四角都留造の場合  シーン10 

2007年05月24日(木) 0時56分
徳井がゆっくりと話し始める。

「自分ひとりで決めるのが怖くて仕方がない。だから、誰かに同意してもらいたい。それはいい考えだ、と賛成してもらいたい。明るい声でGOサインを出してもらいたい。そういうことだ。人間なんて、そんなものだよ。これが、営業で修羅場を潜り抜けてきた俺が悟った悲しき結論だ。悪いが四角。お前さんもそうだ」

「……と、と、徳井……あんたって……」

「勘違いするなよ。別にそれが悪いってわけじゃないんだ。さあ、四角。お前さんの決心を聞かせてもらおうじゃないか。俺の意見はそれからだ」

「……ああ、わかった」
都留造は目を閉じ、大きく息を吸った。アゴの先端から、汗が滴り落ちた。
「わかった。徳井、聞いてくれ。実は俺」

 都留造が手の甲で額の汗を拭った。

「実は俺、なぁ〜んにも考えてないんだ。悪いけど。たぶん、お前の言うところの『天然記念物的少数派』ってやつかも。そうかも。あはははは」

「……なんだ、そうだったのね。都留造ちゃんてば、『天然記念物的少数派』だったのね。あっははははは」

 誰もいない営業部の部屋に、しばらく和やかな二人の笑いが響いた。

 しかし、徳井の目に、なぜかうっすらと光るものが浮かんでいることに、都留造は気づいていないようだった。


     (第1部 了)


本日のポイント:人の心ほど不可解なものはないかも……。
          走りすぎには、くれぐれもご用心を。


☆★☆今回のシーン10にて、『基本問題1:四角都留造の場合』の第1部を
     終了します。

     なお、第2部の開始時期は未定です。今まで読んでいただけた方々、
     どうもありがとうございました。

     では、またお会いしましょう!(Thanks So!)

四角都留造の場合  シーン9 

2007年01月28日(日) 3時50分
「四角、ぶっちゃけた話、どうなんだよ」徳井が椅子に座り直した。じっと都留造の目を見つめる。「資格を取って独立、なんて大それたことを言うということは、だ。一応、それらしいメドはつけてんだろ?」

「ううむ、さすがだ」都留造がうなった。椅子に座ったまま、姿勢を正す。「だてに『営業の鬼』の名を欲しいままにしていないな。お前は営業一本で生きていけるタイプだ」

「ふふ。俺にはこの道しかないからな。相手の心理状態を把握できる能力は、営業の大きな武器になるのさ」徳井がアゴをなでながらニヤリと笑った。「別にうぬぼれるわけじゃないが、まあ、たいていの人間の心理なら見抜ける自信がある。ましてやお前と俺の仲だ。お前の心理状態ごとき、手に取るようにわかるぜ。お茶の子さいさいだ。お茶漬けは永谷園だ。あ、お茶漬けには梅を入れてくれ。大好物なんだ」

「ううむ、さすがだ」都留造が再びうなった。尊敬の眼差しを徳井に送る。「だてに『お茶漬けの鬼』の名を欲しいままにしていないな。お前はお茶漬けのみで生きていけるタイプだ。安上がりなタイプだ。今どき貴重な人間だ」

「……ま、とにかくだ」咳払いしながら、徳井は話を進めた。「四角、お前さんの気持ちはわかっているよ。本当は相談じゃなくて、あらかじめ用意してきた答えがあるんだろ? 自分の希望を俺に聞いてもらって、同意を求めたいんだろ?」

「な!……と、徳井、お、お前ってやつはいったい」都留造が目を見張った。その目は驚愕のためにますます開かれた。「いったい、何物なんだ……お茶漬けマンか?」

「……相談のある人間ってやつは、たいていそうなんだ」都留造のリアクションを無視したまま、徳井は続ける。「別に相談して自分の進むべき道を示してほしい、なんて思っているやつは『天然記念物的少数派』に過ぎん。ほとんどの人間が、実はすでに自分の希望する方向を決めていて、それに同意をしてもらいたいんだ。誰かに背中を押してもらいたいんだよ」

 徳井は、そこでいったん言葉を切った。じっと都留造の目を見つめる。まるで目の奥底の見てはならないものまでも見透かすように。

 都留造はぽっかりと口を開けたまま、まるで阿呆のように徳井に見入っていた。まるで蛇に射竦められた蛙のように。

   (続く)

