ぼらんてぃあるーる

November 30 [Tue], 2004, 21:55
☆ボランティアルール☆



『ボランティアルール』は良く描けた芝居だったし、恐ろしいくらいタイムリーだった。



それぞれの事情から、震災支援のボランティアに山奥の廃校に駆けつけた若者7人。

おかしな手品師もボランティア志願でやってくる。避難してくる人たちを受け入れる準備をしているのだが・・・。携帯電話の電波が入らず、本部と連絡がつかないという設定。



ダンボールに入っている支援物資を確認しているシーンから始まる。箱を開いてみるとゴミが。

「いるのよね、こういう人が。自分が要らないものを送ってくる人がいるの。自分が要らないものは、他人だって要らないわよね」「想像力がないんですね」などという台詞に、大きく頷く私。他人への想像力を持つのは、本当に難しいのだ。



待てども、やってくるはずの避難者が来ない。「もう帰っていいでしょう。私にはとてもできないってわかったの。ボランティアだもの。お金をもらっているわけでもなし」「そんな無責任な。ボランティアだって、責任というものがあるでしょう」

この葛藤は、最近、毎日私の中で繰り返されている。



水道が壊れ、テントに入れておいたペットボトルの水が何ものかに盗まれる。そこへ怪しい商売人が。ペットボトル1本(500ccと見えた)を2000円で売るという。

「私たちはボランティアですよ。それなのに、そんなに高く売りつけるのですか?」

「私は商売だ。何が悪い」

商売人と対比させることで、「ボランティアとは何か」がさらに突きつけられる。



笑って見ながら、ボランティアについてあれこれ考えさせられた。7人の若者が良く描き分けられ、それを役者たちが生き生きと演じていた。

ベテラン田原雅之と島雅廣がおかしな手品師と商売人を圧倒的な存在感で演じ、物語の幅を広げた。



観客が少なくて、本当にもったいない。多くの人が観てくれるといいのに。学校公演にも適しているのではないだろうか。



出演女優の一人、仲程千秋さんは夫のかつて教えていた学生。その成長ぶりに目を赤くして感動している夫を見るのも、また楽しい。

ああみやこじま その5

November 26 [Fri], 2004, 12:56
☆「ああ、宮古島」その5−旅の終わりに☆



西海岸に、悪名高き廃車の山を目撃。宮古島のゴミ問題は深刻だ。



ホテルから空港へ向かうタクシーで「二泊三日だったら宮古は十分でしょう。何も観るとこないから」と運転手。「砂浜と海で十分です。これ以上のものはいりませんよ。でも、ゴミがちょっとね」「道徳がないから」



前浜にゴミはなかった。東急リゾートがあるせいで、よく手入れされているのだろうか。金をかけなければ、美しさは保てないのか?久松集落の気持ち良さは、それに否と答えているように思う。



気の向くままの一人旅を満喫した。でも、気の合う友と二人旅はもっと楽しい。といっても、残念ながら、自転車で放浪する旅に付き合ってくれそうな友達はいない。夫ぐらいか?彼なら「走っていこう」と言いかねないなあ。



島で出会った三人のように、私もこの島で暮らすときが来るだろうか。それもいいな。



(写真:池間大橋からの海)

ああみやこじま その4

November 26 [Fri], 2004, 12:54
☆「ああ、宮古島」その4:三日目―池間島とタコ☆



最終日は、池間島だけの予定。



9時半ごろ、ホテルを出発。途中、どこで間違えたのか、県道83号線からはずれ、気がついたら太陽が右手にあった。背中になくてはいけないのに。「でも、まあ、広い島でなし、いつかは行きつくだろう」と思ったが、畑のあぜに腰掛けていたふたりのにいにい(おにいさん、といっても私より10歳ぐらい上?おじいと言うべきか)に「この道は池間島に行きますか」と尋ねた。「行こうと思えば行けるよ」ともっともな返事だったが、私の持っている地図を見て、丁寧に現在地と行き方を教えてくれた。「たんでぃがたんでぃ」と礼を言った。やっと宮古口が使えた!



途中、突風に帽子が何度も吹き飛ばされ、とうとう帽子をかぶるのを断念する。



結局、東海岸に出て83号線に合流。大浦入り口からさらに北上する。



池間大橋から観る海の色は、何と言えばいいのだろうか。これと前浜の砂だけで、宮古島は十二分の値打ちがある。何度も立ち止まり、写真を撮る。写真では絶対に表現できないと思いつつ、撮らずにはいられない。



池間島入り口の展望台のある店で、宮古そばとさざえの串焼きを食べる。そばには、らふてぃーと一緒にカツオの煮物が入っていて、またびっくり。まずくはないが、でも、初日の宮古そばのほうがおいしかった。展望台からの景色はすばらしかったが、砂浜に下りてゴミの多さにがっかり。砂は粗く、裸足になるとサンゴや貝の小さなかけらが足裏に痛い。前浜とえらい違いだが、これはこれで、足のつぼを刺激するのか、快い。



