[0224] 物体形状とサイズに関する連続的変化と非連続的変化2 

February 19 [Mon], 2007, 10:25
F0223-2は、同じ円錐の高さと断面サイズだけの変化を連続的変化とし、円錐→直方体への形状変化を非連続的な変化としている。しかしF0220-1においては、同じ円錐内の変化をも、非連続的な変化と考えている。そのためF0220-1は変化が4段階あるのに対し、F0223-2は2段階しかないことになってしまう。一次元内の変化は、もっと緩慢な変化にとどめ、同じ円錐内の高さ、断面サイズの急激な変化を、非連続的なものとして場面転換に適用できるとしたらどうだろうか。そのようにして、F0220-1の4段階の形のそれぞれに、連続的な変化を3段階与えたものがF0224-1である。


ただしこれでは、(1)から(2)、また(3)から(4)への変化に、非連続性は認めにくいかもしれないので、(1)の後に(4)、その後に(2)、(3)と繋げてもよいかもしれない(いずれにせよ、(1)〜(4)各セクション内の変化は、ゆるやかなものでよい)。(1)→(4)→(2)→(3)へと繋げる方法は、高さと断面サイズの変遷を連続的な変化とし、形状の変化を非連続的なものとして区別する発想に拠る。(4)→(2)において、形状だけではなくサイズも変わることが気になるが、その二重の変化を途中に挿入しないと、図の4段階のセクションは生じようがない。

[0302] クッキーにおける時間系列。流し雛と葬式 

March 02 [Thu], 2006, 2:01
クッキーであれば、30分〜1時間ほどの時間を経過して、最後にシーンを迎えるが、これも材料である卵黄や薄力粉の空間内の移動と言い替えても差し支えない。食材だけではなく、抜型や皿なども重要なオブジェクトである。クッキーは抜型によって象られて独自の形を形成するが、不定形の生地と金属製の抜型とのある関係性を示す特有の風景がそこにはある。また冷蔵庫やオーブンの存在も無視することはできない。冷蔵庫で冷気を受けて、オーブンでは逆に熱を受ける(冷蔵庫で冷やす理由は詳らかでないが、おそらく成型しやすいような固さが必要なのだろう)。このように、「時間」とは、空間内における(空間とは、要するに他のオブジェクトが周囲に存在しているということである)あるオブジェクトが、他のオブジェクトとの間で、ある種の関係を持ちながら、少しずつ形を変えていくという程度のことであるとした場合、「時間的な畸形」なるものがすぐに考えられるだろうか。

[クッキーの作り方(再録)]

(1)材料を混ぜる
  バター→砂糖→(バニラエッセンス)→卵→薄力粉
(2)ラップに包んで薄く広げ、冷蔵庫に30分
(3)生地を「クッキー抜型」で成型する
(4)オーブンで焼く(15分)
(5)皿の上に乗せてテラスへ


「空間的畸形」ももちろんであるが、AとBのハイブリッド化を、同じようなもの同士の間で行なっても全く意味がない。エベレストと富士山とのハイブリッド化などは、全くつまらなく意味がない。どこかでAの主要な部分を定義している要素が正反対にならなければ、ハイブリッド化の意義はないのである。この何か肝心なところが、完全に矛盾し転倒しているという質は、「時間的畸形」にもなければならない。

たとえば全く別の物語における空想譚で、どこかの映画にありそうな通俗的なシーンにすぎないかもしれないが、田舎の葬式の場面で、その土地の風習にならって、柩に納められた遺体を、何人かの親族が抱えて、川のほとりから川に流してゆくというシークエンスを思い描くことがある。雛祭りの雛人形は、川の流す風習がある(流し雛)と聞くが、この行事と葬式における出棺の行為とがハイブリッド化しているということであり、空間的というよりは、時間的な畸形により近いのではないか。

[0301] 空間的畸形に対する時間的畸形 

March 01 [Wed], 2006, 2:00
以前から考えているように、クッキーと現像はやや散文的に組み合わされた2つのストーリーであり、クッキーを作る作業から必然的に現像作業が導き出される実感を、体験的に得たとは言い難いところがある。それぞれを素材として採り上げるのに相応しい画題であることは間違いないし、特別その2つをハイブリッド化する必然性はないとも言えるかもしれない。
要するに、仮にこの2つの象徴的なストーリーを題材として扱うとしても、決して全体の流れがA→Bへと移行する形になるわけではなく、AともBとも判別のつかないハイブリッド的な中間風景が、正常な時間系列にしたがって並置されていくだけの映像しか、現在のところ想像ができないでいある。一枚一枚のカットそれ自体は、多少の困難さはともなうにしても、ハイブリッドの畸形を表す絵を考えることができる。しかしそのつながりは、結局ごく当たり前なクッキーを作る作業か、現像作業における時間系列に頼るしかない。これを単純に空間系列に対する時間系列と解釈することはできるだろうか。

