメールを読んでいました。「ほぼ日」の創刊当時は、読者も少なかったし、いただくメールの数もそれほどではなかったので、けっこうたくさんの返信を書いていました。いまは、そういうことはできませんけれど、こころのなかであいづちを打ちながら読みました。

「夢に手足を。」ということばが生まれ出て、すぐにそれを発表することになって、人びとにたくさんの声をかけられるようになって、いまはその渦のなかにいるような気分です。妙な言い方ですが、この機会に生まれ直した感じです。

・そうだなぁ、生まれ直すということは、いくらでもあっていいのかもしれないな。

大きな病気を経験した人は、こころが強いとか、深く傷ついたものほどやさしくなれるとか、あんまり簡単に言うものじゃないとは思いますが、「もうダメかもしれない」と、こころから思ったことのある人は、たぶん、そのあとに、生まれ直しているのではないか。ぼくには、そんな気がしています。

一生、ひとつの人生ではあるのですが、ひと色の人生である必要はないですよね。ほんとうに大切なだれかと、別れなければならなくなったとしたら、その別れの後のあなたは、前のあなたじゃなくなっている、とは言えませんか。それは、わるいことばかりじゃなく、もうひとつの色の人生として、生まれ直している。そういうものかもしれないと、思うのです。ずっと同じわたしです、というのもありますが、その機会に生まれ直したのかもしれない、と、お別れした人に報告してもいいんじゃないかな。新しい靴に履き替えたら、ちがう道を歩き出した。そんなことが、あったほうがいいように思えています。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。ずっと同じ人に見えてるけど、ほんとは変化しているよね。

ちょこっと未来の話

August 28 [Fri], 2015, 23:39
今日のコピペ。

昔からよく、私は先々を考えるのが苦手で、5年後、10年後の自分は?ってのができない。でも子ども産んでから、なんだか少しだけど、30年くらい先のことを想像するようになった。
今日のほぼ日を読んで、数ヶ月先の未来?!って、ウロコだった。こんな風に妄想できたら楽しそうだな。それにはやっぱり、私の場合は頭だけじゃできない。書かなきゃここまで膨らませられないなと思った。
子どもが歩けるようになって、手つないで買い物したり、公園を駆けまわったり、ってとこまでは思うけど、そこに咲いてる花や、風の匂いや、流れる音楽たちも妄想できると、こんなに楽しそうになるんだな。


…………………………………
23度くらいかな、人は口々に寒い寒いと言いあっている。あんなに暑かった日から、急に温度が下ったから、ドラマチックでおもしろいのだと思う。寒いな、とか言いあうのが、小さな祭りなのだろう。犬は、黙って暖かいほうに動く。綿の毛布にもぐる犬に「寒くなったね」と話しかけても、「そうかな」と他人事のような表情をしている。

ついさっきまでの夏の思い出を語っても、これから顔を見える秋のいろいろを想像しても、どっちでもいいのだけれど、どういうわけか、ぼくは真冬のことを思った。

クリスマスソングが聞こえてきて、それぞれに来年の準備をはじめている。9月の1日に「ほぼ日手帳2016」を発売してから、もうずいぶん時間が経った。プロ野球のシーズンはとっくに終幕していて、よろこんだりくやしがったりすることさえも、忘れてる。何人かの赤ちゃんが生まれた年だったね、と数える。それを考えながら、実は亡くなった人のことを思う。暑い夏だったよね、と言いながら、いま、こんなに寒いのにねと言うのだけれど、いままで何度こんなことを言ってきたんだろうと、ちょっとさみしい気持ちになる。

冬になったころには、いまやりかけのことが、ずいぶんいっぱい出来上がっていたり、長い仕事になりそうだったことにも、目鼻がついているのだろうな、いつもそうだったもの。また別の新しいことをやりかけているんだろうな。

いま、8月の終り。ぼくは東京ドームでやきもきしているはずだ。すぐに9月が来て、10月が来て、11月、そして12月‥‥。この冬のぼくらは、なにを経験しているのだろう。いま知らない数ヶ月のことを、すでに知っているんだな。ホワイトクリスマスなんかをハミングしながら、12月の、まだ会ったことのないじぶんになってみる。「なるようになるさ」、それしか言えないのにね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。なんでも「向こう側」から見るのは、おもしろいものです。
…………………………………

笑門来福

July 29 [Wed], 2015, 8:41
不機嫌な人は幼稚に見える
らしい。


なるほど言えてる。
納得だわ、そして不機嫌はカッコワルイからやめようと思える。
そう、思ったはずなのに。
できない私は、中身も幼稚なんだろう。


きっかけがないと変わりづらいものだけど、
こう思ったことを自分のきっかけに。
目に見えて変わらなくても、
確実に内面はちょこっと、動かされてる。
無理せず、向き合いたいと思えたときに、少しずつ、それに従ってみよう。