あまりの風をさけて、岩陰にすわる。タコ捕りをしているらしい姿が波間にみえる。潜っては浮き上がり、浮き上がっては潜る。しばらく見ていると、漁が終わったらしく、浜へ上がってくる。それを潮に、引き返すことに。



帰りに、製塩工場に立ち寄る。工場の説明をしてくれた高木青年は、大阪出身。2年前、トライアスロンで宮古島をおとずれ、すっかり魅了されてこの島に住むことに決め、1ヶ月前に移住したばかりと言う。「ここで仕事が見つかってよかったですね」「本当にラッキーでした」「宮古島はいつもこんなに風がきついの?」「ええ、昨日私も自転車だったんですが、行きも帰りも向かい風でした。どちらかが追い風だとずいぶん違うんですが」。



製塩工場を出てしばらく行くと、歩く速度かと思われるぐらいゆっくりな自転車にであった。着ているスウェットスーツに見覚えがある。追い抜きざま、後の荷台を見ると、ビニール袋に入ったタコが。



「にいにい(実際はおじいか?真っ黒い顔でよくわからない)、今、池間島でタコ捕ってたでしょう」と声をかけると「池間島はあっち」と顔を後へ向ける。「このタコ捕れたて?」ときくと意味がわからないみたいに首をかしげている。会話不成立。



タコをどこへ持っていくのか興味津々で、あとをつけていこうかと思ったけれど、ストーカーと間違えられたら困ると思って、やめた。



南に向かうと、太陽がまともに顔を照らす。帽子をかぶりたいが、すぐ吹き飛ばされる。高木青年も言っていたが、行きも帰りも向かい風とはこれいかに。

ああみやこじま その3

November 26 [Fri], 2004, 10:12
☆「ああ、宮古島」その3:二日目夜―藤木勇人&下地勇ジョイントライブ☆



その夜は、いよいよお待ちかねのジョイントライブ。

ふたりということは、それぞれの持ち時間は少なくなるわけだが、オープニング、繋ぎ、エンディングに掛け合いがあり、大いに楽しめた。旅先でこんな楽しみがあると、非日常を心から満喫できる。



藤木氏の出し物は、「海人三郎(うみんちゅさんらー)」だった。この演目は、これで3回目ぐらいだろうか。でも、少しずつ違うように思う。



私にはほとんど理解不能の下地氏の宮古口(みゃーくふつ)だが、おばあ(と言うにはまだ若いが)たちにはよくわかるとみえて、歌詞によっては笑い、また泣く。『おばぁ』を周囲のすすり泣きとともに聴きながら、地元ではよりいっそう彼の詞が生きるのだと実感した。



最後は、ふたりの三線(さんしん)で、安里屋ゆんたーを歌った。「なぜこれを選んだかというと、私はこれしか歌えないから」と藤木氏は言ったが「ありえなーい」と心の中でつっこんでいた。ボブ石原と一緒に歌った舞台も観たし、もとはリンケンバンドの一員である。会場も一緒に歌い、大いに盛り上がった。藤木、下地両氏それぞれの歌い方に味があり、「勇の民謡も良いなあ」なんてね。



会場で隣り合わせた女性は、同年輩で、東京から1年ほど前に宮古島に引っ越してきたと言う。ここののんびりした暮らしが合っている。看護士として働きながら、「この歳になって水泳を覚え、シュノーケリングを楽しんでいる」と言っていた。彼女と楽しいライブを喜び合って別れる。



会場を出てみると、両氏がサインをしたり、ファンと写真を撮ったりしている。「ああ、私も」とミーハー魂が頭をもたげ、急いで部屋にカメラを取りに戻る。会場へ戻ってみると、ほとんどの人は退いた後。なんと藤木・下地両氏に囲まれて写真を撮ってもらうことができた。



ああ、満足満足。

ああみやこじま その2

November 26 [Fri], 2004, 10:12
☆「ああ、宮古島」その2:二日目―下地勇氏のふるさと☆



まず、下地勇氏の出身地、久松へ。彼の話から、ど田舎の貧しい漁村を想像していたが、行ってみると大違い。



平良市繁華街から遠くなく、けっしてど田舎ではない。漁村集落を形成していて、赤瓦の昔ながらの家がそこここに残っている。汚い市街地とは違い、こじんまりした中にも美しく、気持ち豊かな暮らしぶりがうかがわれる。久松漁港から、砂浜の方へ行ってみる。とにかく、海の色が美しい。目前のパナリ(小さな島)まで歩いていけそうな遠浅の海に見える。実際は、かなりの距離があって、深いところもあるのだろう。休日だが、子どもたちの姿は見えない。



パナリへ渡って、友だちと暗くなるまで海で遊んだ勇少年。底の見える美しい海を見ながら、「こんな美しいところで育ったから、あんなにまっすぐで心豊かな青年に成ったのだ」と、納得する。



次は前浜へ。その砂の美しさに、感動! パウダーサンドとでも言うのだろうか。



来間島大橋を渡る。来間島の展望台から見た前浜と海の色のコントラストが美しい。だけど風が強くて、展望台に長く留まっていられなかった。展望台の入り口に来間島憲法が掲げられていた。島民と来訪者に島をきれいにすることを呼びかけている。



