大学中退 

March 28 [Wed], 2007, 20:06
私は某国立大学に入学して学生生活を送っていた。
でも、中退してしまった。
当然、親は激怒。21歳の秋。
当時、付き合ってた彼女がいて、彼女は地元の短大卒で銀行員。
変な話、まぁよくある話、中退の俺には不釣合いだと思っていたが
それから、けっこう長く(3年間)付き合ってたほうだ。
大学を中退すると、次の日から無職になるわけだが、職は決まっていた。
私はプライドが強い方であり
それまでも「良い大学にいらっしゃいますね」とバイトの採用も特に問題もなかった。
実家の親戚関係にもチヤホヤされてた人間だった。
だから、いきなり無職と言うレッテルを貼られるのもプライドが許せなかった。
それで大学を中退した具体的な理由は、当時アルバイトで「学習教材」を売っていた。
これが面白いように売れて、学生の身分で月に50〜60万のバイト代を貰っており
飲み屋通いもこれが始まりだった。簡単な話、世の中なめてた生活を送っていた。
バイトでもこんなに稼げるんだったら、正社員ではどうなるんだろう?と思い切って
所長に相談したら、「君なら固定給も30万円で、さらに歩合だすよ」といわれ
頭の中で想像したら月100万円弱。つまり年収1000万円と計算してしまった。
それを言われて、次の日に大学を中退した。
即日入社でよかったが、翌月、会社がつぶれた。
歩合も給料も貰ってない。
次の日から最悪の無職になった。
だからすぐに商品先物取引員の会社に入社した。

面接希望 

March 29 [Thu], 2007, 8:48
50円の求人誌を買って、色々と探した。
多少、営業には自信があったので勿論営業職を探しまくった。

当時、フルコミッション(完全歩合)も考えたが、入院とか運が悪い状態だと
給料で無いので、固定給+歩合給を探した。

そこで見つけたのが、某商品先物取引員。
固定給25万円+歩合給 まぁこんな感じが20代前半で普通に生活出来るだろう。
と、考えて面接希望の電話をした。

ここで気を付けたいのが、営業職は人気が無い。つまり
良い給料を載せておき、面接に呼び込んで説得する。というパターンだ。
25万円+歩合給は、ずば抜けて良い条件でもないし、そんなことも無いであろうと考えた。

電話後、翌日面接に向かった。

面接にて 

March 30 [Fri], 2007, 8:56
先物取引というと21歳の俺にとっては証券会社のイメージが強かった。
特にこのときまではそう思っていた。

14:00に面接予定だったので13:50にガラス張りの支店の扉を開いた。
すると、何やら値段が表示される電光掲示板が目に入った。

「いらっしゃいませ!」(ん?コンビニみたいな乗りだな)一瞬そう思った。
銀行のカウンター見たいなところで、
黒のスーツを着た営業マンらしき物たちが3人ほど電話をしている。
女性の内勤は3名で、カウンターはあるのにお客さんらしき人は全くいない。
(一体、どんな会社なんだ?)
ここの支店には内勤と営業をあわせて6人なのだろうか。
すると、小さな扉が開いてスーツを着た男が出てきた。
扉の奥を見ると40人くらいの営業マンがいる。
(ここにいたのか)

様子を伺うのが目的ではない。
面接だった。
「すいません、本日14時に面接予定の者ですけど・・・。」
カウンターにいる人間が一斉にジロジロと見てきた。
すると女性の内勤が「こちらへどうぞ」と言ってエレベーターに案内をしてきた。

5Fの面接室まぁ応接室かな、そこに通されてソファーに座らされて
「人事担当の人間を呼んで参りますのでしばらくおまちください」
と言い残し去っていった。
すると壁越しから声が聞こえた。

怒鳴り口調で「課長2名を支店長室へ呼べ!!」と内線をしていた。
2,3分後足跡が聞こえたので人事担当の人間と思ったが
呼び出された課長2名だったらしく、隣の部屋の扉が開いた。
「お疲れ様です!」っと二人が言った瞬間に「どうなってんだ!」っと
物を投げて壁にぶち当たった音が聞こえて、内容はよく分からないが
数字が悪いから支店長が課長に対し怒鳴ってるのは簡単に理解できた。

しかし、教材会社で営業やっていた私には日常茶飯事な風景だと思った。
特別な事ではない。
逆に緩い会社ではなくてホッっとしたぐらいだ。

課長2名が部屋を出て行き、すれ違いざまに人事担当Sが入ってきた。
Sの見た目は黒いスーツに白いシャツ。
髪はきちんと整えてある。
30歳くらいで、エリートっぽい感じだ。