すなわちごく一般的に考えて、あらゆる事象や現象は、空間的な構造と時間的な継起によって定義される。常識的な空間性と常識的な時間性によって、風景の常識は成り立っている。ここしばらく考察している「クッキー・現像」は、空間的にはクッキーとも現像ともつかない畸形をいくつか空想することはできるものの、時間的な経過については、材料を混ぜ合わせ、それを型取りし、オーブンで焼き、そして皿の上に乗せてテラスに運ぶ…というきわめて常識的な流れに基づく以外なかった、というふうに考えてよいか。
そもそも時間的な畸形とは何だろうか。空間的な畸形が、結局は2つの異なる風景を意図的に関係させるて生成されるのであれば、時間的な畸形も、異なる2つの具体的な時間を意図的にハイブリッド化することによって作られるのではないか。だが一体、時間と空間を明確に区分することができるのか。

時間などというと大仰なイメージがあるが、以前にも書いたように、とどのつまりは「空間」内におけるオブジェクトの移動にすぎない。移動にどれだけ人間の動作や作為が関与するのかによって、多少の相違は生じるにしても、主要な問題ではない。

[0229] 畸形をどこに求めるのか 

February 25 [Sat], 2006, 1:58
[0226]の冒頭に記した今後の課題について。
畸形をどこに求めるのかという問題。ツリー構図で言えば、例の上位の右項が降りてきて肯定されるものとなる転換が畸形ということになる。すなわち、この畸形の質は、AからBへのトランジションそのものにあることになるだろうか。
Aは正常であり、Bそのものも正常である。しかし本来脈絡のないところのAとBが、カットの手法によるトランジションで繋がるところが畸形であり、ある種にショックを与える。
ところが一方で、同一画面内に異質な要素が混在する畸形も考えねばならず、最初の計量カップに湛えられた水の中に卵黄を溶解させる絵そのものが、クッキーと現像が混在していて畸形化しているのである。そうだとしたら、この畸形も「転換」であり、ツリーの右項が下降する構図として書かれる必要があるのではないか。
これは半分は、「行為としての畸形」と言えるかもしれない。本来ならボールの中で(水を加えずに)、形を崩すところのクッキーを作る行為が、現像剤を1リットルもの水に溶かす行為と重なっているからである。
曰く言い難いが、上記の2つの畸形はどのように関係するのか。無関係に作為的に演出された畸形の絵と絵が、畸形のトランジションで繋がっているだけでは不具合なのではないか。つまり何と言うのか、A→Bへのトランジションの結果、同一画面において異質なものが共存する絵としての畸形が発生する、とすべきではないか。

次は以前から静止画として完成を空想しているテーマのひとつであるが、卵が排水口に流れてゆく絶望を生かすために、図のように現像作業台の周囲をストレーナーが囲み(すなわち内と外が入れ替わっている)、中央で現像作業を遂行しながら、絶えず周囲で卵がストレーナーに流れてゆく絵を呈示する、などは完全な空間的畸形である。

[0228] A→Bへの転換のための、AB間で共通する関係性の条件 

February 21 [Tue], 2006, 14:57
したがって、「AとBの2つの事象があり、それぞれのとある関係性が共通項となって、A→Bへの転換が行なわれる」という言い方は、必ずしも間違っていはいないものの、それが正しいためのいくつかの条件を掲げると、

●Aの中の[a1-a2]は[a2-a1]とならねばならない。
●Aの[a1-a2]は、F0227-1のようにいくつかの階層を降りた末の対蹠項でなければならない(それに対して、Bの対蹠項は上位のまま?)。つまりAとBの間で関係させる対蹠項は、同レベルであってはならない。
その意味で、以前頻繁に載せてきたシンメトリー的なF0228-1は誤りである。

●関係させるAとBの対蹠項も、
◎卵黄の原形=カップ外側面(現像バットの矩形)
◎不安定な溶液=カップ外側領域?
などと、本来は脈絡のない2つがあえて関係を持つ。強いて言うなら、<不安定であり−安定している>などのニュアンスで語られる要素が共通になるにすぎない。