本日のポイント : 「士業」は営業力もポイントです。身近にプロがいるなら
           技術を学び(盗み)ましょう。

四角都留造の場合  シーン8 

2007年01月28日(日) 3時43分
「ま、冗談はそのくらいにしておこう」徳井が咳払いをして、椅子に座りなおした。だが、なぜか非常に残念な表情をしていた。
「要するに、だ。四角、お前さんは、いわゆる『士業』と言われている独立系の資格を取得して、心機一転、この不景気で先行きの暗い世の中に飛び込もうと思っているわけだな」

「まあ、な。別に先行きが暗いとは思ってないけど。とにかくそういうことなんだ」都留造が微笑んだ。やっと自分の思うところが通じたせいか、安堵のため息をつく。

 それに反して、徳井の表情は険しい。
「そうか、やっぱりな。お前さんがここへ来た時から、その気持ちは読めていたよ。見事、独立を果たして、このドス黒くて反吐が出るような社会、一人抜け出ようとする人間は徹底的に叩き潰そうとする社会、もはやどんなに実力があろうとも一匹狼では生きていけない世の中、星の数ほど独立者がいる中で、成功する人間はほんの一握りで、落ちこぼれた人間は家族を抱え路頭に迷い、毎日、怨念と後悔の念で泣き叫び、のた打ち回るしかない世の中に、あえて自分をさらそうと思っていることはね。四角よ。お前さん、『お百度参り』って言葉、知ってるかい? なんなら今のうちに、やり方を教えておこうか? いざやるとなると大変だぜ」

「……徳井……あんた、よっぽど苦労してきたんだなあ。聞いているだけで泣きたくなるよ」都留造は天井を見上げた。
「とにかくだ。10年間、俺はこの会社で頑張ってきたけれど、その結果が今回の人事異動とはあまりにも寂しい。寂しすぎる。今回のことで、やっとわかったよ。この会社で生き抜いていけるヤツっていうのは、単なる努力家じゃない。ゴマすり人間でもない。確固たる実力と自身を持っているヤツらなんだ。その証拠は、今回の昇任によく表れているだろう。昇任したヤツらは、ほとんど全員、会計や法律に詳しい実力者なんだよ。しかも、それぞれがなんらかの資格を取得して武装している。つまり、いざ会社を放り出されても、自分で食っていける人間ばかりなんだ。得てして、そういう人間に限って、会社からは大事に扱われ、どんどん重要なポストに就いていく。逆に、俺のように会社を放り出されたら生きていく術がない人間、会社にしがみついていかなきゃどうしようもない人間を、会社は切りたがっているんだ。そう思うだろ?」

「……ふうん」徳井は片方の眉をわずかに上げて答えた。さっきまでの熱弁は嘘のように静まり、打って変わって今度は聞き役に回っている。

 逆に、都留造のほうが、次第にヒートアップしてきた。
「まったく、『使われる』って身分は、こんなに悲しいものなのかと、今さらながらに思い知ったよ。対外的には、『我が社はESについて真剣に取り組んでいる、人に優しい企業です』と豪語し、いい顔を取り繕う。ところが内情はどうだ。ゲームの世界のようにバッタバッタと切りまくる。はっ。何が人に優しいだ。まったくお笑い種だよ」

 都留造が肩で息をしている。彼にしては珍しくエキサイトしていた。

 徳井は頬をポリポリかきながら苦笑した。
「ま、それだけじゃないけどな、会社って組織は。そんなに単純なものじゃないよ。まあ、そんなことをここで議論してもしょうがない。とにかく、お前さんの気持ちはよくわかったよ。その決心も固いこともな。じゃあひとつ、前向きに考えてみるとしますか」

   (続く)

本日のポイント : 冷静さを失うと、進むべき正しい道が見えないことにもなり
            かねません。自分自身との会話を大切にしましょう。

四角都留造の場合  シーン 7 

2006年10月23日(月) 20時25分
「……本題に入ろう」都留造は近くの椅子を引き寄せて座った。「これ、まだ他のヤツには内緒なんだけど……俺、資格を取って独立しようかと思うんだ」

