91年の偉業とは? 

March 27 [Fri], 2015, 12:37
 戦後に英国留学を経験したリー氏は、このナショナリズムを強く再確認する。帰国後、弁護士として働いた彼は、独立運動で植民地政府に弾圧された労働組合や学生指導者の弁護を引き受けるようになった。この活動をこなしながら、政治への道を進むことになる。そして1954年、1500人以上の出席者を前に「人民行動党」(People's Action Party, PAP)を結成を宣言、政治家リー?クアンユーが本格的に誕生する。

 1955年、大幅な自治権が付与された立法議会選挙が行われ、リー氏はこれに立候補、当選したが、PAPは第一党を逃した。57年に隣のマレーシアが英国から独立、シンガポールは58年に英連邦内自治州となり、外交?国防を除いた完全内政自治権が付与される。そして59年の自治政府選出のための総選挙でPAPは圧勝、35歳の若さでリー氏は首相に就任した。「ストロングマン」としてのリー氏の政治家人生は、ここから本格化する。

 シンガポールが独立する1965年まで、リー氏は二つの大きな試練を迎える。一つは、PAP内外の共産主義勢力との対決、そしてマレーシア連邦への加盟問題だった。結果は1勝1敗。共産主義勢力との対決をかろうじて勝利に導き、PAPの勢力を固めることができた。その勢いで、63年にマレーシア連邦に加盟してシンガポール州となり、住民の生活の安定を図ろうとした。だが、マレーシア側が「華人勢力が強まり、連邦の結成を乱す」とされ、シンガポールのみでの独立を強いられた。独立とは言え、いわばマレーシア側による追放である。

夜夜堅
媚薬カプセル