更新されていくということ

October 14 [Mon], 2013, 18:51
更新していくというのはとっても21世紀的な課題であり思考でありテーマであり困難であり、
誰しもがチャレンジしていく方向性だと思う。
みずからの人生を、更新しつづけていく。

音楽であれ映画であれ、名を成した人は常に最新作を「問われる」。問われ続けていく。
絶頂期は過ぎたであるとか、絶頂期との比較であるとか、そもそも「絶頂期とは何か?」と。

僕たち今世紀に生まれ生きている同時代の者同士、
乗り合わせた列車か、乗り合わせた船か、ノアの箱船か?
僕たちはたぶん、もっとも、すべて更新して、刷新していくんだと思う。

これ、ものすごく感覚的なことなのだけれど、そう思う。

更新して、刷新していくこと、みずからの人生を、できれば誰もが。
そうありたい。
そうあらんとすることが、この世界を良くしていくし、乗り越えられる「すべて」じゃないかなあ。

たぶん、だって、地球はもうどっかで飽和して頭打ちに近づいてきているんだもの。
たぶん。ほんの少しは。それって資本主義ってことばに置き換えてもいい。

だからね、たぶんだって。
僕たちみんなが、年を重ねる事を、素敵な事だと思い、
そして少しでも、更新して、刷新して、生きていくにつれ、「どんどんと良くなる」状態でいたい。

老い、はまぬがれない。
高齢化社会になりつつある事は、現実。


だからこそ、
力強く、あれ。

どんどんと、良くなれ。
そう思う。

僕は、それを、幾人かの映画監督と音楽家と小説家から学んだのかもしれない。

事件であり奇跡であり歴史であり

October 14 [Mon], 2013, 16:03
事件であり奇跡であり歴史であり。

そういった音楽はポールマッカートニーの新作以外には考えられない。
事件であり奇跡であり歴史である、それがポールマッカートニーの新作「NEW」の僕の感想。
世の中のすべてのレビューなんていらない。


本当にいい。
本当にいいよ、ポール。
来月、東京にくる。行く。

このブログについて

September 30 [Mon], 2013, 9:41
久しぶりの投稿になります。

もう本当にこのブログへの新投稿という点でいえば、こちらは機能していなくて、
なんだか変な感じであります。
かつて月間30,000PVはあったこのブログも、今では一日50-100PVほど。
2005年から書いているので昔日感ハンパないです。

それでもなぜに訪れてくれているのかと思うのですが笑、
記事の再更新に関しては、全くもってやる気がなくなっております。

緩やかに自分用として備忘録化していったり、変な詩みたいなのを書いていったり笑、
まあ思いつくまま更新はしているのですが、いつか書いたように、
「役割が変わった」「ある部分、ネットから降りた」「僕が変わった」「いや、何も変わっていない」
事だと思いますので、
このままでまだ置いておこうと思います(笑)

備忘録(レストラン)

September 30 [Mon], 2013, 9:27

乱舞

November 24 [Sat], 2012, 11:41
ああ、乱舞がはねた。
乱舞がはねてダンスをして、今宵のデートは終焉に進んでる。
薔薇の花びらが咲く方向を気にしていたら、僕は花びらがしおれる寸前に居る人になる。
ああね、乱舞をはねた。

どうであれ、

November 24 [Sat], 2012, 11:36
どうであれ、美しい。

眠りから覚める。

August 02 [Thu], 2012, 7:02

ユズリハとアゲハ(イントネイションって)

April 23 [Mon], 2012, 23:45
僕らは獲得。していく、あらゆるものを不変と音勢/イントネイションの数々によって打ち立てる。
世は、よ。アゲハの飛空をみあげた、見惚れた。

音は散る、不変の彼方に。音は、吸い込まれていく、空間において。
末端の狙いは情念の幅を利かせる事。現代に復権させる事。
あらゆる古代の情念が現代への復権を目論んでいる。ウィーリー、ザ、クーパー。それが狙いなのか?
いえいえ、真向に輪廻の極み。

音が立ち上がる、娼婦に塗れた昨夜の続き。寝床は開け放たれた!
どこへ、空へ、隣の部屋に。情事をみせる。第三者に見せつける事により成り立つ情事と少しの美学。
開け放たれよ、幅を利かすな。少なくても意識上においては目立つな。
僕らは意識と無意識下において揺れていきている。気づけよ、立ち上がれよ。