「独立? お前、それってもしかして」徳井が魚のように丸い目をして都留造を見つめた。「会社を辞めるってことか?」

「ああ。そういうことになるかな。俺さ、今まで会社のために忠実に働いてきて、会社も俺のことを信頼してくれていたと信じていたんだ。でも、それは俺の幻想だってことがよくわかったよ。馬鹿正直な俺を、会社はうまく使っていただけだったってことがよくわかったんだ」
 都留造は下を向いた。椅子の座面が破れているのが目に入った。中綿がこぼれかけており、都留造の惨めな姿を映し出しているかのようだった。
「なんかここにきて目が覚めた、って感じだ。今回の人事異動で、そのことがよくわかったよ。まったく、いい年こいて世間知らずのお坊ちゃまだったってことさ」

「どうでもいいけど、四角」徳井が眉をしかめながら椅子に座った。いつのまにか右足の靴下を履いていた。「椅子の中綿をほじくり出すのはやめてくれないか。後の掃除が大変なんだよ……ま、そういうことだったのか。なんだ、もっとはやく相談にくればよかったのに。悩みを自分ひとりで抱え込んでいるのは、お前の悪いクセだぜ。なかなか直らないなあ。俺の水虫といい勝負だ」

「……俺は水虫と同レベルか……」都留造ががっくりと肩を落とした。「ま、それはおいといて……話を戻すけど、徳井、お前が資格のプロだってことがわかってほっとしたよ。相談に来た甲斐があったってもんだ。実は、俺が知りたいのは、何の資格を狙ったらいいか、ってことなんだ。徳井、俺って、お前から見て、どんな資格が合っていると思う? 自分ではよくわからないから、客観的に判断してほしいんだ」

「お前に向いてる資格? なるほど、そういうことか。つまりは適職を助言してほしい、ってことか」徳井が水虫の薬のフタを閉めながらうなずいた。手に付着していた薬の残りを上着の袖にこすり付けて拭った。「四角よ、ここは焦っちゃいかんぜ。こういうことは一生に係ってくる問題だ。慎重にことを運ばないといけない。とは言っても、要はお前の得意分野や性格から判断するのが確実なやり方なんだけどな。ときに四角。お前、泳ぎは得意か?」

「は? 泳ぎ?」予想もしなかったワードに、都留造が首を傾げた。「泳ぎって……そりゃまあ、普通程度には泳げるけど。でも、それがどうかしたのか?」

「そうか、泳ぎ、得意か。そりゃあよかった」徳井がポンと手を打った。「四角、喜べ。いい職業があるぞ。海士さんだ。海にもぐって魚や海藻を採る仕事だ。なんなら、ウチのばあちゃんを紹介するぞ。瀬戸内海の田舎に住んでいるんだが、万年人手不足で悩んでいるらしい。お前のような若者が来たら、ばあちゃん、泣いて喜ぶなあ。俺も人助けができて、泣くほどうれしいなあ。よかったよかった」

「……あのね徳井」都留造がぽつりとつぶやく。「ふたつ、質問があるんだけど、答えてくれるか? 一つ目は、俺の得意分野や性格から、どうやったら海士さんが出てくるんだってこと。二つ目は、お前、手についた薬、いつも服にこすり付けるのか?」


     ( 続 く )


本日のポイント : 自分に向いている資格って、案外、他人のほうがズバリ言い
           当ててくる場合もあります。耳を傾けてみるのもいいかも
           しれません。


        注:上記のような特殊なケースは除く(汗)

四角都留造の場合  シーン 6 

2006年10月07日(土) 3時07分
 営業部の部屋に入った都留造は、首を傾げた。珍しく誰もいなかったからである。お目当ての徳井の姿も見えなかった。

 いつもなら、他の者が営業に出払った後でさえも、徳井だけは残っているはずだった。彼はいつも最後に営業に出ることにしているのだ。
 なぜならば、徳井は誰もいなくなってから、水虫の薬を右足に塗布するからである。営業に出てしこたま歩くと、水虫が暴れ出してたまらないらしく、徳井は事前に薬を塗って痒みを予防しておくのである。

 誰にもばれていない行動だった。プライドの高い徳井にとって、この作業はトップシークレットだった。

「おかしいな。徳井がいないぞ」徳井のデスクに目をやりながら、都留造はつぶやいた。「例の薬を持ってくるのを忘れたのかな」

「忘れるわけがないじゃないか」ロッカーの中から声がした。同時に扉が開き、徳井が出てきた。右足だけ裸足だった。
「水虫治療薬の塗布は俺の日課だ。儀式だ。ライフワークだ。それでいて、密やかでささやかな楽しみなんだ。誰にも邪魔はさせない」

