ある夢の意味

January 14 [Sat], 2012, 10:53




ある夢の意味

新年早々に夢を見た。
今まで見たことのない夢だった。
僕たちの住む家に水が押し寄せ、急激に水位を上げ、
水は二階で寝ている早苗のところまできた。
寝ている早苗をあわてて起こして逃げる。

家は流され、ふと見ると早苗がいない。
「早苗、早苗」と必死に叫びつづけながら探していると、
「あそこ、あそこ」と指差す人がいた。
見ると、土手のような所に早苗がしょんぼり座っている。
ほっとしたところで夢から覚めた。

現実に戻って、妻と家を確認するように闇を見る。
「いる、いる。ある、ある」。
夢の中で感じた緊張感が、ふーとゆるんでゆく。

その時、大災害で、家を流され、
家族を失った被災地の人々の恐怖と悲痛な悲しみを思った。
昨年、二度訪れた被災地の姿を思い出し、
「ほんとうに、大変だったなんだろうな」と
しばしベッドの上で茫然としていた。

新年に見たこの夢。
僕に、家を失い、家族を失った人々の気持ちがどれほど悲しく、
辛いものであるのかを、忘れないで歩みなさいと、
神様が示されたように感じ、心が引き締まる思いだった。
現場から離れていると、被災した人々の悲しみを悼む思いが
急速に薄らいでゆくのを僕自身感じている。
そんな僕に、神様が夢を通して語りかけてくださったと思う。

今年、僕に出来ることをもって、被災された人々に少しでも
寄り添わせていただきたいと願っている。




昨年の6月、津波で流された家の後に咲いた紫蘭。
今年はさらに株をふやして、美しく咲いてくれるだろう



「母の緊急入院」  

December 01 [Thu], 2011, 10:30


「母の緊急入院」 

    
「ハツ子さんが倒れ、出血しています。救急車を
呼びました。至急来てください。」ちょうど夕食を終わった頃、
母の住むケアハウスから電話を受け、急いで妻と共に車で
向かう。10分ほどしてケアハウスに着くと、救急車は
すでに来ており、母も救急車の中にいた。
救急隊の人は受け入れ病院を懸命に
探しており、その都度、母の状態を電話していた。
幸い、近くの国立栃木病院が受け入れて下さった。

母は、後頭部からかなり出血し、血圧も下がっていた。
医師は直ちに手術に入り、入院が決まった。脳や他の部分に
損傷は認めらないということで、僕たちは一旦、ハウスに戻り、
職員に母のことを報告し、入院に必要なものを持って再び、
病院へ。そして不安そうな母を残して、その夜、家に帰った。

入院から1週間ほどして、福島の息子の家族が見舞いに
来てくれたが、母はひ孫たちの励ましにわずかであったが
喜びの反応を示してくれた。その頃、母に「さびしいですか」
と聞くと小さくうなずいた。「そんな時、どうしますか」と聞くと、
祈るというので、「どう祈りますか」と聞くと、母は「主の祈り」
を祈り始めた。僕も母と一緒に声を合わせて祈ると、
母の目に涙が。
母に「神様が、ある王様に『わたしはあなたの涙を見た。
あなたを助ける』と言っているように、お母さんも助けて
くださいますよ。」というと母の顔は安らいだようだった。

あれから二週間。昨日母は無事退院し、ケアハウスに
戻った。この二週間、母の気力、体力はかなり衰え、感情
表現も少なくなり、自分の足で立つこともできなくなっていた。
昨日、ケアマネの方から、母が自分でトイレに行こうとして
倒れた(これまで二回ほど同じようなことがあった)ので、
これからは全介助となるので、車いす生活とし、トイレ
もおむつ使用にし、食事もそれまで自分の部屋ですることが
できたのが、一人では危ないので、毎回車いすでみなさんと
食事することにしましょう、という提案があり、
僕たちも了承した。

老いてゆくこととはこうしたことなのだ、と僕も改めて感じた。
それらをひとつひとつ受け入れてゆく心、なお生かされ、人々
に世話になっているが、必要とされているという感謝の心が
母に育ち、これからも豊かな残りの人生を母に与えてくださいと、
父なる神にお祈りする一方で、僕自身の終わりへの備えを
教えてくれている母に感謝を覚えた。

