よいこのためのどうわだよ 

June 24 [Wed], 2015, 0:01
あるところに ままさん というおかあさんがいました
ままさんにはひとりのこどもがいました
とてもげんきで こうきしんおうせいな そのこどもは
ままさんが ちょっとめをはなすと すぐにどこかにきえてしまいます
こまったままさんは こどもに 「はーねす」をつけることにしました
「はーねす」があれば こどもがはしりだそうとしたとき すぐにわかります
「はーねす」のおかげで こどもがまいごになることも けがをすることも ほとんどなくなりました
ままさんとこどもにとって 「はーねす」は なくてはならないものになりました

あるひのことです
いつものように ままさんとこどもは 「はーねす」をつけて おかいものにいきました
すると しらないおじいさんが ままさんをいきなりどなりつけました
「おまえ じぶんのこどもを いぬみたいに なわでつなぐとは なにごとだ」
ままさんは きゅうにどなられて びっくりしながらも おじいさんにせつめいしました
こどもが すぐにはしっていってしまうので けがをしたり まいごにならないよう
「はーねす」をつけているのです と
しかし おじいさんは ますますおこるばかりです
「ならば てをつなげば いいじゃないか
 なわでつなぐなど いぬちくしょうとおなじにするな こどもがかわいそうだ」
おじいさんと ままさんのことを みちゆくひとたちが ちらちらとみています
ままさんは だんだんはずかしくなってきました
どうやらこのおじいさんは 「はーねす」をはずさないかぎり ままさんをはなしてくれないようです
いま このおじいさんのまえでだけ ならば…
おじいさんがいなくなってから また「はーねす」をつければいい
そうおもった ままさんは こどもの「はーねす」から りーどをはずしました
そのときです
こどもは なにかをみつけて きゅうにはしりだしました
らいげつ こどものたんじょうびにかってあげるとやくそくした だいすきなあにめのおもちゃ
その しーえむが おみせのすくりーんにうつったのです
ままさんが 「あっ」 とこえをあげるひまもなく
こどもは あかしんごうの おうだんほどうめがけてはしりだし
そして ちょうど おおきなとらっくが おうだんほどうにさしかかろうとしていました
うんてんしゅは あわてて ぶれーきをふみましたが まにあいません
こどもは とらっくにぶつかり じめんにたたきつけられて うごかなくなりました
ままさんは こどもにかけより なんどもなまえをよびます
とらっくのうんてんしゅも くるまからおりて かけより
まわりにいたひとたちも なにがあったのかと あつまります
しかしどういうわけか そのころには
あの おじいさんのすがたは きれいさっぱり どこにもなかったのです



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という、子供を持たず、持つ予定もない私ですがハーネス論争にモヤモヤしたので童話を書こうと思ったのにただのホラーになってしまった件。

「姉」という人種の生きづらさ考察 

September 06 [Sat], 2014, 23:01
今更こんな注意書きもどうかって感じですが、今回特に、注意書きを。

・おもに私自身と、その母親を始めとする親族、知り合いからの聞き取りをもとにしています
・地域差や親族(みんなどこかおかしい)の特徴が極端に反映されている可能性があります

というわけで本文です。

ここでいう「姉」というのは、「長女」であり、かつ「長子」であり、弟か妹、またはその両方をもつ、という人種を指します。
姉というのは、多分ほかに考えられる属性「兄」「妹」「弟」「一人っ子」以下略と比べて、求められることが極端に多いと思うのです。
姉属性をもつ子は、たとえ何歳であろうと(だいたい、弟や妹がいれば1歳であろうが)「お姉ちゃんだから」という魔法の言葉で何もかもを「できなければならない=できて当然」ということにされてしまうのです。
同じような言葉に「お兄ちゃんだから」という言葉がありますが、これには「まあ男の子だからね」という逃げ道があります。第二子以降には、「まあお姉ちゃん(お兄ちゃん)がいるからね」という言葉があります。
ところが、長子である女の子には逃げ道がありません。