自分が楽になる方法でいいじゃない。
自分を大切に。



無力なときにできること

July 09 [Thu], 2015, 23:41
無力感が大きくなるのは、気持ちの問題。

それは置いといて、
どうにも無力のときにできることは、
じゃまをしないこと、祈ること。か。
思いやりを感じる。

やってしまいがちなカッコつけは、
ひとりよがりだわ。

じゃまをしないように
って考えから始めると、
逆に、できることが見えてくるかも。

今日のほぼ日は、ちょっと難しくて、ちょっと深い。以下、コピペです。

……………………………………………
できないことのあまりの多さに、長雨の夜などに少し茫然とする。

たとえば、いのちにかかわるようなことに、ぼくは手を出すこともできないし。

手伝おうとか、助けになろうとか思っても、力の足りなさを知っているから、どうすることもできない。

できるふりも、知ったかぶりも、あるいはなけなしの勇気を見せることも、どれだけ虚しいか、わかるくらいは生きてきた。

どれだけできないかを、知っていながら、なにができるのだろうと考える。さらに、なにもできないことを知る。それでも、と、やっと見つけられるのは、じゃまをしないことと、祈ることだ。

それは、なにもできないことと同じかもしれない。じゃまをしないことで、なにかよくなるのか。祈ることで、なにかが変わるのか。そう問われたら、なにを言い返すこともできない。

たぶん、じゃまをしないこととは、目が合ったときに笑いかけるというようなこと。そして、おそらく、祈ることとは、ひとりになったときに目を閉じて語り合うこと。

それ以上のことができるときには、よろこんで、それ以上のことをしよう。そうしよう、そこまではわかる。

長い雨の夜などには、少し茫然としていたわたしに、風呂に入ってからだを温めておいでと、すすめてみる。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。年をとって大きく育ってしまうのは無力感というものかも。
……………………………………………

おにぎりの時代(自分メモ)

June 10 [Wed], 2015, 14:06
今日のほぼ日さんから、コピペの自分メモです。

すごく響いたわけでもないんだけど、なんとなく、メモしておきたい衝動があったので。
おにぎりにする時代とは、
ただ小分けにする、+αなのかなぁ。
ただごはんを小分けにするだけじゃなく、梅干し入れて腐りにくくしたり、高菜やおかかを入れていろんな栄養を摂ったり、味の変化を楽しんだり。
それひとつで、バランスのとれた小分けのお弁当のような。
または、中に何を詰め込んでも、外見は同じ。そんな何か。

それがどうってことはないんだけど、なんとなく、メモしておきたかったんだ。


いつもながら、最後のひとこと「あれもこれもでいいじゃないの」が、いいなぁ。




…………………………………………
・かつて、ぼくはここで「小分けの時代」だと言いました。「柿ピー」なんかの例がわかりやすいですが、それまではふつうだと思われていた大きな袋ではなく、一回で食べ切れる小さな袋に、柿の種とピーナッツが入っています。これによって、1度ずつ食べ切りますから、残ったものが湿気ないという利点もありますが、思い立ったら気軽にささっと食べられるという「使用機会の増加」という売る側の利点もあります。おそらく、小袋に分けてパックしたほうが、つくるほうとして原価もかかりますし、買う側も高い買い物をすることになるでしょうが、どちらもが「このほうがいい」ということになったら、こういうかたちが、どんどん広まって行くわけですよね。

とにかく、なんでもかんでも「小分け」されていく。ちょっと食べる、ちょっと味わう、ちょっと試す。胃袋よりも、頭でほしがる買い物になっています。「小分け」したものを、いっぱい味わうのが人生、みたいなことになってきてます。「柿ピー」だとか「オレオ」だとかが、小分けされたり小さくなったりするのは歓迎だけどね。

インターネットの表現形式も、ぼくらは「ホームページ」としてはじめたんだけど、やがては、「ブログ」全盛という時代になって、その後は「フェイスブック」とか「ツイッター」で、いっぺんに読まれる文字数はどんどん少なくなってます。

それでも、「ほぼ日」に関しては、ものすごく長々しい対談の連載とかやっちゃうしね、オリンピックとかあるときの永田さんの担当ページなんて本人が「ぜんぶ読む人さえいるんです」とか言うからね。「ほぼ日」はずっと時の流れに無神経でやってきたから、ホームページのお皿に、なんでも入れちゃうという方式。一色になっちゃうのがダメなんだと思うんですよ。棲み分けるという以上に、いっしょに暮らせばいい。

この先、「小分けの時代」の次に来そうなのは、「おにぎりにする時代」なんですけどね(説明しない)。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。あれかこれかではなく、あれもこれもでいいじゃないの。