「徳井! な、なんでそんなところに……」都留造はのけぞった。「引きこもりの練習でもしていたのか?」

「いや、まだ引きこもりたくはないな。華やかな世界が俺には似合ってるもんでね。っていうか、儀式、つまり、薬を塗っていたら足音が聞こえたものでね。まさかお前とは思わないから、急いで隠れたってわけさ」
 そう言いながら、徳井は水虫の薬を掲げた。
「ささ、遠慮はいらん。もっとこっちへこいよ。薬を塗るテクニックを教えてやる。自慢じゃないが、俺のテクは相当、年季が入ってるぜ。そんじょそこらのヤツには負けん。さあ、もっとこっちへこないとよく見えないぞ。さあ」

「い、いや別に……見たくないっていうか、ズバリ近寄りたくないんだけど……あ、いやその、なんでもない。独り言だ」
 都留造は咳払いをしながら続けた。
「ところで徳井。おたく、『資格』について詳しいかい? もし詳しければ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「シカク? シカクって、お前の名前の四角か? それとも死角を衝くっていうやつか? いや、案外、視覚ってことが言いたいのかもしれないな。お前最近、視力が落ちたって言っていたし。あ、まさか、刺客ってことはないだろう? もしかしてそうなのか? お前まさか、誰かを殺したいのか? 殺したいほど憎んでいるヤツがいるのか? とんでもないことになる前に、俺に相談しろよ」

「……相談したくなくなるようなヤツだな、お前って」都留造はため息をついた。「資格試験の資格、だよ。ほら、税理士とか行政書士とかの。もういいよ、俺、帰る」

「待て待て待て待て」
 徳井がすばやく俺の行方をさえぎった。
「わかっていたさ、100%きっちりとピュアに。さっきのは、もちろん冗談さ。サクッとした冗談だよ。つまり、アレだろ? 資格、だろう? 完璧に徹底的にとてつもなく俺の得意分野だ。熟知し過ぎてゲップが出そうなくらいだ。都留造、お前、俺に相談して大正解だぜ。俺が資格のプロってことを見抜くとは、まったくたいしたヤツだよ、お前ってば。成長したなあ。あっははははあ」


     ( 続 く )


本日のポイント : 相談は、タイミングを見て……ついでに相手もよく見て
           行いましょう。

四角都留造の場合  シーン 5 

2006年10月01日(日) 2時41分
「問題は何の資格を取るのか、ってことだよな。うぅむ、困った」都留造は頭を抱えた。

「俺は資格について何の知識もないぞ。生意気に独立なんて大きく出た割には、その世界のことはまったくのド素人だ。これだから俺はだめなんだ。自分の守備範囲から一歩でも出れば、まったくの素人。赤子同然。箱入り娘。蚊帳の外。飛んで火にいる夏の虫。そんな俺が、生意気に資格を取って独立だ、なんてよくもぬけぬけと言えたものだ。日本人として恥ずかしい。非国民だ。恥を知れ恥を」

うめきながら都留造はかがみ込んだ。トイレの床にがっくりと片膝をつき、うなだれた。
敗北を認めた寂しげな男の背中が哀れだった。

「あ、そうだ!」都留像はぴょこんと立ち上がり、叫んだ。「あいつだ。あいつのことをすっかり忘れていたぜ。営業部の徳井万面がいるじゃないか!」

 徳井は営業部の中でも1、2を争うほどのやり手だった。これ、と狙った商談は、必ずといっていいほど成功させていた。が、裏では、口の巧さだけで客を落としている、誠意など微塵もない、との陰口もたたかれていた。
あることないこと、時には、業界内でもタブーとされている秘密をも餌に使って成約に結び付けている、という噂を知らない者は、社内にはいなかった。
社員のほとんどが徳井を敬遠していた。が同時に、彼も他の者を避けていた。一人のほうが気楽だという主義だった。

しかしながら、不思議なことに都留造とは妙に気が合った。時折、退社後に飯を食う仲でもあった。
仕事に一途な堅物と二枚舌を駆使する一匹狼。傍から見れば、極めて不可解な組み合わせだったであろう。

