福岡県大牟田市 三池陣屋跡

February 20 [Mon], 2017, 7:00
三池藩は、三池立花家を藩主とする1万石の小藩ですが、
本流である柳河藩立花家の支藩ではなく、独立した藩でした。
大友宗麟の配下で、智勇兼ね備え、義に厚かった高橋紹運の次男で、
柳河藩祖立花宗茂の弟である高橋直次の嫡男立花種次を藩祖とします。

高橋直次は、立花道雪の養子となった兄に変わって高橋家を継ぎ、
島津家の侵攻により衰退する大友家を支えました。
豊臣秀吉の九州平定後は、兄と共に豊臣家の直参家臣となり、
朝鮮出兵などで活躍します。
関ヶ原で兄と共に西軍についた為、改易されて浪人となりますが、
徳川秀忠に召し抱えられて5千石の旗本となりました。
この際に姓を立花家と改めています。
その後、子の種次が5千石を加増されて三池藩を立藩させました。

現在の大牟田市立三池小学校が、三池陣屋のあった場所です。

三池藩陣屋跡」。
三池小学校の正門に、白塗木杭で「三池藩陣屋跡」と表記されています。
現在の小学校では正門ですが、当時の陣屋では裏手だったようです。


小学校の裏手に周ると、小学校の通用門があります。
これが三池陣屋の大手門だったようですが、とても小さいものです。


陣屋めがね橋」。
さきほどの門から南に下ると見えてくる堂面川に掛かる石橋。
このめがね橋が三池陣屋の大手橋のようで、
現在も生活道路として車も渡れます。

大手門跡とめがね橋の間の道を、西に少し行ったところに、
「立花兄弟生家跡」があります。

立花兄弟生家跡」。
三池藩家老立花碩の屋敷跡で、
立花兄弟というのは立花小一郎銑三郎兄弟の事。
兄の小一郎は後の陸軍大将で、日清日露戦争に従軍し、
ポーツマス講和会議全権随員も務め、
シベリア出兵では、最後の浦塩派遣軍司令官となりました。
退役後は福岡市長貴族院議員にもなっています。

弟の銑三郎は、大学予備門に入学して兄と違う道に進みます。
夏目漱石正岡子規と共に学び、天才的文学士と評され、
学習院教授に就任。ダーウィンの「種の起源」の翻訳も手掛けています。


三池藩は7代藩主立花種善の時に、陸奥国下手渡に転封させられます。
これにより三池は天領となり、柳河藩預かりとなりました。
下手渡に陣屋が置かれ、下手渡藩が立藩。
三池陣屋は破棄されていましたが、その後、嘉永3年に半地復封となり、
嘉永5年頃から三池陣屋の再建が行われました。
旧領の民は藩主の帰国を歓迎し、建設資金や資材を次々に献納したとの事です。

この時期、陣屋のあった下手渡と、復封された三池に藩士が分かれており、
下手渡側の藩士が奥羽越列藩同盟に参加を表明して、
三池側の藩士は新政府に恭順するという矛盾行動をとることとなり、
奥羽越列藩同盟から怒りを買い、下手渡を攻撃されて陣屋を焼失。
正式に三池に藩庁が移されました。

幕末の藩主立花種恭は、14代将軍徳川家茂の側近として活躍し、
大番頭会計総裁を歴任する佐幕派でしたが、
幕府崩壊後に罷免され、本人は新政府に恭順する意向でしたが、
遠く離れた二つの所領で藩論が分かれる結果となります。



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