病室 

January 17 [Thu], 2013, 22:29
内臓のひとつが機能しなくなったため摘出手術を受けたことがある
夏、両親の友人の家でバーベキューをしていた際に急な腹痛と吐き気に襲われ
トイレで倒れてそのまましばらく入院した

両親は忙しく、異国の病室で多くの時間を一人で過ごした
サマーキャンプのメンバーや隣の家の家族からお見舞いが届き
頭の体操にもならないようなクロスワードパズルをしたり
つまらない子供向け番組を観たりしていた
病食はお世辞にもおいしいとは思えない上
飲み物にジンジャーエールを出すので
栄養はほとんど点滴で摂っていた
体のいろんな場所に点滴がつないであったので
寝返りを打てないのがつらかった

夜寝ると度々お腹から背中を貫くような激痛に目が覚めた
ナースコールを押す勇気もなく
大抵一人でめそめそしながらやり過ごした
痛みの波の合間にぼんやりと自分はどうなってしまうのだろうと考えた
こんなに痛くて、死ぬのかもしれないと思った
ひとがだいたい何歳まで生きられるのかも知らなかったが
九歳という年齢が、死ぬにははやすぎるということは分かっていた
こんなにわたしはまだこどもなのに、
もう死ぬんだと思うと悲しかったし怖かった

おとなのあいだでは摘出手術をおこなうという話が進んでいたらしく
そんなことはつゆ知らずであったわたしは
手術室に向かうベッドの上で悲しみに暮れていた
看護師さんがひどく同情した声で、こわいのねと言って、わたしの髪を撫でてくれた
ちがう、と思いながら、人の手のやさしさに泣いた
点滴に注入された麻酔で意識が遠のいていった

手術は無事終わり、起きてから体中の点滴の針を抜かれた
体の一部のようになっていたものがずるりと抜ける気持ち悪さが苦痛だった
おなかは縫うのでなく
自然治癒のようなかたちをとったらしく、テープが貼ってあった
テープと傷に血がこびりついていて
しばらくの間痛んだ

瞑想 

January 17 [Thu], 2013, 22:09
幼稚園は
カト.リック系のところに通った
特に家がそうだったというのではなく、家から一番近い幼稚園がそこだった
小さい頃からこども聖書の絵本などでイエ.スキリ.ストや神様という存在は知っていて
幼稚園でお昼にお祈りすることにもさほど抵抗は感じなかった
恵みに感謝することは正しいと今でも思う

ある夜、寝る前に一人で暗い中お祈りをしようと指を組んだとき
ふと今自分が一生懸命祈っている相手は実在するのだろうかと考えた
頭の中では自分一人が話しているだけで
誰かから答えが返ってきたことはないし
パンや魚が増えたり、死んだ人が生き返ったりすることを
おとなは作り話ではないように話していたけれど
実際そんなことは起きないように思えた
宗教というものの社会の中での位置を学ぶようになる前に
わたしは、きっと神様っていないんだなあとぼんやりと思った

神社やお寺の空間はとても好きだし、日本の神様も好きだけど、
お参りの所作は未だにすごく苦手で
手を合わせている間自分が一体誰に向かって心を預けようとしているのか
とても不安になる

苦労を知らない手 

January 18 [Wed], 2012, 22:35
わたしは深爪癖がある
気を抜くと爪をはがしてしまう

幼稚園のとき母と祖母に「ゆいちゃんの爪は本当に桜貝みたいにピンクでかわいいねえ」といわれたのが始まりだった
しろいところは残さず切った
いまでは伸ばす努力をしているけれどやはり爪が伸びると作業もしづらいし
きれいに整った爪のほうが間違いなく見た目はうつくしいと理解していても
なんとなく不自然というか、醜いと潜在的に思ってしまう

爪はともかく、友達には手の見た目や感触をほめてもらうことがときどきある
一時期アレルギーで荒れたこともあったがいまは悩みも少ない
白いし、目立った傷もない
が、ときどきわたしの手を見ては母が「苦労を知らない手だね」と評するので
わたしはなんとなく自分の手に関して自信をもてないままなのである

おしまい

ぬれうさぎ 

January 18 [Wed], 2012, 22:22
小学校1年生、アメリカに行く直前のころだったと思う
ひどい台風がきて学校は授業を中断、
集団下校したことがあった

わたしは風に飛ばされて死んでしまうのではないかと思って
横を歩いていた2つ年の離れた兄にそう言うととても呆れたような返事をされた


幼稚園のころにも台風の中友達と帰宅したことがあった
雷も鳴っていたので、「金属に触っていると間違いなく雷が落ちる」と信じていたわたしたちは傘をささなかった
帰ると母親に「そんな濡れ鼠みたいになって」と言われた
鼠という表現が気に食わなかったので「鼠じゃかわいくないからうさぎにして」と言った
未だに笑い話にされる

おしまい