今日9月22日はドンの命日です。
八年前の今日、虹の橋に行きました。
15歳と半年・・・いつも私たちに安らぎをくれたドン
おとうちゃんが、当時担当していたクラスで
『犬がほしい』といった一言にボクん家いるよ

猟で活躍してたポンターとポンターmixの子

最初、その子一家が連れてきた時は
よちよち歩きの時

8匹生まれて、1匹だけの男の子
でも、ポインターの象徴のような両目の周りの黒い色が
かたっぽだけ

でも、そこが気に入ってしまって、
その子のお母さんからは『本当にいいんですか?』と
そして、5月25日にやってきたドン
可愛くって、いっつも抱っこしてた

それから始まる私のワンコ生活
フィラリアの薬もまだ出始めて
クッキーみたいな薬を毎日食べさせてたよなぁ〜
一緒に笑ってた
すべてドン中心に


ドンの母犬のモカちゃんと

でも、姑との同居がはじまり、
それまで家でしてた塾もアパートを借りてやるように・・・
私は昼間いないようになり、
週二回、バレーボールの練習に参加するようになり。。。
父が死んでから、父が教えてた中学生を
私が夜、週に2回教えるように。
こうなるとドンはお留守番ばっかり・・・
散歩の時間と私が夜いるときの時間が甘えの時
私は姑の事やほかの人間関係で私のことでいっぱいに。。
この頃のドンには我慢をいっぱいさせてた
そんな中、12歳の時、
ドンの背中にこぶし大のふくらみを見つけ、
それまでの病院に少し不信感をもっていたので、
紹介してもらった今の病院に。
山大の家畜病院で精密検査もして、
すごく特殊な皮下腺腫瘍と脂肪腫
かかりつけの病院で無事に手術を終え、
ドンも必死で頑張ってくて、元気なってくれた
術後、私のトレーナーで作った初お洋服を着たドン
なのに、私がうつ病になって、
睡眠障害で途中覚醒になって夜中から起き出すと
いっつも私の側から離れなかった・・・
寄り添っていてくれた。。。
そして、私を守ってくれた。
私はドンと自分のために生きようと決め、
翌年の3月にお父ちゃんが教育委員会に入ったのを機に
新しい生徒募集をやめて、
小学生は他の塾に入ってもらい、
残った中学生5人を家でみることに。
今までの時間を取り返すように、いつも一緒
1999年の9月15日
敬老の日で姑と母を呼び 食事会を開き
ドンも一緒にと、連れこようとしたら
立てなかった・・・
どうしたのか、私には理解できなかった
私は寝たきりになって、介護のことをしらべなきゃ!
と思い、不安はまだなかった
次の日の9月16日
病院に行くと、すぐに心電図を調べることに
もう最悪の結果が・・・
少し腹水もたまってた
先生は私を気遣いながらも
先は短いことを言われた。
でも、目の前の立てなくても
目がキラキラとしてるドンを見ると
どうしても『治療』を!思ってしまう私
そんな様子を見た先生は
できるだけのことはしましょうと言ってくださり、
毎日通院することに・・・
帰ってから、大好きなレバーとご飯を炊いたものを
ペロリと平らげ
食べてる姿の嬉しいこと
9月17日もまだ食べることができ
お水もよくのみ、おしっこも支えれば自分でできた
食欲も旺盛で昨日よりもたくさん食べた
もしかしたら、大丈夫かも!と思う位に
でも、それが最後だった・・・
次の日の9月18日から食べたものは全部戻し始めた
おしっこも寝ながらに
この時期に先生が、
あまり苦しむようなら
楽にしてやる事も選択肢の一部にあると・・・・
9月19日・・・水を飲んでも戻すようになる
かえって苦しめることになるので口の中を拭いてやるだけに
この日、お父ちゃんの安楽死の選択という事について話し合う
でも、結論は出ず
ただ、二人の胸の中には
苦しむようならそれも考えねばと覚悟してた
9月20日・・・ずっと側にいるだけ、何もせず、
ずーーとドンの顔を見てた穏やかな時間が過ぎてた
何も食べない・・・何も飲まない・・・ おしっこもでなくなった
ただ、私の側にいて息をしてくれてる
それだけで、幸せな時間
9月21日・・・朝
おとうちゃんが仕事に行こうとした時、
ドンが出ない声を振り絞って・・・声にならない声で
お父ちゃんを呼んだ
飛んできたおとうちゃんに最後のいってらっしゃい
もう死がすぐ近くに来たことがわかった
9月22日・・・午前3時
今まで出なかったおしっこが大量に出た。
それから、ドンの息が荒くなってきて
夜が明ける頃には、苦しみだした・・・・・
そんな様子を見て、病院に電話しよう!
もうドンを楽にしてやりたいと。。。
おとうちゃんも同じ考えで最後の別れを
朝一番で病院に電話をして、安楽死を。。。。。
病院の先生や看護婦さんにも辛い思いをさせてしまった
安楽死については色々な考えがあることは承知してます。
私はこれ以上ドンを苦しめたくなかった。
この苦しさを我慢したら、また元気になるなら
一緒に頑張ります。
最初に病院に行かなかったら
もっと早く死んでいたとおもいます。
それを私の勝手でドンの生命を延ばしたのです。
その分、ドンの苦しむ時間が長くなったのかもしれまん
最後まで苦しめさせたくなかった・・
旅立つ時は痛みや苦しみから解放され、
穏やかに・・・ただ穏やかに旅立って欲しかった
それが私がドンにしてあげる
最後のことのようにしか考えられなかったのです。
ドンの息を引き取った後の顔は優しい顔をしてました。
雨の中、まだ温かいドンを連れて帰りました。
いつの間にか夕方になったので
食事の用意のため台所に立つと
ドンの元気に歩き回る足音がはっきりと聞こえました。
この時の嬉しさ!
痛みや苦しはもうないね! とホッとしました。
ドンが死んだ後、すべてが消え去り
指の間を流れ落ちる砂のように
何もかもなくなった悲しみのみに包まれた。
それが違うと気づいたのは、一年が過ぎようとした頃、
私の生活そのものがドンで
私の中にも、回りにもドンがいる。
確然としたドンの存在が自然とある。。。
これは新しく迎えたゴンとの生活の中でも、
切っても切れない繋がりを感じることが出来た。
この安堵感・・・しっかりと前を向かせてくれた。
ドン君、ありがとう〜
我が家の長男としてめぐり合えたことは
いまでも、私の大切な宝物だよ。
これからもゴンとブンとあんじゅを守ってね!
虹の橋まで迎えに行くまで、お友達と仲良く遊んでてね!

それから、不思議な事があってゴンに続き、
ドンとブンの不思議な繋がり
そして、あんじゅとドンの、これまた不思議な繋がり・・・
これは明日までお待ちください。
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4匹いて末っ子として引き取りました。
アーもう駄目今仕事の昼休み中、そっとのぞいてみると 若かりし頃のmyニックネームと同じドンちゃんの物語
でも続きぜーんぶ読んでしまった。すばらしい、とにかくしのちゃん夫婦はすばらしい
これからもづーッと仲良くしていきたい大切なわんこうファミリーだ


