周南市徳山 徳山陣屋跡

August 25 [Thu], 2016, 7:00
徳山藩は長州藩の支藩で、現在の山口県周南市徳山が藩庁。
仕事関係のセミナー周南市であったので、藩庁跡に寄ってきました。

毛利輝元の次男毛利就隆が3万石を分与され、
はじめ下松(山口県下松市)に陣屋を置き、
その後に徳山に藩庁を移します。

徳山陣屋は、現在「周南市文化会館」となっています。

徳山陣屋は「三大陣屋」に数えられますが、
残念ながらその面影はほとんどありません。


文化会館正面の庭園は、徳山陣屋当時のもの。
ほとんど唯一の遺構です。


徳山藩館邸跡」の碑。
庭園内に建てられていますが、
場所が悪く新しい説明板が建てられています。


大阪城築城残石」。
元和5年(1620年)より始められた大坂城修築に長州藩が参加した際、
徳山藩が用意した大津島の石材。
石の側面には毛利家の家紋を省略した「一〇」が刻んであります。

徳山陣屋は、「三大陣屋」とよばれているようで、
その規模は壮大でした。
誰が決めた「三大」かよくわかりませんが、
残り2つは飯野陣屋敦賀(鞠山)陣屋らしい。
そのどれも現存していないのでよくわかりませんが、
昔の資料や図を吟味した偉い歴史学者さんが決めたのでしょう。
後の天保7年に、徳山藩が城主格に昇進したため、
この徳山陣屋は徳山城徳山御殿と呼ばれました。
もちろん構造は陣屋形式のままでしたが・・・。

禁門の変の責で切腹した三家老の一人福原越後は、
徳山藩8代藩主毛利広鎮の六男。
館林藩秋元家初代藩主秋元志朝は広鎮の八男。
そして長州藩最後の藩主毛利元徳は広鎮の十男でした。
また、藩士からも児玉源太郎などの優秀な人材を排出しています。


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HP「ぬしと朝寝がしてみたい」のオフィシャルブログです。 下関を拠点に史跡をまわったり、幕末・維新に係る記事を書いたりします。
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