さんぽ 

November 21 [Mon], 2011, 19:56

「お茶のみましょうよ」と池袋に住む友人からの電話。


彼女は大正生まれで、娘さん夫婦と同居している。いわば御隠居の身分だ。
とても健康に恵まれた方で、風邪をひいたこともなく、あちこち痛いところがないのでお医者様には無縁である。歩くのは私より早いくらい。


例えば冬など、コートにマフラーなし、足元はスラックスにソックスのみという出で立ちで、ちらちらと足首がのぞく。シンジラレナーイと驚く私。


マフラー忘れたの?とたづねると、「いいえ。持ってきたけど、寒くないから」と。


私はといえば、ダウンジャケットに、薄手だけれどウールのロングストールを二重に巻きつけているというのに。一回りほど後から生まれた私としては、説明がつかない。


そんな彼女にひとつ、不自由なことがあるようだ。つまり、一人での外出がままならないのだ。高齢ということで、家人が何かあったらと、許してくれない。


老婆二人なら単独よりはいいということで、しばしばご一緒する。


いつもデパート内の喫茶店というわけにもゆかず、先日は白金台の八芳園のお庭を散策したが、今回は、西池袋にある自由学園の明日館へ行ってみた。


羽仁吉一・もと子先生のキリスト教精神にもとずく自由学園のことは、昔から耳にしていたし、テレビでも拝見したことがあった。現在、自由学園本校は、私の家の隣町に移転しているので名前くらいは記憶にあった。


自由学園は当時、帝国ホテルを設計したライト氏によるものだそうで、こじんまりとしていて使い勝手がよさそう。講堂を中心に両手を広げたように教室が配置されている。実にモダンで素敵。木造建築のよさが感じられた。廊下は大谷石が敷き詰められているのが珍しく思った。


当時は、生徒数も限られていたと考えられるから、この程度の広さで丁度よかったのかなと思った。




現在は明日館として、重要文化財となっているが、いわゆる「動態保存」をしているという。つまり、会議やセミナー、講演会、展示会、法事集会などに利用しているのだそうである。講堂だったところが喫茶室になっていたので、コーヒーで一休みした。


 木製で手ずくりのかわいい椅子。 モダンなデザイン。 持ってみたらかなりの重さだ。歴史が詰まっているのだろう。



(註) 写真はネット上からお借りしたもの。

ちひろ美術館 

November 16 [Wed], 2011, 20:54
秋晴れの午後、思いついてちひろ美術館へ行く。

「ちひろ美術館」は西武線上井草駅から近いところにある。この沿線に住む私はかねてから是非一度は足を運んでみようと思っていた。

おもえば、十数年も昔、長野県安曇野へ旅をした際に「ちひろ美術館」へ立ち寄ったことがあり、すっかり魅せられてしまったのだった。

殆どのテーマが子供に絞られている水彩画であり、淡い色ずかいが穏やかな優しさに満ち満ちていて、暖かな光に包まれたような気持ちになる。

絵画について何の知識もないけれど、マリー・ローランサンの絵とか、今では安野光雅さんの絵を拝見した時の気持ちに似ている。


上井草駅から、ところどころにある道しるべを辿って10分。美術館は閑静な住宅街のなかにあった。


途中、高く塀をまわしたお宅の塀越しに秋の薔薇が一輪、空にむけ、西日を受けて輝いていた。
思わずあしを止め、見上げた。 まぁ、美しい! 




美術館は10年ほど前に全館バリアフリーの建物に改築された由にて、内部は新築のように清潔であった。ちひろさんだけの作品のみならず、世界の絵本画家の作品や、さまざまなジャンルの美術を紹介されるということで、展示室が幾つもあった。


私が尋ねた際には、谷川俊太郎さんの作品とか私の知らない漫画家作品などが展示されていた。


帰り際に館内の売店をのぞく。


安曇野で購入した絵と同じ絵がプリントされたマグカップが目についた。何となく嬉しくなる。
シンプルで安価、金ピカでないからミルクを入れてチンが出来るぞ、とばかりに購入した。いささか大人げない買物かなーと思いながら。






心みたされた好ましい午後を過ごすことができて嬉しい。




散策 

October 28 [Fri], 2011, 14:20

3週間以上もぐずぐずと長引いた風邪から漸く解放されほっとしている。
このところの秋晴れに誘われ、足ならしを兼ねて先日、友人と連れ立って、白金台の八芳園のお庭を散策した。