まるくなる

June 01 [Mon], 2015, 17:57
歳とって丸くなるってこと、あるけど、その奥がけっこう深かったりして。先は丸くなっても、ふとした時に根っこの方が垣間見えて、尖ってた頃の名残がちらつく。


丸くなってから出会うと、表面的にはうまくやれても、この根っこが、案外じゃまをするんだ。


だから尖ってた頃ってのは、傷ついたり傷つけたりもしやすいけど、ぐっと深いところでつながれるんだろうなぁ。



おわかれ会

May 31 [Sun], 2015, 22:48

最後の晩餐も明け、
これが本当に最後の食事。
焼き立てのほかほかベーグルつきの、
やさしい朝ごはん。
今日は、明日葉と夏みかん味の2種類。
サラダのドレッシングからコーヒーまで、
すべてが美味しい。

ごちそうさま
って、言いたくない。
またここでこうして、食べたいなぁ…

あいさつはあえて、いつも通り
「行ってきまーす」で。
場所は変われど、またどこかで
「ただいま!」ができますように。








ベランダにて

May 17 [Sun], 2015, 22:10
今年、家庭菜園をはじめました。
プランターで、ミニトマトとオクラ。
トマトは成長がはやいので、既に小さな実が!
嬉しいなぁ。
美味しく育つといいな。



あれから

May 17 [Sun], 2015, 21:59
それとなく日々過ぎていくけど、
結局私は、あまり変われていない。


まだ笑顔を向けることが、できない。
声は、少し、大きめ、明るめに
なったのではないか。ほんの少しは。


変わったところは、
これは言い過ぎだな、とか
これは言っちゃいけないな、ってことを
声にする前に、考えて
飲み込めるようになったこと。
すべてとはいかないけど、
それはまずいでしょ
ってことは言わなくなってると、思う。


些細な、傷つくこと、悲しいこと、
違和感を感じることは、多くあるけど、
言わない。
まだ頼らない、求めない。
がんばって、笑顔。





間違いだらけ

May 07 [Thu], 2015, 12:13
あの日の夜、更に翌々日の夜も、「なんで帰ったの?」と問いただされた。
当日の夜は、そんな理由ぱっと思い出せなくて、答えられなかった。育児ストレスを問題視されたけど、それはないと、はっきり伝えた。問題はそこじゃない、あたなとコミュニケーションとれないことだと、はっきり伝えた、つもりだったのに。


そして翌々日、また同じ質問から始まった。
「なんで帰ったの?」
もう一度考えて、思い出して、言葉を選んで、こう答えた。
「怒ってたから。私も、あなたも」


置いてかれて、悲しかったんだって。
ちょっと意外な答えだった。怒ると思ってしたことなのに、悲しませてしまったのか。大切な人だから、あれは怒るより悲しいことだった、らしい。
私は自分が悲しくなるのはどんな時か、考えてみた。疎外感を感じたとき、かな。仲間はずれや、無視、出てけって言われるとか。感情的になっていた先日のあの場面では、やっぱり、悲しいよりも怒れることだ。
悲しむとしたら、言い過ぎた(やり過ぎた)ことで相手を傷つけてしまったことに対して、凹んだときかな。
置いてかれて悲しんだなら、帰れと言われた人がどう思うか、考えないのかな。怒らせた原因も、帰れと言わせた原因も、私だから主旨にないのだろうか。


結果悲しませてしまったことは、怒らせるよりも強い衝撃を与えてしまったようだけど、こうして2日に渡って問いただされ、少し本音を聞けた点では、有意義だったと、私は思う。
でも、残念ながら、私の本音は閉ざしたままになってしまった。それは、まだ私が上手に伝える術を持たないから、相手の感情を逆なでしてしまうからかもしれないけど、口にすれば堂々めぐりになることは目に見えたし、今なら穏やかな無表情でやり過ごせると思ったから、それに従ったんだ。


やっぱり彼は、私を病気とみることで逃避し、心の均衡を保とうとしているように見える。ダメな子どもを諭すかのように、怒鳴ったりはせず、静かに叱る感じで。
日々、私に気を遣ってるつもりだろうけど、そんな自分を守るようなやり方じゃ、私の気持ちをわかろうとしてるとは、思えないし。かえって居心地わるいと感じてること、全く気づいてないんだろうな。


こうやってぶつかってみて、いろいろ言われて思ったことは、鏡だなぁってこと。想像力が足りないとか、人とコミュニケーションとれないとか、グレーなことが嫌だとか、いろんな考えの人がいるとか。全部、お互いさま。彼の嫌なところを通して、自分のダメなところが、よく見える。彼のこと、ガキっぽく思えてた部分が多々あるけど、私も随分、稚拙なやり方をしていたもんだ。


必要なものは、気遣いよりも、思いやり、なんだなぁ。
わかってくれないとか、相手をとやかく言う前に、わかってもらえるように伝えることや、思いやりを持って接するよう、気をつけよう。

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