「博識な徳井のことだ。資格についても熟知しているに違いない。どんな資格をとればいいのかを聞いてみよう。あいつと俺の仲なら、秘密も守ってくれるだろうし。あいつなら信用できる。他の社員にはまったく信用されていないが、俺は信用しているんだ。その証拠に、この前、俺が下痢気味の時に少々お漏らしをしたことを秘密にしてくれたしな。ま、俺もあいつの右足だけが水虫なのを内緒にしてあげているし。完璧な友情だ。お涙頂戴ドラマだ」

都留造はポンと手を打った。「ようし、今から聞きにいってみよう」
言うが早いか、都留造はトイレを飛び出した。


     ( 続 く )


本日のポイント : 持つべきものは友……ってことにしておきましょう(汗)

四角都留造の場合  シーン 4 

2006年09月21日(木) 1時15分
 よっしゃ、とった、と言う人事部長のうれしそうな声が聞こえた。そして、しばらくガサゴソという音が続いた。
「ま、そういうことだ、四角君。まあ、頑張りたまえ。ああ、返すぞこれ」
 壁の上からロールペーパーが投げ返されてきた。ロールはひろひろと尾を引きながら落下してきた。都留造は片手でキャッチして、ホルダーにセットした。

 都留造が尻を拭いていると、カチャカチャとベルトを締める音に続き、隣のドアの開く音がした。
「じゃ、お先」人事部長は洗面所で痰を吐き出した後、トイレを出て行った。

「ふう、やれやれだ。危なかったぞ。まだこちらの体勢が整っていないうちに面倒なことにはなりたくないものな」
 ベルトを締めながら、都留造は息をついた。「ま、とにかく決めた限りは頑張らなくては。ようし、独立に向けて新たなスタートだ!」

「だから、独立って何だね」また人事部長がドアを開けて入ってきた。「いや、ハンカチを忘れたものでね。君はさっきから何を言っておるのだ。資格だの独立だのと。テロでも起こすつもりか。怪しいぞ。人事評価に響くぞ」
「い、いえ、その、ア、アメリカ独立記念日はいつだったか、なんて、ちょ、ちょっと忘れたものですから思い出していたわけでして」
「アメリカ独立記念日ぃ? 何を言っているんだ君は。それはだな、あれ? 待てよ、いつだったかな。思い出せんぞ」
 人事部長はハンカチをポケットにしまいながら考え込んだ。洗面台の淵に右手をついて前屈みになりながら考え込んでいる。左手は腰だ。
「くそう、私としたことが。仕方がない。人事課長に聞いてみよう。彼は記憶術の達人だ。年代暗記など赤子の手をひねるようなものだ」

 そそくさと出て行った人事部長を見送りながら、都留造は安堵のため息をついた。
 そして、人生の大きな転機となる決心に、改めて気合を入れた。
 だが、さすがに今度は声を張り上げるのはやめておいた。
「だが、待てよ」都留造が首を傾げる。「独立はいいんだけど、問題がひとつあるな」


     ( 続 く )