「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、
ご自身の使いが彼らを救った。
その愛とあわれみによって、主は彼らを贖い、
昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」
イザヤ63:9



この椅子から車いすへ、
しかし、このようにひ孫たちからの手紙を楽しんで読む
生活が続けられるように

「鬼怒川温泉での兄弟会」(2)

November 29 [Tue], 2011, 10:41


「鬼怒川温泉での兄弟会」(2)

いつもは、夕食前の一時間半だけが話し合いの時だったが、
今回は宴会室での夕食とカラオケが終わってから部屋に戻り、
話し合いの続きをしようということになった。これには僕も驚いたが、
同時にうれしくもあった。後半の話し合いがどのようになるのか
全く分からなかったが、まずは大震災3:11のことを話題に取り上げ、
このような質問をしてみた。

「みなさんは3:11以降、何か自分の内に変化を感じましたか」
「もし、津波に巻き込まれ、もう助からない、死ぬかもしれないと思った
その一瞬、何を思いますか」。

みなに共通していた新たな思いは、絆の大切さだった。
その意識によって、兄弟家族としてこれからも互いに助け合おう
という思いが強くされ、具体的な助け合いの案もいくつか出て、互いに
励まされた。だれもが、そう遠くない先に自分の終わりがあることを
意識している年令でも、死に直面した時の最後のことばは、まだ
だれも考えていなかった。まだまだ、どう生きるかに思いが
あるようだった。ひとりの兄は、「終わりの時は吾朗にまかせるよ」
と信仰告白とも思えるような期待を述べてくれた。

そこで、僕が死ぬ最後のために準備している短いことばを紹介した。
「『主よ。ゆだねます。』の一言です。これは、僕のいのちを父なる神に
お任せしますという意味。この最後のことばが決まると、安心して
今を生きられるから不思議です。」

この二年間、老人会を新たに立ち上げ、その初代会長を二年間
務めた兄が、「俺は、老人会をやってはじめて吾朗の言う『聞くこと
の大切さ』が分かったよ。吾朗のおかげだよ。」兄弟の中でも一番
よく話をする兄から繰り返しそう言われてびっくり。そこで僕も
「人の話を聞くのはこれまで不得意でしたよ。最近やっと少しできて
いるかなと感じる程度です。変化しはじめたのは、自分も弱さを
経験し、人の弱さに心を少し向けることができるようになった
からだと思う。」

するともう一人の兄が「吾朗は変わった。そして兄貴も変わったよ」と
ほめてくれた。しかし、その兄がまだ変わっていないことに不満を持つ
義姉が不満を言い始めると、少し緊張した雰囲気になった。
勇気を持って、真剣に語ってくれる義姉の言うことにみなが耳を傾けた。
このようなことを兄弟会の場でオープンに話し合ったのははじめての
こと。それを別の兄がとりなし、兄が自分の奥さんに謝る。僕たちは
兄弟会が少し本物に近づいてきたことを感じた。兄弟会といっても、
それぞれのパートナーは実の兄弟ではない。それだけに心中では
複雑な思いがあるに違いない。しかし、そこを乗り越えてゆく何かを
今回みんなが感じ取った。

次の日の「鬼怒川ライン下り」は天候に恵まれ、最高の紅葉を
共に楽しんだ。来年、伊豆で持たれる兄弟会までには、もっと絆が
深まり、もっとみんなの心が互いに対し、またイエスに対して
変わっているに違いないと思った。

「神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。
人の子らは御翼の陰に身を避けます。
彼らはあなたの家の豊かさを
心ゆくまで飲むでしょう。
あなたの楽しみの流れを
あなたは彼らに飲ませなさいます。
いのちの泉はあなたにあり、
私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。」
詩編36:7~9






「鬼怒川温泉での兄弟会」(1)

November 28 [Mon], 2011, 22:39



「鬼怒川温泉での兄弟会」(1)

「お疲れ様。よく来てくれました」。 そう言って、
妻と共に鬼怒川温泉駅の改札口からでてきた兄弟たちを迎えた。
今回は弟夫婦、妹夫婦が参加できなかったので、総勢9名の
兄弟会となった。その日は、快晴。山々のもみじがよく色付き、
紅葉のベスト・タイム。
電車を降りてきた兄弟たちも駅前の山々の紅葉を見て、
口々に、「沿線沿いの紅葉もすごかったが、ここもいいね」。
「いいでしょう!」と得意げに返事をする幹事役の僕。
後は、神様に最高の内容を整えてもらうだけ。
そう心で願った。

