その後 

February 08 [Wed], 2006, 23:30

出勤前、母から電話。
父は生きる気力を失いかけているらしい。
『こんな事までして生きていていいのかな。』

生きてくれなきゃ困りますっ!!

職場で昼休みを取っているとまた母からの電話。

父のICDがまた作動したとの事。今度は3回。今まで最多の作動です。
母が面会中に、突然『夜になると混むからシャワーを浴びてくる』と言い出して
シャワーを浴びに行った時の出来事だったらしい。

CCUのベッドが満員だったため、ナースステーション脇の個室に移動。

電話の母の声は、なんとも普通で笑い飛ばすくらいの勢い。
逆に切ない。空元気??電話を切った後、泣きそう泣きそう・・・

仕事に戻ったものの、先輩たちの顔を見たら涙が止まらなくなり、
みんなの温かい言葉に励まされた。早退して帰省する事に。

『会社の仕事は誰でも出来るけど、お父さんの事はあなたしか出来ないのよ』

これから何年もこんな事を繰り返すかも知れない。
だから職場に迷惑をかけたくなかった。でも、気持ちの整理が付かない。

母も『本当に危なかったら、先生は言ってくれるから大丈夫』そぉ言ってたけど、
父が死んでしまうかも知れない事を考えると不安、寂しい、辛い。

10日の手術は予定通り実施するとの事。

その後・・・ 

February 07 [Tue], 2006, 22:15

母からの報告。

父は携帯が手元にあるものの、メールをチェックしたりする気力は無いらしい。
実際、アタシがメールを入れても全く返信されないし。
まぁ、病院の規則を守っているといえばそれまでなんだけど、
今までの父ならば、間違いなく携帯メールくらいは欠かさなかったし。

やっぱり弱ってる??

『人は俺の事を死に損ないって言うだろうな・・・。』

そんな事を口にしたらしい。

誰も言ってません!!少なくても家族みんなは
お父さんに死なれたら困るんだから!!

カテーテルアブレーション 

February 02 [Thu], 2006, 22:25

母が先生と面談しました。

10日(金)の午後から、カテーテルを入れて患部の悪性不整脈を焼き切る
手術をすることになったとの事。カテーテルアブレーションという手術。

アタシがネットで調べる限り、成功率も高いし、心配は無さそう。
ただ、今の父の心臓は思っている以上に弱っていて成功率は50%

50%って・・・微妙だけど、手術をする事に決めたそうです。

成功すれば、今までみたいに頻繁な不整脈は起きなくなり、
ICDが作動する事も減るらしいです。
失敗した場合でも、即死というわけではないけど、リスクは伴う。

何はともあれ成功を祈るのみ。

父の入院 4日目 

January 28 [Sat], 2006, 20:40

今日から母は1泊で東京へ試験を受けに。
アタシも横浜の自宅へ帰る事に。本当に帰って大丈夫かな;;

新幹線までの時間、父と一緒にいるため病院へ。
叔父と叔母もお見舞いに来ていた。ベッドを離れ休憩室でおしゃべり。
移動しても全然大丈夫みたい。朝も、洗面で歯磨き洗顔をしたらしい。
でも、ずっと立ってると疲れるらしく、椅子に座りながらだったと。

叔父叔母が帰ってからも1時間半くらい母と3人でベッドに戻って
おしゃべりしたり、デジカメで写真撮影したり、持ってきたPCを繋いだり。

しばらく話していると、看護婦さんが血圧と体温を測りにきて、
最後まで残っていた点滴を外した。ヨカッタぁ。

わりと元気だから、母が戻る明日の夜までは大丈夫そう。

アタシが次に帰ってくる時はおウチにいてね。


父の入院 3日目 

January 27 [Fri], 2006, 17:30

13:00 午後の面会に母と。
ナースステーションで面会依頼をすると、大部屋に移ったとの事。
念願の大部屋に父自身も喜んでいる。トイレまでならば移動可。

葬式の話を笑い話に出来るくらい元気。
退屈になってきたのか、携帯とパソコンを持ってきて欲しいと言い出す。
携帯は心臓から22cm離せば使用可能。でも、院内は禁止だから、
持ってきてもあんまり意味ないんじゃない??

そぉいえば、イチバン最初の入院の時、横浜へ戻ったアタシに
病室のベッドから撮った写メ送ってきたコトがあったっけ。
病院の規則は守らないと追い出されちゃうよぉ。

テレビカードを買ってあげたので、今夜からは退屈しないはず。


父の入院・・・2日目@ 

January 26 [Thu], 2006, 20:50

13:00〜の面会に合わせて弟と一緒にお見舞いに。
相変わらずCCUのベッドの上デス。昨日よりは元気そうな父。
絶対安静状態にいい加減退屈しているのではないかと思ったけど、
CCUは昼間、ラジオ?有線?が入っているので、退屈ではないと。
今までの父ならとっくに退屈してるはずだから、やっぱり弱ってるんだね。。

ポップスターや、青春アミーゴが陽気に流れる病室。ちょっといいかも。

食事はご飯を半分ほど残したらしい。
本人いわく、『動かないから腹も減らない』とのコト。ホントにそぉか??
だんだん食欲も無くなっているのではないかと非常に心配。

ベッドの背もたれを起こしておしゃべりしてたんだけど、弟が適当なところで
勝手に角度を止めちゃったもんだから、座ってても楽でない様子。

弟よ、無口なのは構わないが普通は病人に『これくらいで良い??』と
声をかけてからハンドルを回すのを止めるもんだと思うぞ。

背もたれを再度調整して、座りなおしたところで脈が100を超えた。
少し経ったらまた戻って一安心。

1時間くらいおしゃべりしてたけど、気にするのは母のコトと家の食事のコト。
『帰りに大漁寿司で3000円の寿司を買って、夕食に食べるといい。』
しつこいほどそぉ言ってたけど、それは父が退院してから一緒に食べよ。


