福岡県京都郡 小笠原神社 〜豊津陣屋跡

March 14 [Mon], 2016, 7:00
小倉城の放棄で、香春を藩庁にした小倉藩でしたが、
やはり藩庁が御茶屋では色々と不便ということで、
明治2年12月に豊津に藩庁を移す事になります。

小倉藩9代藩主小笠原忠幹は慶応元年9月に死去していた為、
嫡子小笠原忠忱はわずか4歳で長州藩と戦うことになりました。
忠幹の死去は小倉戦争中は秘匿されており、
戦後の慶応3年に幕府に死去を届けて家督を継ぐことになりました。

福岡県京都郡みやこ町豊津にある小笠原神社周辺が、
豊津陣屋のあった場所です。
町役場の南にある「みやこ町豊津グラウンド」の東側に、
小笠原神社の一の鳥居があります。

一の鳥居」。
夕方でぼやけた写真になってしまいました。
この「一の鳥居」のあった場所が豊津陣屋の大手門があった場所。
ここからグラウンドを抜けた一直線に小笠原神社があります。


小笠原神社本殿」。
小笠原神社は名前のとおり小笠原家の祖霊を祀る神社です。
この神社が建っている位置が天守建設予定地であったらしい。


本殿よりグラウンドを望む。
この一面が陣屋の敷地だったようですが、結構な規模ですね。
残念ながら天守が建てられる事は無く、
豊津藩、豊津県の政庁としてわずかに機能した後、
小倉県に統合され、さらに福岡県に統合されました。


豊津藩は藩庁の移転をくりかえし、けして余裕のある藩政ではありませんでしたが、
子弟の教育をおろそかにせず、藩庁の移転とほぼ同時に藩校育徳館を開きました。
現在、育徳館の正門であった「黒門」は、福岡県立育徳館高等学校に保存されています。


黒門」。
育徳館の校舎は地元の商人玉江彦右衛門が私財を投資して、
藩に寄付したもので、この門も同時に作られました。

育徳館は遥か北の斗南藩から留学生を受け入れています。
その中に会津藩家老萱野権兵衛の息子もいましたが、
謎の自刃を遂げるという悲劇がありました(記事はこちら)。

この育徳館の出身者はNECの創業者岩垂邦彦や、
薩長や皇族以外で初の元帥になった奥保鞏など。

育徳館は廃藩置県後、旧制中学時代や新制高等学校時代を経て、
中高一貫教育の育徳館中学校高等学校として現在に至っています。


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HP「ぬしと朝寝がしてみたい」のオフィシャルブログです。 下関を拠点に史跡をまわったり、幕末・維新に係る記事を書いたりします。
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