僕たちの兄弟会には5つの楽しみがある。
一番盛り上がるのは「カラオケ」。僕と妻以外はみんな上手。
特に一番上の83歳の兄はプロ並みの上手さで群を抜いている。
僕と妻は、みんなの上手さを褒める役。みんなカラオケに夢中に
なりはじめると、人の歌を聞くことより、自分は次に何を歌おうかと、
選曲に集中する。そこで活躍するのが僕たち夫婦。

二番目は食事と温泉。日頃の疲れもいやし、気分転換する。
今回で7回目の兄弟会。毎回場所は違うので、温泉は楽しみのひとつ。
三番目は周りの風景などを楽しむ特別企画。今回は鬼怒川ライン
下りとなった。4番目はおしゃべり。婦人たちはこれを楽しむのが
得意だ。僕の妻は相当僕の失敗談や、間抜けぶりを話題に
したらしかったが、それもまた楽しいオープンなコミュニケーションが
生まれるので結構なことと思う。

5番目は、聖書に関連した話。兄弟たちは、これを他の家族の
兄弟会と違う大きな特徴として受け入れてくれているので、
感謝している。でも話題を何にするかはいつも苦労する。僕が
お話しするのではなく、僕は司会役としてみんなのお話しを聞きながら、
自由に意見交換してもらう。そして、必要なら聖書の真理を
参考にしてもらう。

いつもどうスタートしていいのか、見当がつかず、祈りつつスタート
するが、思いがけない話へと導かれ結果として、みんなが「よかった」
と喜んでくれる。今回は、これまでの兄弟会では見られなかった
兄弟の絆を感じる時となり、みなが喜んでくれた。

「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、
なんという幸せ。なんという楽しさであろう。」
詩編133:1






「福島へ、野菜の宅配」 

November 16 [Wed], 2011, 10:25




「福島へ、野菜の宅配」  
        

二週間前の文化の日、妻と二人で福島の三男の
家族のところに新鮮な野菜を届けようと出かけた。
福島第一原発事故の放射能汚染で、それまで自分たちで
かなりの野菜を作っていたのに、今は何も作っていないという。
「野菜ならどんな野菜でもありがたい」ということで、朝市で野菜を
買い込んで出かけた。大震災後、宇都宮に一時避難した
彼らの福島での様子も知りたかった。

本宮市にある息子の家は、安達太良山が西に見える
丘の上にあり、晴れた日には山々がよく見える。雄大な景色を
見ながら、田舎で子育てしたいと東京から息子の妻の実家に移った。
ゆったりとした敷地に野菜畑あり、庭あり。4人の孫たちはそこで
すくすくと育っていた。

それが3月11日以降、外に出て遊ぶこともできなくなった。
外で遊ぶ時は、車に乗り、遠く放射能汚染の少ない所へ行き、
そこで思いっきり遊んでくる。すでにそんな生活が8か月続いているが
改善はされていない。この先こんな状態がいつまで続くのだろうか。
彼らに聞いても淋しそうに分からないと言う。

昼食を共にし、孫たちの夏のキャンプ地での楽しいビデオを
見せてもらいながら、この家族や、福島の人々に一日も早い
普通の生活が戻るようにと祈った。帰りは三春に住んでいる友人の
牧師夫妻のところにも野菜を届け、教会の様子をお聞きした。
地震で敷地内にある地盤が崩れ、その修理にも頭を抱えつつ、
お二人はこの地にとどまり、ご不自由ながらも地域の
人々に仕えておられた。

数日まえ、消防団員でもある息子が小学校での除染作業の
写真を送ってくれた。メールにはこんなコメントが添えられていた。
「地域の為の作業ですが、住民任せで何もしない国や東電には
腹立たしい思いがします。」と。地域の人々と互いに励まし合い、
共にこの時を乗り越えようとしている息子にエールを送りたい。

「望みを抱いて喜び、艱難に耐え、耐えず祈りに励みなさい。
・・・喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」
ローマ12:12,15





新鮮な野菜を積み込んで
さー出発!