「お待たせしました」
これが常識であろう面接が始まった。
会社概要や先物取引の簡単な仕組み。
給与の説明が続いた。
説明資料は金をかけた物だった。
むしろカッコイイ会社のイメージが沸いた。

で、説明後、Sが発言した言葉に驚いた。
「うちは物凄くきついですよ?リストラもありますよ?大丈夫ですか?」
(え?俺を不安にさせたいの?これが作戦?)
と考えた。
「はい!是非やってみたいです!」と答えた。
これで商品先物取引登録外務員の人生が始まった。
「では明日合否結果をお知らせしますので、お待ちください」と言われ

面接は終わった。

特に不安は無かった。

結果 

March 30 [Fri], 2007, 12:47
翌日「今回、是非当社に来ていただきたくお電話しました」

Sさんからだ。

「はい!こちらこそ、よろしくお願いします」
「で、当社に独身寮があるんですがどうなさいますか?」
(実家から通勤するのも遠いし、自己負担の家賃8000円だからいいな)
「はい、お願いします」
といった感じで、寮生活もついでに始まってしまった。

次の日、入寮していいとの事だったので、当時、私が所有していたアコードワゴンで
荷物を運び込んで2,3時間で引越しが終わった。
寮は支店から車で5分くらい、自転車で15分くらい。

バス通勤が便利だ。
その日は、次の日に備えて、早々と寝た。

初日 

March 30 [Fri], 2007, 15:19
目が覚めてスーツに着替えて、とりあえずバスに乗った。
出社時間は7:45
朝礼は8:00

ただし、先物会社は登録外務員という試験をパスしなければ
営業活動はできない。

さらに3ヶ月以上商品先物取引員に
在籍して登録外務員の資格が与えられる。
日商協(日本商品先物取引協会)が試験を実施する形だ。
だから、研修生という形で商品取引所法といった法律の勉強をさせられる。
もちろん試験に向けた勉強だ。

営業活動は無免許だとできないので、8:00〜17:00までみっちり勉強だ。
300点満点中240点以上が合格点。正答率80%というと
難しそうに聞こえるが、自動車免許に毛が生えたくらいのレベル。
普通にしてたら合格はできる。

簡単な話、3ヶ月間は給料もらえた上で暇というわけだ。
しかも試験実施の関係で、私は5ヶ月間も研修生だった。
人事担当Sが指導担当で研修生に勉強を教えているが
ただ、エリートっぽいイメージがあったSだが、研修室で
スポーツ新聞を読んでいた。

研修生はというと、基本的に日経新聞を強制的に買わせられるのだが
日経新聞を午前中に読んで、昼食とって、午後は研修生徒とSは遊んでいた。
まるで天国な気分だった。仕事は勉強?と取引の仕組みを覚えることだけだった。

それで手取り21万円の給料。絶対に17時には終了し、土日祝日は完全に休み。
今思うと、その時が一番幸せだったかもしれない。

研修時代1 

March 31 [Sat], 2007, 9:38
正直に言うと
研修時代は思い出しながらになるので、順番が逆かもしれない。
正確になるように努力はします。

まず、商品先物の当時の人気銘柄はなんと言っても
東京ガソリンだ。当時、OPECの日量産油量を減産していたので
国内ガソリンも値段が上がっていた。皆さんも記憶があるかもしれない。
だから、日経新聞に商品先物価格が載っているが、前日の価格にはなるが
毎日チャートを方眼用紙に書き込んでいた。

チャートとは値段の足跡をグラフのように書き込んだものだ。
メジャーな書き方はローソク足だろう。始値・終値・高値・安値が簡単に分かる。
色々なチャートを勉強したが、それぞれ長所・短所はあるが、やはり一般的なのが
ローソク足のチャート。

午前中、営業活動も出来ない我々にとって、やることと言えば日経新聞を読むか
入社して渡される、商品取引に関する教科書を読み登録外務員試験に向けての
勉強をするしかない。

大学の入試に比べたら登録外務員試験なんてかなり簡単だ。
しかし、今までの中で日経新聞を読む機会なんて滅多になかった。
日経新聞は高い。
他の新聞よりずっと高い。
しかも読みにくい。
しかし、日々日経新聞を読んでると意外と読みこなせるようになってきた。
どこを毎日読むか勝手に決まってくるようになる。