有名だけれど私たちには全くご縁のない場所である。老婆二人は勇気をだして訪れてみた。



四方八方どこからみても美しいお庭なので「八芳園」と名ずけられたとか。もともとは江戸時代の大名の屋敷だったそうだが、戦後ある実業家が日本庭園をいかし、料亭とか結婚式場の経営をされているとお聞きした。



先ず驚いた。お城のような門の前に門番ならぬ案内の男性が一人立っていた。少々腰がひける思いがしたけれど、お庭を拝見したい旨を告げると、にこやかに招き入れて下さった。





地名から察すると、このあたりは、台地だったらしく、庭は、やや急な高台から谷へ向けて芝生に覆われ、そこかしこに歴史を感じさせる見事な松などに枝ぶりを競わせている。
今迄にいくつか拝見した○○式お庭とは全く趣が違っていて自然の立地を上手に利用していた。


 関東大震災の時にもビクともしなかったという13層の塔



谷の部分には、小ぶりながら池があり、みたことなない程の大きな緋鯉がゆったりと遊んでいた。



園内の小路に導かれてすすむと、結婚式を終えたのであろうか、新郎新婦と写真屋さんのみの撮影風景に出合った。
おぅ!ラッキー! 
遠慮がちにそっと、シャッターを切った。





庭を一巡してから、本館内の喫茶室でお茶をいただき、ほんわかと憩いのひとときを楽しんだ。 平日の午後のせいか閑散としていた。








みじかい旅 

October 26 [Wed], 2011, 18:42

去る9月18日(日)父の33回忌法要を営むため、兄弟姉妹が札幌の実家へ顔を揃えた。これを機に旭岳の紅葉をみようよということになり、東京に住む我々は日程を早めて出掛けることとなった。


9月15日 
 快晴の羽田を後に札幌へ。
 午後4時の千歳空港は小雨模様だった。



9月16日
 空模様はやや晴れ。
 午前10時、希望した4人は弟の車に同乗し旭岳へ向かう。 9月も半ばともなれば、夏の観光シーズンも終えていて行き交う車も少ないうえ、雪国は道幅を広くとってあるので実に気持ちがよい。 
 


 途中、「大雪旭岳源水」へ立ち寄り、大雪山から流れ来る源水口をみに行く。
 水量の多さに驚く。





 旭岳へのぼるロープウエイに到着したころは、曇りがちとなり、山頂を写しだすモニター 画面はただ白一色で濃霧に覆われていた。
 あきらめるしかなかった。


 ホテルへは早目のチエックイン。
 3年前に訪れたときの、コーヒーとレアチーズケーキの美味しさを忘れ兼ね今年もと期待していたのに… 不景気のせいか喫茶部が閉鎖されていて、がっかり。

 
 ホテルのお湯は、源泉かけ流し温泉で無色透明、無臭でとても快適であった。



9月17日
 曇り空。
 午前10時ごろ再度、旭岳ロープウエイへ向かったけれど、山頂はまだ霧に覆われていて無理と判断せざるを得なかった。


 さぁて、これから何処へ周ろうか。
 旭動物園、層雲峡、天人峡、富良野、美瑛等々、このあたりのエリアは、今更もういいよねぇということになった。



 どうせ夕方までに札幌へ戻るのだからと、弟の案内で、札幌郊外の「道立野幌森林公園」へ向かうことにした。公園の奥の森の中には「北海道開拓の村野外博物館」が造られていた。1983年に開村したというから、東京に住む私と妹にとっては初めてである。


 開拓村は明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を移築復元、再現した野外博物館であった。 


 広い敷地の中央に馬車鉄道を走らせ、線路の両脇に旧札幌停車場をスタートにして旧開拓使札幌本庁舎とか旧小樽新聞社、旧札幌警察署、旧○○郵便局、旧何々と開拓当時の生活が偲ばれるように、文化の流れをしめす建造物が並んでいた。

                旧開拓使札幌本庁舎
           


 我々は、昔こんなのがあったわね、と懐かしく思い当るものが幾つもあった。そして先人の智恵と努力に改めて尊敬の念を抱いた。


 馬車鉄道というのは、さすがに初めてであった。細い線路の上を白い馬にひかせていて、 今風の素敵な客車には、女性車掌が当時の形と思われる切符を切ってくれた。
 とても可愛い娘さんだったので、1枚よろしいかしらとお願いすると気持ちよくポーズ
 をとってくれた。