そして、どういうわけか、世の母親および大人は「姉」を過信する傾向があります。
弟や妹、さらには年の近い子供を預けては「お姉ちゃんだから面倒見れるよね」と当然のように言います。
これも同じく、下の兄弟がいればたとえ1歳だったとしても。
そしてその「姉」がなんらかの失敗をしたとき、「お姉ちゃんでしょ」といって叱ります。
その年齢の子供に求めていい程度の責任でなくても、です。
しかも、大人、親といえど、常に100%の力で子供の面倒を見れるわけではありません。とんでもないミスをすることもあります。しかし、大人は「都合の悪いことを忘れる」力をもっています。しかし子供にはまだそれがありません。
大人が「姉」に子供の面倒を任せるとき、「自分の100%全力」を「姉」に求め、それができないと激しく叱ります。
そしてもちろん、「大人の100%全力」を常に発揮できる子供(というか人類)は存在しません。
でもそんなことは子供は知りません。だから叱られた記憶だけが残り、「自分はダメだ」という劣等感が詰み上がっていきます。

以上の二点、「逃げ道なく」「常に劣等感の中で」生きなければならないだけで、既に危険なかおりがします。
さらに下の兄弟の面倒を見ることを強要されれば、へたをすると「母性」が生まれ、弟・妹離れが難しくなってしまったりします。

これらは、本人達には責任はないと思います。でも、何歳になっても、自分が親になっても、どうやら消えずにのこるものらしいです。
そして、誰かに自分の境遇について訴えたくなるものらしいです。
そういう、癒されがたい自己嫌悪や劣等感をもつ「姉」を、すこしでも理解し、ぶった切らずにつき合ってくれる人が増えたらいいなあと思い書いてみました。
(男の子をもつ親に、姉属性は嫌われこそすれモテたという話をきいたことがありません)

日々の脳内会議 

September 02 [Tue], 2014, 22:41
よく、「悩み事があるときは気晴らしをして忘れる」っていう人がいますけど、その程度の、忘れてもいい、結論を出さなくてもいい悩みってなんなんだろう、というのが人生数十年の疑問であります。
たとえば高いところから下界を見下ろすと「自分の悩み事がちっぽけでどうでもよく思える」とか、それも謎です。
ちっぽけなのはいいけど、答えを出せるのは自分だけで、答えを出さないと人に迷惑がかかる…って言う考え自体が私の勘違いなのかもしれません。

私は今でこそ、今まで出会ったほとんどの人に「まだ若いんだから、将来には希望しかないでしょ」と言われてきました。
でも、私には将来に希望を抱ける可能性が全くみいだせないわけです。
自分自身を養えるだけのお金を稼ぐことが出来ない。約10年、あの手この手を尽くした上で判明したことです。
もしかしたら、万一、これからのたった数年で、私みたいな人でもしっかり稼げるような社会になるのかもしれませんが、その可能性はとんでもなく低いのではないでしょうか。
あと、血縁関係のしがらみ。母をはじめとするウチの家系はストーカー体質なので、逃げても逃げても地の果てまで追いかけてきます。話し合いで解決は約10年の努力の結果、不可能と悟りました。一時は逃げられても、一生、家族の手におびえながら生きなければなりません。
そして、これは私にとって致命的なのが、誰かと一緒に暮らすことが苦痛。少し前までは、なんのとりえもない人間でも、女であれば結婚すれば食べさせてもらえると言われてましたが、今は男性のほうもそこまで、この際女なら誰でも、とは言わなくなりました。もし仮にそんな男性がいたとしても、私は一緒に住むのが無理です。「誰かの気配」そのものが私にとっての恐怖なのです。壁の薄いアパートも同じなのですが。
しかも、たぶんもうすぐ、40代になれば、「まだ若いんだから」とは言われなくなるでしょう。その時、その人たちが一体私になんと言うのか、逆に楽しみになってきます。

私がもう十数年考えているのは、「このまま実家で発狂するか」「家を出てたくさんの人に迷惑をかけたうえで野垂れ死にするか」、「なんとかこれ以外の選択肢が見つからないものか」ということです。
こういう人は私だけではないと思うのです。
障害者と健常者のボーダーラインに属し、仕事は出来ず、家族は暴力+ストーカー。
私も考えうる限りの機関にこの現状を白状し、なんとか私は前向きに生きたいのだと訴えましたが、結果としては「我慢しろ」という、私にはなんの指針にもならない返事しかもらえませんでした。
それが「実家で発狂しろ」って意味なのか、「どんな薄給で餓死することになっても独立して働け」って意味なのか。
どちらも正しくないからハッキリ言わないだけなのか。
そうならそうと言ってくれればいいのに。
私はボーダーラインとはいえ、そういうハッキリしない言い回しを推測することはものすごく苦手です。
そしてその特徴をあらかじめ話しています。
結局のところ、まあ私が誰にも何も言わなければ、誰にも(多分)迷惑もかからないのでしょう。
でも、私も前に進んでみたい。そう思うことがそもそも罪なのですね、きっと。