他の全国紙はどこと無く主張が入っているように思えるが、日経新聞は事実を
もくもくと書いてあるに過ぎない。
だが、それが新聞の本来の目的であるとも思える。
本当に毎日読んだ。
紙面広告までしっかりと読んだ。

日経新聞に載っている書籍広告でも面白そうな書籍は買ってみて読んだことも数回ある。
どうせ時間はたっぷりあったから、本を読める時間もあった。
午前中はそのような時間を過ごした。

出前で昼食を取り、さて午後からが問題だ。
新聞は読み尽くした。何をしよう・・・。

研修時代2 

March 31 [Sat], 2007, 10:10
当時、携帯電話の普及でiモードが出てき始めてた頃だ。

当時付き合ってた彼女はiモード付きの携帯電話だったが、私のはショートメールしか付いていない。
早速、DOCOMOショップにいって携帯電話の機種変更をしてiモード対応に買い換えた。
面白い。iモード付きの携帯は時間を持て余してる私にとって画期的なアイテムになってしまった。
彼女とのメールのやり取りやスポーツ情報を取り入れた。

午後に暇なおかげで右手の親指を素早く動かし操作できるようになった。

そうしながら17時になる。そして帰る。こんな日々だった。

研修生は殆どが入寮しているため、近くの居酒屋で飲んだりした。
色々な人間がいる。中途採用だからそれぞれの人生があった。
元自衛官や元銀行員、さらに今まで仕事をしたことも無い人間もいた。
それぞれ不安を抱えていた。なぜなら皆営業をしたこと無いからだ。

唯一私だけが営業経験者だった。ノルマはあるのか?とか契約が取れなかったらどうなるのか?
とか営業されてる方にとっては同様な不安はあったと思う。

しかも不安のままで、解決策が無い。なぜかと言うと営業部と研修室はフロアが違い
接点が一切無いのだ。
だから先輩上司が何をしているのか一切分からない。
接点が無いので情報が一切入らない。
人事担当Sに何度か質問したことはあるが
ハッキリと言わない。
不安にさせてしまい辞めてしまうとSにペナルティーがあるのか?
色々考えた。

そのような質問をするとSは必ず楽しい話題をしてきて、質問を忘れさせようとしてくる。
私自身は営業で電話を個人宅に掛け捲る経験があるので特に不安は無かった。

しかし、同期の人間はそうではない。やるしかない、としか解決策は見つからないようだった。
ただ、研修時代は暇な上、楽しいので将来の不安を逃避できる環境はある。
ましてや皆中途採用。
不安を打開するための努力を出来る人間はこんなところにいないであろう。
出来たら違う分野で活躍できる人間になってるであろう。

私自身も経験はあるものの不安はあった。
しかし楽しいことがあると不安は消える。

そんな毎日だった。

研修時代3 

March 31 [Sat], 2007, 10:57
休日は彼女と会っていた。
車で2時間ほど高速道路を使い会いに行っていた。

しかも毎週。

出会いは大学時代、近くの短大生との合コンだった。
しかし、短大生なので2年で卒業。
出会って半年で地元に帰って就職するとの事だった。
親戚のコネもあり、彼女の地元で大手の地銀に入行できたとの事だった。

私が研修時代は土日祝日が休みだったので、毎週金曜日には会いに行っていた。
門限があったので20時頃に銀行の近くで待ち合わせして23時には家に送り届けてた。

それからが大変。知らない土地で一人だ。
金もそんなにもって無い私は、車で寝ていた。
公園の駐車場に車を停め寝ていた。熟睡は出来なかったが、突然眩しくなったので目が覚めた。
すると警官が懐中電灯で私の顔を照らしてるのだ。
何が起きてるのか状況がつかめないまま車を降りた。

警官の職務質問が始まった。
警官を毛嫌いしている人間は多いと聞くが、私は警官が日本で一番大変な仕事と思う。
だから多少尊敬している。
素直に全て答えた。
事情を説明すると、妙に納得してくれて同情までしてくれた。

最近、このあたりで事件が多いのでここで寝ないほうがいいよ、とまで忠告してくれた。
数回、色々な駐車場で寝たが、やはり疲れる。
体が持たない。
だからビジネスホテルで寝ようと考えた。

駅周辺にホテルがあるので一番安いホテルを探した。
一泊5000円。(う〜ん、仕方ないか・・)
そこで毎週泊まるようにした。
そこで何回も泊まっていると、従業員が声をかけてきた。
「いつもありがとうございます」
私と同じ年齢くらいの従業員だ。
「あ、こちらこそ」
すると一瞬間を空けて
「珍しいですね、お客様みたいに私服で毎週末いらっしゃるのが」
話をすると従業員の間で噂になってたらしい。
私のことが。