 小学校の壁面の除染作業と溝の除染作業
   消防団員さん、ご苦労様!









冬の足音

October 28 [Fri], 2011, 9:46



「冬の足音」


「今日は冷えるね。ズボン下の長いのをはこうかな」
「ズボン下でなくて、“ももひき”じゃないの」
少しでも若さを演出したい僕と、素直に現状を認めなさいという妻.


「ふろばの電気、一晩中つけっぱなしだったですよ。」
「そう、そんなはずがないんだがね・・・」


「トイレのドアはしっかりと閉めておいてくださいね。
まな(我が家のネコ)入り込んでトイレの中の飾り物を落すから
気を付けてくださいね。」
「そうか、閉めているつもりなんだがね・・・」

今朝、こうして立て続けに妻からのイエローカード三枚もらった。
幸いに退場はなし。
でも、密かにそろそろ認知症の検査をと思っているかもしれない。

「やあ、早苗に注意されると元気がでるよ。」
「どうして」
「だって元気でなければ、小言をいうこともないからね。」

さて、私は今日は東京へ出張。
妻は、だるいからだを押し切ってでも、
超快晴の奥日光の紅葉を見に出かけたい気分のようでした。



友人からいただいた見事なぼたん

出張前、妻から訂正が入りました。
「ぼたんではなく、ダリヤですよ!」




秋晴れの誕生日プレゼント

September 22 [Thu], 2011, 20:33



秋晴れの誕生日プレゼント

今日からはじまる60代最後の一年は、
すばらしい秋晴れで開けた。
その透き通るような朝のすがすがしい空気に誘われるように、
我が家から数分のところにある森の中の鶴田沼に出かけた。

そこに僕の「祈りの散歩道」がある。
久しぶりにその道を歩いてみた。
見ると鶴田沼の水面に澄んだ秋空が映っていて、
美しかった。

さらにそこを抜け、そば畑がある丘に上がる。
西北には、遠く奥日光の男体山が見える。
そろそろ紅葉がはじまっているという奥日光を
想像しながらシャッターを押した。

こんな朝の静寂なひと時が、うれしかった。







石巻、そして再び七ヶ浜へ(2)

September 21 [Wed], 2011, 17:23


 石巻、そして再び七ヶ浜へ(2)


  午後二時頃、鹿妻地区でボランティア活動をしている
学生たちに合流し、ある家のふすま張りを手伝った。彼らは
この地区で5日間も奉仕し、人々に喜ばれ、感謝されていた。
Sさんも学生たちの熱心さにさかんに「えらいな、立派だ」と
感動していた。

 学生たちと別れ、K さんに会いに出かけた。
ご自宅は少し高いところに建てられていたため、津波の難を
逃れ、無事。今は、教会と共に石巻の復興のために一生懸命に
奉仕されていた。お話しは尽きなかったが、またお会いすることにして、
七ヶ浜に向かった。その日の夕方8時ごろ、友人の家に着いた。

 翌朝、7時に、三か月前に行った花淵港へと向かった。
車で10分もしないうちに花淵港についた。三人の婦人たちが
何やらお話しをしていたので、「お早うございます」というと、
「ごくろうさま」と挨拶が返ってきた。思いがけない明るい声に
半年の時の流れを感じた。

「三か月前に来た時に見た建物の上に乗り上げていた漁船は
どうなったんですか」と尋ねると、船は建物から降ろされた後、
修理され、今は漁で活躍しているという。良かった。
およそ三分の二の船を失い、残された船はどれも貴重な船だ。

その時、小舟がカニ漁を終えて港に戻ってきた。
婦人たちはこの小舟が帰ってくるのを待っていたのだろう、
荷揚げを手伝い、うれしそうに帰っていった。

 Sさんと僕は防波堤の先端のところに行き、座り、
湾内と被災した町を見回した。3か月前に比べ、瓦礫はほとんど
片付いたが、再建は進んでおらず、港は壊れたまま、何も機能して
いない。まだまだ、先が見えない状態ではないだろうか。

二人で、防波堤に座り、主の祈りをささげ、さらにこの地の人々
への祝福と漁港の復興のために祈った。

「あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして
祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」