島の入り口で声をかけてくれたので、『てんとむし』で昼食。テントの喫茶店といったところだろうか。ここは突風ではなく、気持ちよく風に吹かれながらカレーライスを食べた。店主の女性は、3年前、子どもふたりを連れて、関東からこちらへ引っ越してきたと言う。宮古島の魅力に話が弾む。



帰りの橋の上は風がきつく、自転車をこぐのに苦労する。



ドイツ文化村に向かう途中、雨にあう。神社や農機具倉庫のようなところで時々雨宿りしながら、たどりついた時には、雨は止んでいた。11月下旬に雨に降られて寒くないのがありがたい。



宮古島にドイツ文化村という発想は面白いが、何か中途半端な感じだった。建物が明らかにコンクリート造りなところに、こだわりが感じられない。テラスのベンチに座って、前浜から見た来間島のスケッチを描く。運悪く郵便自動車が行ってしまった後だったが、スケッチに切手を貼って、夫宛に投函。彼は休日の今日も仕事をすると言っていた。



あとは一路、ホテルを目指したが、途中一度道を間違えて、反対方向へかなり走ってしまった。



昨日入った居酒屋の隣の居酒屋に入る。お勧めのマグロの刺身にチキナーの白和え、カツオ腹皮のシソてんぷらを注文。カツオ腹皮のてんぷらは抜群においしかった。チキナーの白和えは目からウロコだった。私にとって、白和えは結構下ごしらえの面倒な一品である。ところがこれは、青菜の塩もみをほぐした島豆腐と和えただけ。鰹節がふりかけてある。このシンプルさがおいしい。我が家定番の一品になりそうだ。



(写真上:久松中学校 中:パナリ 下:前浜から来間島を見る)

ああみやこじま その1

November 26 [Fri], 2004, 10:06
☆「ああ、宮古島」その1:一日目―文化の違い?☆



宮古島へ行くことを思い立ったのは、藤木勇人&下地勇ジョイントライブを知ったからだった。下地勇氏はもちろん、藤木勇人氏も沖縄での西日本心理劇学会で彼の一人芝居を観て以来のファンである。



那覇空港から宮古島空港までは、あっという間のフライトだった。昼過ぎ、ホテルに到着。チェックインにはまだ早かったが、しばらく待った後、部屋へ入れてくれた。9階。広々としたツインの部屋。二面に大きな窓。目前が平良港。しばらく景色に見とれる。



早速自転車を借りて、まず平良市内の史跡めぐりに出かける。これは実のところ、がっかりだった。多くの史跡が、台風対策のためと思うが、コンクリートで固めてあるのは興醒めだった。それ以上にガッカリしたのは、ゴミが散らばっていて、これらの史跡やその周辺が土地の人に愛されているとは思えなかったこと。ただ、標識は良く行き届いていた。行政としては、観光名所にしたいのだろう。住民の意識と行政がかみあっていないのだろうか。



めぐり終えて、平良市内一の繁華街へ。レストランに入って宮古そばを食べる。レストランと居酒屋が同居しているような奇妙な内装で、お世辞にもセンスが良いとは言えないが、宮古そばは抜群においしかった。



次に砂山ビーチを目指す。小さな砂山を登ると、目前に門のようにそびえるさんご礁の岩と美しい海が飛び込んできた。思わず裸足になって海に入る。気持ちいい。持ってきたお絵かきセットを取り出して、スケッチをする。風が強いので、色を塗るのは断念。



ホテルに戻って、絵を仕上げてから、平良港に面した居酒屋へ夕食に。時間が早いのか誰も客は居ない。グルクンから揚げ、刺身の盛り合わせ、もずく酢、茶碗蒸し。茶碗蒸しの具にカツオが入っていたのには驚き。宮古島はカツオの島らしい。



端のテーブルに座っていると「こっちへ来て、テレビ見なさい」と言ったのは、ここの女将だろうか。余計なお世話と思ったが、新潟県中越地震のことを報道していたので、真ん中のテーブルに移動。こんどは15名の予約が入ったからと「こっちのテーブルに来なさい」と最初とは反対の端のテーブルに移された。客に移動してもらうのに「来なさい」はないものだ。



旅に出ると、こんなちょっとしたことに、自分の文化が世界のどこでも通用するものでないことを実感させられる。

へりこぷたーついらく

November 09 [Tue], 2004, 18:20
☆ヘリコプター墜落☆



イチローが1シーズン262安打の偉業をなしとげた。すごい!と思う。

毎日毎日、カウントダウンが報道された。野球に関心のない私も毎日新聞で前日の成績を確認していた。



8月13日沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが落ちた。

誰も死ななかったのが、奇跡としか言いようのない事故だった。

なのに日本の警察は捜査すらできず、大学の自治も無視された。

沖縄以外ではもうほとんど報道されない。



なぜ毎日毎日報道できないのか?命に関わることなのに。



(写真)上:ヘリコプターの爪跡くっきりの校舎 下:熱で溶けてしまったアルミ製掲示板

プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:shisa
読者になる
2004年11月
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新コメント
Yapme!一覧
読者になる