  切符の大きさは10p×6pもあるが、当時のものと同じサイズなのかどうか聞きもらした。




 旧交番の前には、白い制服(肩章がついている)姿のお巡りさんが立っていて、珍しそうに近寄る人達に話しかけたり、ガイドをしていた。うまく考えているなぁと感心した。


 予定していた旭岳の紅葉は観られなかったけれど、旅は、こんなこともあるので楽しい。

ダンスフェステバル 

July 18 [Mon], 2011, 17:11

私の住む西東京市は、田無市と保谷市が合併してから今年で丁度10年になる。


市では、10周年を記念して、市民参加記念事業を行うということで、参加事業の募集があった。


私のお世話になっているダンスサークルでは、「オールダンスフェステバル」を企画、応募したのだった。


オーナー先生ご夫妻のお話しによると、143事業が応募し、いろいろな審査を経て23事業に絞られ、更に、実技を披露するなどの審査を経て、見事に合格し、ささやかながら、予算もつけて頂き、この7月10日(日)、市の体育館において「オールダンスフェステバル」を開催することが出来たのである。



参加ダンスの種目は次のように多岐にわたり、時間の調整が大変だったようである。

         ジュニア競技会ダンス
         車椅子ダンス
         カントリーダンス
         フラダンス
         バレエ
         ヒップホップ
         フラメンコ
         ソシアルダンス

最後には、ソシアルダンスのプロのデモストレーションで華を添え、盛会裡に終了したのである。



市の人口が20万そこそこなのに、ダンスと名のつくサークル数の多いのに驚いたものである。


開催に際しては、サークルの仲間がそれぞれ手分けして各々出来ることを少しずつ分担した。

司会は奥様先生。
進行係は旦那先生。
会計、駐車場、受付、音楽担当、サークルの昼食、飲み物の準備、閉会後の会場の後片付け等々。


私がお手伝いしたのは、前日の夜、会場内の設営準備とか、フェステバル当日に配布するプログラム等の表紙作成、及びジュニア競技ダンスの子供たちに授与する賞状の作成などである。





午前9時半から午後4時半までの長丁場であり、すべったり、転んだりの事故もなく、つつがなく終了できて何よりであった。


小さなトラブル 

June 21 [Tue], 2011, 15:45
浄水器のカートリッジを交換したばかりだし、さぁ新茶を楽しもうと、いつになく丁寧に
淹れたところ、「ゲッ? なにこれ?」

カルキの味がしっかりとついてきているではないか。


「こんな筈はないのに〜」 「何故かしら?」
「今迄こんなことなかったのに〜」

あたまから信用していた私はかなり落胆したのだった。


そこで、販売店に連絡したところ、過去にそんな例は経験していないとのたまう。大量に作られる製品に不具合なものが絶対にないなど、有り得ないと思っている私。


気をとりなおし、暫くは使い続けて様子を見てみようと、捨て水を繰り返し、一晩汲み置きしてから、がんがん沸騰したりして3週間ほど経過した。カルキの嫌な感じが確かに減少していくのが分かったけれど、どうしてもおかしいのだった。



次に私は浄水器の輸入代理店へ直接連絡をしてみたのだった。


よかった! さすがだった。世界中を相手に商売している会社だけある。

製品の不具合はあること。
明日直ぐに代替え品を送るので取替えてほしいこと。
不具合のものは返送して欲しい。

ということであった。


翌日、丁重な詫び状を添えた新カートリッジと、返送に必要な容器、宅配便の宛名書き用紙(貼るだけでよいように、全て記入済)及び、通水テストをしてみるようにと、カルキの試薬が届いたのである。往復の宅配費用は会社持ちであることはいうまでもない。


お陰様で結果は、満足のいくものだった。


それにしても、自分の知識のなさ、バカっぷりに腹がたつ。なーんで、ひと月近くも我慢したのか悔やまれてならない。



   
浄水器   大きさは、高さ27センチ位、直径13センチほどあるが邪魔にはならない。




   
(左側のグラス) 水道水にカルキの試薬を入れると、みるみる濃い
ピンクに変色した。 

(右のグラス)  浄水器を通した水にも試薬を入れ、期待を込めて
みつめたところ、変色せず透明であった。
飲んでみたら、嫌な味がなくなり、気持ちがよかった。










はる 

May 03 [Tue], 2011, 22:23

気が付けば春真っ盛りだ。

あの大震災以来、克明に報道される被災現場のテレビの画面に釘ずけ状態であった。地震、津波による原発の被害から発生した放射能漏れ事故などに全神経が奪われていて、お花見や春の気配など、関心の外であった。