今私にとっての一番の絶望は「若いこと」かもしれません。せめて、どう考えてもあと数年しか生きないだろう、って年だったらいいのに。

私にとって一番の願いは、両親から「早く死ね」って言われる子供が私だけでありますように、ってことです。

本日の脳内会議 

March 19 [Wed], 2014, 22:38
少子高齢化が叫ばれている昨今、なぜ子供を預かってくれる人がいない、なんて事態が起こるのだろう、とふと思ったのです。
私は、書くまでもなく未婚で子供もいませんし、おまけに死ぬほど世間を知らないので、トンチンカンなことしか書けない気もしますが。

・核家族化がすすみ、親と同居していないどころか親と遠く離れて簡単に自分の子供を預けられない人が増えている
・昔のように、近くの親戚や近所の人が子供を預かってくれない時代になった
・仕事などの理由で子供を預けたいと思う親が増えている

などというのが、私でも思い浮かぶ「理由」なのですが。

そして、ここでまた世にもあてにならない私の記憶の話なのですが。
その昔、私が小学校に上がる前、私は「半分以上の時間をを両親以外のところで過ごした」と思っています。
具体的には、母方・父方双方の実家(当時はまだ同居してなかった)。特に母方の実家には何ヶ月という単位で預けられたことも何度もあり、父方の祖母のところも、相手からの「いい加減こいつを預かるのもあきあきした」オーラをびしびしと感じたのを覚えています。
母はとにかく私のことが赤ん坊の頃から嫌いだったと言っているので、多分たいした用事でなくとも遠慮もなく私を預けていたのでしょう。
で、多分、私の世代の人は、子供の頃、私ほどでなくとも、祖父母に預かられた経験がたくさんあると思うのです。
でも、私たちの世代は、自分の子供をそれほど多く自分の祖父母に預けているか?
たぶん、「いいえ」ではないかと。
祖父母の方から「忙しいから」と断られたり。自分たちから「面倒を避けたい、または教育の方針が合わないのであまり預けたくない」と止めたり。
どちらかが悪いというか、両方とも悪いというか、親世代の親との信頼関係がちょっとは関係してるのではないかな、と思ってみたのです。

そもそも私が生まれるよりずっとずっと前は、兄弟や近所の年長の子に赤ん坊の面倒を見させたり、子守りというものがそうとうフリーダムな存在だったはず。それでうっかり怪我をするはめになっても、親もたいして気にしない。
そこが、少子化の影響なのか、誰かに預けて間違いがあってはならない、となって、預ける人を選び、結果、いざという時預けられる人がいない。

定年で退職して、バイトしなくてもお金もあって、子育て経験もあって、暇をもてあましている人たちが、地域の子守りとかできるんじゃね?とか思いますが、多分、そんなラフなわけには昨今いかないんだろうなぁ、と思いました。子供の、子守りの、重要性?が増したことによって。
悪い言い方ですが、子供がいっぱいいれば「まあ一人ぐらい」ってなっても、一人しかいなければ「この子をなんとしてでも」ってなるわけですね。

あとは多分、子供を一人きりにした時の事故が大きく報道されるようになったこととか。
昔は子供に「一か八か」みたいな留守番をさせることも多々あったように(すくなくとも私の周りでは)思いますし、それで小さな事故も結構見ましたし自分もそういう事故にもあいました。しかし最近は報道で「なぜ子供に留守番させた」みたいなことが叫ばれ、万が一までいかなくても、もっと低い危険度でも万全でなければ留守番させない、って考えになった、というのもあるかもしれません。

私も身の回りのいろんなことが迷宮化して堂々巡りになっていろんなことを諦めたりしてきましたが、最近私に縁のない「子守り」に関しても、迷宮化してきているなぁ、とひとごとながらものすごく心配になったという話でした。

耳コピ再び 

November 12 [Tue], 2013, 23:52
今度は一気に2曲。前回よりソフトを使いこなせてる感が出ていればいいなあ。
しつこいけどこれもまずかったら消しますというか果てしなくグレーなのかなこの行為も…。
うp形式はpngですが、midiとかmsczとかで欲しいという物好きさんはうぷろだか何かを教えてください。昨今のファイル受け渡し事情がわかりません…
私のピアノの腕では練習すれば弾ける…かも?というレベルです。そしてどちらも大好きな曲です。