暇だったし事情を説明した。
すると話を横で聞いていた支配人が口を挟んできた。
「お客様みたいにいつも来ていただけるのは嬉しいです」
みたいな事をいってきた。

怪しんでるのか、嬉しいのかわからないが、とりあえず「こちらこそ」と再度言った。
すると支配人が「その若さで毎週来て5000円は大変でしょう」
「はい、まぁそうですね」
「今後も来ていただけるなら3500円でけっこうですよ」
(え?マジ?月に8泊はしてるから12000円も安くなる!)
と思い素直に喜んだ。

どうやら支配人も若い頃、遠距離で大変だったらしい。
だから同情して従業員価格にしてくれたのだった。
私は昔から似たようなことが多い。知らない人からもよく道を尋ねられるし、コンビニやスタンドでバイトしているときも私じゃないとレジに並ばなかったり給油させなかったり、といった具合だ。
とにかく人徳?のおかげで助かった。

研修時代4 

April 01 [Sun], 2007, 12:45
私が入社した商品取引員は、業界でも大手のほうだ。
支店も多い。
だから支店での中途入社であっても、同期といえば
本社研修のことを指す。

本社の研修室で1週間、会社の基本を習うわけだ。
支店の人間と2人で、飛行機に乗って本社へ向かった。

一緒に行った人間は私よりも1歳年上。名前はK。
一応2歳年上に敬意を表していたが、それはあくまでも表向きだ。

Kは私立文系大学を卒業してた。一応大卒。
中途採用ではあるが、大卒に誇りを持っていたのか、
自慢話やウンチク話が多いので、周りからは嫌われていた。
そんなKと一緒に行くのだ。
正直、面倒くさかった。
早速、空港に向うバスのなかでバス券(800円)を失くしやがった。
「一緒に探してくれ!」偉そうに言いやがった。

一応、一緒に探してやったが別に探す気は無かった。
むしろ「一緒に探してくれ!」という言い方にムカついたから、
(見つけたらこっそり捨ててやろう)
ぐらいの気持ちだった。

しかし、Kは必死だ。見つからない。
私はKに「また800円払ったらいいじゃないですか〜」面倒だったからそういった。

Kは私に「いやダメだ。現金をギリギリしか持ってない。一緒に探してくれ!」と言われた。
(なんだこいつ!マジでムカつくな!)
結局見つからず、私が800円を貸す破目になった。

借りるときも偉そうだった。
というかKは何故800円も持ってないのか?
数ヵ月後分かったことだが、Kは借金まみれ。サラ金数社からの借り入れがあったのだ。
別にどうでもいいが、俺に迷惑かけるな!というのが本音だ。

そうこうしながら、本社に着いた。

研修時代5 

April 01 [Sun], 2007, 15:00
まず、研修生は本社にて東京の、とある寮に入れられる。

東京は初めてだった。寮>>本社>>寮 これの繰り返し。
土地勘もないし知り合いもいないので仕方ない。

本社研修といっても特に何かあるわけでもない。

社長の挨拶や人事部長の挨拶、営業本部長の挨拶
あとは取引所の見学くらいだった。

別に苦でもない。むしろタダで東京に行けて(ありがとう)だった。
他の支店の同期とも仲良くなれた。

しかし、問題のKは相変わらずどこに行っても
嫌われていた。自分の自慢話を延々と話から仕方ない。

私は大阪支店の人間と仲良くなった。
大阪人は気さくと聞いてたが、その通りだった。
聞き上手・話し上手だった。
しかも自己主張が強いわけでもなく、どことなく都会的な匂いもする。
一般的な大阪人では無いかもしれないが、気が合った。

本社研修で木曜日の最後の夜、東京本社の研修生が、「皆で飲みに行こう」と言うので
土地勘の無い私らにとっては助かる。

(最後に皆で飲み会は寂しいけど楽しいだろうな)
そう思い、賛同した。
しかし、Kは「俺は行かない!」というのでKだけ来なかった。
どうせ金が無いのであろう。
別に皆、義理で誘った程度だろうしKに対しては来ても来なくても
どっちでも良いのであろう。

誰も無理に「おいでよ」とは声をかけてなかった。
その日は男10人ほどで夜中まで飲み明かした。

Kの話をツマミにして。

P R
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