お陰でというのは不謹慎の謗りを免れないかもしれないけれど、私は原子力発電の仕組みというものを初めて知った。


さて、例年のことながら、春先は暖かったり、寒かったりの繰り返しではあるけれど、この何日かは風が強くて、外出をためらうことが多かった。


先日、風も落ち着き、にわか雨もなさそうな午後、ご無沙汰していたいつもの小金井公園へぶらり散歩にでかけた。


公園の草や花や樹木たちは、みんな申し合わせたように、若々しい緑を纏っていた。それぞれの緑は目にやさしく、和ませてくれる。いいな、いいな。気分爽快。





長身の欅の梢は春の陽射しを受けてキラキラとひと際明るい。すっかり葉桜となった老木の幹にも新芽があちこちに顔を見せていて可愛らしい。自然の営み、命の力を今更のように感じさせてくれる。





おや、蝋梅の実らしい。春まだ浅く寒い頃一番先に花を見せてくれる蝋梅。実のことなんか考えたことがなかったなぁ。


                                  
 赤松の雄花















  マンサクの新芽









マンサクといえば黄色が多く、すでに花は終わっているのに、まぁ、今時分に美しいピンクの花に出会えてうれしいこと!
緑たちのなかで、ひと際あでやか。
             

ヨーグルト 

April 22 [Fri], 2011, 23:21

日本中、否、世界を震撼とさせたあの東日本大震災から最早ひと月以上を経過した。被災された方々はあの窮状から粛々と今後に向けて立ち向かっておられる。また、国を挙げての復興に携わり、黙々と働く方々のその姿は立派で、日本人として誇りに思う。


そんなときに、私にできることは、せいぜい節電しかない。ましてや、水、お米、乾電池など手にはいらないからといって嘆いたりは出来ない。
(さすがに、今では徐々に元通りの状態に落ちついてきたのでほっとしている。)


でも電力事情でヨーグルトが店頭に出なかったので、2週間ほど前、ヨーグルトメーカーを購入した。

かなり以前、友人からカスピ海のヨーグルト菌を頂いて室温で作ったことがあるけれど、今迄食べ馴れたブルガリアヨーグルトとは少し異なるので好きになれず、直ぐに止めてしまったことがある。


ネットで調べたところ、その機種の多いことにびっくりした。だって、牛乳に乳酸菌をいれて温度をかけるだけなんだから、単純なはずなのに。


でも、容器を洗浄、殺菌しなければいけないのは面倒だなと思いつつ、画面をスクロールしていったところ、おぅ、あった! 私にはもってこいのが。


市販の1000ml入りの牛乳パックがそのまま使えるというありがたーいのものが。


今迄気がつかずにいたけれど、なんと安上がりだこと!もっと、早く気が付けばよかったと
思う。たかがヨーグルトだけれど、毎日食べるのでバカにしてはいけないのだ。




敬老精神 

April 14 [Thu], 2011, 23:17

3月11日、私は外出先からの帰路、高田馬場駅であの大地震に遭遇した。


電車は全線不通となり、最悪の場合、今夜は家に帰れないかもしれないと思った。夕闇が迫っていたので、先ずは腹ごしらえをと、お店を探したが、大抵は早仕舞をしていて、漸く一軒のうどん店に辿りついた。


店は、私同様に足止めされたと思われる客で混んでいたが、たったひとつ空いていたカウンター席に案内されほっと一息ついた。


私は隣の若者に思わず声をかけた。

 あのぅ、もしや、電車の情報おわかりでしょうか?


「あぁ、駅のシャッターが全部下りていたから今夜はダメだと思いますよ。僕はマンガ喫茶で一夜をあかそうと思ってますけど…」


 え? そんな方法もあるんですか。 若い方はいいですね。


こんな会話の後、若者は、するするとうどんを食べ終え「じゃ、お先に」と消えて行った。




ふいに、『これからどうするんですか?』

今しがた、空いた席の向こうから少年のような小柄な若者が声をかけてきたのだった。


私は一瞬、緊張した。 何者? この子は? 一呼吸してから、

あのぅーあなたは?