父の入院・・・2日目A 

January 26 [Thu], 2006, 20:50
18:30 夜勤明けの母と一緒に本日二度目のお見舞いへ。
1日半ぶりに母との再会出来てとっても嬉しそう。

看護婦さんにクロスワード雑誌とえんぴつをもらったようで、
パズルを楽しんでいたらしい。久しぶりにペンを持ったせいか、
父にしては文字が雑に感じた。頭も使わないと、記憶力低下しちゃうし、
ちょうど良いのかもねぇ。新聞ももらったけど、読むと疲れるらしく消極的。

指には酸素濃度を測る機械が付いているけど、時々外したり、
アタシや母の指に付けて、遊んでみたり。(注 ホントは絶対ダメな行為です。)

CCUに飽きたらしく、看護婦さんに『そろそろ大部屋に移ってもいいんじゃないか』と
余計な忠告をしたらしい。それは先生が決めるコトなので、口出ししないように。

2時間ほどおしゃべりして病室を後に。

父が入院シマシタ。 

January 25 [Wed], 2006, 22:30

深夜に父のICDが作動し、緊急入院。
幸い意識があったため、母の運転する車で救急外来へ向かったとのコト。
朝、母から電話があり入院の知らせを聞き急いで帰省しました。
CCUのベッドに寝かされている父はいつもよりちょっと元気が無い程度。
病院到着直後は酸素マスクと鼻に2本の管を通されていたそうだけど、
アタシが面会に行った午後にはマスクも管も外され、数種類の点滴をしているだけ。
絶対安静状態ではあるものの、ベッドの背もたれを起こしておしゃべり出来た。
テーブルには水分量チェックの表が貼ってあり今回は800ml制限。
夕食からは食事も出るようで、お粥かご飯どっちが良いか看護士さんに聞かれた。
ちょっと体制を変えるだけで心拍が100近くまで上がってしまうみたい。
安静時は64〜67くらいで落ち着いてるんだけどね。
2時間くらいイロイロおしゃべりして、父も冗談言ったりする余裕もあったので
安心したところでバイバイして、実家へ帰宅。
しばらくの間、実家に泊まって毎日面会に行くつもり。

父の病気 過去の記録A 

January 01 [Sun], 2006, 0:01
2003年秋■ストレス発散のため、家族に隠れ喫煙とダイスキな温泉に入浴。
        米を運んだり、少々の重労働もした後、体調不良を訴えS病院の外来へ。
        同病院では手に負えず、県内の循環器治療の最高峰T病院へ
        救急車にて転院。緊急入院。
        数週間の入院でICDの埋め込み治療を進められ、当初は拒否していた父も
        観念して同意書にサイン。カテーテル検査等を経てICD埋め込み。
        ICDの映った胸部レントゲンをスキャナで取り込み愛用のPCのスクリーンセーバーに
        してみたり、病人を自分なりに楽しんでいる様子。
        自動車運転の禁止、障害者認定1級を受け、障害者手帳の交付。
   
        不整脈によりICDの作動があり、短期間の入院が数回。
        飲酒を止める気配は無し。
    〜   以前はウィスキー・日本酒・ビール等酒豪だったものの、
        焼酎やウーロンハイに変えたらしい。

2005年秋■アタシの暮らす横浜へ母と一緒に遊びに。
        疲れやすいため、無理な観光は避け、食事をしたりゆっくり過ごす。
        ビールは少々飲むものの食事は以前に比べると少食になった。

父の病気 過去の記録 

January 01 [Sun], 2006, 0:00

はぢめに・・・
2006年1月 父の病気に真剣に考えるようになりネットでイロイロ調べました。
検索サイトを通して闘病記録の綴ってあるサイトを巡っているうちに気づいたんです。
記録が途中で途絶えてしまっているコトに。事情はイロイロだと思いますが、
なるべく長い間、そして最後まで良い形で記録を残していこうと思い
Heart+Plusをはぢめました。
アタシは父と離れて暮らしているため、詳しいコトまでは記録しきれなくて、
今までの記憶も曖昧ではあるのですが、出来る限り詳細状況を報告していきたいと思います。

お酒もタバコも美味しい物も大好きで、晩酌は毎日、タバコは1日2箱。
病気の予兆というか、薬を飲みはぢめたのは10年くらい前からだったと思います。
その頃は誰も事の重大さに気づかず、通院もしたりしなかったり、処方された薬も
飲んだり飲まなかったり。今までと何も変わらない生活。

2002年秋■具合が悪そうだった事を指摘され病院へ行くように促され
        本人も多少辛かったようで外来で受診。
        地元のS病院へ緊急入院。主治医より長くて5年と余命宣告され、
        母から泣きながら電話が。至急地元へ帰省。
        入院中も食事の味が薄い事や退屈さにイライラし、まだ大丈夫だと言い張る。
        2週間程の入院後、月に一度の通院と毎日の薬物投与での治療開始。
        薬を飲んだり飲まなかったり、飲むときに水ではなく酒で流し込むコトも。
        タバコは止めたらしい。


P R
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