彼女は一人で歩くのか? 変化と進化の相関関係について 

September 17 [Sun], 2017, 16:24



森博嗣の「Wシリーズ」を読み始めて以来、ずっと何かが心に引っかかっていた。

けれど、その「引っかかり」が一体何なのか、つい先ほどようやく分かったのである。

気づいたのは、Dアニメストアで冨樫義博原作の『幽遊白書』を観ていた時。

「魔界編」で黄泉が息子の修羅を連れ蔵馬の前から立ち去る場面、これを目にした瞬間だ。

黄泉も蔵馬も、千年もの時を生きて来た。

だが、千年前と今では随分と違う人物になっている。

人は変わるもの・・・

とりわけ、黄泉や蔵馬のようにとてつもなく長い年月を生きる場合は尚更、経験する出来事の幅が大きいために、意識が刷新される可能性が高い。

「Wシリーズ」が描く社会においても、人間の寿命は飛躍的に延び、ほぼ不老不死を実現している。

だが、一方で子供がほとんど生まれない。

そして、そんな社会で生きる人々の特徴が以下のように描写されている。

「寿命が長くなるにしたがって、人間は自由に考えるようになった。価値観の幅も広くなった。」

他方、寿命が短くかつ子供が生まれる社会においては、「自分というものを見つめる時間的な余裕がなかった」故に、画一的になりがちだった。

この考察の中では「子供」という存在にもウェイトが置かれているが、私が主に取り上げたいのは寿命と意識の変化の方である。

人は生きる中で自分というものを次々と変化させて行く。

長く生きれば生きるほどに、大きな変化が起こる可能性は高いだろう。

それは単純に確率の問題で、経験する物事が必然的に増えるからだ。

そんな中で、かつての自分というものに拘る必要はないのではないだろうか?

もし、50年前に何かの約束をしたとしても、その約束をした自分と今の自分は違う人間だとさえ言えるかもしれないのだ・・・

これは一見すると寂しさを誘発するような考えかもしれないが、そうして自分を刷新する事で意識はきっと進化して行く。

そして、意識の進化は必然的にそれによって形成される社会の進歩を生み出すのではないだろうか?

何ものも留まってはいられないが、その流動性こそが我々を前に進ませるのである。

だから、きっと変わることを怖れてはいけないのだ。




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