ところで右項の対蹠項を、
<容器の外側面−容器の外部>
とした場合でも、その後容器の外側を照らすのは、スポットライトの環から外れた陰にさしかかっている周縁光でしかないとしたストーリーを、F0228-2のように展開するなら、
<スポットの環(全光)=容器の外部領域>
として、外部へと話を導出することが可能となるのではないか。

[0227] AB間で共通する関係性とは、ABを定義する対蹠項である。 

February 21 [Tue], 2006, 14:56
要するに、何度も掲載しているツリー(F0227-1)の左項をAとし、右項をBとするなら、Aの<溶液−原型>の関係が逆になったものが、Bの<外側面−?>とつながる(共通項となる)ことが「関係性の共通」に他ならなかった。
右項の<外側面−?>が正確に何になるのかは、[0207]の時点でもはっきりしていなかったかもしれない。<カップの外側面−カップの外部領域>はそれに該当するとしたら、
卵黄の原型=カップ外側面
カップの外部領域=溶液
となり、<カップの外部領域>は否定される側となり、以降にカップ外部に逸れてゆく道を閉ざすことになってしまうため、疑問の余地を残していた。
「容器の外側面」と言うよりは、「現像バットの矩形のフォルム」を強調した方が相応しいかもしれない。左項にて原型を喪失して不定形になった卵液の不安を解消するために、右項においてこれまでなかった「矩形というフォルム」が発生するのである。ただそうなると、右項である
<矩形フォルム−?>
のさらなる右項は、何になるのか。

より簡素なモデルとして掲げたのが[0209]の逆光透明カップである。逆光がそのまま全光に変化するだけの転換はあり得ないが、逆光によって存在を成り立たしめているカップの透明性が不透明になる変化をともなって、逆光は全光に変化することができた(F0227-2)。このツリーでは、右項側がとくに対蹠項として書かれてはいない。

[0226] 引伸機のある風景 

February 21 [Tue], 2006, 14:55
その他の問題。
●何らかの共通項をブリッジとしてA→B→C…と移り変わっていくプロセスと、「クッキー・現像」のハイブリッド化がどのように関連するのか。
●異なる風景が同時に同一画面に共存することについて。またこれまでの「畸形」について(1リットルの計量カップに卵黄を溶くのも、すでにして畸形である)。形態上の畸形や行為の畸形について。
●異なる風景が、同一画面ではなく、言わばモンタージュ封に並列進行する編集に関して。ひとつの風景が脈絡のない2つの風景に分裂する。分裂した風景がまた2つに分裂する。それぞれが勝手に進行していくさまを、モンタージュとして呈示する技法について。



暗闇に中の引伸機を真横から見ているときの光の筋は、次の場面で透明ネガフィルムを透過する光へと推移する。実際にセッティングしてみないと分からないだろうが、引伸機のマウントを装着する隙間から放たれた光は、ハレーションを起こしてもどかしさを与えるばかりだ。光は下の台の正面に向かって放射されるので、マウント部分から見る光(本当に見えるのか?)は、覗き見的にようやく見えるにすぎない。
次の場面では、背後からの光を透過してその存在を成り立たしめているネガフィルムが、ほぼ画面いっぱいに拡大されている。これは引伸機の下から上のフィルムやランプ側をあおっているときの絵である(本当に直接フィルム全面が見えるのか?レンズによって遮断されるのではないか)。こちらもどこに焦点が絞られているのかがよく分からないもどかしさを持っていることには変わりがない。もどかしさと言えば、鈍い黄味を持つ卵液やスポットの環から外れた現像バットも、同様の質を持っており、すべてのカットに共通する性質と言ってよい。

では引伸機のライト(言わば木漏れ日)からフィルムへの転換は、何が共通項となっているのか。たとえ現像面であっても、明確にこのパートが共通ブリッジであると指摘し得ることは重要なのか。しかしやはり本質は何らかの関係性(そのままではなく逆転した形で)が、AとBの間で共通していると考えるべきか。

「関係性」なる言葉で言うなら、それはやはり「対蹠項」でしかない。そしてAを定義する対蹠項と、Bを定義する対蹠項が共通するのではなく、Aの[a1-a2]がどこかで[a2-a1]となったものが、Bの[b1-b2]と共通するとしか言えないのではないか。