発表の場 

October 12 [Sat], 2013, 1:40
創作の勘を取り戻すため(?)耳コピしてみたよという証拠を晒してみます。
もしまずかったら(まずいと言われたら)消します。
クロスチャンネルの中で一番好きかもしれない曲です。
もしこれを参考に弾こうという方が万一いたら、間違ってる箇所はご自分で訂正してください…☆

死について思うこと 

March 16 [Sat], 2013, 0:30
あまりに毎日、実の親から死ねと何十年も言われ続ければ、死への感覚も麻痺するというもの。
ただ、親のほうは結構切羽詰ってきたらしく、「早くしないとばあちゃんが先に死ぬやん」と急かしてきます。
念のため補足しますと、よくある「ばあちゃん元気すぎやんwww私より長生きするwwww」という言葉を母流に解釈するとこうなるらしいです。

自殺については、思い出せる限り、小学生の頃から考えていたと思います。
ただ、子供の頃から妙に現実的な思考を持っていた身としては、「これじゃ確実じゃない」とか「ここじゃ迷惑がかかる」または「子供の足じゃ行けない」等の理由から、実行に移すのは無理だなーと漠然と考えていました。
もちろん、大人になってから、正式にメンヘラと診断されてからも、結構真剣に考えたものの、結局なんでだか実行に移すことはできませんでした。
でも、自閉傾向の強い人には比較的こういうエピソード(消えたいとは思っても自殺未遂までなかなかいかない)が多いと知って、だいぶ安心しました。
私だけが特別意志の弱い人間なんだ、と結構悩んでいたので。

でも、今は特に消えたいとは思いません。私はもっともっと変われるなという実感がようやくわいてきたからです。
でも自殺したいとは相変わらず思います。しかも、「消えたい」とかいうまともっぽい理由ではなく。

私が子供の頃から、「お前さえいなければ」と言い続けてきた両親。彼らが、私の死でどうなるかがものすごく興味深いからです。

死んだらその後のことなんてわからないんじゃ?という気もしますが、多分、執念的ななにかで、私は死後も両親の反応を見るまでは成仏しない自信があります。

いや、もちろん、私の死で何かが変わるなんて私は思っていません。でも、親は間違いなく何かしらの反応を示すでしょう。
都合のいいオモチャを奪われて怒り狂うか。すぐに新しいオモチャを調達するか。
まあ、じわじわと私のせいじゃないなって気がつく最善の道も、あり得ないとは言い切れないかもしれません。

実家で暮らしていると、こういう、私の命は両親の心の安定のためだけの存在に思えてきて、ときどきとてつもなく虚しくなります。
だけど、今の私には一応やりたいことがいくつかあって、そして当分は自殺する甲斐性も持てないと思うのでwwこのままずるずると生きていくのだろうなぁ、と思います。
自分を見失わないように、それだけを念じながら。

セカンドノベルまとめ 

January 13 [Sun], 2013, 23:19
あまり肯定的でない意見を延々ついったに書くのもどうかと思ったので、ブログに書きます。

さて、そのセカンドノベル。
賛否両論という感じで、好きな人は好き、らしいです。
その大きな原因のひとつが、読者の想像に任せすぎってレベルじゃねえ!ってところにあると思います。
想像のための材料は全部揃ってる、らしいですが、考察する人たちがみんな違うことを言っているあたり、作者さんはそのつもりでも我々には届いてないのではないかと…。

まあ、それはいいのです。(?)
私が言いたいのは、
「このゲームのあらすじを見て心惹かれたという腐女子は、多分満足できます」ということです(腐)
ユウイチのキャラがやばいですよ!本物はあそこまで明るくなかったとのことですが、そこもイイです。先生ウケがよく、要領がよく、でもひっそり病んで、ついには自殺してしまったのでは、という…
で、そのユウイチの後を追ったと思われるアヤノ。
アヤノのことが好きで、ユウイチとは親友だった主人公。
事の真相を知るために生き残ったアヤノの話を聞いてみれば、アヤノとユウイチののろけみたいのを延々聞かされる。
主人公www涙目wwwwwww

…のまま、最後までいってくれれば私としては良かったんですが。
最後で、実は主人公ハーレムだったんだよ!という謎の逆転劇が始まり、私は普通に置いていかれました。

あ、でも、EX1はどっちかというとユウイチの話だったので、EX1はおいしくいただきました。
様々な突っ込みどころを無我の境地でスルーし、ユウイチにハアハアするゲームだと私は思います。