『ボク、電車が止まって帰れないんです。先程の会話を聞いていたので…』


まぁ、そうでしたの。
私はこれから駅前の交番へ行って相談してみようかと思っています。



小柄な若者:
『そうですか。ボク一緒に行きます。女の人の一人は危ないですから』


えッ?! 街は明るいですし、大勢の人が歩いていますから大丈夫。


小柄な若者:
『でも、女の人の一人はね、心配です。兎に角交番まで一緒にゆきますから』


若者が傍からギターケースを片手に席を立ったのを見た私は思った。そうか、音楽をやっているならワルイヤツではなさそうだ。行く先は駅前の交番まで10分くらいだろうし…


そこで、じゃ、お願いしますね。


こうして、交番へ行き、おまわりさんから、新宿区の避難所があることを知らされて、そこで電車が動くのを待つことにしたのである。


さて、心優しい若者はといえば、下宿は町田市だという。
新宿まで歩いて、その先を考える積りだったけれど、おまわりさんの話を聞いて私と一緒に避難所へ行くことにし、教えられた道順を ”あの信号を左折だったかな、いやもう一つ先かな”などと若者と老婆は迷いながらも、目的の場所へ辿り着いたのであった。


避難所で3時間ほど経った頃、一番先に私の乗る西部新宿線が動いたことを知らされ、一夜をあかすことなく、その子には心を込めてお礼とさよならを言って避難所を後にした。
因みに、JRは翌朝6時まで運転されなかったのである。


私からみれば、孫ほどの若者が何ゆえにかくも親切なのかと、感謝しつつも訝しくも思ったので、避難所でお茶をいただきながら、ご家族のことを訊ねてみたところ、祖父母と同居しており、両親が働いていたので、殆どじいちゃん、ばあちゃんに育てられたという。


持って生まれた優しさに加えて、育てられた環境も大いに影響しているだろうけれど、私が相当にくたびれて、ほおっておけない婆ちゃんに見えたに違いない。


実家は島根で、上京して3年。4人でバンドを組みライブ活動をしているという。
成功を祈ろう。





コンサート 

January 20 [Thu], 2011, 18:41

「待ち合わせの場所を決めてあとでお知らせします」

義弟からの携帯メールが入る。

私は、え? ん?

間違いメールかと思いつつも、大急ぎで頭の中をフル回転させた。
ダメだった。どうしてもわけがわからないのだ。


妹に電話すると、「やーだ、去年電話で、切符がとれたことや、日時も知らせたじゃなーい」という次第。私は全面降伏だった。私の記憶から完膚無きまでに消えていたのだ。


そういえば、去年の秋ごろだったか、切符がとれるかどうか分からないけど、一応申し込んでおくから〜その後、希望する座席ではないけれど、4人並んだ席がとれた旨のしらせがあったことを思いだした。



こうして、綾戸智恵さんのジャズを初めて生で聴く機会を得た。
ジャズ関連については、殆ど聴く機会もなかったし、特に関心さえもなかったので、コンサートへ出かけるなんて考えたこともない私。


心が動いたのは、最近テレビで何度か拝見して、屈託のない明るさ、独特の声と歌い方、ポンポンと飛び出す大阪弁がとても新鮮に思えた。又、母上の介護などさらりと話される人間的な魅力も感じていたことなどがあり、ジャズはわからなくとも、雰囲気とかお人柄に触れてみたいと思ったのだった。



グランドピアノの弾き語りを中心に、バックはギター、ベース、ドラムス、エレキオルガンだけの構成で、綾戸さんが司会から、舞台運び、客あしらいなど、お一人でこなし、2時間休憩なしの出っぱなしであった。

バックにエレキオルガンが組み込まれていることや、その効果には驚かされた。まるで、パイプオルガンのような響きなのだ。演奏に厚みがでてすごかった。


途中、バックの4人の方には休憩をとらせ、その間、ご自分がピアノの弾き語りで繋いだのである。あの小柄なお体のエネルギッシュなこと、溢れんばかりの情熱、大きな声に圧倒され、感動した。


数え切れないほどの曲を歌って下さったけれど、殆どが耳に残っているポピュラーな曲であったし、終わりころには、綾戸流テネシーワルツ、ラストはマイウエイで締めくくったのはさすがであった。


プロなんだから、当然といえるかもしれないけれど、こんな言葉が観客を喜ばせたのではないかと思うのは私だけだろうか。

『まいど!綾戸です』

『1月のオーチャードが完売だなんて嬉しいです』

『コンサートは皆さんと出会って初めて始まります』

『皆さんの顔がみえてはじめて歌える綾戸です。
 皆さんが一番の主役なんです』

クラシックのコンサートでは考えられないご挨拶なので、私はこれぞ本物のエンターテイメントなんだろうと思った。






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