[0225] AとBの間の共通項は、静的要素か動的な関係性か。 

February 21 [Tue], 2006, 14:55
[0208]をもって「クッキー・現像」物語の分析を中断してしまっている。分析というよりは、ノートをとりながら「制作」行為を行なっていることは疑いようがない。いかなら画像をいかなる順序で配置して映像として上梓するかを決定することが第一義であり、ツリーの完成は、この際二の次にすぎない。ことさら新しい展開があるわけではないが、現在直面している諸問題を整理しておく。

AからBへのトランジションの質が、単純ながら[0209]に記した構図で示すことがきでるというのは間違ってはいまい。対蹠項[a-b]がそのまま[b-a]となる転換はあり得ないが、もうひとつ別の要素[c-d]が逆転することによって[a-b]から[b-a]への転換は意義を持ちえるのである。[0209]のモデルで言えば、<逆光→全光>とともに<透明→不透明>が同時に推移している。
しかし単にある現象の中で、ランダムに選ばれた[a-b][c-d]ではなく、その2つには密接な関係がなくてはならない。
このとき、やはり2つの場面間の共通項を認めないわけにはいかないだろう。すなわちAとBの現象面が、どこかで共通している必要がある。計量カップに溶かれる卵黄は最初こそ原型を保っているが、溶解した結果、鈍い黄味を湛えた絶望的な色へと変わる。この絶望的な色合いが、次の現像作業の環境における現像バットの中の、間接光しか当たっていないために鈍くなっている現像液の色とつながっているのである。ここでは「絶望的な黄味の色合い」が共通となっている。
この場合、「色」が共通項となっているが、他のすべてのAB間に共通する要素として、何が考えられるか。

…いや、このように考察すると、かつての「AとBの共通性は、それぞれのパーツや静的な要素ではなく、Aの中のある関係性とBの中のある関係性との間のそれである」とした洞察が崩れてしまう。赤いリンゴが赤い炎に変化しても、転換として成り立ってしまいかねない。上記の「計量カップの中の卵液→現像バットの中の溶液」は、現象面として色が共通してはいても、実際には「関係性」をブリッジとしているということなのか。

[0224] 回転アルゴリズム15 

February 21 [Tue], 2006, 14:54
いや[0223]の平均値云々は、全くの誤りである。2枚のポリゴンがあり、どちらも同じ色を持っているとしたとき、F0224-1のa2は透明度0.2なので、バック(b)の色を0.8だけ持つ。その色をさらにバックとして、a1が0.2度の透明度を持つわけであるから、結果的には重複部分は、バックを直接透過するよりはaの色が強くなるはずであり、図の計算のようにa=0.36、b=0.64の色となる。

a1とa2の透明度を、0.2、0.3と違っているものとし、a1が手前、a2が背後にあるとする。このとき背後のa2を先に描画し、次にa1を描く場合(F0224-2-(1))と、a1を先に描きa2を後に描く場合(F0224-2-(2))との重複領域の色=透明度は同じになる。
しかしそうなると、透明物体を処理するときには、Zバッファ陰面処理は一切不要になるということだろうか。パイプ状のオブジェクトは、F0224-3に示したように、視点から視えない裏側面(法線ベクトルと視線ベクトルとの内積がマイナス時)は、描画対象から外す予定となっている。したがって近傍における陰面処理は、元々実行されない。

[0223] 回転アルゴリズム14 

February 21 [Tue], 2006, 14:52
厳密に検証すると、F0223-1のaが手前、bが中央、cが背後に位置する三枚のポリゴンを、a→b→cの順で描くとしたときに、通常のZバッファ法による陰面処理しか施さなければ、cの一部はbに隠れ、bの一部はaに隠れる。しかし先述の過去に描いたポリゴンほど透明化する処理を加えるなら、重複領域はどのように処理されるか。

F0223-2の(1)は、手前(a)から順に描画していく行程である。1,2,3は透明度を表しており、結果的にaがもっとも透明になることが判っているので、3の透明度で描画する、次に背後のb(透明度2)を描く。ここで重複する領域は平均値の2.5とすることでよいのか。それでよいとしたとき、最後のcを描画する際、a, b, c3枚とも重なっている領域は、

(1 + (2 + 3) / 2) / 2 = 1.75

となる。ところが逆にc→b→aの順で処理すると、3枚が重複する領域は、

((1
+ 2) / 2 + 3) / 2 = 2.25

となり違ってきてしまう。

だがそもそも、透明度を平均化するなだという発想が間違っているのではないか。透明度0のとき、完全な不透明であり、透明度10のとき完全な不透明であるとしたら、透明度3とは自らの色が3、あらかじめバックに置かれている色が7ということである。