※考察で割とよく見た、「ウイスキーは一体なんだったのか」については、「ユウイチ実は存在しない説」を否定するため、または、ユウイチも主人公を親友と思って本当に大事にしていた、という表現かなと思いました。
あれがなかったら結構、主人公が一方的にユウイチにつきまとってたように見えなくもゲフンゲフン

ハイパーいまさら 

December 29 [Sat], 2012, 18:10
目のレーザー手術の話を書く書く詐欺を1年以上やってきて、そろそろもう簡単にでいいから書かないと忘れるべと思い、簡単に書くことにします。

私が手術したのは去年の11月後半の某日。
しかし予約をしたのは8月か9月。この地点で冬コミに申し込みを済ませており、9月発売のゲームで本を出すという漠然とした予定だけがありました。
しかしいざ本当に冬コミに受かり、しかも当時の荒涼とした精神状態(いつもですが)のせいで、手術直前になっても件のゲームを開封できないありさま。
しかしどうやら、数日前には無我の境地でゲームを開始したようです。
で、ゲームクリアにとんでもなく時間がかかったため、原稿を表紙込み10日程度で仕上げる羽目に。あの奇跡はもう二度と起こるまい。
……話がそれました。

レーシック(名前忘れてぐぐった)は、保険がききません。値段はピンキリですけど、私が受けたとこは相当高い部類に入るようです。
なのにそこまでして、なぜ私は視力の回復を図ったのか。
理由はもちろん、メンヘラ的なアレです。
私が外に出れないのは、コンタクトを入れる行為が面倒だからでは?
コンタクトを入れると化粧がセットでついてくるからでは?
化粧をさぼってメガネでごまかしてもメガネの心地悪さ(鼻、耳が痛い。すぐ下がる。眼球にレンズが当たる)のせいで挙動不審になってしまうのがいや。
このような、合ってるのか合ってないのか微妙な理由のもと、私はバイトでこつこつ貯めたお金を大胆に使う決意をしました。

※そもそも、なんでそんな高い眼科選んだのかについては、家から近いからです。歩いて行ける。あと大きい歴史ある病院で、誰に言っても「あそこなら安心だね」と言われるから。後で誰かに「なんでそんなとこにしたの」って言われたらそれだけで吊りかねないので。

※あと、ある種の抗精神薬を飲んでる人はお断りする可能性がありますといわれ、私はまんまとメンヘラであることを告白してしまいました。とはいえ、飲んでる薬と診断名、病院名を聞かれ、それきり何も言われてないので…単に面倒なメンヘラお断り、なだけだったのかもしれません。

ともかく、結果だけいえば、ひきこもりは解消されていません。
しかも、メガネなしすっぴんで外に出る度胸を得てしまいました。
でも、私のように、とにかく生活するための手順が少ないほうがいい、という人には向いていたのではないかと思います。あっという間にコンタクト時代のことを忘れてしまったので、比較はできないのがあれですが。

手術の効果は、本当に人それぞれ。私の場合、車の運転に必要な視力を1年後の今でもキープしています。
ただ、目の乾燥は絶対にひどくなりました。「もうだめコンタクト外す!」みたいな状況で、しかし外すコンタクトがないみたいなアホシチュが頻繁に起こります。特に暖房の時期、今は大変。

で、ここは私の障害のせいもあるんでしょうが、「手術をして良かったか悪かったか」という問いには答えられません。手術したという人生上の事実があって、今がある。自分で選んだことじゃんって感じですけど、今となっては「手術をし終わった」という過去があるだけです。
でも敢えて言うなら、失敗の確率のあるところ成功したし、朝の作業が減ったし、良かったの方にギリギリ入るのではないかなと思います。
でもそれも、あくまで私の場合ですし。
失敗する可能性もありますし。
ただ、興味あるメンヘラの役に立てばとおもいます。

文章の練習をしてみたよ 

July 21 [Sat], 2012, 23:57
突然だが小説みたいなものを書いてみたよ!
ずっと何か書きたかったんだけど結局これにしたよ!
小説じゃないじゃんってツッコミはいらないよ!
プロフィール
  • アイコン画像 ニックネーム:shaco(しゃこ)
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198x年秋生まれ。
精神を病んだ・腐った・オタクと三拍子揃って絶賛人生詰み中。
趣味はゲーム、読書、資格集め、その他多数。
得意分野(?)はRPG。

現在の所持資格:
声優能力検定2級
漢字検定2級
ITパスポート

現在の目標:
大型一種

ついったー:
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