本日のポイント : 試験前日に、トイレットペーパー、もとい、必要な物が
           そろっているかどうか確認しましょう。

四角都留造の場合  シーン 3 

2006年09月16日(土) 1時45分
 都留造は舌打ちした。何を隠そう、この人事部長こそが都留造を窓際に追いやった張本人なのだ。

「い。いえ別に」ぶっ、と放屁を返しながら都留造は答えた。「単なる独り言です。トイレで言う独り言は格別なんです。身も心も安らぐのです」
「どういうことだねそれは──ああ、ちょっと待った」
 人事部長の声が一瞬、途絶えたと思いきや、ズバン、という破裂音がした。続いて、大きなため息が聞こえた。
「ふう。やっと便秘ぎみのものが、いや、そんなことはどうでもよろしい。ときに君。さっき何やら独立がどうのこうのと言ってなかったかね?」
「い、いや、めっそうもない。私がそんなことを言うわけがないでしょう。空豆ですよ、空豆」
「……空耳、と言いたいのかね。まあいい。とにかく、一生懸命、働くことだな、我が社の名刺を持ち続けたければな。なぁに、資材課もなかなかどうして、慣れればいい所だよ。君もそう思うだろう?」
「は、はい、いや、まあ──ああ、ちょっと待ってください」言うが早いか、都留造は力んだ。昨日の夜から胃にもたれていたものが、排出された。都留造は爽快感で満たされた。
「ふうう。ああ、申し訳ありません。最近、繊維をあまりとらないからどうも出が悪くて。あっと、資材課でしたね。はい、頑張らせていただきます。よろしくお願いします」
「そうか。ま、余計なことは考えず、今まで通りに身を粉にして働きたまえよ。あ、しまった」
人事部長が舌打ちした。「ペーパーがないじゃないか! くそう、入る前に確認すべきだった。何をやっているんだ清掃会社の連中は。在庫管理がなっとらんぞ。即刻、契約解除だ。おい、四角君」
「は、はい」
「そっちのトイレットペーパーを上から投げてくれんか。いいか、私の胸元あたりを狙ってくれよ。自慢じゃないが、私はキャッチボールは大の苦手なんだ。ちょっと逸れると受け損なう可能性は大だ。床を転がり回ったペーパーなど、使う気がしない」
「はい、わかりました。では、いきます」都留造はロールペーパーを慎重に投げ入れた。
 バスケットボールのレイアップシュートの要領で、壁の10センチ上に置きにいくように投げ上げた。
 ロールペーパーは、静かに隣の個室に落ちていった。


     ( 続 く )


本日のポイント : 「公表」が、自分の首を絞める場合もあります。慎重に考えましょう。

メルマガ先行掲載のお知らせ 

2006年09月10日(日) 21時08分
「爆笑! 資格GET☆ぷち劇場」をご愛読いただきありがとうございます。

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四角都留造の場合  シーン 2 

2006年09月05日(火) 3時10分
 人事異動を知らされた瞬間、都留造の表情は変わらなかった。いや、変えられなかった、といったほうが正しいだろう。予期せぬ突然の事態に、どんな表情で応えればいいのか、彼の心が判断できなかったのである。

 同時に、さまざまな事実が彼のなかに流れ込んできた。
 彼はイエスマンとして便利屋的に扱われていただけのこと。出世族の単なる踏み台になっていただけのこと。いざという時には捨石の対象になっていたこと。
 そして──そして、都留造にとって何よりも衝撃的な事実──彼は会社を、仕事を、出世を愛していたわけではなく、会社のために働くことでしか自己の存在価値を見いだせなかったということ──。

 それらの事実を知った時、都留造の心臓は、破裂しそうなほど暴れた。そして、都留造の中で何かがガラガラと音をたてて崩れた。

 しかし、そのことで、かえって都留造の中のもつれた糸が速やかに解けた。糸の束の向こうに、都留造が本当に求めているものが見えたような気がした。
 そのことが、都留造を失意のどん底から希望の階段へと押し上げたのであった。
 信じられないくらいにすっきりとした気分だった。予想外の立ち直りの早さ、もしかしたら、こうなることは心の奥底で、薄々と感じていたのかもしれなかった。

 彼は再びトイレの天井に向かって吼え、コブシを握り締めた。
 この瞬間が、彼の人生における大きな転機だった。
「いつまでもこんなやりがいのない、そして公平な評価をしてくれない、その上、給料も低い、それでいて残業はバンバン、しかしながら老害が進んでいる、ところがどっこいセクハラやり放題、何を隠そう食堂の飯はまずい、噂によると総務の理恵子は豊胸手術をしている、そんな会社なんて、一刻もはやくオサラバだ!」

 ぶっ。

 隣の個室で放屁の音がした。続いて、屁の主の声が個室の壁越しに聞こえた。
「四角くん。さっきから何を吼えているんだね。何にオサラバなのだね」
 人事部長の声だった。「うるさいぞ。君が奇声を上げるものだから、出るものも出ないじゃないかね。え。どうしてくれる」
「あ? あ、いえ、その、こ、こここ、これは人事部長。ど、どもども」
「どもども、じゃないよ君。私はね、ここ2、3日、出てないんだよ。今、やっといい感じになってきたところだったのに。この手の問題はだな、すこぶるバリケード、違った、デリケートなんだよ。それなのに、こんな無神経なことをされたんじゃ、たまったもんじゃない。まったく、なんて使えないヤツなんだ君は」
「も、申し訳ありません」

──うう、しまった。一番面倒なヤツに出会ってしまった。しかも便秘で機嫌が悪いときた。こいつはやっかいだぞ──


     ( 続 く )


本日のポイント : 壁に耳あり障子に目あり。秘め事は周りをよく確認してからにしましょう。