音は行方。爪弾け、躓けよ、民。わたしはあなたとともにいる。この圧倒的な共時性と絶対性。
揺るぎなく、そうほんの揺るぎなく。いこう。

たて、たゆまない、音鑑。抱き合いし恋人、ユズリハとアゲハ。
そのどちらもをテーブルの上に載せてグルーヴに乗せて。
あらゆるものを、跨いで。またねと言おう。

悲しいことだけれど。

April 13 [Fri], 2012, 22:08
悲しいことだけれど。
ステファノブランキーニ、ほぼ日本から撤退したような感じになっている。
僕がハレの日に、いや、徹底的なまでのハレの日に履く靴がベルルッティだとすれば、
ステファノブランキーニがハレもケも、ハレにする日常使いの靴だった。ようやくであった靴だったのに。

悲しいことだけれど。
それは日本であまり手に入らなくなった事を言ってるんじゃない。
ステファノブランキーニ自身ももういちど日本ではビジネスをしたいと思っている感じがすること。
そしてカレの靴を愛している人は多いはずなのに、こういう状況になってしまっていること。
僕はステファノブランキーニを失って、他を探せば探す程、彼の本当の才能に気付きはじめていた。
似ているブランドはたくさんあるけれども、どこか圧倒的に違う。
それはスクエアであり、なぜゆえのスクエアか。に尽きるのでは。

悲しいことだけれど。
いままで普通に店頭に並べられていた靴が、
一気にこの国から希少性の、ヴィンテージのような域になってしまった。
失われた永遠性のような牧歌な感じ。

ああ、とはいえ、ハレとケが欲望してるので、
これからステファノブランキーニみたいになるであろう靴を手にした。

中目黒のとある名店にて−自分メモ

December 24 [Sat], 2011, 22:40
こちらの天然明石鯛の焼き寿司、またしても時間が止まる。そして焦る。
旨い、本当に旨い。この見事なまでの渾然一体っぷり。
これによりシェフのクリエイティビリティを突抜け感を感じられ歓び。
それまでのどちらかというと”素材の/自然の”素晴らしさであったのに対して、
(蟹は旨いも、その極致。人はなぜにここまで蟹をむさぼりくらうのか考察。疑問であり神秘。
蟹の神秘性であり文学性、あれ?エロスが見当たらない。蟹は置き忘れたエロス。
時間は過去にはなく。未来にしかない。預言者でもある蟹。であるからして無エロス。)

こちらは人智とクリエイティビリティを感じられる。
そして私の歓びの/欲望の比重はやはり後者であり。
何かに対しての謀反/テーゼであり、天衣無縫な人智/才気である。
それを感じられたこの一皿に喝采。
バーナーで焦がした明石鯛とシャリの絶妙な食感、
そこを大葉と山椒の風味が待ったをかける。
加速度的な美食の錬金術士たちは、
宵の口あまたに心を飛び跳ねる時間のダンスをする。

ほうほう、そこにあるそこにあれ。その一皿が僕をつよくする。うっとりとする。
無時間制に陥れ、無調性的な音楽を奏でる。
そこは、果無い。そこは儚いか、いやそこは果てしない。

僕らは一皿にやがてかける。一皿の饗宴にすべてを賭する。
そうだ、ここは博打の世界。賭しているものたちの(のみ訪れる)饗宴の世界。
ここは、シェフズテーブルまでいかないも、キッチンの空間だけが自負/慈愛でみちている。
賭しているものがそびえ立たせる風貌。

焼き寿司だけではなく、この明石鯛じたいのなんともまあ美味さ。
久方ぶりではないか。魚をやき、それをここまでも<昇華>できているものに出会うとは。
ああ、畏怖である。畏怖である。なんともまあ口にしてしまった後は、過去形の畏怖だった。だけが残る。なんともまあ。

人生には権利と抑止と、貨幣と贈与/貸し借りとでみちている。だからこその、美食。
人生を謳歌させていくこと。グラングデンとドライブかけて人生をまわしていくこと。
快楽の極致(新しい時代の対象aとして)
今後はそれをどれだけ個人レヴェルの欲望から、
ユニバーサルな欲動へと転化させていく術をもつかどうかにかかっている。
生き残り戦略として。
P R
■プロフィール■
■代替テキスト■
関野 聡(セキノサトシ)
1979年2月18日横浜生まれ

”ネットから、リアルへ。”

仕事こそ、自分の色気を生み出す唯一のものだと思っています。

今の僕は仕事でしか、自己実現は図れないと思っています。

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