マタイ18:19 主は僕たちの祈りを聞いて下さり、
必ずこの地に御心をなして下さると信じた。

 被災地でささげたこの「主の祈り」は、この地に遣わされた弟子たちに
ゆだねられた宣教の祈り、回復のために祈りであると今回強く感じた。
日曜日の礼拝の前に決まりきった習慣のようにしてささげるために
イエスが弟子にゆだねられたのではない。
この祈りは、ひとりひとりのキリストの弟子が、遣わされている生活の
現場や、またはこうした先が見えない被災地のど真ん中で、
人々と共にささげるのが一番ふさわしいと思った。

 主の祈りをもって被災地に立つ」。
今後も僕が続けなければならないひとつの
使命であると感じた旅でした。





石巻、そして再び七ヶ浜へ(1)

September 19 [Mon], 2011, 14:03


石巻、そして再び七ヶ浜へ(1)

3・11から半年を経過した9月16日、
Sさんと僕は車で石巻へ向かった。石巻には仙台時代、
たった一度しかお会いしていなかったのに、僕たちの働きのために
30年間もお祈りに覚えてくださったKさんがおられるので、
お尋ねして、少しでも心の支えになることができればと思った。
それに加え、ナビゲーターの各地の学生たちが石巻で
ボランティア活動を定期的に行っているので、その現場で少しでも
お手伝いしたいと思った。

この準備期間中、今回の訪問の性格を
変えるひとつの大きな思いが僕の心に湧き上がって来た。
被災地で「主の祈り」をささげたいという思いである。
被災地でどう祈ったらいいのか分からなかった僕に、
「こう祈りなさい」(マタイ6:9)と「主の祈り」をささげるよう
御霊が僕を促してくださったのだ。

 
被災者数 死亡15,788名、行方不明4,057名(9月15日現在)。
想像しがたい多くの悲しみに寄り添うことはできないが、その日、
Sさんと僕にできる方法で、被災者を悼み、復興を祈る場が与えられた。

「日和が丘公園」へ行き、そこから東を向くと、被災した石巻港とその
一帯が一望できた。「カタカタカタ」と幾台もの大型重機が、破壊した
大きなコンクリート建造物を砕いていた。その地区の瓦礫はほぼ撤去
されつつあり、再開発プランを待っているかのようだった。

北を向くと、町の中心を流れる旧北上川に沿って、町が被災している
様子が分かった。地盤沈下もある町全体の復興には、
祈りと多くの人々の支援が欠かせない。

僕たちは静かな木陰の下に置かれたベンチを選び、
太平洋を望みながら祈った。

*****************

天にいます私たちの父よ。
御名があがめられますように。
みこころが天で行われるように地(石巻)でも行われますように。

私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。
私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄は、とこしえにあなたのものだからです。
アーメン

この後、それぞれがまた、祈りをささげた。
主が聞いておられることを確信しながら。

(続く)




東の被災地



北の被災地


この夏の夢

September 01 [Thu], 2011, 16:09



この夏の夢


8月はたちまち過ぎ去った。
比較的スローペースの予定を組んだので、
友人訪問、実家訪問、部屋の片付け、温泉旅行などなど、
日頃後回しにしているものを妻と共にゆっくりやりたい。
そんな夏の夢を抱いていたが、
もう今日から9月。
期待の3分の1で終わってしまった。

この夏の暑さは、がん手術後4か月過ぎたばかりの
妻にはきつかったようで、だるさは鉛をからだに
しばりつけているように感じられたという。
おまけに二度も「ぎっくり腰」
動きようにも動けない日々が続いた。

それでも妻は東京の教会での証を頼まれ
4年ぶり、思い切って出かけた。
神の恵みを証する喜び、
そして友人たちとの交わりの楽しさは
神様からの彼女へのご褒美。

福島の4人の孫たちも来てくれた。
外で遊べない子供たちにとって
青空の下の小さな庭のプールでも、いつ使えるか分からない
学校のプールに勝る大きな喜び。
近所中に響いた元気な子らの笑い声。
放射能の怖さを一時忘れた
夏の5日間だった。

多少欲張りすぎた夏の夢は
神様によってちょうど良い具合に配分され直して
よい思い出となって実現した。

「まことに、あなたの大庭にいる一日は、千日にまさります。」

詩編84:10



孫たちと一緒の夏休み




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